第3.6話 本日の紅茶は『ニルギリ』
「さて、と……」
遥は引きずってきたキャリーケースを炊事場の床で広げる。
玄関から入ってすぐ右手に洗面台があり、調理器具などを置くスペースもある。
テキパキと必要な道具を取り出し、準備にかかる。
「ねぇハル兄、何やってるの?」
紫明はそのケースの中身が何であるか、全く知らされていなかった。
よって次から次へと取り出されていく ティーストレーナーにケトル、ティーポットにティーカップとソーサー、計量スプーンを見て戸惑いの声しか上げられなかった。
「何って――紅茶の準備だよ」
茶葉の入った袋を取り出し、一杯分の分量を計りながら彼は応える。
「それは見たらわかるけど」
「お前が言ったんだろうが。『あたしの能力を使えば
「え、うん。言ったよ」
「つまりお前はカフェインを摂取して
「だって、その方が手っ取り早いじゃん。あたしはへーきへーき」
「まあ、お前がやるってんなら仕方ない。仕方ないが――やるからには、完璧にこなさなければならない」
「う、ん……?」
「つまり、どうせなら俺の淹れた紅茶を飲ませたい。いや、飲ませなければならない!」
「えー、別にそこら辺の自販機のお茶とかでいーじゃん」
「良いわけ無いだろ!」
遥は急に声を荒げ、紫明はビクリと体を震わせる。
「こういうのはな、一種のトラウマがつきものなんだよ。もし大して美味しくもないお茶を飲んで
「え、何。お酒の話?」
遥の力説は紫明の心に特に響いていないようだった。
「はぁ……そもそもお前が『どーせ飲むならハル兄の淹れたお茶が良い』って言ってたから外でも作れるように準備してきたんだろうが」
「あー、そういえば言ってた言ってた」
随分昔の話になるが。
たしかにそんな言葉を交わしたという覚えはあった。
そもそも紫明がこの特異体質に気付いてからは、彼女にとってお茶は飲み物ですら無いという認識でしか無かった。
よって探偵になろうと思うまではこの力を使うことすら考えていなかったのである。
しかし遥が大学卒業後にこちらに戻ってきて、しかも喫茶店を始めるというものだから、それなら彼の淹れたお茶を飲んでみたいとも思うようになった。
「そんな軽いノリで返されるとせっかく準備してきた俺が馬鹿みたいじゃないか」
「そ、そんなことないから。ね、ね、ハル兄の淹れた紅茶が飲みたいなー」
彼女は正確に「ハル兄のくれるお茶が良い」と言ったのであって、別に彼自身が作るお茶に拘っているわけではない。
ぶっちゃけ自販機で買ってきてくれたお茶で構わないのである。
それが彼女自身のためにしてくれたことであるならば。
まあ、でも。
せっかくここまで用意してくれてるし。
何でも良かったなんて今更言えない。
そんな思考が紫明の中では渦巻いていた。
「はい、そんなわけで本日の紅茶は『ニルギリ』。現地語で青い山を意味するインド原産の茶葉だ。ダージリン、アッサムと並ぶ銘紅茶産地ニルギリで作られており、とにかく標高が高いところで栽培されているのが特徴でもある」
遥の紅茶トークが幕を開ける。
こうなってしまってはもう誰も止められない。
「味の特徴としては苦味なく香りも強くなくて、とにかく飲みやすい。紅茶が苦手な人でも飲めるようなすっきりとした味わいとなっている。クセの無さからストレートはもちろん、ミルクティーやレモンティーにしても美味しくいただけるし、他の茶葉とブレンドしたり、フレーバーティーにしたりと用途は様々だ。見た目も透明感のある紅色で美しい。そのままストレートで飲むもよし、ブレンドにして飲むもよし、紅茶初心者から上級者までオススメできる素晴らしい紅茶だぞ、ニルギリは」
「ハル兄、喋ってる間にタイマー鳴ったよ」
「と、いうことで出来たぞ。本当はもっときれいにジャンピングさせたりミネラル分の少ない水道水にしたかったが、その辺は今回は省略だ。今日はニルギリの紹介だけで勘弁してやる」
「わーい。でもそれはお客さんにしてあげて」
ホットの中をスプーンで一かき、湯気に乗せられて微かに紅茶の香りが立ち込める。
静かにティーカップに紅茶が注がれる。
さすがは喫茶店のマスターといった完璧な仕草で、もし女性客が一連の動作を見ていたら惚れ惚れするような丁寧な仕事ぶり。
妥協は許さないという彼の信念そのものである。
「よーし。紫明、いっきまーす」
大きく手を上げ宣誓のようにポーズを取る。
一気に飲み干すかのような勢いだが、実際には熱いのでズズッとすするような格好になる。
仄かに香る紅茶は優しく全てを包み込んでくれるような、そんな心地に彼女を誘ってくれる。
気分が高揚し、なんだか体がポカポカする。
ああ、天井が近くて遠い。
ぐるぐると天井が回転し始める。
おや、回っているのは果たしてどちらか。
思考が少しずつ鈍っていくのを感じる。
それでも旋回は止められない、。
平常心も冷静さもとうに消え失せる。
彼女に待ち受ける世界は一体どんな楽園であろうか?
遥が紫明の手からカップを奪い、心配そうに見つめる。
目を回しながらその場に座り込みうなだれている様子は貧血か酔っ払いの動きのよう。
「……ただの紅茶なんだけどなぁ」
紫明から取り上げたカップに口付け残りを飲み干す。
当然彼が
「美味い。やはり紅茶は最高だな!」
違った意味で
めーてい探偵 大井鳴紫明にお任せあれ!! いずも @tizumo
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