おかしなお菓子

 少年の腕の中に天使が舞い降りてきた。あおいはスマホを抱きしめてほくほくしている。

 みどりは満足そうに目を細めて、ふと窓の外を見た。雨に揺れる紫陽花の青や紫が薄闇に映えている。今夜はずっと降り続くのかもしれない。

 風もびゅうと吹いてきて、暗くなった空が一瞬 ひらめいた。しばらくすると……


 ゴロゴロゴロ……


 上空でドラム缶を叩くような低い音がした。雷様のおでましだ。


「近いな。翠、カーテン閉めよう」

「おへそを取られるから?」

「そんなの迷信だろ。……え? もしかすると、おまえの探しものってその『おへそ』だったりする?」

「おへそは神鳴様への捧げ物だから、僕たちは手をつけないよ」

「そ、そうか」


 ちょっとほっとする碧。自分は出べそではないけれど、鬼の子を前にして一瞬緊張してしまった。そこを翠は見逃さない。


「ばあちゃんが若い頃に子どものおへそをつまみ食いしたって聞いたことはあるけど」

「怖い話するなよー! おまえのばあちゃんは何者なんだ」


 頭の中で片手に包丁を持った山姥やまんばを想像しながら、碧はサッとカーテンを閉めてしまった。

 翠はしょんぼりしながら見送ると、スマホを置いてじゅうたんの上へ座ろうとする碧の背中に語りかけた。


「そういえば紫陽花のことだけどね。ばあちゃんが好きな花なんだ。だからこの時期になると外に出て色々見てる。お菓子のこともそのときに教えてもらったんだよ」

「おまえ、ばあちゃん好きなんだなあ」

「よく言われる。碧は?」

「俺もうちのばあちゃんは好きだよ。やさしいし……」


 ゴロゴロゴロ……

 ドカアーーン!!


『うわっ』


 二人同時に飛び上がる。さしもの翠もこれには驚いたようだ。

 天から強烈な一撃が放たれ、街の光を消し去った。碧の部屋もストンと真っ暗になってしまう。停電だ。

 冷蔵庫のモーター音が止まり、家の中がしんと静かになった。入れ代わりに雨の音がザーッ! と大きく聞こえてくる。


「どこかに落ちたんだ」


 碧がせわしなく立ち上がるかたわらで、翠がそっとカーテンをめくると、日没前の空はうっすらと明るい。けれどもうほとんどよいの口だ。


「ええと、たしか玄関に懐中電灯がしまってあったはず……」


 碧は急いで部屋を出ていくと、ほどなくしてカチカチスイッチをいじりながら戻ってきた。懐中電灯の明かりは点かなかった。まさかの電池切れだ。


「母さん帰ってきたら電池交換してもらおう」

「碧は甘えん坊だね」

「うっ。うるさいな」


 不覚にも子どもじみたところを見られてしまい、ぶつぶつ言ってごまかしながら床に座る碧の隣へ翠もやって来た。同じ顔なのに、人の子と違って落ち着いている少年は優雅な感じさえする。


「碧のばあちゃんはどんな人なの?」

「うん? 俺んち? 翠んとこと違って子どもにいたずらしないやさしいばあちゃんだったよ。ゲームしてても怒らないし」


 ふふん、と碧は優越感を示すほほえみを向ける。暗がりで翠には見えていないだろうけれど。それもつかの間、碧の声は少しだけ小さくなった。外の雨は絶え間なくタタタタと家の屋根を打つ。


「ばあちゃんは俺が幼稚園の時に死んじゃったんだ」

「そうなんだ……」


 うん。碧はうなずいた。翠は静かに碧の話を聞いていた。


「たしかこんな大雨の時でさ。台風だったんだよな。俺がどーおしても食べたいお菓子があって、親は仕事だったから家にはばあちゃんしかいなくてさ、二人でレインコート着て外に出たんだよ。その後ばあちゃんは風邪をこじらせて肺炎になっちゃったんだ。ずっとそのことが気になってて、雨を見ると憂鬱ゆううつになる……。ばあちゃんのこと考えちゃうから」


 そこまで流れるように話してしまうと、碧は下を向いた。

 隣の少年に顔を見せたくない。


「ごめん……思い出したら、ちょっと……」

「あ、泣いてる」

「心の汗だから」


 目をしばたたいてしずくをこぼしてしまおうとした碧のほおに、翠はそっと人差し指を触れた。


「しょっぱい味も乙だよね」

「え?」


 翠はまよいなくその雫を口に含んだ。

 それは、できたてほやほやの


「うッッ……まあ~~い!!」


 とびっきりの甘露かんろだった。隠し味の塩の旨味うまみがたまらない。翠は今日一番の喜びの声を上げた。


 魂を抜かれたようにぽかんとなった碧は、翠の浮かれた声をぼんやり聞いていた。


「なん……なんだって?」

「たぶん、うちのばあちゃんが言ってた最高のお菓子って、コレじゃないかな」

「涙が……?」

「そう、人の不幸はみつの味、てばあちゃんが言ってた」

「鬼だな!!」

「だって鬼だもん」


 えへへん。翠は得意そうに鼻の下を指でこする。古いタイプのキャラだった。のけぞったタイミングでおでこの隙間すきまから二本の小さな角が見えた。たしかに彼は鬼の子なのだ。


 まあいいか……。碧は怒る気力もなくなって、小さく息をついて翠と一緒に笑ってみるのだった。苦笑いと一緒にしょっぱいものが口に入った。


 同じ顔の少年が二人。ひとりは不幸、ひとりは幸福を味わっている。


「……そっか、俺にもどうしても欲しいものがあったんだよな」

「どんな?」

「ふつーのチョコだよ。ドーナツみたいに輪っかになってるやつ。あの後むし歯になったんだ。人に話したらちょっとスッキリした。ありがとな」

「うん。よかったね」


 ガチャリ。玄関で鍵を外す音がした。


「あ、母さん帰ってきた」

「じゃあ、僕はそろそろおいとまするよ」

「えっ? もう?」

「窓を開けていいかい?」


 親との遭遇を回避して翠は窓からさよならする。くついてこなかったのが幸いか。

 雷は一過性のものだったらしく、もうゴロゴロは小さく遠くへ行ってしまっていた。


 闇の中、碧が立ち上がってからりと窓を開けてやると、翠が横に立った。


「じゃあね、碧。今日はありがとう」

「元気でやれよ」


 降りしきる灰色の雨の中、翠はぴょんと庭に飛び出して華麗に空中一回転、白の半袖シャツに紺の学生ズボンが紫陽花の花々に吸い込まれるかと思いきや、少年の姿はいつの間にか消えていた。


 碧が目をこらして植え込みを見つめていると、緑の葉を揺らして右から左へざわざわ移動していく小動物の気配。迷い猫ではない。


 家出少年はちゃんと自分の家に帰れるだろうか。碧は鬼の子の正体を見てやろうと期待して待ちかまえた時、台所から母の雷が飛んできた。碧! 夕飯前なのにお菓子全部食べちゃったの!?


 碧は後ろを振り向いて、二人で食べたんだよと言いかけて、やめておいた。再び庭に目をやった時にはもう小さな友達の姿はいなくなっていた。


 部屋がパッと明るくなる。碧はそのまま窓のそばに座って、ずっと雨の音を聞いていた。






 おわり

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花と鬼の子 白米おいしい @nikommoji

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