004

 30分後。

 二人はラティの家から少し歩いた所にある《第七修練場》にいた。ここは刻聖騎士クリステヴァやその候補生なら誰でも利用できる、国営訓練場の一つだ。

 ただ修練場とはいうものの、建物の造り自体は極めて簡素。格子状に通路が並び、その通路に囲われた正方形の空間一つ一つが個別の訓練室になっているだけである。

 訓練室も名ばかりで、土の剥き出した地面に吹き抜けた空、そして四方を囲う壁とその上に観覧席があるだけだ。むしろ闘技場というほうが相応しい。

 その一室にラティとミスティはいた。

 二人は幼い頃から刻聖騎士クリステヴァをめざしていたこともあり、物事を決める時は必ず修行を兼ねた一騎打ちで決着させてきた。敗者が勝者の言うことに従うというわけだ。

 ―――そして今、周囲の観覧席には、


「ミスティさまー!」「こっち向いてくださ~い!」「私にも稽古つけてー!」「ボコボコにしてほしいですー!」「結婚して~!」「キャー! 私のほう向いてくれたー!」「違うわよ! 私よ!」「なに言ってんの私に決まってんじゃない!」


 どこから情報を嗅ぎつけたのか、結構な数の見物人が集まっていた。その大半はアカデメイアの制服を身にまとった少女たちで、ミスティに黄色い声援を送っている。中には妙な声も混ざっているが、当の彼女は苦笑いを浮かべながらも丁寧に手を振り返していた。彼女には理由からこうした熱烈な信奉者が多い。

 一方、ラティに対しては、


「……またあいつかよ」「聖煌石クリスタルに認められてもいないのに、ホント生意気」「なんでミスティ様もあんな《無能者》なんかと毎回……」


 小声で蔑む人々。その多くもまた、アカデメイアの制服に身を包んでいた。


(毎度毎度同じことを……よく飽きないもんだ)


 心中で毒づきながら首を鳴らすラティ。すでに慣れ切った罵詈雑言とはいえ、言われて気持ちの良いものではない。思わず無言の皮肉も零れるというものだ。


「……で、では、レーティングもあるということでしたから、10分一本勝負にしましょう。異論はないですね?」

「一度でも俺の異論を聴き入れてくれたことがありましたかね、お姉様?」

「かわりにミートパイを焼いてあげたことが何回もあります」

「穴埋め前提じゃねぇかよ! ってか、あんなもん体よくお前の料理の練習台に使われただけだろうが。黒一色で苦いだけの炭焼き何個も食わせやがって」

「し、失礼なこと言わないでくださいっ! あれは……っ!」

「あれは?」

「あ……あれ、は……………………」


 言葉に詰まり、前で組んだ手をもじもじさせるミスティ。その顔は今にも沸騰しそうなほど真っ赤に上気していた。


「い、いいから始めますよ!」


 不貞腐ふてくされて話を一方的に打ち切り、背中を向けるミスティ。何年も一緒にいるのに相変わらずよくわからないやつだと、ラティもそれ以上の追及はせず、彼女に背を向けて歩を進める。

 修練場の中央で、50メドルほどの距離を取り、対峙する二人。

 すると……熱狂していた観衆も、わきまえた作法に則るが如く自然と静まり返った。

 無言。

 無音。

 ただ、風がささやくだけの静寂。

 張り詰める緊迫感―――。

 ラティが、手にしていた剣を抜き、鞘を地面に置く。

 対するミスティは静かに瞳を閉じ、祈るように両手を合わせた。


「―――羽ばたきなさい、リンドブルム」


 彼女の呼びかけに応じ、その両手が目映い輝きを放つ。晴天の下にもかかわらず、世界を白一色に染め上げるほど神々しい輝きを。

 そしてミスティが両手をゆっくり広げると―――光が一本の槍へと姿を変えた。

 見るものすべてが戦慄に震えるほど荘厳な、白銀の長槍へと。


(……グングニルか)


