フェアウェル
第1話 サヨナラ
その後の一ヶ月は、まるで一瞬のように短く感じた。冷泉堂大学は、後期の試験を残し、全ての講義課程が既に終了していた。
三月十五日に帰国することが決まっていたルーカスと私は、期末試験に追われる生徒に交じって毎日大学に通い、留学生向けの日本語講座に出席した。そして、放課後は決まって松竹寺道場で研鑽を積んだ。
冷泉堂大学剣道部改め剣道サークルは、京都市剣道競技会で優勝したため、剣道部への再格上げを果たした。
私たちの剣道競技会での活躍は地元のテレビ局に加え、全国放送のテレビ番組で取り上げられ、放送の翌日から入部希望者がぽつぽつと道場に姿を現すようになった。
キスバーガーでルーカスと私に遭遇したマッシュルーム君、そして、その三人の友人も入部した。
ルーカス、私、ぎっくり腰を克服したダンディー霧島、トモッチこと葛城智彦、浦賀氏、木田氏、そして、競技会の決勝戦で選手に復帰した佐々木由紀はオリジナル・シックスと崇められ、新たな部員の実力に合わせて、稽古をつける役割を担った。
京都市剣道競技会の決勝戦の劇的な優勝のおかげで、私と佐々木由紀の間の距離は縮まった。
しかし、何よりも剣道を愛する佐々木由紀は、デートと称して道場で私を容赦なくいたぶった。
私は毎回本気で佐々木由紀に挑んだが、十本のうち一本取ることができれば良いほうであった。それだけ佐々木由紀は強かった。
試しに何度かルーカスも竹刀を合わせたが、歯が立たなかった。
ある時、佐々木由紀の胴打ちをくらい、派手に敗北を喫したルーカスがぽつりと言った。
「明らかに一番強ぇじゃねえか。中堅じゃなくて、副将か大将で試合に出ればよかったのに」
そして、別れのときはやって来た。
初めて日本に降り立った日に誓ったとおり、私とルーカスは見送りに来る部員たちの反対を押し切り、ラピートと呼ばれる私鉄の特急電車で関西空港に向かった。
航空会社のカウンターでチェックインを済ませた私とルーカスは、口数が少なくなっていた。冷泉堂大学で過ごした日々が、終わろうとしている。
最後は部員たちと笑って別れを告げようと昨夜ルーカスと話し合っていたが、無理だった。様々な思い出がこみ上げてくる。
京都駅の長い階段を私たちよりも早く駆け上がった松尾女史の脅威的な脚力、そして、ガラス張りの天井を割ってしまいそうなほどの声量。鴨川でのルーカスとの殴り合い。そして、翌日に撮影した証明写真。松竹寺道場での入部テスト。その夜の歓迎会。図書館で初めて佐々木由紀を見た時の衝撃。ライバルの北村雄平とネイサン・ミラーに初めて出会った時代祭。ダンディー霧島の自宅訪問。そして、つかんだ秘密。
京都医科大学との戦い。大晦日に知ってしまった真実。元旦の大敗、そして、逃亡。京都市剣道競技会で起きた奇跡。
気づくと私たちは保安検査場の入り口に到着していた。
ルーカスは人目を憚らずに大粒の涙を流し、号泣している。私は松尾女史、木田氏、浦賀氏、トモッチこと葛城智彦、ダンディー霧島を順に抱きしめていった。最後に抱きしめたダンディーは私の耳元で、
「由紀さんのことは任せなさい」
と囁いた。私は、
「しっかり剣道の稽古に励んでくれよ。ああ、そうそう、あのDVDを見れば強くなれるよね。なんだっけ、ええと、ビ・シ・・・」
すると今度は慌ててダンディーが私を抱き寄せ、
「やっぱり持つべき者は友、アメリカに行っても忘れないぜ」
と私の言葉を遮るように、心にもないことを大きな声で言った。
松尾女史が一歩前に出ると、私とルーカスにメッセージが寄せられた色紙をそれぞれ渡した。
ルーカスは色紙に目を落とすと、再び声を上げて泣いた。私の色紙には、
「アメリカでも頑張れ!(木田)」や「なんでもいいから全米ナンバーワンを目指せ!(浦賀)」などの当たり障りのないメッセージから、「毎日十キロのランニングと二百回のスクワットを課す(松尾)」や「カウボーイサムライよ、大志を抱け(トモッチ)」など、送別の言葉とは言い難いメッセージもあった。さらに、
