それを人と呼ぶならば。

felt031

第1話「精神異常」

 病院が嫌いだった。

 広い待合室で、自分だけがという孤独。隣の患者が暴れだし、それを止める看護師たちを見て、自分もああなるのではないかという不安。

 椅子にふさぎ込んで息を吐いたとしても、治ることは無い異常。

 こうして通っているという事実に、嫌気が差して。

 差しても尚、逃げることは無い現実に。

 また、腹が立つ。

「佐藤和正様ー」

 事務的に呼ばれる名前が自分のものだと気づき、頭を上げる。

 重い腰を掛け声とともに上げ、立ち上がる。

 気持ちは下がる一方だというのに。

「あっ、はい。僕です」

 ぺこりと頭を下げるのは癖だった。

 社畜卑しい処世術。それが今、こんなところでも発揮されてしまうことが、虚しくてたまらない。

「では、こちらへ」

 診察板を持った看護師はにこりともせず、手先だけで行先を示す。壁際に沿った長椅子。柔らかいかそうでないか、判断に困るほどの安物。

 診察の前はいつも同じだった。

 壁に貼られたポスターやらなんやらを見つめ、あるいは虚空を見つめながら、その実虚しい現状を顧みる。

「……何が、異常者だ」

 羅列された文字は心を静める方法だとか、コントロールだとか。普通の病院にはない。そんな文字ばかり。

 僕が異常であると診断されたのはもう半年前になる。

 価値観の差異、周囲とのズレ。正しいと思ったことが、実際のところ悪である因果。

 僕はおかしいらしい。言われて気づいたその末路。

「……クソ」

 結果、会社はクビなる。実家暮らしの引きニート。ラノベなら、小説なら、ここからの逆転はあり得る。

 だけど、だけれど。

 現実は、埋もれて死ぬ。

 ――苦しい。助けてくれ。

 価値観の違う相手は話が違う宇宙人だった。話が通じない人間は健常者であっても煙たがられる。

 それと、同じ。

 自分は少し、残酷なまでに顕著なだけだ。

 ……そこまで思って、泣きそうなる。

「佐藤和正様ー」

 二度目の呼び出し。

 薄暗い暗闇とそこの無い沼から救い出してもらう。

 一人になるといつもこうだ。自らを否定し、ツボにはまる。いっそ、死んでしまえと身体は分かっているかのように。

「はい」

 どうもない返事をして僕は立ち上がる。

 行く先はリフレでも、風俗でもなく、話を聞いてくれる白衣を着た中年のおじさんだ。

 二人きりの個室が癒し空間と言うのも何だか気持ちが悪いが、仲のいい先輩に相談事を持ち込んでいる気分にさえなってしまえば悪くない。

 なにせ、向こうはプロだ。

 身をゆだねよう。

 ノックをして扉を開ける。その中はどことなくいい匂いで、気分を害するようなことはない。

 例え目の前の医者が、胡散臭い表情でナンパをするように片手を挙げて待っていたとしても。

「やぁ、和正君。今日も元気かね?」

「はい。一応は」

「はは、何よりだ。では、今日は何をしようかな?」

 白衣を着た胡散臭い医師――高橋さんは笑いながら、机の下を漁り始める。そこには大量のおもちゃがあり、子供向けから大人の遊べるものまで種類を問わずに置いてあった。

「……いえ、今日は何も。ただ、話し相手になって貰えればいいんです」

「真面目な話かい?」

 不真面目な、胡散臭さの覗く笑みを浮かべながらも、高橋さんは目を合わせてくれる。

 こんな異常者にでさえも、優しく。

「実は人を殺したいんです」

 ちらと伺った高橋さんの顔は、予想通り一瞬だけ固まって、そのあとまたいつもの笑みに戻る。

「それは、どうして?」

 誰を。とは聞かず。

「生きている意味が無いと思うから」

 前述の通り、僕は異常だ。

 正しさを悪と言い。悪を正しいと言い張る。虚偽と悪辣併せ持つ。人の形を保っただけの。

「そうかい」

 そんなことはない。と高橋さんは言わない。いつも初めは肯定し、そのあとに問われる。

「それは、しなくちゃいけないことかい?」

「したくはありません。ですが、しなければならないほどに、彼は深刻なのです」

 眉を顰める高橋さんへ僕はしっかりと目を見ていった。

「……彼は、どうしようもない人間なのかい?」

「どうしようもない人間です。生きる価値もありません。……それに」

「……それに?」

「生きているだけで周りを不幸にします」

 言い切った。言い切ってやった。

 誰とない彼へ対する告白を自分がしてやった。優越感と適度な興奮。そしてそれを外から見る自分が見下ろして、今の自分ができている。

「なら仕方ないな。和正君。今すぐ殺しにかかりなさい」

「はい。今すぐに」

 そう言って、僕は。力強く、痕が残るほどに精一杯早く楽に殺したくて。

「苦しいです。先生。息ができない。助けて……」

 ひゅるひゅると喉元が締め付けられ苦しむ僕を、高橋さんはただ見ていた。

「嫌だ。死にたくない。まだ、生きて……」

 急に僕の意識が薄れだす。得体のしれない暗闇が襲い、霧のように僕を包み、やがて倒れるながら気を失った。



「――ここは?」

 目が覚めたら、ベッド上だった。かけられた毛布を避けて起き上がると、そこには高橋さんの姿があった。

「おお、和正君。気分はどうだい?」

 痛む頭と妙に違和感を覚える首筋に手を当てて、僕は小首を傾げる。

「えっと、元気ですが――」

 ここ数時間の記憶がない。

 病院に来て、それから呼ばれて。

 そこまでの記憶しか。

「――ああ、そういえば。君にはまた

「助けてもらった?」

「ああ、そうだよ。今しがた狂った患者が来てね。私の首を絞めようとしたところを。いやはや、君が居なければ私は死んでいたね」

 ほら、と言われて鏡を見せられると、確かに赤い手形が残っている。

 それと同時に得も言われぬ快感を覚えた。

「僕が、ですか……?」

「ああ、君がだ」

 笑う高橋さんの感情は読み取れない。だが、僕の心の内はそんなことはどうでもよかった。

「そういえば、診断が途中だったな。今日はひどく落ち込んでいたようだったから、ゲームでもしようと思っていたのだが……」

「いえ、帰ります! 何だか妙に気分がいいので」

「そうかい。遊びたかったのだが残念だ。……また、辛くなったら来るといい」

「はい。失礼しました」

 僕は礼をして診察室を出た。

 途中廊下をスキップ気味で戻った。

「会計は千円になります。お大事に」

 ロビーで会計を済ませ、帰りはどこかに寄っていこうかと算段を立てていると、ふと枯れている花が僕の目に入った

「あっ、枯れてる。――看護師さーん!」

 気分がいいので、教えてやることにした。

 普段ならスルーすることも、今ならやって見せることができる。

 花瓶を持ち上げ、地面に落とす。

 周りの人たちに見られているのは分かったが、気分がいいので恥ずかしくはない。むしろ、公に認められるのは嬉しいことだ。

 僕はそれから、割れた花瓶と枯れた花。零れた水を拭き取って、意気揚々と帰路についた。





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