召喚……!

 夕方から降り始めた雨は庭の花に恵みを与え、紫陽花の葉はしたたる雫にときおりゆらゆらと揺れていた。

 灰色の空は重たくどんよりして、街の色彩がかすんで見える。

 まだ日が長いので、辺りが暗くなるのはもう少し先だ。


 母が仕事から帰ってくるまでまだ一時間はありそうだった。小腹がすいたので冷蔵庫を探ってみようか。

 あおいはスマホから顔を上げた。


みどり、何か飲むか? ホットミルクにしてやろうか。うんと砂糖入れて甘くしてさ」

「うんうん、いいね。お願いするよ」


 こちらを向いてきらきらした目でうなずく翠を見て、碧は心の中で苦笑いした。鬼の子にはこの手の冗談は通じないらしい。

 子供扱いしてるんだぞ~! と説明してやりたいのを飲み込んで、スマホを机の上に伏せてから台所へ向かった。


 そういえば翠は今でこそ碧と同じ十代半ばの学生姿をしているけれど、実の年齢はいくつくらいなのだろう。

 あの変装を解いたら、幼い頃に歌ったしましまの鬼のパンツをはいているのだろうか? 肌の色も真っ赤なのかしら?


「うーん、想像できないや」


 ひっそりした台所へ入り、碧は冷蔵庫から牛乳のパックを取り出した。賞味期限が明日だ。まだ中身も半分くらいある。

 パッケージのゆるい牛の絵と五秒にらめっこして、碧は食器棚からマグカップを二つ取り出した。牛乳を二人分注いでちょうど空になった。

 レンジで温めている間に、ポテトチップスと醤油しょうゆせんべいを発見したので、大皿と一緒に抱えて自分の部屋に戻った。


「翠、美味しいお菓子だぞー」

「わーい」


 いちいち両手を上げて反応してくれる翠についうきうきしてしまった碧である。

 翠はおとなしく部屋のすみに座っていたようだ。好奇心で碧のスマホにさわった形跡もない。


「ヒマだったろ」

「いいよ。庭の紫陽花を見ていたんだ」

「そういえばおまえ、朝も公園の花を見てたよな。紫陽花好きなの?」


 チーン


 レンジが呼んでいる。

 翠が答える前に碧は台所へ引き返した。


「翠~、袋の中身開けてくれー」

「はーい」


 碧は大きな声で頼むと、背後でバリッと音がするのを聞きながらマグカップに砂糖を入れた。翠用のは激甘だ。

 部屋に戻る前、テーブルのすみに置いてあったウェットティッシュの箱をわきに抱えていった。


「なあ翠、鬼に関係する美味しいお菓子って、節分の豆ってことはないよな? あれは鬼を追い出すアイテムだし」

「そうだね。ばあちゃんも豆とは言ってなかった気がする」

「何とかコンテストで優勝した高いお菓子だったらどうするのさ。おまえこづかい持ってきたの?」

「ないよ!」


 ないのかよ。翠はマグカップを受け取りながらきっぱり言い放つ。碧は力が抜けてあやうく手がすべりそうになった。

 とりあえずめぼしいものをチェックして、お金は後で払うつもりなのかもしれない。碧は遊び半分のつもりで翠に付き合ってやろうと考えていた。ヒントの無い宝探しに本気になるつもりはない。


『いただきまーす』


 お皿に山と盛られたパリパリのお菓子たち。

 ウェットティッシュで手を拭いて、さっそく手を伸ばす。またたく間に黄金の山が平らになっていった。


 二人の同じ顔が同じ物を食べている。

 碧はおかしな感覚におちいり、あちらがポテトチップスに手を伸ばしたら自分はせんべいを、あちらがせんべいを食べるならこちらは違うものを……という風に相手と少しずらしてみることにした。どうも鏡を見ながら食べているような気分になるのだ。

 せんべいが気に入ったらしい翠に最後の一枚を譲ってやった。


「あ、今日のログイン忘れてた」

「うん?」


 碧はティッシュをゴミ箱に放りこみながら机のスマホをもう一度手にとった。翠はお子さまミルクを美味しそうに飲み干してマグカップを床に置くと、碧の横に移動してきた。


「今日は雨が降るっていってただろ? 傘を探してたからスマホにさわる時間がなかったんだよ」

「朝からゲームするの?」

「ログインボーナスもらうだけだから二、三分で終わるんだけどさ、学生の朝は一分一秒を争うんだぜ」

「ふ~ん」


 なにやら楽しそうな音楽が鳴って、碧はしばらくスマホと向き合っていたのだけれど、ふいに翠にとある画面を見せてやった。

 可愛らしい少女がこちらを見ながらほほえんでいる絵だ。


「彼女?」

「だといいけどね! 俺の中で最強のキャラなんだけど、どうしても召喚できないんだ。ガチャ一回分残ってるから、翠も引いてみる?」

「このボタンを押せばいいんだね?」

「よろしくお願いします」


 碧は祈るようにスマホを翠の手元へ捧げたのだった。

 ほんの気まぐれだった。他人に変身できる鬼の子のふしぎな力なら、奇蹟を呼べるんじゃないか、なんて幻覚を見てい……


 シュウーーッ!

 きらきらきらぁ……


「えッッ……えぇぇぇ……」


 あぜんとしている碧の手の中で、光の渦が巻いて華やかなファンファーレが鳴り響いた。


「わあ、君の彼女、可愛い声をしてるんだねぇ」

「……うっそだろ……」


 画面の向こうで、奇蹟の彼女はにこりと笑って、碧にはじめましてのご挨拶をしてくれた。突然のことで頭が真っ白になり、碧は何も聞こえていなかった。


「おーい、碧~」


 翠はスマホを両手に持ったまま放心している碧の顔の前で手を振ってみた。しばらくして「ハッ」と我に返った碧がまばたきをした。


「み……」


 碧の手がふるふる震えている。感極まった碧少年は少し赤くなった顔で翠に片手を差し出した。


「翠さん、君の求めるお菓子、全力で応援するから」

「ありがとう! うれしいな」


 ぱっと笑顔になった翠も手を出して、二人でガシッ! と固い握手を交わすのだった。



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