高架下、過ぎる日々を

@xs317

第1話 理不尽な要求

身体が濡れているのがわかった。気持ち悪い。じめっとしている。


西野修おさむはまどろみの中で目を覚ました。汗でまみれている。悪夢を見ていたわけじゃないのになんでなんだろうと思う。日々の生活のせいだろうか。


自分は冴えない男である、と心の中では思っている。とはいっても毎日服はバランスを見つつ選んではいるし、歯だって毎日は磨いている。女の子になんだかんだいってイケメンだよね~と月一ペースで言われている。言い方を変えれば、女の子の会話を覚えているくらいには暇で、生活は単調である。


高校から優秀だった僕は自然に大学にいく流れになった。宇宙とかでっかいものに漠然とした憧れがあった。え、なんでって?いやだってロマンだもん。まだ誰も到達してない、知らない世界を知れるんだもの。たった一つの水素原子にすらめったに出会うことのないボイジャー号はどこまでいけるんだろう?って普通の人は思わないのだろうか。まぁこれも秒速五センチメートルって映画のセリフなんだけど。


でも僕が今、ああつらいって思ってるのは理想と現実が違ったからだ。まぁ世の中の人間の悩みは大体これに集約される。高校言ったら自然に彼女できるのかと思ってた、大学言ったら遊びまくれると思ってた、結婚して子供作るのが普通かと思ってた、とかね。典型的なあるあるだ。


僕の期待通り大学の最初の授業はロマン溢れる宇宙の世界のものだった。「ブラックホールやダークマターについて今から熱く語りますね」と眼鏡美人巨乳女教授が語りだす、なんてことはなかった。出てきたのははげちらかした六十くらいのジジイ。「じゃぁ、ぃまからこれをしょうめ☆※◇×〇……」と聞こえるか聞こえないかのはざまの声で話しだして、誰にも見えないであろう小さな文字で証明を書き続ける教授のすがたが現実だった。1÷nがnが大きいとき0になることを三時間くらいかけて説明して教授は去って行った。教授のマスターベーションのような授業だった。


そしてこんな授業を受けて(受けさせられて?)もう一年がたっている。今日もそんな日常が始まるはずだった。オフトゥンで目を覚ました僕が異変に気が付くのに時間はかからなかった。


僕の部屋は長方形のはず……だった。しかし僕の目に映る天井の形は正方形だ。寝ぼけているんだな、と思い目を閉じる。そしてまた開く。やはり部屋は正方形のままだ。おかしい。目の前に天井があるってことは僕は仰向けで寝ているのだろう。あれ?やっぱりなんかがおかしい。そういえば天井までの距離はもっと遠かったはずだ。僕は寝返りをうとうとした。しかし、あれ、身体が動かない。もう異変を探すのを諦め、疲れているのだと思もうとしたその時だ。「あ!修~やっと起きたみたいだね~!ていうか久しぶり!元気してた?」


突然の声に心臓が飛び出そうになった。慌てて右をみた。このとき胴体と両手足が縛られていることにやっと気が付く。結果的に僕は首だけを動かして横を向くことになった。


そこにいたのは明らかにチャラ男といった風貌の男だった。無地の白シャツを着ているが当然のごとく第二ボタンまで外されている。ひとを見下すようにニヤニヤしていてよく見ると両耳にピアスをしている。髪はホスト色(茶色に染めてちょっとのびて黒髪といい感じに混ざった状態を西野はそう呼んでいる)に染めていて歯並びはよく、まぁまぁ肩幅は広く、チャラチャラしたミュージックで有名なヤバTのライブによく行ってそうな男だ。ここで僕はテレビがあることに気が付く。僕の部屋にはテレビはないから、ここはどこなんだろうという疑問が再び頭に浮かぶ。ああそうだ、この男は?もうわけが分からなくなりそうだ。


「ていうかさ、西野よくこんな時間まで寝れるよね。俺もう帰ろうかと思ったわ」


腕時計を確認するそぶりをしているが男の腕には腕時計は見当たらない。こんな時間とはいったい何時のことなんだよと思う。男は相変わらずニヤニヤにしながら話しかけてくる。


「いや別にお前じゃなくてもね、片岡とかでも面白そうだからよかったんだけどな、でも昨日さ、道教えてたじゃん、だからお前にしようって思ったのよ」


「だ、だれ?」


「え~ひどいなあ。俺なんか恩人なんだよ。次に人間やらせるのやめちゃおうかな~」


「さっきから意味が分からない!なんで俺縛られてるんすか?ここはどこなんすか!さっきから道教えてたとか片岡がどうとか意味わからないっすよ」


僕はパニックになりかけていた。昨日飲みすぎて友達の家に運ばれて、友達の友達が様子をみることになった、とかそういうことなんだろうか。僕がお酒を飲んで吐いて、気づいたら路上で寝ていたってことは実は一度や二度ではない。お酒は好きだ。でも冷静に違うことに気づく。リビングで「説実証ならず……」とかいつも何くだらないことやってんだよって番組が流れていたことを思い出す。そもそも僕がお酒を飲むのは金曜日だけと相場が決まっている。


「まあお前が俺をidentifyできないことは知ってるんだけどね。へぇ。ほんとうに人間に生まれ変わると記憶なくなるんだね!」


「きおく?」僕はidentifyの意味がすぐには思い浮かばなかったが馬鹿にされそうなので黙っていることにする。


「うんうん!記憶ね。忘れてるみたいだからもう言っちゃうね。俺は東野樹。第43宇宙の転生士だね」


「第43宇宙?転生士?」


「そうだよ。相変わらず同じことを二度言わないと分からないくらいには鈍いねぇ。変わってないねぇ」


相変わらずニヤニヤは止まらない。むしろ彼のニヤニヤはさっきより増しているように思える。神様っていうのは人を見下すのが実は仕事なんじゃないのか、と僕は早くも神様と言うものを受け入れつつある。


「第43宇宙ってそんなにあるの?」


「いや、七つしかないよ」


「……七つでも多いだろ」


「けっこうな数を神様が怒って壊しちゃったからね~。ていうか、まあ俺も神様なんだけど、宇宙壊せるのはもっと偉い神様ね。俺は転生士だから」


「神様って宇宙壊せるんだ」


「そりゃあもう、簡単にね。人間の感覚で言うと、ああ~朝だ、目覚ましうるさいなぁ、止めちゃお、みたいな感じだからね。ああそんなことどうでもいいや。手短に言うとね、君はテストに合格して今から死ぬことになったのよ」


「えっ」


死ぬことになる?僕が?さっきから脳がパニックしっぱなしだ。


「えっ、じゃないよ~。西野君、昨日品川駅で外人に道教えてたでしょ?だから合格!」


「いやそっちじゃなくて!え?死ぬの俺?」


「死ぬよ」


意味は分からないが「死ぬよ」のところだけ自称神はいやに真面目な口ぶりで言ってくる。かわいそうだなあでもおめでとうでもない真っすぐな目をこっちに向けながら自称神は続ける。


「そういうことにしようって他の神様と決めたの」


「意味わからない。なんで勝手に……」


「まあいいじゃん!片岡なんてさ、無視だぜ!音のする方を見さえしなかったんだ。それと比べて西野君はさすがだよ!そういうところ好きだなあ~。やっぱり西野君は人間にして正解だった」


人間にして正解と言われるとまんざらでもないなあとは思う。でもそんな場合じゃない。なんで人助けしたら死ぬことになるんだろう。


「いや、ぶっちゃけいうとね、西野君が望んだからだからね。テストなんて半分嘘でその前から死ぬのは西野君って決まってたの。いや~感謝されてもされきれないね~」


そういうと東野、その自称神様はおもむろにスマートフォンを引っ張り出してきた。小さめのiPhone。僕がいつも使っているのと同じSEだろうか。自称神様は慣れた手つきでスマホを操作し始める。


「死にたいって望むわけないじゃん!俺まだ21なんだけど」


「えっ?でもこれみてよ」


神様は画面を僕につきだしてきた。




おさっちゃん @osamu_elle456


ああ。今日も大学つまらん。早く死にたいなあ。


20--/05/23


1件のいいね




おさっちゃん @osamu_elle456


人生に疲れた。つまらん生活抜け出したい。


20--/05/24


2件のいいね




なんだこのイタイツイートは……まあ僕のなんだけど。ここ最近大学で実験がうまくいかずストレスが溜まっていたのは確かだ。でも昨日カラオケ行って、大声で歌って、いくぶん今は平常な心持になっていた。でも自称神はそんな細かいことは気にしない様子だ。


「ね?ちゃんと死にたいって望んでたでしょ?」


「望んでたって……、こんなツイッターなんて冗談に決まってるでしょ」


「ええ?でももう決めちゃったんだよねぇ、まったく修くんは困ったちゃんだなあ」


全然困っている様子ではない。自称神の演技力は小学生程度のようだ。


「神様なんだったら取り消せるんでしょ?」


「え?」


「俺が死ぬ予定をさ」


「いや~今回はそう簡単にいかないんだよね」


そういうと自称神は部屋をうろつき始めた。カーテンを開く。まぶしい日差しが一直線に差し込んでくる。神は目を細めてすぐにカーテンを閉める。明るいところが好きではないのだろうか。体を半回転させる。


