作家のファクター

 まるで糖の腐ったような異臭が鼻をつき、私の眉間に皺が寄った。客からのコールだ。私は腕に目をやって時刻を確認した。文字盤の上には臭気のモードを示すランプが点灯している。赤いランプということは、嫌悪を抱くような悪臭ということだろうか。異臭をアラーム代わりにした風変わりな腕時計はミャンマー製の偽造品イミテーションだった。


 リフレッシュレート240Hzのゲーミングディスプレイに野暮ったい男の顔が映る。このご時世に分厚い黒縁メガネ、塗装の剥げたヘッドホンに据え置きのマイク、落ち着いているというより地味なチェック柄のシャツ。今回の客は、まるで時代に取り残されたようなコーディネートだった。


「この度はミラージュ・ペルソナ・サービスをご利用いただき誠にありがとうございます。ご用件をどうぞ」


 私はヘッドセットマイクに向かっていつものように極めて事務的に、しかし営業用の明るいトーンで話しかけた。


 客の要望に合わせて自分自身もカメラに顔を映してはいるが、それは巧妙に偽装したアバターだった。ディスプレイ越しの客の下には、少しは垢抜けた架空の女の姿が届いているはずだ。


 ただし、そのアバターも客がコンプレックスを抱かない程度にあえて整形されている。そして、音声も耳障りが良いだけの没個性的な声に調律されていた。


 今の私はカメラの前で肘掛け付きのゲーミングチェアに腰掛け、背もたれを傾斜させていた。こんな業務態度でもアバターは自動的に畏まったキャリアウーマンを演じてくれる。体勢だけは気楽なオフィスだ。


「あぁ……どうも。ちょっと話すのは苦手で……喉が悪くてね。文字のメッセージでも構わないかな。えっと、そっちは……普通に話してくれていいから」


「承知しました」


《ありがと(*^▽^*)》


 私の言葉に被せるように、すぐさま画面上にメッセージを乗せた吹き出しがポップアップした。なんだその顔文字スタンプは。タイピングは速いようだが、そのような気遣いは不要だった。


《そっちの名前は?(。´・ω・)》


「本日の担当はウェンディ・アッシュブレスです」


《いい名前だねΣd(≧ω≦*)》


 中年男からこんなメッセージを送られてきては溜まったものではない。とにかく早く商談をまとめなければ、私は頭がおかしくなって死ぬだろう。


《僕はペンネームで呼んでね。ジェイムズ・ティプトリーっていうんだ ヨロシク━━(✿╹◡╹)人(╹◡╹✿)━━♪》


 特に興味はなかった。多分、すぐに忘れるだろう。


「まずお客様の市民IDと招待状のパスコードをお送りください」


《ちょっと待って》


 それから5分ほど待ったが、男が市民IDと招待状のパスコードを送ってくる様子は無かった。私は既に苛つき始めていたが、何とか自分を宥めた。些細なトラブルでもあったのだろう。私が痺れを切らす直前になって、ようやく新たなメッセージが表示された。


《このメッセージ上で送ってもいい?(´・ω・`)》


「こちらで確認できる形式であれば問題ありません」


《(*`・ω・)ゞ》


 なんだその顔文字スタンプは。馬鹿にしているのか。


 いい加減にして欲しかったが、流石に市民IDと招待状のパスコードに顔文字スタンプをつけてこなかった。もし付けてきたら回線を切断していたところだ。


 手元の端末が解読した紹介状の内容をディスプレイに吐き出す。紹介状には人気バーチャル・ストリーマーの名前が書かれていた。一体どんな伝手かは分からないが、それを詮索するほどの野次馬根性は私には無かった。


 うちは老舗でも大手でもない、ボスを含めて3人のしがないペルソナ・ディーラーだ。顧客の要望に合わせてAIの人格を仕入れて売り捌く。AIよりまともな人格の客が金を落としてくれれば有り難いが、往々にしてこの手の商売は詐欺師と軽犯罪と面倒事のオンパレードだった。


 だからこそ、客に入れ込み過ぎないように、あくまでもビジネス・ライクに付き合うことが重要だった。ミーティングでは文字通り肉親のように親身になって話に耳を傾けるが、回線が切れてしまえば赤の他人に過ぎない。


 下手に客に深く同情したり、理解を示したりすることが続くと、商売に問題が出てくることが多かった。とはいえ、逆に今回の客のように、絶対にシンパシーを感じないこともまた問題があった。要するに、無関心が無責任を呼ぶのだった。


「どのようなペルソナをご希望ですか?」


《ワーステのペルソナが欲しいんだφ(・ω´・ @)》


 ワードエディットステーション、通称ワーステは執筆支援用のマシンだった。ワーステは電子書籍の投稿サイト《ヨミカキ》の作品群と連動して、作家・編集者・読者の思考をトレースする。そして、ストーリーの構成から細かい誤字の修正まで、ありとあらゆる執筆作業を支援し、誰でも人気の電子小説を生み出すことができるように作られていた。


