夢売り人
水口 八平
夢売り人
あと1回だ、あと1勝すれば全国大会だった。
それなのに、俺はこんな所で何をしているのだろうか。
薄暗い病室で拳を握り締めながら、視線を下に落とす。
そこには、包帯でぐるぐる巻きにされ、ピクリとも動かない左足があった。
一月前に大会が始まってから、俺は過去に類を見ないほどの絶好調だった。
自分の思い描いた通りのプレーができ、自らのステージが1段も2段も上がった気さえしていた。
そんな中、フィールドで獅子奮迅の活躍を見せる俺は、相手選手による足を狙った悪質なファールを左足にくらった。
その時は、暫くすると痛みも引き問題なくプレーを続行できた。
しかし、それからというものふとした拍子に、左足に些細な違和感を感じるようになった。
ただ、本当に大した痛みでもなく、まあ問題ないだろうと気にも留めていなかった。
そして、迎えた県大会準決勝。
そこでも俺は2得点1アシストと最高の結果を残し、決勝戦進出を決めた。
その帰り道、チームメイトと決勝戦進出の喜びを分かち合いながら歩いていると、足が突然鉛のように重くなり、鈍器で何度も叩かれるような、とてつもない痛みが俺を襲いその場に倒れ込んだ。
突然倒れ込んだ俺を、チームメイトが真っ青な顔で必死に呼びかけている様子を、どこか他人事の用に感じながら意識が遠のいていった。
意識が戻るとそこは病院だった。
病院で目覚めてからの時間は、正に悪夢だった。
担当の医師いわく、1年間治療に専念すればまた今まで通りにサッカーができるらしい。
しかし1年では遅いのだ。
決勝戦は明日。
皆んなが試合をしている時、俺は1人ベッドの上でそれをテレビで見ていることしか出来ないのだ。
自らの無力さを嘆きながら何故あの時、たとえ些細な違和感であろうとも病院に行かなかったのだろうと自責の念に駆られる。
そうして、どれ程の時が経っただろうか。
何か気配を感じふと顔を上げるとそこには1人の男が立っていた。
身長は180cmはあろうか。
全身真っ黒なスーツに身を包み、顔にはふっくらとした丸い頬が特徴的なおかめのお面をつけている。
その見るからに怪しい男は、こんなことを言い出した。
「最高の夢見たくありませんか? 」
「だ、誰だお前は! 」
突如現れた正体不明の男に、俺は動揺を隠し切れず問い返す。
「初めまして。私は夢売り人。お困り事を抱えた方たちの為に夢を売っております」
「夢を? 」
「はい、此方をご覧下さい」
そう言うと男は胸ポケットから、クイズ番組で使われるような、四角い土台の上に赤い丸ボタンが付いた物を取り出した。
「このボタンを押せば貴方は、貴方自身が望まれる理想の自分、環境を手に入れることが出来るのです」
「そんな荒唐無稽な話し信じるわけないだろ」
口では男の話しを否定しながらも、男が醸し出す普通の人間とは違う不思議な雰囲気に微かな希望を抱く。
「信じられないのも無理はありません。今までのお客様方も、皆口を揃えて同じようなことを仰っていましたから」
私は本当のことしか言ってないのに、と男は人をくったような態度でオヨヨと泣くような仕草をする。
俺は男の言葉に、それはそうだろうと思いながらも、それでも一縷の望みをかけて聞く。
「証拠はないのか? それが事実だと言える確実な証拠は」
「ふむ。証拠ですか」
男は数秒ほど頭を捻りながら考えていたかと思うと、突然なるほどと言わんばかりに手をポンとならした。
「やはりこういったものは、体験してもらうのが1番です」
男はそう言うと、どこからともなく先ほどとはまた別のボタンを取り出した。
「お試しに少しの間、夢の世界を体験してもらいましょう。では良い夢を」
男は矢継ぎ早に喋るとボタンを押した。
「え、ちょ」
俺は最後まで言い切ることなく、そこで意識が途絶えた。
—————————————————————
目が覚めるとそこはジャングルだった。
「ここはいったい」
あの男がボタンを押したと思ったら、気づいたら木々が生い茂るジャングルの中に1人ポツンと突っ立っていた。
最先端の技術を駆使したドッキリなんじゃないかと少し疑う気持ちで木や土を触ると、しっかりと本物と違わない質感を感じることができた。
「やっぱり本物だよな」
そこでふと怪我した足が痛くないことに気がつく。
「あ、足が痛くない! 」
足の痛みがないことに嬉しくなり辺りを少し走っていると鳥の鳴き声が聞こえてきた。
野生動物に襲われないよな、などと思いながらあたりを見回し警戒していると、突然目の前に男が姿を現した。
「うわっ 」
どこからともなく現れた男に驚いていると、男はそんな俺を意に介さず、得意げにこの世界についての説明を始めた。
「ここは以前のお客様が望まれた世界です」
「こんなところを望んだ奴がいるのか? 」
「はい。そのお客様は人といることに少々疲れてしまわれたようでして、人の存在しない世界で自然に囲まれてのびのびと暮らしたいと願ってこの世界を創られました」
男は大袈裟な身振り手振りで、当時の様子を伝える。
「なるほど」
この世界を望んだ人物はよほど人と関わりたくなかったのだろうなと考えていると、いつのまにか木々が生い茂るジャングルから元いた病室のベッドの上に戻っていた。
「いかがでしたか? これで少しは信じてもらえたと思います」
「あれは確かに現実だった、まだ少し胡散臭いけどあんたのこと信じるよ」
先ほどまで怪我していたはずの足で感じていた土の質感と、木と土の匂いを思い出しながら俺は怪我の痛みも忘れて答えた。
「それはよかった。では早速あなたの望みをお聞きかせください」
「俺はこの怪我をする前に戻りたい」
「かしこまりました。しかしご注意下さい。あなたが今から行くのはあくまで夢の世界。この世界が無かったことになるわけではありません」
「ならいずれはこの世界に戻ってこなければいけないのか? 」
男の言葉に少し怖くなり、俺は無意識のうちに怪我した足を触りながら聞く。
「いえ、お客さまが望まれるなら夢の世界で一生を過ごすこともできます」
「本当か! ならすぐにでも— —」
「ですが、夢を買うには対価が必要になります」
男は人差し指を立て、顔をずいっと近づけながら言う。
「なにを渡せばいいんだ、俺はたいしてお金なんか持っていないぞ」
急に近づいたおかめの面に少しドキドキしながら答える。
「いえ、お金は結構です。対価はこの世界であなたが得られるはずだった幸せな未来です」
その対価はとても重いようで、夢で一生を過ごせるのならさして問題にならないように感じた。
「対価は払う。だから早く俺の望みを叶えてくれ! 」
少しでも早く怪我をしていない頃に戻りたかった俺は、対価についてさして深く考えもせずに男を急かした。
「分かりました。ではこのボタンを押して下さい。そうすれば目を覚ました時にはそこはあなたが望んだ夢の世界です」
「このボタンを押せばいいんだな? 」
男からボタンをひったくるように奪うと、男の返答も待たずにボタンを押した。
すると目の前が暗くなっていき意識がなくなる直前、男の声が聞こえた。
「良い夢を」
それに答えることもできずに、俺の意識はそこで完全に途絶えた。
—————————————————————
「ここは俺の部屋? 」
目が覚めるとそこは真っ白な病室ではなく、自分の部屋の布団の上だった。
先程までのことを思い出し、慌てて布団を蹴飛ばしながら起き上がると、充電されているスマホを見た。
スマホのロック画面は決勝戦がある7月10日を表示していた。
「さっきまでのは夢だったのか」
安心から体の力が抜け、その場に座り込んだ俺はこれまでの出来事について考える。
仮にあの男が実在していたとして、これが夢の世界だとしたら現実世界の俺はどうなっているのだろうか。
もしかしたら寝たきりの植物状態にでもなっているかもしれない。
そんなゾッとするような考えが頭をよぎるが、ここが現実世界であれ夢の世界であれ、この世界は俺にとって紛れもない本物だ。
「深く考えても仕方ない、か」
そのことについて考えるのをやめた俺は、今日行われる県大会の決勝戦に行くための準備を始めた。
その後俺は県大会の決勝戦に無事出場すると、そこで3点ゴールを決め試合に勝利することができた。
そして、ちょうどこの試合を見に来ていたプロのスカウトマンにスカウトされ、幼い頃からの夢だったサッカー選手になることができた。
プロの世界は甘いものではなく最初の頃はなかなか結果が出せずもどかしい思いをした時期もあったが、1度試合で活躍するとそこからみるみる成績が良くなり、気づけばチームで10番を背負い活躍するまでになっていた。
私生活の方も順調で、友人の紹介で出会った美人アナウンサーと付き合い、そのまま結婚。夫婦仲もよくこのままいけばすぐに子供もできるだろう。
その日、俺は家のリビングで1人晩酌を楽し見ながらこれまでの人生を振り返っていた。
「あの日の出来事が現実か夢かは今ではもう分からないが、あれがあったから今の俺が存在してるんだよなぁ」
俺はあの日のことを思い出しながらグラスに残っていたウィスキーをあおった。
ウィスキーを飲み干し、傾けていたグラスを元に戻すとカランと氷とグラスがぶつかり小気味の良い音が部屋に響いた。
「明日は大事な試合だし酒はこのぐらいにしてさっさと寝るか」
監督の話によると明日は、日本代表の監督が俺を見に直々に視察に訪れるらしいので、絶対にヘマをするわけにはいかない。
ソファーから立ち上がりウィスキーボトルとグラスを片付けると、俺は早々に布団に潜り込み夢の世界へ旅立った。
—————————————————————
朝アラームの音で目覚めると、布団からもぞもぞと抜け出し起き上がる。朝の準備運動でもしようと体を動かしたところで、いつも以上に体の調子がいいことが感じられ思わず笑みが溢れた。
「これはハットトリックもあるかもな」
ハットトリックすれば日本代表に招集されるのも夢じゃないな、などと取らぬ狸の皮算用をしながら試合の準備を整えて、自家用車で試合会場に向かう。
もうすぐ試合会場に着きそうなところまできたが会場近くは車が混み合っており、前に進むことができず自分のところで信号が赤になってしまいイライラしてしまう。
「昨日はさっさと寝て、もう少し早く家を出ればよかったぜ」
人差し指でハンドルを叩きながら、過去の自分を呪いたい気持ちになったが、そんなことをしても現実が変わるわけではないので息を吐き気持ちを切り替える。
そうこうしているうちにようやく信号が青になり、車を発進させ交差点に差し掛かったところで、横目にトラックが映ったかと思うとドンッという衝撃音とともに車が横に吹き飛び全身にもの凄い痛みが走った。
朦朧とした意識の中、最後に俺の目に映ったのはぐちゃぐちゃに潰れ血まみれになった自分の体だった。
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気がつくと俺は病院のベッドの上にいた。
病院で目覚めた後のことはあまり覚えていない。
ただハッキリしていることはもう2度とサッカーができないということと、テーブルの上に妻の名前が書かれた離婚用紙が置かれているということだ。
「なんでこうなるんだ。なんで俺だけ何度も何度も未来を奪われなきゃならないんだ! 」
頭がおかしくなりそうで、暴れたいが全身包帯ぐるぐる巻きのミイラ状態で体を動かすこともできず、掠れた声で叫ぶことしか出来なかった。
するとそこにどこからともなくあの男が現れた。
「お困りのようですね」
突然現れた男に驚いたが、それ以上に怒りの感情が大きく気づけば俺は男に対して怒鳴っていた。
「話が違うじゃないか! 夢を叶えてくれるんじゃなかったのか! 」
男は俺の怒声などまるで聞いてないかのように体を左右に揺らしながら部屋を歩き回っていたかと思うと、突然目の前に現れ、体を傾けこちらの顔を覗きこみながら言った。
「これはあなたが望んだ世界ですよ」
至近距離に突然現れたおたふくのお面から、改めて俺はこの得体の知れない男の存在に恐怖し口をぱくぱくとさせることしかできなかった。
男はその様子をしばらく眺め、やれやれと言わんばかりに首を振ると、人差し指を立ててこう言った。
「分かりました。そこまで仰られるのでしたら夢を見る前の状態に戻して差し上げましょう!」
「なッ」
男の突然の申し出に言葉を詰まらせていると、そんなこと知ったっこっちゃないと言わんばかりに男は言葉を重ねる。
