カラスが鳴いたら、おうちへ帰ろう

時雨オオカミ

第1話カラスが鳴いたら、おうちへ帰ろう

「売り上げが伸びるねぇー」


 夕暮れ、木の上に立っている人影が言う。

 腰元にある新聞の残り部数もあと僅か。あとは彼のお得意様にお届けするだけとなっているようだった。


「俺ぁ、もうちっと自由に動きたいんだが……アル殿の頼みじゃしょうがねぇからな」


 そうぼやきながら、影が上を向く。人型に見える影は、その次の瞬間ばさりと翼を広げ、飛び立っていった。

 風で尻尾のように揺れる黒く長い髪、漆黒の翼。金色の鋭い瞳。山伏のような服装。

 彼……烏楽うがく刹那せつなは烏天狗である。

 彼は新聞記者なのだった。


 カア、カア


 新聞の最後の届け先へと向かう最中、数羽のカラスが彼の元へ向かってくる。

 刹那は、飛行スピードを普通のカラスでも追いつけるくらいまで緩やかにすると、声をかけた。


「よお、兄弟。どうした?」


 カア


 常人には意味の通じないカラスの言葉も、烏天狗たる彼には勿論理解ができる。


「迷子だ? そうか、ちっと気になるな。なあ兄弟、案内しちゃくれないか?」


 カア


 カラスが数羽、まとまって移動する。

 それを追いかけながら、刹那は苦笑してぼやいた。


「ま、アル殿は多少遅れても許してくれるさ」


 届け先の彼ならば、理由を話せばきっと笑って許すだろう。


「迷子が、二人ね。なるほどなぁ、こりゃアル殿に要報告だ」


 彼が向かった先には、てるてる坊主のように白いフードを被った年少の男の子と、その子と手を繋いでいる女性の姿があった。


「なあ兄弟達。この周辺を探しといてほしいんだが、いいかい?」


 答えが返ってくる。


「そうかい、よろしく頼んだぜ」


 そう言って、刹那は目的地付近で一旦翼をたたみ、人間に化ける。

 それから、ゆっくりと歩みを進めて女性と男の子の組み合わせの元へいく。


「迷子だって聞いたんだが、案内あないはいるかい?」

「え?」


 女性のほうが無理に男の子の手を引いて逃げ出そうとするが、刹那はやんわりとそれを止める。


「別に人攫いってわけじゃねぇよ。ただの親切心だ。話聞くぜ」

「この子が、一人でいたので……」


 女性がおどおどと言う。


「あんない、してもらってたの」


 男の子がにこにこと、疑いもせず女性と手を繋いだまま答える。


「じゃ、目的の場所に着くまで散歩でもすっか」


 刹那は、そんな二人と一緒に歩き出すのだった。



 ◆


「ぼく、もっとあそびたい」

「ええ、もっと遊びましょうね」


 親子にさえ見える女性と、白いパーカーのフードを被った男の子。

 刹那は連絡を入れた者達を待ちながら、二人を眺めていた。


「あ、チョウチョ!」

「こらこら、どこへ行くの」


 子供の手を女性が引っ張る。

 子供はふくれっ面をしながらそれに従う。随分と聞き分けのよい子供だ。そんな感想を抱きながら、刹那はひとつ提案した。


「お二人さん、祭りに興味はねぇか?」

「ある!」

「え、でも……」


 女性は少しだけ躊躇うようにしていたが、刹那がしゃがんで子供に目線を合わせ「なら坊主だけ行くか?」と訊くと、「私も行きます」と強気に答える。

 その返答に刹那は、苦笑いをしながら「案内するぜ」と二人の間に入った。


「カラスのお兄さんがアタシたちを呼ぶなんて、珍しいね」


 夕暮れを背にして大小の影が二つ、並んでいる。

 赤と茶色の影はやがて刹那達のいる場所へと近づき、刹那の連れた二人組にも挨拶をした。


「えっと、こんばんは?」


 一人……人間の令一は戸惑いながらも挨拶をするが、幽霊の紅子は素早く刹那の連れた二人組を見やると訳知りげに頷いた。


「……なるほど。刹那さん、まだ目的は見つかってないのかな」

「ああ、俺の兄弟が探してくれてるんだけどな。どうも難航してるらしい」

「え、どういうことだ?」

「おにーさんは女の人の相手でもしてれば? それで鼻の下でも伸ばしてればいいよ」

「ちょっと、紅子さん! なんてこと言うんだよ! 誤解だ! 誤解だから引かないでください! 俺はそんなことしないし、紅子さん一筋……いや、なんでもないぞ。今のは聞かなかったことに!」


