005

 ―――静まり返る観衆。

 目の前で行われた、あまりにも鮮烈な、たった十数秒の交錯。その全容を観衆は誰一人として理解できず、ただただ言葉を失うばかりだった。

 立ち込める噴煙が少しずつ晴れていく。

 やがて彼らの前に現れたのは―――摺鉢すりばち状にえぐられた修練場の地面。

 そして、その中心に、墓標の如く突き立った竜槍グングニル。

 ラティの姿は、なかった。

 その光景と脳裏を過ぎる最悪の事態に観衆がどよめく。先ほど辛辣な言葉を口にしていた連中も「え……まさか……」「い、いや……それはないだろ……?」と顔を青くしている。

 ―――そんな戸惑いが広がる中、ただ一人、


「……さすがですね、完全に隙をついたと思いましたけど」


 ミスティだけは冷静だった。


「そういうお前こそな」


 観衆が一斉に声のした入り口正面の壁へ視線を向ける。

 ラティだ。その体には傷一つない。

 自分たちの中では《無能者》の烙印を押されている彼が、文字どおり史上最速を誇る刻聖姫士クリステヴァの猛攻を無傷で凌いでみせた……その事実に観衆がざわつく。


「それにしても、相変わらず反則的な動きだな。3ヵ月前よりさらに速くなりやがって。さすがに少し驚いた」

「その時に言われましたからね。いくら私自身が速くても、そこから攻撃へ転じるのが遅いから簡単に躱せると」

「俺が言ったのは、それだけの速さを攻撃にスムーズにつなげるための《力》と、攻撃の精度をぶらさないための《技》を伸ばせってことだけどな」

「私は《力》がそこまで伸びないようなので、かわりに《速》と《技》を磨きました」


 どうやら彼女は「躱されるなら、躱されないレベルまで速くなればいい」と考えたようだ。

 そのあまりに強引な理屈に、ラティは唖然とした。


「……脳味噌は順調に筋肉質になってるのにな」

「し、失礼なこといわないでくださいっ!」


 動揺を隠すようにミスティは再びグングニルを放つ。


「狙いが定まってないぞ」


 ラティは襲来する一撃を恐れもせず竜槍グングニルに向かって疾走。眉間を貫かれる寸前に進路をずらして躱し、そのままミスティめがけて加速する。

 だが、ミスティは彼の接近を嫌って距離を取った。

 彼女が過去にラティと積み上げた戦歴から下した結論は「接近戦では勝てない」。

 彼は神の力を宿していないにもかかわらず、人の身のままステータス1500以上の神の領域に踏み込んだ規格外の候補生だ。ウィンザー史上、聖煌石クリスタルの力を手にしないままスキルステータス1500の壁を打ち破った者は、一人として存在しない。

 だが、彼はそれを成し遂げた。

 特にその《捷》と《技》はミスティを500以上も上回る国内最高峰。その両者を生かした接近戦こそ、彼の最大の武器だ。

 だからラティとの一戦で最も有効なのは、最強の遠距離交戦力を有するグングニルだと彼女は判断していた。自身が圧倒的に勝る《速》と自動で相手を貫くグングニルの特性に物を言わせようというわけだ。もう一本のゲイボルグは彼女が許さない限り塞がらない傷を与えられるため、当たれば相手の足を鈍らせることができ、グングニルを躱される確率を下げられる。

 しかし、もちろんラティも簡単には隙を見せない。ミスティのゲイボルグによる猛攻をさばきながら、側方や背後そして上空から襲い来るグングニルを巧みに躱し、颶風ぐふうと化して修練場を疾走する彼女の懐に潜る機を窺う。

 だが、どちらもあと一歩で相手に届かない。

 状況は硬直した。

 ―――観客の誰もが、そう思っただろう。


「……くっ!」


 ミスティの表情が歪んだのは、その時だった。

 同時に、ある事実に気づいた観衆の一部が、ざわつき始める。


「お、おい……ミスティ様……」「追い込まれてないか?」


 二人の均衡が、崩れ始めていた。

 それまで中央で攻防を繰り広げていたはずが、ミスティはいつの間にか壁際付近にまで追い込まれていたのだ。


(どうして……っ!?)


