第68話 貧困ラスト

TIA社の企業買収交渉が始まったのは翌月だった。といっても、譲渡企業すなわちTIA社の希望をほぼ実現する内容であったため、初めから良好な雰囲気で話は進んだ。監査や情報に関する開示などは、すべて中原さんに一任した。俺は、打ち合わせに同席することはほとんどなく、こちらの意向はすべて綾子が伝えてくれた。田中はしきりに俺たちに感謝をし、いっそう研究に邁進する意欲を聞かせてくれた。頼もしかった。


俺は俺でやることがあった。霞ヶ関事業所の展開だった。事業所は驚くほど早く決まった。衆議院議員の櫻田からの情報によるところが大きいが、彼に紹介された農水省の役人との会合が大きく生きる結果となった。虎ノ門駅北側の区画にあったビルの13階と14階に空きテナントを紹介してもらい、そこを使えることになったのだ。1階にはコンビニと数種の食品系のテナント、2階には会計士事務所と保険の代理店、医療系のテナントが入っていて、3階から5階までがテレビ関係の企画会社、6階から12階には投資信託企業、15階から上には造船関係の会社が入っていた。申し分のない立地だった。内装が終わり次第、オフィス神谷のショールームも兼ねて早速運用することにした。


フロア責任者として、TIA社の研究員を1名、そして神谷ハウジングより、主任クラスの人間を1名、他に社員を2名出向させた。神谷ハウジング社長の中村は、さらに大々的に支援をしたい旨を申し出てきたが、TIA社との兼ね合いから当面は3名がこっちに詰めることになった。しかし、彼らはパッケージや広告の打ち合わせ、販路の確保などに奔走し、結局すぐに増員することとなった。


最初の商品はTIA社がトライアンドエラーを繰り返して改良してきたイチゴとトマトだった。コストを抑え利益を度外視して出荷した結果、そこそこ売れた。二十三区内で採れた果物という事実が、目新しさを呼んだに違いなかった。


出荷に携わった彼らの嬉しい悲鳴が届いたのはそれからさらに一年半年後のことだった。折しも新型コロナウイルスが流行し、あらゆる行動に制限がかかった時分、神谷グループのマンションマネジメント部門が、自社の管理する関東一円のマンションに野菜の定期的な宅配サービスを始めたところ、注文が殺到し追い付かなくなったのだ。栽培工場を増設し、従業員も多数雇いいれたが、ギリギリの対応になり、連日従業員総出で作業に当たった。しかし彼らには、やればやった分だけリターンがあったため、会社は活気に満ちていた。オフィス神谷は、とにかく業績が右肩上がりで伸びていったのだ。







話は戻るが、霞ヶ関事業所を運用する目処が立ってきた八月下旬頃、俺は若葉とアオイとハルナのために高輪にマンションを購入した。四人で内見に行ったが、若葉は終始俺にベッタリだった。アオイとハルナは競うように俺のことを「お父さん」と呼んだ。


「お父さん、こっち来て!」


アオイに呼ばれて寝室に行くと、港区が一望できた。


「お父さんと一緒の部屋がいい」


ハルナが俺の腕にしがみついてきた。俺は複雑な思いで二人と接した。若葉は、二ヶ月に一回帰って来てと言った。本当に二ヶ月に一回だけでいいのだろうか。俺の事情は二人とも納得しているみたいだが、当の俺が「それでいいのか」という気になっている。


「一樹くん、無理しなくていいんだよ。私たちなら大丈夫だから。今までだって三人でやってきたし」


「うん」


「一樹くんは一樹くんの仕事とか、自分の人生をちゃんと生きてほしいの。まだ大学生でしょ」


若葉はこう言ってくれるが、やはり納得がいかない。だが、若葉たちに尽くして一生を終える覚悟もまた俺にはなかった。結局、引っ越しの日取りを決めて俺は千葉に帰ってきた。三人とも笑顔で送り出してくれたが、しばらく三人のことが頭の中心にあった。









九月、大学が始まり、同時にフリースクール【館山陽だまり中学校】が開校した。俺はまだ千葉市内に戻ることができず、当面はフリースクールの運営を側で眺めていたが、一週間と経たずに全てを由利先生に委ねることを決意した。


