蛍
Harley
第1話
蛍
昨日、川辺に一匹の蛍を見た。死のうと思い、踏み留まったが、やはり死のうと決め、この手紙や小説と呼ぶにはあまりにも未完成な遺言を遺す。これは自分の為に遺すものであり、決して他の誰かに遺すものではないという事を始めに言いたい。それでも公にするのはこの遺言と同じく恥ずかしいまでに未完成な僕の心の所為だ。ただ、死ぬ前の最後の我儘だ。皆には申し訳なく、また赦しを乞うこともしないが、万に一つこの心を知る者の為の言葉となることを願う。
昨日の僕(と明日の皆)へ。
感性は瞬間だ。夕焼に飛び立つ孤独な鳥や、春夏の間に川辺に揺蕩う蛍や、部屋の窓から顔を覗かせる満月のように、瞬間だ。それはとても勿体無い事に思えたので、僕の携帯に言葉として残そうと思ったが、それはもはや理性であり、悪であることに気が付いた。結局はこの自殺行為も、感性が過ぎ行き、理性と顔を合わせた時に決めたものであり、それは僕の本意とするところではない。では何故死ぬのかと問われるだろう。ここに言う死ぬと言うのは、命を絶つことではない。自分と言う殻を破ることだ。それは誕生のようなものだ。しかし死ぬ為には生まれなければなく、その逆もまた然りだ。死と生は反対に見える一方で隣合わせだ。二つで一つだ。まるで僕の矛盾した心のように、反対で隣合わせだ。全ての友達や家族や恋人を愛したいと思いながらも傷付けることを苦としない。人の幸福は僕の幸福だが、人の不幸も僕の幸福だ。周りの目から解放されたいと願いながらも歩調を乱す者に対して軽蔑の目を向ける。認められたくて仕方がないのに他人に踏み込むことを怖がる。感性の中で死にたいと望む三秒後に理性が生を全うさせたがる。僕の中には矛盾しかない。夕陽をおんぶする住宅街を歩道橋から眺める僕は暑さなど忘れていたが、好きな人と学校で会っても良いようにと着ていった少し洒落込んだ長袖のシャツの下を滴る汗で感性という夢から目が覚めた。好きな人には外見ではなく内面で僕を選んで欲しいと思いながらお洒落をしてみると言う、また僕の中の矛盾を一つ見つけながら。
人生は誰の為のものだ。自分の為に生きたいと願う僕は他人の為に生きる事を止められない。もううんざりだ。幾度自らの決意を破れば飽きるのだろうか。障子のように破れやすいその意思に意味など宿るはずが無かったのかも知れない。高校を卒業する時、大学に入学する時、二十歳になる時、平成が令和になる時、そんな立派な節目は見掛け倒しで、その正体は薄っぺらい紙一枚よりも脆く燃えやすい資源ゴミだった。形にすらしなければ消えたかどうかすら分からなかった。論より証拠と言う言葉は今も昔も憧憬で、昨日見た夕陽のようだが、それを机に並べられた小説にする為に朝陽を拝んだ。自分のことが大好きな自分が大嫌いだ。だから明日は自分のことが大嫌いな自分を大好きになってみたい。将来の夢は学校の先生なのに、今の僕には教えられることが一つもない。世界がショートケーキだとすれば僕が知っていることは苺の種の一つにすら及ばない。しかしショートケーキの苺一つ分の事を知れば、世界はショートケーキではなくケーキ屋である事を知るだろう。そうやって世界は広がっていくがそれを僕の幸福にしたい。苺の種に満足する家畜よりたくさんのケーキが並ぶケーキ屋のショートケーキの苺に満たされないソクラテスでありたい。ある日の帰り道で、amazarashiのプレイリストと言う仮初の安楽の中で死んだ僕の抜け殻を僕自身が食べて成長したい。これらの全てが僕がこの遺言を残す意味だ。覚えておけよ、この家畜以下。
先にも述べたがこの遺言はあまりに未完成である。それは僕がまだ二十一歳であると言う事もあるが、それ以上に僕が一度死にたかったからだ。この死をどうか、来世の僕が糧にできますように。自分の人生を自分の為に歩めますように。そして自分の為に歩んだ道が、他人の糧になりますように。まずはこの未完成な作品を完成させられた僕を褒めながら、僕を殺すとする。まだ心残りもあるが、明日の仕事が心配だ。なので、僕が死んだ後の僕の人生に、木々から溢れるような光の差すことを悪辣な理性の中で願いながら、この辺りで筆を置こうと思う。
追伸 生きる事は学び続けることだ。それを努努心に刻み、日々に感謝し、明日も死にたい僕を生き続けろ。
この遺言を、汗と怒りと諦念を右手に握りしめた矛盾の塊こと僕はせめて、仮初の切望を叶える為に、時を巻き戻して、群から逸れた孤独な蛍の舞う川のガードレールへと身を乗り出し、頭から真っ逆さまに剥き出た岩へと飛び込み自殺した。
蛍 Harley @Harle9uin
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