第3話 お姉さまからの手紙

 姉の超子ちょうしが冷泉帝に《れいぜいてい》に入内して、1週間が経ったころ、詮子せんしのもとに超子からの手紙が届いた。まだ文字を練習中の詮子にはむずかしくて読めなかったので、詮子は母の時姫に読んでもらえるようにお願いした。

「お母さま、はやく読んで! ねえ、なんて書いてあるの?」

「はいはい、そんなに急かさないで。」

 母は手紙を受け取ると、居住まいを正して背筋を伸ばし、うやうやしく手紙を開いた。

「じゃあ、読ませていただきますので、詮子もお行儀ぎょうぎよく、きちんとお座りなさい。」

「お姉さまのお手紙を聞くのに、お行儀良くするの?」

「超子さまは帝に入内じゅだいなさって、今は女御にょうごさまなの。もう、私たちとは身分の違うお方なのですよ。女御さまからのお手紙を読ませていただくのですから、きちんと居住まいを正すのは当然のことなのよ。」

「ふぅん」

なんだかヘンなの。お姉さまはお姉さまなのに。

と思ったけれど、とにかくお手紙のなかみを早く知りたかった詮子は、素直に母に従った。

 母は、こほん、と小さくせきばらいをして、そして手紙を読み始めた。


詮子せんし

 息災そくさいにしていますか?

 無事に、入内しました。ここでは、入内した女性ひとりにひとつずつ建物が与えられます。多くの女性たちが女房として私に仕えてくれています。私は、帝の妻の1人であるとともに、この殿舎のあるじでもあるのです。女房や女官たちをしっかりと教育していかなくてはなりません。たいへんなお仕事を抱えたかんじです。

 昨夜は、はじめて帝のもとに呼ばれました。ふつうのお家では、殿方のほうから女性の家に訪ねてくださるのだけれど、宮廷では帝が私たちの殿舎にお越しくださることもあれば、私たち女性が帝の住む清涼殿せいりょうでんに呼び出されることもあります。

 はじめて入った清涼殿は、それはそれは立派な建物で、調度品ちょうどひんもひとつひとつがとても素晴らしいもので、まさに異世界です。威風堂々とした姿の清涼殿は、外から見るだけでも厳粛な雰囲気が漂っていて、近寄りがたい荘厳さです。この建物に入ることが許されたというだけでも、身の引き締まる思いがしました。屋内は、空気が透き通っていて、とても良い匂いがしました。きっと帝にお仕えしている人たちが、帝のために特別な配合はいごうのおこうを炊いているのでしょうね。

 はじめてお目にかかった帝は、神々こうごうしいお姿でした。その美しさたるや、人間から生まれたとは思えない、気品に満ちたお顔立ちでした。わたくしは、一目で恋に落ちてしまいました。こんなに容姿端麗なかたは、絵巻物えまきもののなかにしか存在しないと思ってた。絵巻物から抜け出て来られたのかと思いました。今宵こよい、この方の腕のなかで眠るのだと思うと、恥ずかしさで逃げ出したくなりました。全身がほてって、動けませんでした。結婚が、こんなに幸せなことだったなんて、知らなかった。

 まちがいなく、昨晩のわたくしは、世界でいちばん幸せな女性でした。

 夜が明ける、少し前に、帝のもとを出て自分の殿舎に帰ってきました。うしろを追うように、帝からのおうたが届きました。「後朝きぬぎぬの歌」です。初夜をともにした男性から、翌朝に届くという、あの「後朝の歌」を、わたくしは恐れ多くも帝からいただくことができたのです。しかも、これは届くのが早ければ早いほど、殿方の愛が深いことのあかしだと聞きます。帝は、私が自分の殿舎にたどり着くのを待ちわびたかのような素早さで、お歌を届けてくださいました。もう、わたくしはこのまま今死んでしまっても後悔こうかいしないと思えるくらいに幸せです。このお歌は、だれにも見せずに、わたくしだけの宝物として肌身離はだみはなさず身につけていようと心にちかいました。