なぜそうしたのかというと、サナとナユが自分の中学校に復帰したことが大きな要因だった。それは夏の間ずっと側にいた由利先生のお陰だった。九月の土曜日、二人は館山に顔を出して、俺と由利先生と磯崎さん、それに盛田校長にお礼を言った。俺はそれを見ながら、ここは俺のいるべき場所ではないと心から感じた。俺は心のどこかで、サナとナユと3人で過ごした時を懐かしんでいた。そして、あの空間が少し寂しくも感じたのだ。一瞬だが、2人が失敗して館山に戻ってくることを期待してしまった。由利先生が2人に声をかけた。


「本当に良かったわね。いつでも戻ってきていいのよ」


奇しくも俺の考えていたセリフそのものだったが、俺の下心とはまるで違う、愛情のようなものを感じた。俺にはないものだった。俺には、金や土地のやり取りの方が性に合ってるとその時思った。そして、むしろ稼いだ金で、このフリースクールや、千葉の他の施設を充実させてやりたいと思ったのだ。


杉本くんにありのままの気持ちを話すと、


「とりあえず風俗行きましょ!」


と言われてしまった。杉本くんは磯崎さんと違い、このフリースクール事業に全く理解がなかったが、俺にはかえってそれがありがたかった。俺は次の仕事を見つけるまで、しばしばアクアラインを渡り、風俗巡りをした。もちろん若葉たちのことも頭にはあったが、性欲の真っ盛りの大学生を止められるものはなかった。時には自由が丘から三原竜也を呼び出したり、一人で風俗街を練り歩いたりした。得るものはなかったが、この時の経験から女性との交渉がより上手くなったと確信している。








そんなふうに過ごしていた九月末のことだった。


「坊っちゃん、ちょっとした仕事がございます」


唐突に来た中原さんが、いつになく柔和な顔つきで切り出してきた。


「熱海に、前会長が出資された旅館があります」


「ああ、それなら何度か」


俺は記憶の中の熱海を思い浮かべた。海に面した一等地ではなく、熱海の駅から山側に進んだところにある、閑静な施設だった。たしか、二度ほど行ったことがあった。建物といい温泉といい、おそらく最高級のものだったが、俺はさして魅力を感じなかった。携帯をいじったり、友達と遊ぶほうが百倍も楽しかったからだ。


「経営難という話を聞きました」


俺は意外に思った。最後に訪れた四年ほど前には、ちょうど雑誌に取り上げられていたが、そのフレーズが『熱海一の朝食が食べられる』というものだった。朝食サービスが、宿泊とは切り離されて提供されており、日帰り客から大変な人気だったからだ。また、宿泊ゲストはアメリカ人や、中国人のVIPがメインだと聞かされていた。そういう太客がついているのだと祖父が言っていた気がする。


「ちょっと信じられないですね」


「ええ」


中原さんは何かを含んだような顔をしながら頷いた。そしてそれ以上の情報は出てこなかった。一体どの部分が俺の仕事になるのか、その部分を考えた。


「どうでしょう。一度現地に行かれてみては?」






そういう流れで、俺は熱海に行くことになった。中原さんから仕事を振られたのは初めてだったが、どの部分に注力すべきかの真意を図りかねた。だからこそ、中原さんに試されているような気がした。この仕事ができたら一人前だというメッセージのように受け取ったのだ。


手配はすべて中原さんがしてくれた。杉本くんが車を出してくれることになっていたが、俺はなぜか一人で行かねばならないような気がして、横浜までは送ってもらい、横浜からは新幹線に乗った。


俺はサンローランの落ち着いたダークスーツに、慣れないネクタイを締めていた。新幹線の指定された座席に座ると、俺の近くにスーツを着た二人組の男性が座った。俺はすぐにピンときて、目で合図をすると、二人はわざわざ立ち上がって俺に頭を下げた。中原さんが手配してくれたのか、それとも県警の黒田からか、どちらにしろ身辺警護を担当してくれるらしかった。


TIA社のことや若葉のこと、そしてフリースクールのこと、全てが過去になった。俺はこれから始まる熱海での仕事を思い描き、タブレットに目をやった。しばらくはネットで資料となるものを探して熱海の情勢を探っていたが、すぐに小田原あたりに差し掛かると、左手に眩しいくらいに反射する海が広がった。

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六百億円持っている男の話(仮) 橋本 @hasimotoka

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