襲来日和   

げえる

第1話 ラリ子とぬっこ

 今朝のホームルームは席替えだった。

 窓際の席は逃したけど、左隣の席が吉良理子きらりこさんで嬉しい。

 ショートカットの吉良さんは、いつも右側の後ろ毛がぴょこんと跳ねてる。肌はちょっとだけ日焼けしてて、ぱっと見は快活でキュートな運動部風なんだけど、実際はそんなことはなくて、常にダルそうにしてるしよく授業中に居眠りしてるし、隠れヤンキーなんだ、と自分勝手に決めつけて楽しんでいたんだ。あだ名はラリ子ちゃん。これも私のなかで決めた呼び名で、もちろんそんなふうに呼べるわけもなく、吉良さんと私は、私の妄想のなかで構築しているだけの人物像を押し付けてる一方的な間柄だ。実際に話したことだってないし、それにラリ子ちゃんが誰かと話しているところもほとんど見たことがなかった。


 今日もラリ子ちゃんはおもちゃみたいな携帯扇風機を片手に、窓にもたれかかるみたいにしてだらしなく脚を伸ばしてる。席替えをしたはずなのに、なぜだかかわらず窓際の定位置をキープしててズルかった。私の席も窓から二列目だしたいして変わらないって言われたらそうかもしれないけれど、それでもやっぱり外を眺めることができるのは羨ましかった。

 私は窓から二列目、前から六列目のこの席で昨日までとは違う景色を眺めてる。具体的にはラリ子ちゃんがほっぽり出すように伸ばした脚を見ていた。そのつま先が指す方向には、うなだれて机と水平になった私の顔がある。


「あぁぁー」


 携帯扇風機に向かってゾンビみたく発声するラリ子ちゃんの声がぶるぶる震えて届いた。


「ラリ子ちゃん、あーって言ってるね」


 あー、と言っているから、あー、と言っているね、とそれだけを伝えた。すごい無意味やつだった。

 ほとんど無意識に呟いたけどちゃんと聞こえてたみたいで、眉間に皺を寄せたいかめしい表情のラリ子ちゃんが携帯扇風機を私の顔面へ向けてくる。

 目の前で安っぽくグルグル回るそれを目で追ってるといろんなところが朦朧としてくるし、汗とシャンプーが混じったみたいな匂いも風にのってくるしで、わりと気持ちがよかった。だから、はぁん気持ちいい、と素直に伝えた。眼球は乾いて涙目になってしまっていて、なんだか切実な訴えになっちゃってた。


「ラリ子って呼び方、それ、不服なんだけど。キラリにしてくんない?」


「そうかな? イメージあってるよ」


「そういうことじゃなくて。あたしは吉良キラ理子リコなの。切るところおかしいでしょ。、どこいったのよ」


「キラリもおかしくない? どこ?」


 私の言葉を無視してラリ子ちゃんはまた扇風機を口に当たるみたいにしてあー、と言った。聞こえなーいとも言って、目を細めてフニャッと笑った。それから、胸を突き出すようにして息継ぎする。


「ワーターシーハ、ウチュージン、ダ」


 喉のところをトントンってやりながら言った。なんだか胸に刺さった。けどたぶんそれは、私に向けて言ったんじゃなくて酷く真摯な独白だった。聞いちゃいけなかったやつだとも思った。

 どんな顔をしていいのかわからない。こっちが強張りくらいに真面目で一途な独り言なんだから茶化すなんて以ての外だし、いっそなかったことにしようと思ったけど、ラリ子ちゃんは宇宙人なんだ、そう確信したらそうとしか思えなくなってしまった。

 色々と辻褄が合ったんだ。

 跳ねてる後ろ髪もダルそうな仕草も筋力ゼロの細い脚もクジラのワンポイント刺繍が入った灰色のソックスも、日焼けしてない首筋も細い指も私よりすこしだけ大きな胸も大儀そうな声も全部、辻褄があった。

 そうなんだ。ラリ子ちゃんは宇宙人だからこんなに可愛いんだ。

 認めてしまうと好奇心がむくむく湧き上がってきた。入道雲にだって負けてない。


「どこの星から来たの?」


 ラリ子ちゃんの目が見開いた気がした。本当の意味でのファーストコンタクトに驚いたのかもしれない。


「星の名前?」


「そうそう」


「ゴェガ・ピぃグンってとこ」


 ゴェガ・ピぃグンって聞こえたんだけどちゃんとあってるかはわかんない。今まで聞いたことのない発音だったから。


「え、どこそれ、初耳かも」


「んー、この星の言葉でいうとスピカ。乙女座にある星ね。聞いたことくらいあるでしょ」


 たしかに聞いたことはあるけど漠然としていた。宇宙感がすごい。っていうか、スピカの方がどう考えてもおしゃれでかわいいのに、ゴェガなんとかって母星語に言っちゃう感覚が異星人っぽくて信憑性がさらに増した。


