エピソード1 終幕 通算31話


 吉備津学園のすぐ近くにシックな喫茶店がある。

 いつも閑古鳥が鳴いており、店主が採算度外視の趣味でやっているとしか思えない。

 ボッチだった頃の桃子が、よく学校をサボって利用していた店でもある。

 その喫茶店内に、男子高校生が二人、カウンター席に並んで座っていた。

 一人はルックスはそこそこ良く、バレンタインデーなどには本命チョコを二~三枚、義理チョコ複数枚は貰えそうな、爽やかな好青年で、もう一人は、少しいゴツイが、目鼻立ちはくっきりと堀が深く眼光鋭い筋肉質の青年で、チンピラ程度なら慌てて眼を反らして逃げ出してしまう眼力を持っていた。

 好青年の正体は犬飼健一。筋肉質の青年は鬼龍院紅牙だった。

 この二人がサシで会うのはこれが初めてかもしれない。

 苦そうなコーヒーを顔をしかめながら一口飲んだ紅牙は、深呼吸をして健一に向き直る。

「ちょっといいか健一」

「いいもなにも、紅牙がオレを呼びだしたんだろ? 何の用だよ」

「うん。まあ確認したいことがあってな。これは誰からの情報かは明かせないというか聞かないで欲しいんだが約束してくれるか?」

「わかった。約束する」

「ありがたい。知っての通り、俺は隠し事や嘘が苦手だから問い詰められたら喋っちまう可能性があるんだ」

「知ってるよ。だからなにも聞かないから話せよ」

「あれだ。健一は陣羽織から毎度あらゆる嗜好を凝らしたアプローチを受けているが、それらの誘惑を全て断ってるらしいな」

 健一は思わず飲みかけのコーヒーを噴いてしまいそうになった。

 まさか紅牙からこういう質問が飛んでくるとは思っていなかったので、意表をつかれたのだ。

「だ、誰から聞いたか知らないけど、間違っちゃいないよ。でもな。羨ましいと思ったら大間違いだぞ」

「いや、そんなことを言うつもりはねえよ。話はここからが本番なんだ。それでな。ある疑惑が浮かび上がってるんだよ」

「ひょっとしてアレか? オレがロリコンとかいう疑惑か? それなら違うぞ。桃子たちがウルサイからロリだと思わせとけば都合がいいから、あえて否定しないだけだ」

「いやそうじゃねえ。そうんなヤワな疑惑じゃねえんだ」

 紅牙はコーヒーを一気に飲み干し、苦そうに顔を歪める。

「じゃあどんな疑惑なんだよ!」

 煮え切らない紅牙の態度に、健一は苛立ちを隠さず声を荒げる。


「だからあのよ。健一は、俺のことをどう思ってるんだ?」

「紅牙をどう思ってるかだって?」

「ああ。正直に答えてくれ」

「そうだな。愚直で単純で短絡思考だけど、それゆえ一本筋が通ってる。たまにウザイと思うときもあるけど、基本的には好きだよ」

「す、好きかっ! 好きなのか?」

「なんだよ。嫌いって言って欲しかったのか? そりゃ骨折されられた相手だから恨んでもいいんだろうけどさ。紅牙に非があったわけじゃないしな。それに紅牙の腕っ節には何度か助けられてることもあるからチャラだよ。つーかこれからも頼りにしてるぜ」

 健一は紅牙の肩に軽くパンチを入れる。

「うわっ!」

 軽く触れただけだというのに、紅牙は飛び上がらんばかりに驚いたため、健一は呆気にとられていた。どう考えてもこのリアクションはおかしい。

「どうしたんだ? なんかおかしいぞ? なにかあったなら相談に乗るぜ? オレとお前の仲だろ? 遠慮しなくていい」

 健一はじっと紅牙の瞳を見つめる。

 いままでガンを飛ばされても絶対に先に目を反らすことがなかった紅牙が、思わず目を背けてしまう。

「け、健一はその、いわゆるあれか」

「あれってなんのことだ?」

「そのあれだ。お、男というか、ど、同性が好き……なのか?」

 恐る恐るという表現が良く似合う。そんな態度で紅牙が尋ねる。

 なるほど。健一は紅牙が見せたここ一連の態度に、ようやく合点がいった。

 要するに紅牙は健一のことをホモかゲイだと思っていたわけだ。

 そうして健一が紛らわしいことを言うので、その勘違いが確信めいたものに変ってしまったのだろう。

 そのことを瞬時に理解すると、健一の表情から笑顔が消えた。

「ふ・ざ・け・る・なっ!」

 紅牙相手に効くわけはないが、それでも健一は紅牙の顔面に渾身の一発を繰り出した。

 殴られた紅牙は思った通りキョトンとしており、殴った健一の手の方が赤くなっていたが、それでも健一はスッキリしていた。

「誰から聞いたか知らないが、オレはホモやゲイじゃねーよ! 気持ち悪いわっ!」

「ほ、ほんとうか!」

「当たり前だ。なんならもう一発殴って目を覚ましてやろうか?」

「そりゃかまわんが、健一の手が壊れそうだな」

 真っ赤になった健一の手を見ながら紅牙が笑う。

「あーもう。まったく。誰から入れ知恵されたのか知らんが、そんな与太話を信じるなよ。そんなんじゃ、この世の中渡っていけないぞ?」

「ああ、気を付ける」

 紅牙は申し訳なかさそうに頭をボリボリとかきむしる。


「しかし傑作だったな」

「何がだ?」

「だっておまえ、さっき軽く触れただけで“うわっ”とか飛び上がってたじゃないか。無敵の紅牙様もホモには弱いのか」

 ゲラゲラと健一が笑う。

「笑うなよ。俺だって対処できることと出来ないことがある。悪意や害意があって近付く奴には遠慮せずブチのめせるが、好意を持って近付いてくる奴に冷たくしたりするのは悪いだろ?」