 ああ、詮子! 宮廷には、幸せがつまっています。あなたもいつか入内して、この幸せを味わってください。


 読み終わったお母さまと詮子は、顔をみあわせた。超子の幸せ熱に浮かされたのか、2人の顔も上気していた。詮子は、興奮こうふんを隠し切れなかった。

「すごい! すごい! お姉さま。お幸せなのね!!」

「帝は、とても美しいお方なのね!!」

「せいりょうでん って、帝のお住まい? すごく豪華ごうかな建物なのね!!」

「ああ、すてきだわ。うらやましいわ。」

「お姉さま、また里帰さとがえりなさるわよね? ああ、はやくお姉さまにお会いしたいわ。もっともっと、宮廷のお話をきかせていただきたいわ。」

 お母さまは、そんな詮子をニコニコしながら見つめていた。お母さまもまた、嬉しそうだった。


 年の瀬が近づくと、詮子は、里下りしてくる超子をいよいよ心待ちにするようになる。

「ねえ、お姉さまは、いつ帰っていらっしゃるの? 近ごろ、お手紙が途絶とだえがちだから、お会いしたときに、まとめてお話を聞かせていただくの!!」

 正月を前にはしゃぐ詮子に、お母さまは言った。

「年末年始になると、宮廷はきっと目の回るような忙しさなのよ。ゆっくりお手紙を書く余裕もないのではないかしら。身体をこわしていないと良いけれど。心配なことね。」

「せめて、おさとにくだったときくらいは、ゆっくりしていただきたいわ。だから詮子、女御さまがお戻りになっても、節度せつどをもってね。」

「お姉さまは、このお家にお戻りになるの?」

「お姉さまではなく、女御さまよ。女御さまは、東三条ひがしさんじょうのお父さまのお家に里下さとくだりなさるはずよ。」

「えー! このお家に戻ってきてほしいー! お姉さま・・・じゃなかった、女御さまのお里は、このお家よ。お父さまのお家になんて、入内前に少しお住まいになっただけじゃない。」

「それでも、女御さまのご実家は、お父さまの住む東三条邸ということになっているから、あちらに帰らなければならないのよ。わかってちょうだいね、詮子」

 

 正月、八歳になった詮子は、新年のご挨拶に、と、東三条邸に里下りをしていた超子を訪ねた。詮子は、超子の土産話を本当に楽しみにしていた。だから、わくわくしながら女御・超子を訪ねたのだった。

「お姉さま、明けましておめでとうございます!」

 はずんだ声で挨拶をする詮子に、返ってきた超子の声は、どこかしずんでいた。

「詮子、おめでとうございます。どう? お母さまは、お元気? 道長は、少し大きくなったかしら」

 新年のよろこびとは裏腹うらはらな、苦悩くのうを含んだ声であった。

「お姉さま、どうなさったの? 宮廷で、いじめられたの?」

 無邪気むじゃきに自分を心配する詮子に、超子も思わず笑みを浮かべる。

「大丈夫よ。幸せに暮らしているわ。帝も・・・とても・・・ステキなお方だし。」

 あれほど待ちわびた入内じゅだいげたハズだったお姉さま。幸せに満ちた手紙を送ってよこしたお姉さま。はなやかな宮廷生活を送っているハズなのに、今の姉からは、幸せのオーラを感じることができない。「お姉さまは、お幸せではないのかしら? どうして?」不可解ふかかいで仕方なかったが、それを直接問うことさえはばかられるような雰囲気であった。

 そこへ、父の兼家が訪れた。

女御にょうごさま、つつしんで新年のおよろこびを申し上げます。女御さまには、お変わりなく、ご機嫌うるわしゅう。」

「新年おめでとうございます。わざわざご挨拶あいさつにおでくださり、かたじけなく存じます。」

 びっくりした。

 たしかに、入内して女御となった姉に、父が敬語を使わねばならないことは道理どうりだ。いくら父娘とはいえ、もはや皇族と貴族。身分をことにするのだから、父が姉のもとへご挨拶にうかがうのは、当然のことだ。

しかし、ほんの数ヶ月で、この姉の、父に対するよそよそしさは何なのだ? 姉は、自分と違って、こんなに露骨ろこつに父と距離を置く人ではなかった。

いったい、二人の間に何があったというのだろう。

 詮子は、一生懸命考えた。そして、はたと思い至った。もしかして、姉の笑顔をうばったのは、ほかならぬ父なのではないか? 姉の不幸せは、父に原因があるのではないか?

 母を泣かせるだけでなく、大好きな姉をも不幸にしているのかと思うと、詮子はますます父のことがにくらしくなってきた。それで詮子は、父への挨拶もそこそこに、東三条邸ひがしさんじょうていあとにした。

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平安絵巻~この夢咲くや~詮子編 和泉やよい @officemaiko

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