本物の月

 戦争の形態はたった百年で大きく変化した。

 戦場は地上から電子世界へ。戦車はレーサーを放ち、空母は空を飛び、戦闘機には足が生えた。それでも歩兵だけは、ほとんど変わることはなかった。



 2119年 某電子世界戦場ーー


「毎度どうも!エリカチャンネルのエリカでーす!」

 隊長がいつものようにカメラを回し出すと、他の隊員たちは皆どこかへ散っていった。

「えー今日はね、なんと戦闘生活四ヶ月目ってことでね。動画を撮っているんですけれども」

 元気いっぱいに挨拶を終えた隊長、もとい錦戸エリカ。何度も見たこの光景にもはやうんざりしてしまっていた。事は五年前にさかのぼることになる。


 五年前に行われた人類最終戦争の結果、地球の面積の94%に当たる地帯が核によって汚染。人が住めない状態になっていた。

 そんな中、アメリカが提唱した地球そっくりの電子世界に移り住む「人類電子世界移住計画」によって、生き残った人類約20億人が、電子世界へと移動した。

 しかしそこで新たな問題が起きた。領土問題だ。

 もともと最終戦争によって各国の国境はバラバラになっていた上に、欧州諸国が、最終戦争の功績を踏まえての領土の再分配を要求。最初こそアメリカはそれを否定したものの、最終戦争で弱りきったアメリカに欧州諸国が宣戦布告する形で、領土再分配戦争が始まった。

 最初こそ日本は中立を示していたものの、中国や韓国などによる宣戦布告を受け、とうとうアメリカサイドでの参戦を表明した。

 序盤は日本国防軍は善戦していたものの、欧州戦線が集結した頃から、欧州諸国が東南アジアへと侵略を開始。日本の一部もその対象となった。

 これにより、国防軍は一年前に徴兵制実施を宣言。こうして俺みたいな戦闘を経験したことのない若造までもが最前線で戦わされてるってわけだ。


「ねえ、坂上くん。戦闘生活四ヶ月目ですけど気分はどうですか?」

 エリカがカメラを向けてくる。が俺は背を向け「うるさい」と小声で言った。

「あれえ~いいのかな~。いくら幼馴染みだからって、ここでは私が君の上司だからね~」

 クスクスっと彼女は笑ってきた。戦争が始まっても相変わらず愉快なやつだ。

「まさか女の私に負けちゃうなんねて~。まあ電子世界だから男女の差とか全然ないんだけど」

 俺は苛つきを何とか飲みこんだ。正直ここで彼女に手をあげようものなら軍法会議ものだ。

「そういえばみんな!何と明日から大規模攻勢が始まるんだって。楽しみ~!」

 そう。俺らは明日ここを出て、初めての大規模攻勢に向かう。そのため他の隊員たちは休養を取ったり、遺書を書いている者もいた。

 ただ俺にはどれも無駄なような気がした。結局ものを言うのは訓練の結果だ。そう思っている。

「ということでね、明日も早いんで今日はここまでにしまーす。じゃあねー」

 エリカがカメラを降ろした。そしてそのままどこかへ行く。

 一人だけ残るのも嫌なので、続いて俺も部屋に戻った。




 錦戸エリカはYouTuberである。それは戦争が始まる前も、続いている今もだ。

 ただ動画を投稿することはできない。情報漏えいを防ぐためなのだから当たり前だ。

 それでも彼女はカメラを回し続けた。

 俺は一度聞いた。何故カメラを回すのか。

 そしたら彼女は「この動画はね、戦争が終わったらきっと希少価値が付くからね、その時に売るためのものだよ」と言った。

 くだらないと一瞥したが、きっと今なら分かる。

 この戦争はあくまで電子世界の戦争だ。だから地形は歪まないし、地震も起きない。戦争は爪痕を遺さないのだ。だからこそ記録する必要があるのかもしれない。


「ここから先は危険だ。錦戸分隊が先遣隊を務めろ」

「はい!」

 腹から返事をして先頭に出る。

 今朝から始まった大規模攻勢は、日が西に傾いてもなお続けられた。

 集合地点まであと少しのところまできた我が第十三小隊は、今危険地帯へと足を踏み入れた。

 本当だったら戦闘機による航空支援を受けられるはずだった。だがここに来る手前で、敵の航空隊と交戦、大空戦を繰り広げている。

 航空支援を待っていると日が暮れてしまう。その前に何とか集合地点まで辿り着かなくてはならなかった。

 露払いなんてごめんだ。他の隊員がそう言う。それもそうだ。ここは完全に敵の地。いつ攻撃されてもおかしくないのに、その露払いなど死んでもやりたくない。でも誰かがやらなければ。