 槍が放つ凄まじい圧を前に、剣を握るラティの手に力が入る。

 ―――竜槍グングニル。

 放てば必中にして、必ずあるじの元へ還ると伝わる《必然》の槍。ミスティがその身に宿す神獣の一頭、天刃竜リンドブルムの力だ。

 神の力は剣や槍、鎧、さらには炎や風などさまざまな形態を取り、この世に顕現する。その形は有形無形を問わない。

 顕現した竜槍を前に観衆がざわつく。息を呑む。畏怖するように。中には極度の興奮から歓呼に逸る者すらいた。

 だが、無理もない。

 竜槍の顕現とは即ち伝説の再来。それこそが、彼女が国中から敬愛を集める理由でもあった。

 かつて竜槍が人の手に託されたのは、4000年前。今と同じく人類が魔獣の脅威に晒された時代。その悲運を憐れんだ神は、人類に対抗し得る力を授けた。

 それによって人類は生き長らえた。

 だが、手にした力に溺れた一部の人類が、今度は神に牙を向いた。その支配からの脱却を目論み、叛乱を起こしたのだ。

 大義なき私欲に塗れた戦禍―――《人神戦争》を。

 それはやがて市井しせいの人々をも呑みこみ、多くの罪なき犠牲者を生んだ。

 ―――そんな人々を憂い、救うために、一人の女性が立ち上がった。

 ナスターシャ・ヴァレリアハート。

 史上ただ一人、竜槍を手にした戦乙女。

 彼女は、人と神の身勝手な戦争から無辜むこなる人々を守るため、思いを同じくした神獣《七大竜王》と、そのすべてを統べる神獣《神龍王ヴァーディクト》より力を授かった。そして人にも神にも与さず、ただ一人、その身を賭して戦火に苦しむ人々を守り続けた。

 幾千の集落、幾万の人々を。たった一人で。

 その伝説は4000年を経た今もなお、欠片も色褪せることなく、燦然さんぜんと輝き続けている。

 人の手が為した、神ですら及ばぬ比類なき奇跡として。

 ―――そして、4000年後。

 再び魔獣の脅威という絶望に直面した人類の前に、一人の少女が舞い降りた。

 ナスターシャと同じ金色の髪と碧眼の瞳を持つ、彼女の再来たる戦乙女が。

《七大竜王》に愛された、そして《神龍王》に認められた、史上二人目の戦乙女が。

 ―――ミスティアナ・ベルグハイネ。

 伝説をその身に宿した少女。


「準備はいいですか?」


 感触を確かめるように、槍を華麗に振り回す英雄の生まれ変わり。

 対するラティも、応じて剣を構え、


「はいはい。ほどほどに……」


 最後まで言い切る前にミスティが動いた。

 接近するでも距離を取るでもなく、その場でいきなり《グングニル》を振りかぶり、ラティに向かって放り投げたのだ。


「おま……っ!?」


 咄嗟に右へ飛び退き躱すラティ。

 殺意にも似た気迫漲る一閃が大気を灼く勢いで真横を飛来する。

 戦端が開かれた。


「逃がしません」

「ッ!」


 ミスティが瞬時にラティの正面へ回り込む。


「目覚めなさい! タイラント!」


 彼女の召喚に応じて二本目の竜槍が顕現。七大竜王の一頭・炎滅竜タイラントの力を宿した朱色に輝く竜槍―――ゲイボルグ。

 決して塞がらない傷を相手に刻む《必罰》の槍。


「ふっ!」


 宙に現れた槍を掴むと流れのままラティの頭上へ豪快に振り下ろすミスティ。

 その一撃をラティが剣で受け止める。

 弾ける轟音。逆巻く烈風。

 拮抗するつるぎと竜槍。

 ―――と。


(……ッ!)


 ラティの背中に強烈な悪寒が奔る。

 その正体を彼は瞬時に悟った。


(―――グングニルか!)


 その接近を察したラティは力任せに剣を薙いでミスティをゲイボルグごと跳ね除ける。そして瞬時に後方を振り返り、剣を振り上げて襲来したグングニルを上空へ弾いた。一瞬でも遅ければ頭が吹き飛んでいただろう。

 グングニルは必ず主の元へ還る《必然》の槍。

 それはつまり、グングニルとミスティの間にラティがいる限り、彼は常に槍に背中を狙われるということ。だからミスティはラティの正面へ回り込み、自分とグングニルの間に彼を置いたのだ。

 もちろん言うほど容易いことではない。高速で疾走するラティとそれ以上の神速で飛来する竜槍、両者の動きを瞬時に見極め常に先を押さえる必要があるからだ。

 だが、それさえもミスティにとっては、児戯に等しかった。

 なぜなら、彼女の身に秘められた《速》は―――2211。

 有史以来、国内でただ一人、2000の壁を打ち破った少女。

 それ即ち――――――史上最速。

 神速を超えることなど彼女には造作もない。


「背中が空いてますよ」

「ッ!?」


 一瞬でラティの上空へ回り込み弾かれたグングニルを掴むミスティ。


「はぁっ!」


 上空超至近距離から容赦なく降り注ぐ一投。

 直後、ラティのいた場所が爆砕。

 落雷の如き尋常ならざる衝撃に会場全体が震え、巨大な噴煙が舞い上がった。

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