「ワーステに出荷時から搭載されているペルソナは《ヨミカキ》のサイトと通信し、執筆支援に最適化されています。それを変更したいという理由をお聞かせ願えますか?」


《ワーステは便利だよ。僕のありきたりな構想の作品を、《ヨミカキ》に掲載されている人気ランキングの上位に押し上げてくれるんだから( ・◡・ )♫•*¨*•.¸¸♪》


「それならどうして」


《僕が本当に書きたい文章の打ち込みを却下するんだ。o゜(p´⌒`q)゜o。》


 まずはその顔文字スタンプだらけの文章を却下して修正するべきなのではないか。ワーステも気が利かないものだ。


「恐れ入りますが、どのような文章が却下されていますか?」


《僕の大事な作品のネタを盗まないって約束してくれるなら教えるよヾ(o`ε´o)ノ》


 こっちは作家なんて目指したことすら無い。私はネタを外部で利用しないことを一応確約した。


《「妹は僕の母だった。」》


 文章が画面に浮かび上がったが、私の脳は理解を拒んだ。意味が通じない。妹は僕の母って、どういう意味なんだ?


《これを打ち込むと、ワーステは「意味が通じない」って言って推敲を要求してくるんだよ┐(´・c_・` ;)┌》


 そりゃそうだろう。とは思ったが、この文章を却下する理由はそれだけとは思えなかった。


「他に何かワーステからの反応はありましたか?」


《「妹が固有名詞ならいい」って言うんだけど、固有名詞ではないと言うと、やっぱり変だって却下する(´-ω-`;)ゞ》


「他にエラーは?」


《「人気作品の出だしとは大きく異なる」とかかな。要するに人気が出ないような作品はお断りってことなんだよね(ノω<;)》


 ワーステの執筆支援機能は《ヨミカキ》に依存している。日々、大量の作品が生み出されて投稿されている以上、同じようなネタが被ってしまうことも珍しくはなかった。しかし、ワーステはワーステ同士の通信と同期によって、過去に投稿された作品すべてを記録している。


 既存の人気作品のストーリーや文体を解析し、あくまでも今までの作品とは異なるものを生み出す。ワーステは作品ごとに個別のオリジナル要素を混ぜ込み、同じ要素でもストーリーの順番を入れ替え、常に新鮮味を加えていた。


 しかし、そのような支援を無視して、無理やりワーステの支援から外れた作品を書こうとすれば、厄介な問題を抱えることになる。過去の作品と類似してしまえば盗作だと訴えられるし、文章が稚拙になってしまうと受けが悪くなる。電子作家がワーステの執筆支援機能から逃れることは困難だった。それほどまでにワーステのペルソナは強力なのだ。


 ただし、一定の期間で同期を行う分散型のペルソナである以上、ワーステが完全にオリジナルのペルソナを備えることは不可能だった。そして、そこから生み出される作品は、どこか既視感のあるものになってしまう。


 真に作家性を備えた作家の作品は、熱心なファンによって本物の書籍として流通網に乗る。しかし、ワーステ頼りの電子作家たちの作品は、たとえ流行作であっても紙の本として出回ることは皆無に近かった。あくまでも《ヨミカキ》のサイト上で消費されるだけの一コンテンツ。それがワーステ作家になるということだった。


《僕も一作家として、紙の書籍を出したいんだよ。だから真に独自の文章を書く予定なんだ。それなのに、ワーステはそれを許してくれない。おかしいよね?٩(๑`н´๑)۶》


「いや、ワーステのペルソナは正常な判断を下していると思いますよ」


《でも、作家が書きたいものを却下するなんて、支援できてない証拠じゃない(・ω・´メ)》


「確かに、それはそうだと思いますが……」


 そもそも、この男は、何故こんな意味の通じない文章を書こうと思ったのだろうか。そこに表現したい物語があるのだろうか。


「それではワーステを使わないで、支援機能の無い普通のワードエディターを使って執筆なされば良いのでは?」


《それはもう無理なんだよ。ワーステはあまりにも便利になりすぎてるんだ+゜(。pдq)+゜。》


 男の話はこうだ。


 今までワーステを使って電子小説をずっと書いてきた。ワーステはどのような文章でも、流れがおかしくならないように修正してくれるし、さらに言えば、受けるシナリオを全自動で用意してくれる。そのせいで、ワーステが無ければ次に書くべき文章が思い浮かばなくなってしまったのだった。


 補助輪無しで自転車に乗れない子供のような理由だった。ワーステが無ければ何も書けないなんてことでは、紙の書籍を出すことなど到底無理な話だろう。書けない作家に存在価値など無い。


 しかし、それでも男は引き下がらなかった。作家として致命的ではあるが、書き出しさえ上手く行けば、その後の文章は支援を受けて書くことができるはず。それが男の主張だった。


「他のペルソナ・ディーラーにはお話しになりましたか?」


《話したさ。でも、《ヨミカキ》と通信したペルソナは他の電子小説の影響を受けて、僕の文章を却下するようになるのさ。でも、通信しないと支援機能は使えないし、詰みってやつだよ・゜・(PД`q。)・゜・》