「隊長。ここからどの方向に……」

 質問しようとしたその時、大きな地を揺るがすような音が耳をつんざく。

「十時の方向より敵戦車!」

 誰かが叫んだ。みな身を伏せる。

「こちら錦戸分隊!敵戦車見ゆ!ただいま攻撃を受けている!応答せよ!応答せよ!」

 通信員が小型マイクに向かって大声で叫んだ。が、応答がないみたいだ。

「完全にジャミングされたな……」

 言い終わらないうちに二発目が来る。ドンという音が腹に響いた。

「我が分隊の目的は本隊の集合地点への到着を第一とする!よって我が分隊はこのまま敵戦車部隊を北方まで誘引。本隊への接近を阻止する!」

 錦戸が叫ぶと、他の隊員は頷いた。

 訓練だったらここは対戦車戦闘をするのに。少し遺書を書かなかったことを悔やんだ。




 錦戸先頭に先遣隊はつかず離れずの距離で戦車部隊を北方へと誘引することに成功した。

 日が暮れてからはあちらも追ってこず、先遣隊は近くの洞窟で一夜を過ごすことになった。

「散々たる有様だな……」

 衛生兵が言った。

 ここまで落伍した者はいなかったが、それぞれどこかしらは怪我をしていた。

 先頭で指揮を執っていた錦戸も例外ではなかった。左腕は包帯の上から見ても血が滲んでいるのが分かった。

「ヤアヤア坂上くん。怪我はないかい?」

 戦闘が終わりいつも通りに戻った彼女を俺は煙たがったが、正直安心した。

「たいしたことはない」

「そうかそうか」

 ニコニコしながら彼女は言った。

 その時作業していた通信員が顔を上げた。

「通信機直りました!」

 周りがおおっ!と歓声を上げた。

「こちら錦戸分隊。錦戸分隊。応答せよ」

 通信員が話しかけると、ザーッというノイズの後、通信が繋がった。

「あーこちら作戦本部。錦戸分隊か?」

「はい。こちら錦戸分隊であります」

「そうか。こちら作戦本部だ。貴隊が先遣隊を務めた本隊だが、無事集合地点へと到着した」

 おおっ!と本日二回目の歓声が上がった。

「ついては明朝、B地点にて第二次攻勢の部隊に加わりそこで指示を得るよう。以上だ」

「はっ!承りました!」

 通信員がそう言うと、プツンという音の後、通信は途絶えた。


 夜。硬い洞窟の床は寝るに寝られずといった感じで、ずっと入口から見える月を見ていた。

 電子世界こっちの月は現実あちらとそう変わらないが、時々どうしても本物の月が恋しくなる。

「坂上くん月なんて見るんだね。でもあれ作り物だけどね」

 自ら見張り役を買って出た錦戸がしゃがみ込んで隣に並んだ。

「本物の月とは何が違うんだろうな」

 無意識に言葉がこぼれた。

「本物の月はきっと、私たち以外の誰かが見てきた月なんだよ。それこそ百年、千年前の人達がね」

「じゃあ月もいつかは誰かが見るんだろうか」

「そうなれるように私たちが守らなくちゃならない。この世界を」

 眺めれど眺めれど、夜は一向に更けなかった。


 朝。水筒の水は空に等しかった。部隊に合流したら真っ先に補給してもらおう。

 隊員たちが出発の準備を始めた。みな顔に疲労の色が見える。俺も俺とて昨夜は一睡も出来なかった。

 朝の戦場は静かだった。はずだったのに、いきなり砲撃音がして動揺が走る。

「敵襲!敵襲!」

 見張り役の一番若いのが大声で叫ぶと、錦戸は真っ先に入口に走った。俺もあとに続く。

 見ると二足歩行する戦闘機が二機、入口近くにいた。

 そういや電子世界こっちの戦闘機って足生えてるんだったわ。そんなことを思う余裕すら与えず、二発目を受ける。

「隊長!どうします!」

 さっきの若いのが言った。

 続けて俺も意見具申する。

「入口はここしかない。よって脱出はここ以外は不可能。ここは投降するしか……」

「いや、そんなことはしない」

 おいおい正気か?じゃあここで全滅しろってことか?心の中で思った。

 後ろでは準備を整えた隊員たちが唇を噛んでこちらを窺っている。

「まず私がここから飛び出てやつらの目眩ましをする。その間に坂上くん、貴方が隊の指揮を執れ」

「は?じゃあ隊長は……」

「心配することはない。必ず後を追う。分かったな!」

「りょ、了解しました……」

 やっぱ正気じゃねえ。口ではこんなこと言ってるが、この人相討ちするつもりだ。

「た、ただ自分も隊長にお供させていただけないでしょうか。敵は二機。二人いた方が時間も稼げましょう」

「坂上くん、それは覚悟の上での発言?」

「もちろん」

 ごくりと唾を飲み込む。もう引き返せない。

「分かった。では指揮は寺田に任せる。いいは」

「はい!」

 さっきの若いのが返事をした。お前寺田って名前だったんだな。


 作戦は、まず俺と錦戸でスモークを焚く。その間に寺田率いる部隊が脱出。成功した場合簡易信号によって合図が来るのでそれでこちらも撤退するという手筈だ。


「行くよ坂上くん!」

「おう!」

 錦戸の意向で、本作戦中はかつての幼馴染みとして敬語は使うなと言われた。

「私は左。君は右を担当ね」

「任せろ!」

 重たい体を滾らせて、入口から出る。

 砲撃がくるが、間一髪でよける。戦場は森の中。そのまま茂みに隠れる。

 二人脱出したというのに、依然として戦闘機よ砲身は洞窟の入口に向いていた。二人よりも、残り大勢を始末するためだろう。

 だから狙いを定めるのに特別な技術は要らなかった。二つ、スモークグレネードを投げる。

 瞬間辺りに煙が立ちこめた。戦闘機の動く音がする。俺は装備の一つのゴーグルを取り付けた。これを使えばスモークが立ちこめていようと辺りを見回すことができる。

 奴らは確かに動揺していたが、相変わらず洞窟を狙っていた。

「デカいのお見舞いしてやる」

 ゆっくりと持ち上げたのは、対戦車ランチャー。肩がきついが、それでも何とか持ち上げる。

 狙いを定める。心臓の鼓動がこれは訓練じゃないと教えてくる。そうだ、だからこそ外せない。

「ていっ!!」

 引き金を引くと発射の衝撃で後ろに倒れ込む。本当だったら受け止めなければならないのを、疲労故が受け止められなかった。

 弾は少し軌道を逸れたものの命中。一機が炎上していた。もう一機はーー

 錦戸は外した。訓練では俺よりも命中精度が高かった彼女が外した。

 脳裏に彼女の左腕がよぎる。無茶しやがって。

 俺は使い終わったランチャーをその場に捨てると、彼女のもとへと向かった。

 彼女は倒れていた。左腕からは昨日よりも血がだらだらと流れている。

「坂上くん?すごいね。当てたんだ」

 ゴーグルを外すと、彼女は笑っていた。

「バカ!無理しやがって……」

 俺が彼女の体を持ち上げようとしたその時だった。残った一機がこちらに砲撃した。

 至近弾とはいえ、衝撃で体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。

「かはっ……」

 思わず気が遠くなる一撃だったが、錦戸もといエリカのことを思い出し彼女に駆け寄った。

 彼女の口から流れ出る血潮はもはや長くないと俺に教えた。

「おい!しっかりしろ!大丈夫か!」

「ううん。ダメみたい」

 うっすら笑みを浮かべて、彼女は血を吐いた。

「生きろ!どんな形でも生きろ!YouTuberなんて辞めてでもいい!もう一度月を。今度は本物の月を見るんだよ!」

「ごめんね。本物の月は少し遠いかも」

「お前……」

 晴れつつある霧の中、俺は簡易信号を受け取った。もはや何もできまい。

 冷たくなりつつあった彼女を持ち上げて、俺は部隊に向かった。空を見上げて。




 あれから二年。戦争は終わった。

 膠着した戦線打開のため、人類はもう一度現実世界でやり直すと約束をし、今も現実世界では除染作業が続いている。

 現実世界で俺はある場所へと向かった。遺骨も何もない墓へと。

「ほら。今日は満月だ。本物の満月だ」

 俺は墓石の隣に座ると、カメラを取り出して動画を再生する。

 動画には、彼女がとして生きた証を遺してーー

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走り書き短編たち クソクラエス @kusokuraesu

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