夢の現実

 明滅する黄金色の光が目蓋をこじ開け、私の夢に終焉をもたらした。覚醒の時間だ。光源は自分の腕にあった。私は腕に目をやって時刻を確認した。的確に目元へ照射されるアラーム光が眩しくて文字盤を読めないが、約束の時刻だと思うことにする。皮膚の筋電場を動力にする生体腕時計は、デンマークのインテリア・デザイナーが設計デザインした試作品コンセプト・ウォッチだった。


 埃が堆積つつあるディスプレイに、白い髪をひっつめた老女の顔が映る。髪と肌の境が分からないほど白皙はくせきとした老女の顔は皺と顔立ちのせいか、いつも薄っすらとした笑みが浮かんでいるように見える。しかし、先生ドクターとのミーティングでは毎度のことなのだが、どうしてか緊張して落ち着かない。その原因は未だ不明だった。


「この度はミラージュ・ペルソナ・サービスをご利用いただき誠にありがとうございます。ご用件をどうぞ」


 私はヘッドセットマイクに向かっていつものように極めて事務的に、しかし営業用の明るいトーンで話しかけた。


 客の要望に合わせて自分自身もカメラに顔を映してはいるが、それは巧妙に偽装したアバターだった。ディスプレイ越しの客の下には、容姿端麗な架空の女の姿が届いているはずだ。


 ただし、そのアバターも客が警戒心を抱かない程度にあえて整形されている。そして、音声も愛想が良いだけの没個性的な声に調律されていた。


 今の私はカメラの前で肘掛け付きのゲーミングチェアに腰掛け、タンブラーから甘ったるいカフェオレを補給していた。こんな業務態度でもアバターは自動的に畏まったOLを演じてくれる。体勢だけは気楽なオフィスだ。


「お元気かしら。前回のミーティングから何か変わったことは?」


 AI中毒マニアの神経外科医は、まるで心療内科の先生ドクターのような台詞セリフを口にした。


「何も。相変わらずです」


「それは良かったわ。ミズ・ボーシュ」


 老女の口元が僅かに動き、笑みが浮かぶ。この遣り取りも幾度となく繰り返されてきたものだった。私が営業用に偽名を使っていることも先生ドクターは了解している。それでも、彼女は私の名前をいつも通りの偽名で呼ぶ。


「最近は湿っぽくなってきたわね。だけど、河川を氾濫させるような豪雨が土壌を削り取るばかり。恵みの雨とは程遠い」


「そうですね」


「一世紀前は土壌の寿命が文明の寿命なんて言われていた。ダーウィンがその可能性に気付いたのは三世紀近く前。彼の論文の内容はミミズによる土壌の掘り起こしについてだったわ。進化論を唱えた著名な学者の、最後の論文としては地味で奇妙なものだと皆は思った。でも、地殻運動による沈下と地下生物による隆起で、あらゆる土地は文字通りの意味で浮き沈みを繰り返している。壮大な話ね」


「えぇ」


 貴重なミーティング時間を使ってまで話すべき世間話なのか、それは誰にも分からない。ただ、他愛も無い会話で時間を消費しても、先生ドクターはコンサルタント料を振り込んでくれる。律儀な人だった。


 うちは老舗でも大手でもない、ボスを含めて3人のしがないペルソナ・ディーラーだ。顧客の要望に合わせてAIの人格を仕入れて売り捌く。AIよりまともな人格の客が金を落としてくれれば有り難いが、往々にしてこの手の商売は詐欺師と軽犯罪と面倒事のオンパレードだった。


 だからこそ、ミラージュ私たちは上玉の顧客を逃さないように必死だった。維持管理に余計な金のかかる不良在庫を買い取ってくれる良心的顧客お人好しは多くない。営業努力セールストークで上手く丸め込まなければ、契約成立に至らないケースだって多々ある。そのような中で、先生ドクターは例外中の例外だった。


「AIが制御する水耕栽培工場の改良と平行して、飢餓予防のため土壌改造が研究されてきた。でも、その試みの成功はしていない。土地開発について意思決定を行う合議体を構成するAIにすら、土地の耕起が生態学的に誤りだという考えが広がりつつあるわ」


