字句の海に沈む~さぶまりん
大月クマ
言葉の海に溺れろ!
『ネタが浮かばないんだ……』
電話の向こうの声が、落ち込んでいるのがよく分かる。
まるで、死の
――だから、雑誌連載なんて断ればよかったものを……。
悪態を吐きたいところだが、私はそれをグッと我慢して、今は彼の弱音を聞いている。
勝ち気で、人を見下している感はあったが、指摘は的確。仲間のうちのリーダー的の存在であった。
そして、大学を出るときは就職はしなかった。
出版社から、声が掛かった。
「俺は、ペン一本で生きていく!」
大学のサークルの送別会で宣言して、小説家になった。
最初の数年は、何冊か出し、そこそこ売れたようだが、この一年ほど苦しんでいる様子だ。
最近は、雑誌に連載小説を書くことになったそうだ。だが、締め切りの近くになると決まって私の所に電話が掛かってくる。
『話の続きが浮かばないんだ……』
「知るか。こっちも長編を書いているんだ、忙しい!」
『どうせ、対して読者の付いていないweb小説だろ。
頼むよ。何か切っ掛けをくれよ……』
「――じゃあ手元に、事典はあるか?」
『ジテン? 生憎だが、無い……』
「物書きだったら、事典ぐらい持っていろよ」
『ジテンがあったらどうなんだ?』
「適当にページを開け」
『で、どうする?』
「言葉の海に溺れろ!」
私は投げ捨てるように、電話を切った。
――全く、物書きのくせに察しが悪くて困る。それに読者が付いていないとは失礼な。まあ、反応があるのは、いつも常連ばかりなのは認めるが……。
とは言ったモノの、私も少々気分転換が必要になってきた。
彼が事典一冊の小池で遊んでいる間に、私は大海原にでも行くとしよう。
私の住んでいる場所には不思議な店がある。
それは、繁華街の路地裏にある古本屋だ。
いつから、そこで商いをしているのか判らない。ただ、ずいぶん長くそこにあると思われる。なにせ、その古本屋のあるビルの名は、その古本屋の名前の後ろに『ビル』と付けた古ぼけたものだったからだ。
地主らしい人物が一階から下を古本屋として、二階以上を貸ビルとしているようだ。
そう、店のほとんどが地下なのだ。
設計者の趣味なのか、店内は複雑に入り組み、容易に下へ降りる階段を見つけ出すことが、出来ないようになっている。
全く、我が国の建築法を舐めているとしか、言いようがない。
果たして何階まで地下があるのか。私は地下二階までは、たどり着いたことがある。
嗚呼、店の名前を紹介するのを忘れていた。
さぶまりん
こんな古めかしいビルに不似合い……いや、ある意味、地下に潜るので合っているのかもしれない。
そして、私がここを『大海原』と称したのには理由がある。
中に入ってみよう。
薄暗い店内。入ってすぐの脇にカウンター。その上に古めかしいレジが置かれている。
それよりも目を引くのは、どこまで続くか分かったものではない本棚が並び、所狭しと本が積み上がっている。これがその下の階にも続いているのだ。
ここで、この古本屋『さぶまりん』に数あるルールを説明したい。
そのひとつが、店主に声をかけてはいけない。
カウンターの向こう側。そこにちょこんと座っている老婦人が、店主だと思われる。
思われるというのは、誰も聞いたことがないのだ。
今はうたた寝をしている老婦人が、誰なのか判らない。そのために、誰もこの店舗の名前の由来を知らない。
店主の旦那が潜水艦乗りだったからでは、と推測したものがいたが、それが正解なのか分からない。
声をかけていけなければ、どうやって買い物をするのか。
欲しい本をカウンターに置くだけ。なおかつ、すべて一冊440円なのだ。
これもなぜなのか判らない。
440円に何かこだわりがあるのか。語呂合わせか。
判らないことだらけの古本屋だが、ひとつだけ判っていることがある。
ここは大海原である、と……。
水は必要が無い。
知識の大海原といった方がいいのだろう。
古今東西の物語が、ここに眠っていると言っていい。
話のアイデアが、そこら中に眠っているのだ。ホコリを被ったままで……。
私はさながら潜水夫だ。
常連達も店名になぞらえて、ここに来ることを、潜ると言っていた。
私は今日も、アイデアになりそうな本を何冊か抱えて、
小説家となった、彼にはここは教えていない。
手の内を隠せるのなら、隠し通しておいた方がいいだろう。
しばらくして、私がヒントを与えた彼の小説が世に出た。
そのタイトルを見て私は絶句した。
字句の海に沈む
あれだけのヒントで、よくもまあこんなタイトルをひねり出したものだ。
字句の海に沈む~さぶまりん 大月クマ @smurakam1978
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