「私の感覚だとスピカって言った方が可愛いと思うし、地球人にはそっちのが伝わるんだけど、ゴェガなんとかって、なんか意味のある言葉なの」


「ゴェガ・ピぃグン。調和と破壊って意味」


「真逆じゃないそれ」


「表裏だから。ほとんど同じ意味なの」


 薄っぺらい哲学みたいな屁理屈なんだけど。同意するのもなんだか癪に障るし、母星の呼び名とその意味を否定したくらいで宇宙戦争にでも発展したら困るし……。面倒になった私は、地球人はまだその概念を理解するレベルに達していない旨を伝えると、ラリ子ちゃんは自分が高位の種族であることを認められて気をよくしたのか、まんざらでもないみたいな顔をしててちょろかった。


「あんた、名前なんだっけ」


沼田露子ぬまたつゆこだよ。みんなにはツユちゃんって呼ばれ――」


「ぬっこね。ぬっこって呼ぶから」


「……えぇー、不服なんだけどー。どこいっちゃったのさ」


「ぬっこって、私の星ですごくはいい言葉なんだよね」


「え、そうなんだ。どんな意味があるの?」


「内緒」


 クスクス笑われた。顔が熱くなった。

 からかわられて怒ったとかそういうことじゃなくて、机のヒンヤリ感がいつの間にか損なわれてた。顔だけをズビビと引きずって移動したけど、状況はあまり変わらない。


「場所かえよっか。いいところがあんだよね」


「もう授業始まるけど。ばっくれるの」


 ラリ子ちゃんが顎をしゃくった。私も顎を使って顔を上げると、黒板に『一時間目自習』と下手くそな字で書かれているではないか。ラッキー。

 私は、ラリ子ちゃんと長いトイレに行くから! と、大きな声で宣言してから教室を後にした。とくに誰も返事することはなかったのですこしだけシュンとした。


 廊下には肌に張り付くみたいに粘っこい空気が充満していて、それをラリ子ちゃんの携帯扇風機でなんとかかき回しながらやってきたのは屋上だった。外に通じる扉の窓からは陽が差し込んでてすごく希望を感じた。小規模な薄明光線みたいな感じ。

 でも、その扉を開けた瞬間になだれ込む熱気に怯んだ私は、庇の下から一歩も動けずにいる。地面焦げてんじゃないのってくらい焼けるみたいな匂いがして鼻の中まで黒くなりそうだ。とにかく光線がキツすぎた。


「ぬっこ、こっちこっちー」


 室外機だか貯水槽だかわからないけど、その白っぽい建物の上に乗ったラリ子ちゃんは、スカートをはためかせている。なんていうか、冬の夜とかなら上ってみてもいいかなって思ったけど、雲ひとつないギラついた真夏の真昼間にだよ? ニコニコしちゃってさ。あんなとこに立って喜んでるの宇宙人くらいのもんだよほんと。

 とはいえ宇宙人がどんなパンツを履いているのかも気になってたし、私が梯子を上ってる時に見上げたらすごい光景が見えるかもしれない。まぁたとえパンツが見えなかったとしても、宇宙人のラリ子ちゃんが教えてくれるいい場所ってのがあそこなのだとしたら、それを気になるし私は気合いで行くしかなかった。

 梯子までダッシュした。木登りする猿みたいに飛びついて、カンカン鳴らして駆け上る。一度だけ見上げてみたけど、後ろにひっくり返って落ちる未来が過ぎったから目の前の壁だけを見ることに集中した。

 梯子を上り終えた。ここになにがあるのかな――。

 ふっと風が頬に当たった。髪が揺れた。気づけば室内にいた。

 空調が効いてる。涼しい。タオルが頭からかけられてた。洗い立てのタオルケットみたいな匂いが清々しくって、さっきまでの地獄のとは別世界だった。


「いいでしょ、ここ」


「いいね。どこ、ここ?」


「私のUFOだよ」


「え、あれだ、アブダクションってやつだ」


「バカなの。ぬっこを拐ってなんかいいことでもあんの。あんまりいいサンプルとれそうにないけど」


 失礼すぎる言葉だったけど否定するほどのことでもなかった。部屋に遊びに来たと思ってゆっくりしていきなって言われたので、ゴロゴロ転がったりしてみた。大理石みたいな質感の床は冷たくって気持ちよくて肌を密着させるのも抵抗がなかった。


 しばらくゴロゴロしていると、本棚とぶつかった。そこには私が持ってる漫画も並んでたし、絶版になった幻の画集もあった。地雷っぽくて買わずにいたけどずっと気になってたあの小説もある。柄にもなく、わぁー! とか言っちゃうくらいにはテンションが上がったし、なによりラリ子ちゃんっていう宇宙人のことをもっと知りたくなった。可能であれば友達になりたいとも思った。

 絶版の画集を手に取る。一緒にあーだこーだ言いながら見ようと思って、UFOの操縦席みたいなところに駆け寄った。けどラリ子ちゃんは宙に浮かんだ水晶玉みたいなのを手で擦ったり指で突いたりしながら、あッ、えッ、とかって小さく声を漏らしておろおろしてた。


「どうしたの。なんかあった?」


 振り向いたその顔が引き攣ってたからただ事じゃないことがすぐにわかった。あわあわ言ってる。


「……や、ヤバいかも」


「え、なにが?」


「地球がヤバい、マジで。ゴェガ・ピぃグンの大宇宙船団がこっちに向かってて、もう目と鼻の先だよ!」


 声が震えてた。マジで地球がヤバそうだった。宇宙人襲来っぽかった。


「ああー、どうしよう! 私のせいだ! 私が、地球人マジくそとか、調和能力皆無でぼっちだよ私とか、そんなことばっかり報告したからきっと破壊しに来たんだよ! どうしよう、私のせいだよ!」


「ちょっと落ち着こうよ、いや、落ち着いてらんないか……、ど、どうしよう。もうすぐそこ? 見えるくらい近くまで来てる?」


「うん、たぶん。今日みたいな天気のいい日に襲来すれば地球人にもよく見えるだろうって。アピール効果も抜群だって。たぶんびっかびかに派手な感じで来る!」


「は? 自己顕示欲強くない!? アピる必要あるの? 潰すなら黙って潰せばよくない!?」


「自己顕示欲なかったら、わざわざ他の惑星になんか来てないから!? 察して!」


 なにをどう察していいのかわからなかった。とにかく私とラリ子ちゃんは、外へ出ることにした。もしかしたら世界はもう終わってるのかもしれないけど。


 外は真っ暗だった。やっぱり終わってた。終末だ。

 あんなに恨めしかった日の光も、もうない。

 それでも次第に目が慣れてきて屋上からの景色がぼんやりと浮かび上がってきた。普通に、ただの夜だった。街には明かりが灯ってる。


「え、夜?」


「は? あんたUFOんなかでゴロゴロして普通に寝落ちしてたからねッ!? ってか、あれ! あれが大宇宙船団!」


 空を見上げると無数の光の大群がゆっくりと迫って来ていた。月明かりよりずっと輝くそれらはどんどん膨れあがっていって、ついには空を覆った。あの光の粒が全部UFOで、あの中にはきっと宇宙人がたくさん乗っているんだ。

 混乱した。でも私はいいことを思いついた。ラリ子ちゃんの報告が、でたらめってことにすればいいんじゃないかって。ほんとは地球人とゴェガ・ピぃグン星人は仲良しですよって、あの宇宙船団の人たちに伝えることができればきっと――。


「お、踊ろうラリ子ちゃん! ほら、手! 繋いでッ!」


「え、は? そんなことしてる場合じゃ――」


 ラリ子ちゃんの両手を握って輪っかを作った。けど踊り方とか全然わかんない! わかんないからぐるぐる回った。手を繋いだままメリーゴーラウンドみたいにくるくるくるくる空を見上げながら回って、星も月もUFOも回って、目も回って、しばらくして足が絡まって倒れ込んだ。片手だけ繋いだまま見上げた夜空はやっぱりぐるんぐるん回ってる。ラリ子ちゃんは小さく吹き出して笑った。


「こんなときにまで何やってんのよ、ほんと。地球人バカすぎ」


「でも楽しかったね」


「うん」


 まわってた夜空はだんだんと落ち着いてきてた。

 さっきまで白い光の塊だったゴェガ・ピぃグン大宇宙船団は、蠢くようにその陣形を変えていく。

 いや、陣形とかわかんない。わかんないけど、これは……。


「なんでハート型に整列したの。しかもピンクの点滅だし。え、ラブホ?」


「あっ」


 ラリ子ちゃんはガバッと体を起こして誰かと話していた。日本語じゃなかったので意味はわかりかねた。わかんなかったけど話してる最中、ずっと跳ねっ毛がぴょんぴょんって動いてることに気づいた。もしかしてそれアンテナ的なやつだったの? そこで受信しちゃうんだ。寝癖かと思ってたよ。


「ねぇなんの話だったの」


 ラリ子ちゃんは目を合わせてくれなかったけど、わざとらしく明後日の方向を見ながらちゃんと話してくれた。


「え、えーっと『友達ができて安心した、引き続き地球の調査を頼む、ハートは調和の証』だって……」


「星の命運を賭けた友情って、なんか重くない?」


「なにその言い方、不服なんだけど!」


 ふたりで笑ってまた寝転んだ。

 ラリ子ちゃんが夜空を指でなぞっておとめ座の場所を教えてくれた。

 ゴェガ・ピぃグンは青白く煌めいていた。今度、あのUFOで連れて行ってくれるらしい。ゴェガ・ピぃグンに行ったら、絶対にぬっこの意味を調べてやろう、私はそう決めた。

(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

襲来日和    げえる @gale-chan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