2-38:エピローグ2、英雄の矜持、その在り処

 ラインハルトはぼんやり煙草の煙を眺めていた。じりじり紙が燃える音まで聞こえる。それくらいには静かだった。

 一口二口吸った後の煙草の煙を見ているのはラインハルトの数少ない趣味の一つだった。銘柄は珍しいものではない。軍からの支給品のひとつだ。味がわかるほど拘りもない。ゆらゆら形を変えながらやがては消えていく煙を見ている方が好きだった。


(暇だな)


 無論からだは回復しきっていない。こうやって煙草に火を付けているのを医者に見られでもしたらこってり絞られるだろう。しかしぼんやり寝ているだけではからだも鈍るというものだ。幸い、馬に乗るくらいはできそうなのでこっそり出かけることにした。灰皿に火口を押し付け気配を消して外へ出た。

 本でも読めればよかったのかもしれないが、ほとんど字を教えて貰えなかった。自分の名前を書けて、軍からの簡単な指令がわかるくらいしか知らない。こんな男を英雄に担ぎ上げようと言うのだから可笑しい。矢面に立ったのが己と言うだけで、他にも誉を受けるべき人間は居る。

 厩に人が居ないのを見て、一匹引き出してきた。鞍を付けている間も惜しかったのでそのまま跨って森の中へ入っていく方へ駆けさせた。


(……決闘場か、ここ)


 馬に任せて好きにさせていたのだが、道が均されて平坦なのを好んだのか決闘場に着いてしまった。馬は草を食み始めた。ラインハルトはその首を叩いてもう少し乗せていてくれるようにせがんだ。


(たまには墓にでも行くか)


 この先には決闘に敗れて殺された人々の墓がある。ほとんど足を踏み入れたことはない。ラインハルトは墓にさして意義を感じていない。まして、顔も知らぬ死人を弔うこともないと思っている。勝者も敗者もない。等しく、死人であるだけだ。

馬を進めると花の咲く道に繋がっていた。野の花だ。王女が己の見舞いにくれたものとよく似ている。あれから季節も巡っていないのだ。


「……あれは」


 人影があった。花を供えているようだった。後ろ姿ではあるが、背格好でわかる。ザカライアだ。

 少し離れたところへ馬を止め、手綱を木に括り付けておいた。ようやく腹を満たせるとばかりに馬はさっそく鼻先を野草へ突っ込んだ。

 横へ立ってもザカライアは何も言わずにいた。ラインハルトには気づいているようではあった。

 供えられた花は新しかったが、切り花ばかりだった。この地へ根付かぬようにとこれを選んだのだろう。殺し合いをして生き残った方からの手向けがあったなど知られると面倒だからだ。暫し、黙り込んだまま時を過ごした。


「……お前が来るとは思わなかった。墓など意味がないと言うとばかり」

「まあ、そう思ってはいる」


 墓には意味がないが、その前に立つ人間は違う。今、ザカライアの横顔を眺めてそう思った。


(同じ顔をしている)


 死を背負う覚悟をしている人間の顔だ。束の間垣間見た、古の記憶。殺した相手をバルタザールと呼ぶからには、あれはヒルデベルトだったのだろう。ザイフリートの末裔たちは皆ヒルデベルトを卑怯者であると謗る。果たしてそうだったのだろうか。あれが、裏で糸を引いて兄を殺した人間の顔のものか。ラインハルトにはとても是と言えなかった。


「ザカライア。何故竜を殺すかと問われて、お前はなんと答える」


 少し下にある一対の目がラインハルトを捉えた。迷いのない瞳だった。


「我がザイフリートの誇りのため。そう答える」

「……それは、殺してでも守るほどのものか」

「そうだ。それが、我らが祖先の流してきた血への贖いだ」


 ラインハルトは口を噤んだ。ザカライアには理由があった。己はそうせよ言われたから為したまでだ。……これが英雄とは、片腹痛い。


(お前の、理由を借りているとしようか)


 ザイフリートの血濡れの誇りを真っ直ぐに見つめて目を逸らさないザカライアの姿。それを守ることを己の理由としていればいいだろうか。最早決闘の他に強い繋がりのない同族ではあるが、これであればほんの僅か知ることができたヒルデベルトの悲しみに報いることもできるはずだ。


「……お前、煙草を吸ったな」

「ああ、まあ」

「僕の前に出る時は吸うな。肺に障る」

「悪い。が、今日は偶然だった」


 ザカライアは踵を返してラインハルトの横をすり抜けて行く。彼は草を食む馬を見てまた苦い顔をした。鞍くらい乗せろなどと言っている。


「ザカライア、お前は歩いてきたのか」

「寝てばかりいても体力が落ちるからな」

「後ろに乗って行くか。どうせ帰る先も同じだろう」

「……結構だ」


 ザカライアが去って行く。後から追いつけばいいかと胸中に呟き、ラインハルトは再び墓へ目を落とした。


(俺も、俺の理由を考えるとしよう)


 誓いと言うほど重いものでもない。だがそう決めた。

 風が吹いた。花の香りが煙草のにおいに混じって鼻先を掠めた。



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ヴェルゲニア列伝~異端の有能博士と日陰者王女は理論魔術で革命を目指す~ 村元新 @siriuce

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