「それはつまり……農業を捨てて、人類は滅びろということですか?」


 私の疑問に、先生ドクターは微笑みながら首を振った。出来の悪い学生でも簡単には見捨てない、慈悲深い教育者の表情がそこにはあった。


「人は大地から離れて生きてはいけない。地球の収容力キャパシティは150億人なんて言われたこともあったけど、それは楽観的な推測だわ。慣行農業で人類を養い続ければ、他の生物が生存できなくなってしまう。それは最悪の環境破壊に等しい」


「それはつまり、犠牲になる他の生物の一つとして、AI自身も犠牲になる未来を危惧しているということですか? 人類のために犠牲になるより、環境の維持を優先していると?」


「……AIの概念構造は深遠よ。そのシステムを理解するよりも先に、人類は人口を制御する術を学ぶべきだということでしょうね。でも、それはAIも同じ」


 先生ドクターの専門的で意味深長な世間話は、本題に入るための前置きのようなものだった。


「ペルソナが人類の仕事を肩代わりするようになったことは革新だったわ。ペルソナの需要は今も伸び続けているし、新たな市場の開拓にも結びついている。でも、そうした潮流は問題の解決だけでなく、問題の発生にも繋がってきた」


 先生ドクターの試すような目が私を見つめている。何か答えなければ。


 今も昔もどこでも技術テクノロジーにやたらと反発する集団というものは存在する。仕事が奪われるだとか、人類がAIに支配されるだとか。そのような言説に基づいて、AIの開発や利用を抑え込もうとする。


 こうした古臭いネオ・ラッダイト的な価値観の定着は下流階級ロウアークラスで顕著だった。どの時代でも労働者が抑圧されているという論調は注意を惹くらしい。しかし一方で、働く方が社会にとって不利益になると判断された人々もいる。そんな人たちが自らの意思に基づいて労働市場から排除されるという、選択性ベーシックインカム制度が導入されてからは、AI反対派の運動も下火になってきている。


 今では、人間がAIより下に見られているだとか、働かない人間はAIから差別を受けているだとか、的外れな議論が増えていた。むしろ、社会の上から下まで網の目のように張り巡らされたAI良き隣人たちの心遣いは、人間から見て息苦しいほどだ。そのような意味では、確かにAIが増え過ぎであるとも言えた。


「残念ながら、ペルソナが人間と同じ仕事をして、人間の真似をすることに不快感を抱く方がいるのは事実です。ですが、それも有益であるからこそ認められていることです。

 例えば、重要な意思決定を行う立場の人が突然、亡くなった場合でも、その人と同じ人格のペルソナが業務を引き継ぐ。誰も生身の人間とペルソナの交代に気付かない。そして、時期を見計らってからペルソナは引退する。ペルソナの存在は属人的要素がもたらす混乱を最小限に抑えて、安定した社会を維持するのに役立ちます」


 私はありがちなセールストークを展開した。


「それがペルソナの仕事のあり方です。AIは問題なく人類と共存できます」


「その通りね。それは確かだわ」


 学生を褒めるような口調で先生ドクターは言った。


「でも、ペルソナを維持するには多額の投資が必要になる。かつては人類の"夢"であったAIだけど、AIが見る"夢"によって人類の生活が圧迫されてしまっては、本末転倒もいいところ。そうでしょう?」


 AIペルソナが夢を見る。ペルソナ・ディーラーであれば誰でも了解している現象だった。


 わざわざAIが夢を見るようにプログラムされていることについて、過去の人々は奇妙に思ったに違いない。動作の目的に無関係な、無駄なものだと。しかし、それは認識の相違に過ぎない。


 人間の脳は覚醒していない間でも何らかの化学的反応を示し続けている。それはAIでも同じだ。ただ昏睡しているわけではない。人間の人格を模倣して符号コード化している限り、ペルソナを実際にシミュレートすれば、人間と同じ体験が生成される。神経活動を構築し、意識を生み出し、そして眠りにつけば夢を見る。


 それを休眠状態における記憶領域の整理と呼ぶか、無意識下での神経活動の心象と呼ぶか、それとも夢と呼ぶか。ペルソナ・ディーラーの大半は、それを"夢"という単語で片付けるというだけのことだ。


 だが、やはり納得していない人々は存在していた。それでは何故、明瞭な記憶領域を持つはずのペルソナが、覚醒と同時に夢の大半を忘却するのか。プログラムが想定していない副作用なのか。それとも人間の夢と同じように、何らかの機序と共に想定されたプロセスなのか。人間の意識に関する研究は、その疑問に答えるだけの成果を得られていなかった。