 振り切れないのか―――そう言いたげな狼狽にミスティの顔が曇る。

 いつの間にか彼女の思考は、ラティを追い込むことから彼の追撃をどう躱すかに―――攻勢から防勢に変わっていた。

 その眼前にラティが現れる。


「ッ!?」


 予期せぬ出現に動揺して咄嗟にその場を離れるミスティ。


「懐に入った!」「マジかよ!?」「一瞬だけだろ」「でも確かに押し込んでるぞ!」「キャー!」「ミスティさま逃げてっ!」「この変態ミスティさまに近づくんじゃないわよ!」


 連鎖する観衆の叫喚。

 神に愛された少女と神に愛されなかった少年。

 その途方もない差が見る見る縮まり、

 誰も望まない未来が刻一刻と迫っていた。

 ―――最強の姫士きしが《無能者》に敗れる未来が。


(くっ! まだ……ッ!)


 ミスティは速さをさらに釣り上げてラティを振り切りにかかる。

 酸素が足りない。頭が割れんばかりに痛む。意識も断ち切られる寸前で、理性はもはや跡形もなく吹き飛んでいた。

 それでも彼女は止まらない。

 加速。

 加速。加速。

 加速。加速。加速加速。加速加速加速加速加速加速加速。

 本能が叫ぶままに。

 彼女でさえ耐えられるかわからない、文字通り人外の領域まで。

 ……だが、


(なん、で……っ!?)


 振り切れない。

 そして、


「……えっ?」


 予期せぬ感触を背中に覚えたミスティが後ろを振り返る。

 ―――壁。

 後がなくなった。


「隙だらけだぞ」

「ッ!?」


 その懐へ遂にラティが踏み込む。


「入った!」「決まるか!?」「グングニルは!?」「間に合わないぞ!」「届くのか!?」「ミスティさまー!」「いやああああああぁぁぁッッッ!」

「こ、の……ッ!」


 咄嗟にゲイボルグを薙ぐも容易く防がれる。ラティの剣に当たったのは槍の穂ではなく力が乗らない太刀打ち。

 ラティの振り上げた剣がゲイボルグを弾き飛ばした。

 ―――万事休す。


「くっ! 弾けなさい! ガルグイ……ッ!」

「遅い!」


 ―――一閃。

 ミスティの呼び声に形を成そうとした竜槍はラティの振り上げた一閃によって霧散。その刃は彼女の首を切り落とす――――――寸前で止まった。

 無音。

 静まり返る観衆。

 微動だにしない二人。

 その事実が……何よりも鮮明に決着を物語っていた。

 ラティが剣を下ろす。

 二人の体から力が抜け落ち、それまでの気迫が嘘のように……消えた。


「……どうやら、まだ届かないみたいですね」


 自ら敗北を認めたミスティの声は、どこか清々しさすら感じさせた。


「だから何回も言ってんだろ。お前は《速》に頼りすぎだ。それを制御するための《捷》も攻撃に転嫁する《技》も足りてない。だから動きが大味になって、簡単に踏み込まれるし、そうなったらもう太刀打ちできない」

「ですが……それでも、ああも簡単に追い込まれるとは思いませんでした」

「《速》だけに頼る動きは円軌道で無駄が多い。裏に回り込んだとしても、こっちはその場で向きだけ変えれば対処できるから、むしろ《速》の利を自分から捨てるようなもんだ。お前がどれだけ速くてもな」

「……まだまだ修行不足ということですね」


 鞘を拾い上げて剣を収めるラティ。


「じゃあ、俺はもう行くからな。あと俺が勝ったんだから、明日からもう様子見に来んなよ?」

「それはお断りします」

「……は?」


 修練場を立ち去ろうと一歩を踏み出したラティが、ミスティの即答に思わずその足を止める。


「今回の勝負は、私が部屋に踏み込んだタイミングが悪かったのかどうかという結論を出すためだけのもので、話が別ですので」

「お、おま……っ!? 話が違……っ!」

「では、私も用事があるので、これで失礼します」


 話を一方的に打ち切ると、そのまますたすたと修練場を後にするミスティ。


「……」


 その背中を恨みがましそうに細目で睨みながら、ラティはただただ口をへの字に曲げて立ち尽くすしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

喪国の刻聖騎士 cachiku @seigovel

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る