「秘密は一生守ってください(霧島)」という願い事まで書かれていた。少し気分を害された私は、佐々木由紀のメッセージを探した。しかし、佐々木由紀のメッセージは見当たらなかった。
私は佐々木由紀を見た。佐々木由紀は少し恥ずかしそうに、
「裏を見て」
と小さな声で言った。私は言われたとおり、裏を見た。そこには、真っ赤なキスマークとともに達筆で、
「I LOVE YOU」
と綴られていた。
私は天国にのぼったような気分になった。苦労が報われた瞬間だ。佐々木由紀は顔を真っ赤にして照れていた。
不審に思ったダンディー霧島が色紙を覗き込んだ。そして、目を大きく見開くと、
「こんちくちょー!」
と叫び、色紙に残された佐々木由紀の唇と濃厚な接吻を交わした。
「貴様ぁぁぁ!」
私は激怒し、ダンディー霧島に鉄拳制裁を加えようとしたが、ルーカスをはじめとする部員たちに阻止されてしまった。
そんな私に佐々木由紀が突然口づけをした。私はその柔らかい感触にとろけそうになった。そして、ダンディーの絶叫が空港にこだました。
私は人目を憚らず涙を流すルーカスとともに夢見心地で保安検査場に向かった。私とルーカスが金属探知機のゲートを潜り抜けると、松尾女史の怒声が聞こえてきた。私とルーカスは声が聞こえてきた方角を見た。
「今度は全国大会だ!稽古さぼるなよ!」
私とルーカスは顔を見合わせて、松尾女史に負けないぐらい大きな声で、
「もちろんですよ!また会いましょう!」
と叫んだ。
ルーカスは大きな窓ガラスの向こうで乗客の搭乗を待つ色とりどりの飛行機を見つめながら、
「俺たち、サムライになれたのかな?」
と呟いた。
「まだまだ」
私はため息をつきながら答えた。
「帰ったら稽古だな」
私とルーカスはがっちりと握手を交わした。
あれから何年が経ったのだろうか。
父の武田真剣は、三歳になった私を連れ、テキサス州の広大な大地に佇む瀟洒な白い家の前に立っていた。
緊張の面持ちで父がドアベルを鳴らす。すると、しばらくしてドアが開き、三歳にし
ては大きなルーカスと少し疲れた表情のミシェルが姿を現した。
父はミシェルの顔を見ると、
「ミシェルさん、今日はルーカス君の誕生日ですよね」
と優しい声で話しかけた。
「ええ」
微笑を浮かべたミシェルが頷く。
「実はベイルから随分前にルーカス君に渡して欲しいと頼まれていたものがありまして」
緊張のためか父の声は少し震えていた。ルーカスが父親譲りの意志の強そうな青い目で父を見上げる。
「本当はクリスマスプレゼントだったのですが」
父は私に目配せをした。私は乗ってきた馬に括り付けていた細い棒状のものを二本掴むと、父のもとに戻り、手渡した。
父は一本を私に戻し、もう一本の袋の先端の紐をほどくと、九十センチほどの竹刀を取り出した。竹刀の柄には英語で「ルーカスへ。サムライになれ」というメッセージが彫られていた。
まだ幼いルーカスは母にメッセージを読むようせがんだ。するとミシェルは優しい笑みを浮かべ、
「これはね、天国にいるお父さんからの伝言よ。サムライになりなさいって」
ルーカスは嬉しそうに、
「そうか、お父さんの言うことなら、ちゃんときかないとね」
と言うと、小さな手で小さな竹刀をしっかりと握りしめた。そして、同じく竹刀を手にしている私の目をまっすぐ見つめると、
「よろしく」
と言って片手を差し出した。私はしっかりとルーカスの手を握り返し、
「サムライになるんだろ?それなら、一生懸命稽古しなくちゃな」
と言った。
甦れ風林火山!冷泉堂大学剣道部改め剣道サークル Karasumaru @kennyblink360
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます