セクシー・イン神戸 (謡曲・松風)
北風 嵐
第1話
小部良平は尾道からの姉妹を神戸駅に出迎えた。
まだ山陽新幹線は工事中で通じていず、急行で姉妹はやって来た。
良平は姉妹を家庭教師として3年間教えた。良平は山陰の海に面した町の出身で、日本海を見て育った。穏やかな瀬戸内海に憧れ、高校を出たら広島の大学に通うことに決めていた。
広島の街に住んでも良かったのだが、この尾道で住んでみたかった。
小津安二郎の『東京物語』を見てそう考えた。石畳の街、向島との海峡といえない隔たり、何か良平の中の郷愁を誘ったのである。
瀬戸内沿いの海を見ながら、列車で通学するのである。広島までの時間は40分であった。海沿いと云っても三原までのわずかな間だけで、海沿いは呉方面を経由する。朝は勤め客以外にも高校、大学と通学する学生も結構多かった。良平はそんな中にセーラー服の美しい双子の姉妹を見ていた。
一年の夏休みが終わってキャンパスに戻ると、先輩の瀬川次郎から家庭教師のアルバイトを代わってくれと頼まれたのである。卒論に忙しくなり、週三回の尾道行きが苦痛になったのが理由でであった。瀬川は高校の先輩であった。
「綺麗な姉妹やで、残念やけど譲るわ。二人教えてもお給金は一人分やけどな、そこは我慢や」と、少し未練げであった。それが良美と明美の双子姉妹であったのである。
高校一年の二学期から卒業近くまで教えた。二人は広島市内のミッションスクールに通学していて、そこの付属の大学に入れるのであるが、志望の英文学は一番の競争率であったのである。行きの通学は3年間一緒で、良平には楽しいものであった。サボリ癖のある良平であったが、おかげで学校に真面目に通って4年で無事卒業できたといえる。
二人はそっくりで、どちらがどっちと最初はまごつき、明美と良美によく担がれたが、その内わかるようになった。二人の性格は全く反対であった。その性格が醸し出す雰囲気でわかるようになったのである。姉の良美は大人しく理知的で、妹の明美は活発で行動的であった。同じ遺伝子でもこうも性格は異なるものか良平は不思議だった。
卒業以来であるから、5年ぶりである。駅に迎えた二人はあのセーラー服のイメージは全くなく、その大人になった娘ぶりに、良平はどちらか一人であったら分からなかったであろうと思った。二人は大学を卒業して広島の銀行に勤めていた。何も卒業して、就職先まで一緒にすることもあるまいと良平は思った。
またあのゲームをやっているのだろうか。
「良美さん?」「私、明美です」
「明美さん?」「すいません。良美ですが・・」。
言った人は合っているのである。二人はこんなイタズラをよくやって、楽しんだ。
良平は理学部を出て薬品会社に入っていた。研究職も考えたが営業の方に興味があってプロパーをやっている。二人からは時々思い出したように手紙が来ていた。二人の手紙は一つの封筒に入っている。考えれば変だ。でも別々に同じ日に手紙が届くのも変なものである。内容は学校でのこととか、たわいもないもであった。卒業してからは学校が会社に変わっただけである。
返事を出したが、宛先に二人の名前の一通の手紙であった。二人共同の文面であるから、良平も当たり障りのない内容であった。実は良平は良美が好きであった。良美にだけ手紙を書くわけにもいかない。つくづく双子は不便だと思った。
教えていて、飲み込みが早いのは明美であった。問題を解かしても早い。しかしミスも多かった。良美は飲み込むのに多少時間がかかったが、飲み込んだものでミスは犯さなかった。
物静かな良美の方が良平には落ち着けた。明美といると楽しいが、少々疲れるのであった。どちらがいいとかでなく、これは良平の単なる好みでしかなかった。明美は良平に好意があることをかなりはっきりと意思表示したが、良美はどう考えているのかは、顔つきや立ち振る舞いではわからなかった。双子の一人を好きになるのは難しいものだと思った。それが良平がこの姉妹に距離をとっている所以である。良美だけだったら、尾道に逢いに出向いただろう。
明石海峡が見えるとこで泊まりたいと言ったので、舞子ビラを予約しておいた。食事を済ませ、海の見えるラウンジで久しぶりの会話を楽しんだ。良平はシャンパンを注文して改めて再会の乾杯をした。明美が友達に電話をしてくると部屋に帰った。二人になったとき、良美が口にしたことは、普段の奥ゆかしさとは違って実に意外なことであった。
「恥ずかしいお話なので質問なしの一度の話として聞いてください。お答えはイエス、ノーだけでお答えくださいね。明美が良平さんのことを好いていることはご存知でしょう。私も明美以上に良平さんのことが好きです。私たち姉妹は神戸に思い出を作りにやってきました。今夜一晩、在原の行平になって二人を愛して下さいませんでしょうか。松風・村雨では二人は長く愛されましたが、私たちは一晩でいいのです。明日はお別れです。このような一晩を過ごした以上、多分お会いすることはないでしょう。明美とも話し合って決めたのです」伏し目がちではあったが、意志のはっきりした言葉であった。
三人は今日、昼間、離宮公園の近くにある姉妹が行平を慕って暮らしたというお堂を見てきたばかりであった。良平は驚き、しばらく考えた。良美の方が好きだという言葉は言わない方がいいと思った。答えはイエスと返した。
良平は最初戸惑った。愛した日が別れの日。そんな感情が押したのであろう、二人の美しい肢体の間に入っていった。二人は初めてと言ったが、良美は明美をリードし、良平を悦楽の世界へといざなった。良平は上り詰める向こうに、月光に照らされ、海峡を行く大きなタンカーを見た。夢ではないのだと思った。
注釈:謡曲『松風』で知られる松風・村雨(まつかぜ・むらさめ)とは、平安時代、須磨に暮らしていたという伝承上の姉妹。姉が松風、妹が村雨。須磨に伝わる土地の伝説によれば、姉妹は多井畑の村長(むらおさ)の娘たちで本来の名は「もしほ」と「こふじ」、須磨に汐汲みに出たところ、天皇の勘気を蒙り須磨に流されていた在原行平*と出会い、「松風」「村雨」と名づけられて愛されたという。のちに行平は赦されて都に帰る際、松の木に形見の烏帽子・狩衣を掛けて残した。松風・村雨姉妹は行平が都に戻る際、二人はこのお堂で行平の無事を祈ったのだと言われている。知らないと見逃してしまいそうな小堂である。須磨のこの近辺には村雨町・松風町・行平町・衣掛町と名付けられた町名がある。
セクシー・イン神戸 (謡曲・松風) 北風 嵐 @masaru2355
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