言ってはいけない「エモい」話

さゆと/sizukuoka

言ってはいけない「エモい」話

「『エモい』ってさ、日本語捨ててると思わない?」

「それ、どういう意味よ」


 すまし顔で同意を求めてくるアヤカに、わたしは眉を寄せて尋ねた。

 クラスメイトは皆部活に行ったり、下校していて、わたしたち以外教室に残っている人はいない。わたしの前の席ももちろん空いているので、アヤカは椅子の背に胸を当てて座り、数学Ⅱ・Bの教科書とにらめっこするわたしを見守っている。


「だって、『かっこいい』とか『かわいい』とかなにかしら感じるものはあるはずなのに、その微細な感情を捨ててるじゃん。ヤバいっしょ」

「その『ヤバい』も似たようなもんでしょうが」

「あ、そっか」


 アヤカはたった今気づいたというように、心から納得したとばかりに両手を打った。


「うむ。さすが文系」

「誰でも気づくと思うけど」


 わたしはため息をついて次の問題に取りかかる。

 高校に入ってから、数学ははるかに難しくなった。授業にまったくついていけなくなったわたしは、次の授業までに解いてくる二、三問の復習問題に手も足も出ない状態になった。一方、アヤカは中学生の頃から数学が得意で、高校生になってもクラスで三本の指には入る実力者だった。わたしはアヤカに頼みこみ、放課後に教えてもらうのが授業の日の習慣となっている。


 そこまでして必死に課題と戦うわたしに、アヤカは面白いものを見つけた子どものように「じゃあさ、イマドキ言葉を使わないゲームしない?」という子どもの遊びみたいな提案をした。


「……もしかして、邪魔してるの?」

「えっ! そんなつもりまったくないでござりまするよ。ナナちゃんが暗いカオしてるから、元気づけてあげたいなーと思っているだけでござる」


 わたしはこらえきれず吹きだした。アヤカのなかではもうゲームが始まっている上に、イマドキ言葉を使わない=時代劇調で話す、ということになっているようだ。


「アヤカ、それはヤバいよ」


 笑いの波が引いたあとに呆れながら指摘すると、彼女は首を横にふってわたしに囁いた。


「ナナちゃん、『ヤバい』はアウトだよ。言い換えなきゃ」


 アヤカは真剣な顔でヤバいことを――じゃなくて、非常に変なことを言っている自覚があるのだろうか。

 わたしは考えこんでから、「そのしゃべり方は不自然だよ」と言いなおした。我ながらなかなかよいワードを選べた気がする。


 納得のいくシーンが撮れた映画監督のように頷いたアヤカは、

「うむ。それでようござんす」

 と突然時代劇に戻るものだから、わたしは再び吹きだした。


「どうしよう、腹筋が――えっと。笑いすぎて腹筋が八分割しそう」

「それはヤバいでござる!」


 アヤカが追い打ちをかけ、わたしはとうとう笑い転げた。もう課題どころではない。アヤカもつられて吹きだして、お互いに息も絶え絶えになった。

 結局わたしたちはお腹がよじれるほど笑って、遊んで、また笑って、わたしは家に持ち帰った課題が一問も解けないまま次の日の授業を迎えることになった。


 誠にエモい体験でござった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

言ってはいけない「エモい」話 さゆと/sizukuoka @sayutof

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