 悲しんでいるようだが、まるで本気には思えない。


「ご自身で何か対策はなさいましたか?」


《とりあえず他のペルソナ・ディーラーが使えないってことは分かったよ。相談の手数料まで取るしね。役立たずのくせに(◞≼⓪≽◟⋌⋚⋛⋋◞≼⓪≽)》


 それで最後の頼みの綱がミラージュ私たちなのだとしたら、まったくの貧乏くじだ。


「他にはどのような対策を?」


《ワーステのバージョンを変えてみた。だけど、ワーステのペルソナが分散型である以上、その判断は他のペルソナから影響を受けて、やっぱり却下に至るようになってる ダ━━(乂☉ェ☉=)━━メッ》


 男はなかなか諦めの悪い性格をしているようだった。そこまで執着心があるのであれば、その勢いのままワーステ無しで作品を書き上げれば良いのではないかと思ったが、今のところ独自性と執筆支援を両立する以外に道は無さそうだった。


「ところで、何故、先程の文章をお書きになったのでしょうか」


《良い質問だね(๑>◡<๑)》


 とっとと答えを教えてほしい。そして私をこの地獄から解放して欲しい。


《「妹」が「母」っていうのは、文字通りの意味だよ。妹は「僕」を生んだ母なんだ。つまり、妹であり母なんだよ(゜ω゜)ノ》


 まるで堂々巡りだった。その文字通りが理解できなくて、こちらも困っているというのに。こんな調子ではワーステが文章を却下するのも当然に思える。


《作中で僕は運悪く事故で植物人間になって死ぬ運命にあるんだ》


 ありがちだ。


《でも、妹は僕の死を受け入れられなかった。妹は僕の脳髄と心臓を保管しておいて、それを妹は遺伝子改造した自分の子宮に移植するんだ。それで、僕は妹の体内で成長して、出産されて復活するわけ(。U・x・)o o(・x・U。)》


 何を言っているのか分からない。妹から出産される? 正気なのか、その展開。


 そんな作品、絶対に受けるわけがない。というか、そこまで倫理的に狂った展開を、ワーステが見過ごすわけがなかった。私が読者なら、やはり「妹は僕の母だった」の時点で作品に背を向けて猛ダッシュで逃げるだろう。


 勿論、技術的には問題は無い。必要な臓器さえあれば、こうした出産は可能だった。だが、それはあくまで血縁関係の無い他人同士の場合だ。肉親の間で出産を行った場合、遺伝的な問題が出てくる可能性が高く、医療機関がそのような出産を許可することはなかった。


「その作品、どうしてもお書きになられますか……?」


《僕は真の作家になりたいんだ。燃え上がるような情熱で、作品を形にするのが使命なんだよ(・ω・´;三;`・ω・)》


 暑苦しいこと極まりない。それだけ情熱があるなら、ワーステに拘らず紙の書籍を目指したほうが賢明なのではなかろうか。


「ワーステを捨てるという選択肢はありませんか?」


《できないね。だってワーステが無かったら、きちんとした文章を書けないから(ʘ言ʘ╬)》


 強情な男だった。しかし、ワーステに載せられるようなペルソナは思い浮かばなかった。もっと他の方法で作品を世に出すほうが良いのではないだろうか。


 その時、私の頭に一つの名案が浮かんだ。


「では、ワーステ以外の支援用マシンをお使いになっては如何でしょうか?」



***



「それで、その作家もどきはどうなった?」


 ボスがカクテル・グラスを揺らしながら聞いてくる。眩いピンクに染めた巻き毛と、あどけない少女のような表情からは、ペルソナ・ディーラーの社長どころか堅気かたぎの人間の雰囲気すら感じさせない。場末のバーのカウンターには私とボス、そして同僚の三人しか座っていなかった。


「代わりと言っては何なんですが、別のフォーマットで作品を書き出せるペルソナを売りました」


「まぁ、それが妥当かなー」


 ボスは自分のタブレット端末で《ヨミカキ》のページを眺めた。


 《ヨミカキ》には電子小説以外にもジャンルが用意されている。その一つが電子絵本のジャンルだ。絵本なら自由度が高く、男の要求する内容にも耐えうるというのが私の判断だった。


 ボスが電子絵本のランキングを見ていると、男のペンネーム、ジェイムズ・ティプトリーがあった。ボスはペンネームを選択し、掲載されている作品や読者とのメッセージの遣り取りを確認した。


 だが、ジェイムズ・ティプトリーの交流用ページは荒れに荒れていた。炎上というやつだ。あり余る情熱は彼自身を焼き尽くしてしまったらしい。


「やっぱり、そうだよな」


 妹が僕の母という設定は読者に受けなかった事を通り越して、怒りを買ってしまったのだろう。当然と言えば当然なのだが。


「それに、肝心の作品なんだけど……」


――この作品は削除された可能性があります。


 白紙のページに、「妹は僕の母だった」という作品名だけが残されていた。

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ペルソナ・ディーラー 海野三十三 @Elmyr

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