 紅子は令一の言う通りに聞かなかったフリをすると、刹那に視線で訴える。もっと相応しい人選があったのではないかと。


「まあ、なんとかなる」

「行き当たりばったりなの? まったく、カラスのお兄さんも大概お人好しだねぇ。あー、カラスが好い?」

「形容に迷うんなら人間基準でもいいぜ? 俺としちゃあ〝爪を立てないカラス〟って言われるほうが嬉しいが」

「妖怪によってそのへんの例え話って違うもんだねぇ」


 一人と一羽で会話していると、いよいよ日が沈み始める。


「ありゃ、おにーさん。女の人はいいの?」

「しまいには怒るぞ紅子さん!」

「……」


 紅子からの「どうにかしてくれ」という視線が、刹那に突き刺さる。

 刹那は静かに首を振った。諦めろ、と。


 カア


「お、見つけたか」

「時間を稼げたようでなにより」

「え?」


 一人だけなにも分かっていないらしい令一を置いて、刹那と紅子だけで話が進む。


「さて坊主、祭りだ。こっちにおいで」

「ま、待ってください。やっぱりお祭りなんて危ないわ」

「これだけ大人がいるんだから問題はねぇさ。ちゃんと見てりゃいいんだろ?」

「さ、アタシと手を繋ごうか」

「うん!」


 紅子と男の子が手を繋ぎ、刹那は女性の隣を歩く。

 令一はがくりと項垂れながら、手を繋いだ紅子に合わせて子供を挟むように歩くことにしたようだった。

 刹那、女性。そして紅子、子供、令一の組み合わせである。


 カア


 カラスが先導するように飛ぶ。

 刹那と女性が先を行き、子供を挟んだ紅子と令一がその後ろを歩く。


 やがて、あぜ道に差し掛かったあたりで子供がなにかに気がついたように紅子の手を引いた。


「いや」

「目的地はあっちなんだよ」

「この子どうしたんだ?」

「気にせず行くよ、令一さん」

「はい」

「ついでに、キミもこの子と手を繋いでね。令一さん」

「分かった」

「いや!」

「嫌がられても手を繋いでね、令一さん」

「ぐうっ、滅多に呼んでくれないのにこういうときばっかり名前で呼ばないでくれよ……やるけど!」


 扱いやすいことこの上ない令一に指示を出しながら紅子は溜め息を吐く。

 この期に及んでお兄さんはまだ気づかないのか、と呆れながら。


「せっちゃん!」

「お待ちしていました」


 遠くに大きく手を振る赤髪の人影と、スケッチブックを持ってこちらを見やる女性の姿があった。一人は人外、そしてもう一人は祓い屋だ。


「え……」


 いよいよ大きくなった子供の抵抗に四苦八苦しながら令一が声を漏らす。

 祓い屋がこの場にいる意味を知って。


「いやー! やだー!」


 いよいよもって子供が逃れようとする力が増していく。

 ぐずりだし、子供らしくジタバタと足を踏みならしながら。


「あ、れ……?」


 刹那に連れられて女性がその場所に連れて行かれる。

 あぜ道の、その奥には……血痕が広がっていた。


 カラスが導くその場所に、あるもの。


 それは、子供の遺体――






「わ、たし……?」


 ――ではなく、女性と全く同じ姿をした人間の遺体だった。


「はなせー! はーなーせー!」

「ど、どうなって」

「おにいさん、絶対離さないでよ? もしかしたらアタシも狙われちゃうかもしれないからね」


 令一が両手で子供を押さえつけにかかったのは、その言葉がかかってから秒の世界だった。


「せ、刹那さん! 紅子さん! これ、いってぇ! 噛むな! 噛むな! 危ないって! 狂犬じゃねぇんだから! くそっ、これ、どういうことなんだ!?」


 手に噛みつかれた令一は歯を食いしばりながら耐えている。しかし、その噛みつかれた場所に穴が開くほどの力で噛みつく子供の勢いは止まらない。

 その視線は既に人のそれではなく、白目が反転して黒く染まり上がり、黄色い眼が怪しく光っている。


「皆お疲れ様!あとはオレがそいつを連れてくから大丈夫だよ」


 そこで、やっと子供が赤髪の男を見据えた。


「げっ」


 子供らしからぬほどに表情を歪めて。


「ジャック・オー・ランタン。悪魔との契約で地獄に落ちないことが確約されたものの、悪行が過ぎて天国に行くこともできず、地上を彷徨い続ける灯火。道案内と称して善良な人を道に迷わせる怪異だね」

「……」

「考えたね。人の命が潰える時、あの世への道が開かれる。善人が死ねば天国への道がほんの僅かに見える。そのときに、お前は本来逝くべき人間を押し退けて無理矢理その道に入ろうと思ったんだね」


 淡々とアルフォードが告げる罪状。

 幽霊である紅子が最初に手を繋いだのも、女性ではなく子供を相手して、令一に女性の相手をさせようとしたのも、全て自身を囮に使ってのことだった。

 勿論、刹那はその意図をきちんと理解していた。

 知らぬは令一ばかりなり、ということだ。


「で、でもジャックランタンって言ってもカボチャ頭なんじゃないのか?」

「今はカボチャのランタンが主流だけど、昔はカブでランタンを作ってたんだよ。知らない?」


 もはや子供と呼べないその存在は、暴れるだけ暴れてもやはり……〝白いフード〟でてるてる坊主のように見えた。


「カブ……なるほどな」


 女性は無事に祓い屋によって成仏できたようだった。


「じゃ、あとはオレが処理するよ。お疲れ様。解散! あ、せっちゃんは報告書と新聞持って後で店のほうに来てね!」

「承知した、アル殿」

「さ、行こうかお兄さん。傷の手当て、してあげる」

「いいのか? ……ありがとう、紅子さん」

「いいよいいよ、アタシだって先に逃げたし」

「あ、それなら店においでよ。店の治療薬勝手に使っていいからさ。その傷はちゃんと処理しないとあとで大変だよ」

「助かるよ、アルフォードさん。じゃあ、お兄さん、一緒に行こうか」

「ああ、ありがとう」


 ズルズルとジャックランタンを引きずっていくアルフォードと、距離を開けて彼に着いていく二人を見送りながら。刹那は飛び立つ。数時間は遅れてしまった新聞を届けに。ついでに報告書を店で書こうと思いながら。


「よお、兄弟。今日はありがとな!」


 カア、カア


 迷子は帰るべきところへ。逝くべき場所へ。

 そう、カラスが鳴いたならば……それは〝帰宅〟の時間なのだから

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