『字句の海に沈む』
桝屋千夏
字句の海に沈む
気がつけばここに立っていた。
断崖絶壁。
目の前にはどこまでも続いていきそうな果てしない大海原。
大波小波が絶壁に打ち付けては、波飛沫が絶え間なく宙に舞う。
その飛沫の一粒一粒をよく見ると、文字を型どった様にも見える。
その一粒一粒が他の飛沫と重なり……いや、文字と文字が重なり、単語となり大海原へ消えていく。
「ここは?」
ぽそっと独り言を呟く。
「ようやく辿り着いたのですね」
声のする方を見ると、一人の妙齢女性がにこにこしながら立っていた。
「ここは『字句の海』と言われる場所。死語の行き着く場所です」
勝手に説明を始める。
気味が悪い。
それに僕がここに来ることを知っていたような台詞が、さらに気持ち悪い。
「ほら、あそこに見えますか?海女のような形をした文字が……」
「『じぇじぇじぇ!』……ですか?」
「えぇ。一時期流行ったものの、今では誰も口にしません。付随するように『あまロス』なんてのもありましたが……主演女優が名前を変えましたが、めっきり見かけませんね」
「じゃあ、あの白くて気持ち悪い二人組に見える文字は?」
僕は沈黙が怖くてすぐ近くの文字を指差す。
「あれは『ダメよ~ダメダメ』ですね。お笑いコンビのネタだったのですが、コンビ名すら忘れてしまいました」
「じゃあ、あの……」
「あれですか?あれは『~なう』です。今まさにって意味なのですが、今でも使ってる方なんているのでしょうか?むしろ自身の現在の状況をSNSで告知すれば、空き巣被害等の犯罪に繋がるのでそんなバカなことは誰もしません」
ようやく理解できてきた。
この海に漂っているのは、死語。
死語でなくても、すでに使われなくなった文字達が宛もなく漂う。
まさに『字句の海』だ。
「じゃあ、あの漫画からドラマ化、映画化して、作者もお昼の番組に出てたみたいな文字は?」
僕はなんだか気分が高揚し、気になる文字を指差した。
見るもの全てに懐かしさが込み上げてくる。
「『モテキ』ですね。異性に興味がない現在の若者と違い、この頃の若者は異性不純交際に飢えていたのでしょう。結局、モテキが来てもそれに気づかなければ終わり。気づいたとしても、それをゲットできるかは別の話。そもそもモテキが来ても、相手が自分の好みとは限りませんからね。ちなみに『モテキ』に似てる『茂木』が見えますか?とっちらかった頭の文字です。あの『茂木』にくっついてるのが『オワコン』です。茂木さんのモテキも今やオワコンですね」
妙齢女性はクスクスと笑い、僕に同意の笑みを投げ掛ける。
何が面白いのかさっぱりわからない。
「じゃあ、あの、お母さんが怒ってネットに感情論ぶちまけてる文字は?」
「『保育園落ちた日本死ね』ですね。全く非難の先がお門違いもいい死語です。まず、保育園を作るのは自治体であって日本政府ではないですからね。それに自治体が作ろうとしても地元民が反対するという負の構造。さらにこれを担いでしゃしゃり出た女性議員さんは不倫相手をコンサルタントにする面の厚さ。女性って恐ろしいですね」
妙齢女性はまたもやクスクスと笑っている。
そして、一歩、また一歩と僕に近寄る。
それが怖くて、僕はところ構わず指を指す。
「じゃあ、あの、跳び跳ねたりボヨボヨしたりしてる……」
「『ふなっしー』ですね。特にいうことはありません」
「あれは!あの……」
「『トリプルスリー』ですね。興味ありません。誰も意味知らないし使ってないでしょ?」
「じゃ、じゃあ、あの!」
「『神ってる』ですね。たまたまでしょ?これも誰も意味知らないし使ってないでしょ?」
後ろから肩に手を置かれ、僕の全身に悪寒が走る。
「そろそろお気づきになりましたか?あなたがなぜここへ来たのか……」
「違う!まだ!まだ死語じゃない!」
僕は必死で現実から目を背けようとした。
駄々をこねる子供のように首を振り大声をあげるが、その声も大海原へ消えていく。
「いいえ。ここに辿り着いたということは、そういうことです。さ、お行きなさい」
背中をつんと押されると、体が勝手に前に進みだした。
「か、体が勝手に。うわ、うわぁぁーー!!」
「そう。そうやって字句の海に沈みなさい」
波飛沫が僕の体にまとわりつき、大海原へと引き込まれていく。
「あなたは結局何も『もってる』ことはなかった。持ってたのはハンカチと……あら?あの方もいらっしゃったのね……」
記憶の片隅で妙齢女性のうわ言が聞こえたような気がした。
******
「ここは?」
「ようやく辿り着いたのですね」
声のする方を見ると、一人の妙齢女性がにこにこしながら立っていた。
「ここは『字句の海』と言われる場所。死語の行き着く場所です」
『字句の海に沈む』 桝屋千夏 @anakawakana
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