「あっ。こんなところにあった」


自称神は床に落ちていた物体をひろった。黒くて太い長い棒。と神様はそれをテレビの方へむける。テレビがつく。薄暗い部屋が少し明るくなる。いま拾い上げたものはテレビのリモコンだったらしい。まだ正常な脳ではないようだと再確認する。


テレビには昼のワイドショーが流れている。よくみる関西弁のおっちゃん、コメンテーター。そして中継の画面にテレビは変わる。住宅地だろうか。建物が密集している。画面を横切るものが長い建物のように見えたものがよくみると線路らしい。高架線に電車が止まっていて、そのうち何両かは遠目からでもわかるくらい焦げて真っ黒になっている。テロップには「電車で爆発テロか。死者、怪我人200人超」と書いてあった。


「やっぱり流れてる」


自称神はおもちゃを買ってもらった子供のようにはしゃいでいる。世の中で悲惨なことが起こるのは神様なんて実はいないんだろうと思っていたが、実は神様はいるけどおおよど同情という感情を持ち合わせていないからなんだなあと思う。


「でさ、このテロね、西野君が起こしたことになるからよろしくね!」


「え?起こしてないけど」


神はしてやったりという口ぶりで、なぜかキラキラしている目を真っすぐ僕の方に向けている。


「ああそうかあ。覚えてないよね。人間の言葉だと魔が差す、とかあるじゃん。あと事件起こした犯人が覚えてないとか言ったり。あれね半分くらいね、うちの神様の憑依士っていうのがいてそいつの仕業なのさ」


神はパーマをかけた半分茶髪の髪をいじりだした。見るからにテキトーな性格だがもうこの段階で説明に飽きはじめているらしい。


「詰まるところ、憑依士が西野君に憑依して、西野君のからだでこの事件を起こしたのさ。まぁさすがにこの事件の犯人に仕立て上げちゃうのはいくら神とはいっても申し訳ないから君にチャンスをあげるよ」


「そんな勝手に……そもそもなかったことにしてくださいよ。時間を戻すなりして」


「あ、その前にこれ解除してあげるね」


もはや僕の言い分を聞く気はないらしい。自称神はズボンのポケットから金色の鍵を取り出すと、僕の右手が縛られているロープに何やら唱え始めた。そもそも縛る意味ってあったのかなあと冷静に考えられるようになってきていて安心する。自称神が呪文?を唱え終えると右手、左手、脚、と僕を縛っていたロープがオレンジいろの炎をあげて消滅した。


「これで僕が神様ってことがわかったでしょ?」


「ううん……っぽいですけど、人間のマジシャンにもできるレベルの気もしますけどね」


「うわ~西野くんはひどいこというなぁ」


自称神はあいかわらずまったくひどいことを言われたという顔を浮かべずに笑っている。唐突にその神は別のポケットから携帯を取り出した。


「じゃあ西野君これ!」


そういってグレーの物体を僕に投げて渡してきた。僕はつかもうとするがさっきまで縛られていたからだろうか、体がうまく動かない。グレーの物体が顔にわたる。神はそうなるってわかってたというように腹を抱えて小さく笑っている。もう既に僕はそんな神の反応に慣れつつあった。


「これってガラケー?」


「そうだよ!見ればわかるっしょ?」


「わかるけどさ……ていうか俺の携帯は?」


「テロ現場だよ」


「は?」


「だって辻褄合わなくなっちゃうじゃん」


自称神はテレビを指さす。ちょうど画面では血だらけの男性がいかに電車の中がすさまじい惨状だったかを熱弁しているところだった。ここにスマホがあったとしても炎でもはや使えなくなっているんじゃないかと考えた。でもそれは困る。あの四角い物体に僕の友達も、行動履歴も、いつどこで買い物したかのデータもすべて入っていた。


「友達に連絡したりとかしたくて、返してもらわないと困るんだけど」


「大丈夫。来てないよ。多分これからも来ないし。」


「うっ……」


これは心に響く一撃だった。実質、毎日家と大学の研究室を往復する日々によって西野の人生はいま、最も人間関係が希薄になっていた。冷静にかんがえても過去一ヶ月でLINEをした相手は十人に満たず、しかも一週間も既読がついていない人さえもいた。


「というわけで本当は携帯なんて必要ないかな~思ったんだよね。でもこれは神様なりのサービスだよ!神様都合で犯人になってもらっちゃうわけだからね!さすがに地図とかは西野君でもないと困るだろうし」