「そりゃそうだ。オレも桃子で身に染みてる」

「それはいくらなんでも陣羽織に失礼じゃないか?」

「なんだよ。それじゃ紅牙はいきなり失神させて、パンツを脱がそうとする女を擁護するのかよ」

「そんなことされたのか?」

「そうだよ。でもまあ、あの頃はまだお互い知り合ったばかりでさ、まったく会話が成立しない状態だったんだよ。信じられないかもしれないが、当時はマジで殺そうかと思うくらい桃子のことを憎んでたんだぜ?」

「そうか。それでいまはどうなんだ?」

 紅牙の問いに、健一はしばらく思案した。やがて。

「……慣れって怖いよな。ある程度のことはもう許せるようになった」

「お前は凄いよ。陣羽織はあらゆる面で凄いと思うが、健一も負けてないぜ」

「褒められてんのかけなされてんのか分からないな」

「褒めてんだよ」

「しっかしどんな用かと思ったらオレがホモかどうかの確認とはな。オレの時間を返せ」

「悪かったって、それと用事はまだあるんだ。もう一つだけ聞きたいことがある」

「なんだよ。今度は単刀直入に頼むぜ。また変な誤解を産んで殴る羽目になるのは勘弁だからな」

「今度は大丈夫だ。健一、おまえはどうして陣羽織と付き合わないんだ? 陣羽織のこと嫌いじゃないんだろ?」

 確かに今度は単刀直入というかストレートな質問だった。

 健一は店主にコーヒーのお代わりを頼み、注がれるコーヒーの香りを楽しんだ。


「そうだなぁ。嫌いではないよ。でもまだ好きでもない」

 そこまで言って、コーヒーに口を付ける。

「そりゃ色々尊敬することも呆れることも、カワイイなと思うこともあるけど、恋愛感情があるかと言えば怪しいな。桃子の好意は冗談じゃないって分かってるよ。でもそれとオレの気持ちは別だろ?」

「そうか。難しいんだな」

「いや至極単純な話だよ。いまは誰とも付き合うつもりは無い」

「それはあれか。いまの関係を壊したくないという奴か?」

「それもある。でもさ。付き合ってるわけでもないのにキスされたりすんだぜ? 透のこともあるし、これ以上エスカレートさせてたまるか」

「猿渡か。健一は猿渡のことはどう思ってるんだ? ただの幼馴染みなのか?」

「違うよ。大事な幼馴染みであり、もしかしたら恋人になるかも知れない女の子だよ」

「そうか。ちゃんと考えてんだな」

「そうでもない。二人には悪いけど、選択肢はまだあるよ。これから先、どんな出会いが待ってるか分からないんだぜ? それはオレだけじゃなく桃子や透にも言えることで、オレなんかに固執する必要は全くないんだ」

「おまえ本当に高校生か? 中身オッサンじゃないのか?」

「そうかな?」

「オレは鬼だからよくわからんが、普通の高校生はもっとこう即物的というか、目先の事しか考えてないというか、とにかく……」

「言いたいことは分かるよ。最初に出会ったのが桃子じゃなく、たとえば睦月さんのような人だったとしたら、問答無用で付き合ってたかもしれない」

「そうなのか?」

「そうなのかって、睦月さんは性格も良くて、なにより綺麗な人じゃないか。紅牙はああいうタイプは駄目なの? 贅沢だな」

「やっ、駄目ってことは無いが、俺はもう振られちまったしな」

 紅牙はバツが悪そうに苦笑する。

「え? 紅牙振られたの? なんで? だって睦月さん紅牙の事好きじゃなかったの?」

「よ、よく知ってるな。まあそのなんだ。色々あったんだ。スマン。これ以上は勘弁してくれ」

 剛力を持つ紅牙だったが、恋愛沙汰になるとからっきし弱くなるようだ。

「そうか。なら聞かないよ。それにしても……睦月さんっていまフリーなのか」

「おい健一! おまえまさかっ」

「いや、付き合おうとかそんなことは思っちゃいないよ。ただ言ってみただけだよ」

「も、もしもの話だが、もしも睦月が健一に告白したらどうする?」

「もしも……か。もしもの話なら付き合いたいな。でも現実には無理だな。さっきも言った通り、いまは無理だ」

「そうか。しかしモテる男はいいな。羨ましいぜ」

「おまえ、オレがどれだけ我慢してるか知ってて言うのか? 他の女の子と付き合えない理由を言ってやるよ。その時は、下手すりゃ桃子が自殺するか、桃子がオレを殺すか、桃子が相手の女の子を殺すかの三択しかないんだぜ?」

「それは“本当”なのか? それとも“誇張”なのか?」

「わからん。なにせ“本人談”だからな。どこまで本気なんだか……」

 健一はコーヒーをすすりながら、大きなため息をついた。


 紅牙は桃子に惚れていたが、健一に対して嫉妬めいた感情が湧かないのは何故だろうと思っていたが、その理由がなんとなく分かった。

 両想いでイチャイチャしていたら嫉妬にかられていただろうが、見ている限り、健一はいつも受動的で、抱きつかれてもキスされても嬉しそうな表情が一切無かったからだ。

 むしろ迷惑そうでさえあった。

 健一に倣って紅牙もコーヒーのお代わりを貰うと、今度は砂糖とミルクをたっぷりと入れ、甘ったるくなったコーヒーをすすりながら、自分にもチャンスはあるだろうかと、甘い夢を見た。


   了




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本家! 桃太郎正当後継者伝説(※諸説あります)陣羽織桃子のラブネゴシエーション @jvk

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