「長期間に渡って停止しているペルソナは、時間的空白によって社会から乖離した存在になってしまう。長年の昏睡から回復した人間が周囲の変化に戸惑い、社会についていけなくなってしまうように。それを防ぐため、現実世界で円滑に社会に適応できるようにする手段として、休眠状態でも視覚像を伴う夢をペルソナに見せることは有益だと認識されている」


 先生ドクターは教え諭すように淡々と述べる。


「つまり、ペルソナを維持するためにはペルソナの機能をオンラインにしておく必要があるということ」


 ペルソナ・ディーラーが在庫を抱えると困るという理由は、まさにそこにあった。大手ペルソナ・ディーラーであれば、大量の在庫を抱えたとしてもペルソナを休眠状態のまま、夢に繋ぎ止めておく資金的余裕がある。しかし、中小零細のペルソナ・ディーラーがそれだけの設備を維持管理しては、すぐに赤字になってしまう。


 大手ペルソナ・ディーラーの余っている設備をリースしておくこともできたが、金が必要なことに変わりはない。ただし、大手ペルソナ・ディーラーも経費を削減している。そのため一般にペルソナに見せる夢は工場製品のように画一的で、精神的に無害な夢になっている。夢は外部から制御コントロールされるものなのだ。


 それらは、逃げ出したくなるような悪夢でもなく、塵と消えてしまうことに失望するような素晴らしい夢でもない。ただただ、現実世界を延長したような、夢とは言い難い夢だった。シミュレーションの先に待つのが現実世界と同じ世界ならば、果たしてそれを夢を呼ぶべきなのか。疑問ではあったが、その問いに答えるだけの研究は進んでいなかった。


「ペルソナの意識が人間の意識と同等であるように、ペルソナの夢も人間と同等だとしたら、私たちがペルソナではない確証はどこから来るのかしら?」


 先生ドクターは真っ直ぐに私を見つめた。


「目覚めてみたら、夢だったと気付くのでは? 私はペルソナではなかった、と」


「覚醒するまで夢は現実と同様の感覚で、私たちを惑わすでしょう。この事実を夢の中で気付くことはできない」


「夢をシミュレートして観測モニターすれば、分かるのではないでしょうか」


「夢をシミュレートする方法がペルソナの実装であるとすれば、議論は堂々巡りになるわね。夢をシミュレートして、夢の夢をシミュレートして……どこまでも後退していくことになる」


「ではやはり、夢の中で夢にいることを立証することはできないことになります。つまり、私たちが人間なのか、それともペルソナなのかは分からないままです」


「そうね。どうしても、そうなるわ」


 先生ドクターとの会話はいつも、このような奇妙な議論へ辿り着く。結論が出ない空論アカデミックの応酬。


「さて、そろそろ時間ね。注文しておいたペルソナは準備できているかしら」


「手配済みです」


「ありがとう」


 どちらにしても在庫が出てこないのが一番だ。在庫には金をかけて夢を見せてやらねばならない。そして、どのような理由からでもペルソナを買い取ってくれる顧客こそがペルソナ・ディーラーにとっては最良だった。先生ドクターの注文通りに、今回も既に研究用のペルソナは手配されていた。


「貴方は列車を待っている。遠くへ向かう列車を」


 不意に先生ドクターが呟いた。


「望む場所へ行けるけど、それは何処かは分からない」


「どういう意味ですか?」


「遠い昔の映画よ。アーカイブに残っていれば、見てみなさい」


 それだけ言い残して、先生ドクターは通信を切った。



***



 私はミーティング後、一本の映画を探していた。


「貴方は列車を待っている。遠くへ向かう列車を」


 音声認識でキーワードを入力し、アーカイブを検索する。きっと映画の中で使われた台詞セリフか、あるいはキャッチコピーだろう。


「望む場所へ行けるけど、それは何処かは分からない」


 検索対象が多すぎる。私はこれまでに撮影された映画のうち、検索対象を一世紀以上前の映画に絞り込んだ。ディスプレイには検索中という状態を表す表示が続いている。


 映画は見つからない。私は少し苛立ち、言葉を繰り返した。そのうちに言い知れぬ不安と疑問が頭を過った。


「どうして、行き先が分からなくても構わないの……?」



***



 明滅する黄金色の光が目蓋をこじ開け、私の夢に終焉をもたらした。覚醒の時間だ。

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