「だからまだ犯人になっていいなんて言ってないんですけど」


「あ、そうそう。そういうかもしんないなあって思って犯人を免除できるチャンスも用意しておいたんだよ!」


自称神はテレビの時計を指さした。テレビはコマーシャルが流れていてジャーマンポテト味ポテトチップスの宣伝が流れている。人がこんなに死んでもポテチの宣伝は流れるようだ。


「ポテチがどうしたんですか」


「あいかわらず天然だなぁ。違うよ~時間!」


僕は急かされたと思って時計をみた。15時をすこしまわったところだ。こんな時間まで寝てたのかと思うが大学生ならこんなものなのかもなぁとも思う。


「で、西野君には三時までにお悩みを解決してもらおうと思います!」


「お前そんな恰好でなやみあるの?」


「いや~神様に向かってお前はないよ~。そんなだから犯人にされちゃうんだよ!」


あいかわらず少しもひどいと思っている様子はないがもう言うのもめんどくさい。


「で、悩みはなんすか?」


「だから俺のじゃないよ!いまから東京に行って、悩める子羊ちゃんたちの悩みを解決してもらおうかなって」


やっぱりお前の悩みではないんだな、と言おうとしたが黙っていることにした。テレビはまた事件の続報を流し始めた。犯人を俺にするとか言ってるがまだテレビではそれを報道している様子はなかった。


「俺が携帯で指令をだすから、そこで悩める人たちの悩み、解決していってね。あっ、ついでに西野くんにはダブルでチャンス!悩みを解決しようとすると西野君は自然に日常から抜け出せるようになっているよ!ほな、楽しんでな!」


「ほな、解決してなって……」


西野はうつむいてしまった。


「どうしたん?」


なぜかさっきから関西弁の神はなぜか真面目な表情できいてくる。


「俺なんかに解決できるんですかね」


「俺なんかって?」


「だって……」


理由は無数に思い浮かんだ。僕は冴えない大学生。友達も少ないし彼女だっていない。日々をつまらないと思っていながら面白くしようと努力さえもしていない。むしろ悩みを解決してもらいたい側の人間だった。しかもいま、電車爆破テロ事件の犯人にされそうになっていて、自称神に取引を持ち掛けられている。この国で不幸ランキングをつくるならきっと上位にランクインするのではないかと思う。


「まあなんの理由があるか知らないけど、このお願いキャンセルできないんでよろしく~!」


まあそんなことだろうって思った。一方的な神様だなあって思う。


「ああそう、取引の内容だけど、今日の深夜三時までにお悩み解決出来たらね、なんと!西野君は犯人ではなくなるよ!」


「うん、まあやってないですからね」


「そしてね!」


「うん?」


自称神はなぜか一瞬の間を作ってこういった」


「記憶そのままで転生して人間をやりなおすチャンスをあげるよ!」


おお!って西野は率直に思った。西野には、ああ、過去のあの時、こう行動しておけば、という後悔が無数にあった。あの時大学をもっとちゃんとえらんでいれば、あの時文系に進んでいれば、あの時あの子に告白していれば、あの時ベースを始めていれば--。


「なにニヤけてるのさ、気持ち悪い」


「え?」


知らない間にニヤけていたようだ。危ない危ない。なんかこいつのまえでヘマするとむかつくことになる気がしていた。西野はあわてて真面目な顔を作ろうとする。


「そんなチャンスがもらえるなら頑張るっきゃないな。どこ行けばいいんですか?」


西野は興奮を抑えるようにして言った。記憶がそのままで転生できるなら大人になるまでの数年、同年代の子とおおきな差を持つことになる。史上最年少〇〇になるのも簡単だし、自我が確立する過程の中学生生活では大人びた雰囲気で女の子をおとすのもきっと簡単なことになるだろう。西野はもう人生をやり直すチャンスで頭がいっぱいで犯人にされるかもということを忘れかけている。いや、犯人にされるリスクがあっても人生をやり直せる、しかも記憶を保持したまま、ってなるならお金を出してでも引き受けたいと西野は思った。


「どこ行けばいいかは携帯に連絡するね。とりあえずこれ渡しておくよ」


自称神が渡してきたのはクレジットと一体になったpasmoだった。


「え、これ使っていいの?」


「いいのいいの。どうせチャンスタイムは十二時間だし」


「誰のなの?」


「全然知らない人の」


「いいの?」


「だって俺が神だから」


西野は戸惑ったふりをしてはいたが、断ったら犯罪者に仕立てられてしまうのだ。もはや選択余地はない。


「じゃあとりあえずここは横浜スタジアム横のホテルだからよろしく~。とりあえず東横線乗ったら電話してね~!じゃあね!」


「まだ聞きたいことがあるんだけど」


と顔をあげるがもうその神のすがたは消えていた。

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