「元の世界に戻られますか? 元の世界に戻られるのでしたらあのボタンを押す前に戻れますがどうされますか? 」
そこで俺は現状と夢を見るボタンを押す前の状態を比べる。
もう2度とサッカーができず、妻に捨てられた今と、怪我をしているが1年我慢すればまたサッカーをすることができ、まだ高校生と若かった昔。
答えは火を見るより明らかだった。
「も、戻る! 元の世界に戻してくれ! 」
「分かりました。ではこのボタンを押してください」
そう言うと男はどこからともなくボタンを取り出し俺に渡してきた。
俺はそれを受け取ると、ボタンを押すのに一瞬躊躇したがすぐに頭を振り勢いよくボタンを押した。
するとすぐに視界が歪み始め、意識が遠のいていった。
意識が無くなる瞬間、男が何か言っていたがそれを聞き取ることはできなかった。
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「おーい、そんなとこ走ると危ないぞ」
「大丈夫だよ いたっ 」
「だから危ないって言っただろ、まったく」
そう言いながら派手に転んでしまった息子を立ち上がらせる。
「大丈夫?」
息子の怪我を心配している妻と、楽しそうに笑っている息子の様子を見ていると、現実世界に戻るというあの時の決断はやはり正しかったんだと思えた。
俺は夢から現実に戻った後、不安定なプロの世界でやっていくよりもサッカーは遊びでやるぐらいでいいと考え、高校卒業後は大学に進学しそのまま有名な大手の企業に就職した。
その後、順調に仕事をこなしていく傍ら、職場の同期の女の子と付き合い、3年の交際期間を経て結婚。
夢で結婚した女性よりはお世辞にも綺麗とは言えないが、よく笑う愛嬌のあるとてもいい子だった。
結婚して2年も経つころには、子供も産まれた。息子はすくすくと成長し、来年には小学生になる。
サッカー選手になり活躍するという目に見えるような成功を収めたわけではないが、夢の世界よりも今の方が幸せで充実しているように感じる。それもこれも家族のおかげだ。
そんなふうに感傷に浸っていると、ふと背後に気配を感じ後ろを振り返るとそこにはおかめのお面をした男が佇んでいた。
「お、お前は! 」
「お久しぶりですね」
男はそう言うと、コツコツと足音を鳴らしながらこちらに近づいてくる。
そうして俺の前までやってくると、ずいっとお面を俺の顔に近づけ喋り出した。
「今回は夢の対価として、あなたの幸せをもらいに来ました」
「は、何を言ってるんだ? 」
「以前お話ししたでしょう。夢を買うには本来得られるはずだった、幸せを対価に差し出さなければならないと」
「そんな話は聞いていないし覚えてもいない! 」
「今貴方が何をおっしゃろうが、残念ながら既に契約は結ばれているのです」
男は残念ですと言わんばかりに首を振るう。
そんな男を見て俺は言葉を発せずにいた。自分でも動揺しているのが分かるがそれどころではない。
男の言うことが本当だとしたら、いったい何が奪われるのかと恐ろしくなる。
家族、金、健康、仕事、と次々に候補が浮かんでくるが、そのどれもがこれからの人生に欠かせない重要なものだし、もしその全てが奪われるとなるともう人生が終わったと言っても過言ではない。
そのため、なんとしてでも男の行動を阻止しようと言葉を発そうとするが、それよりも早く男は指を鳴らした。
「今契約は完了されました。またのご契約心よりお待ちしております。ではさようなら」
そう言うと男は深くお辞儀をし暗闇に溶けて消えてしまった。
呆然としているとポケットの携帯がブルブルと震えた。
俺は恐る恐るスマホを取り出すと通話ボタンを押す。
「〇〇さんですか? 落ち着いて聞いてください。先ほど奥さんとお子さんが信号無視の車に跳ねられ——」
そこまで聞いたところで俺は携帯を落とし、奪われた幸せがなんなのかを理解し、地面にうずくまりながら一言呟いた。
「ああ、夢なんて買わなければよかった」
夢売り人 水口 八平 @satoutatou
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