第2話 お姉さまの入内

 自室に戻った私は、お気に入りの物語絵巻を取り出して眺めた。

少し前に超子ちょうしお姉さまがくださった、かぐや姫の物語絵巻だ。

「竹取の物語では、殿方とのがたみんな、かぐや姫だけに永遠の愛を誓っているじゃない! これは、物語の世界だけのおとぎ話だっていうの? ぐすんっ」

と、そこへ、姉の超子ちょうしが訪ねてきた。

詮子せんし、ちょっといい?」

「お姉さま・・・」

 大好きなお姉さま。いつも、楽しいお話を聞かせてくださるお姉さま。きっと、お母さまがさっきのことをお姉さまに話してしまったんだわ。

「あら? それは、竹取の物語の絵巻ね?」

「・・・・・・」

「かぐや姫は、月の都に帰らなければならなかったから、帝の求婚まで断っちゃったのよね。」

 ぷいっと横を向く私に、お姉さまはにこやかに話しかけてくる。私、今、ごきげんななんめなの。わからないのかしら。お姉さま、今日はとってもドンカンさんだわ。

「月の人だから仕方がないのかもしれないけれど、帝の求婚を断るなんて、ありえないわよねー」

 お姉さまがことさらに明るい声で、おどけて話すものだから、ちょっとイジワルしたくなっちゃった。だから、心の中のモヤモヤをお姉さまにぶつけてみた。

「・・・でも、帝って、たくさんの女の人と結婚していらっしゃるのでしょう? 私なら、イヤだわ。私も、かぐや姫みたいに、断るわ。」

 お姉さまがびっくりしたお顔で言い返す。

「なんてことを! 帝の元へ入内じゅだいできるなんて、女性にとってこんなに名誉めいよなことはないのに!」

「どうして名誉なの? 私にはわからない。」

 だだっ子のようにね続ける私に、お姉さまは明るく問いかけた。

「だって、私たち女性にとって、帝の元に入内するということは、この国の皇室の血縁を、きちんと紡いでいく、その一端を預かれるということなのよ。とてもとても名誉だと思わない?」

「それは・・・、たしかに名誉なことだけれど・・・。だからといって、たくさんの女性と帝の愛を奪い合うのはイヤだわ。」

「奪い合うなんて、詮子。ひどい言い方をするのね。奪い合ったりはしないわ。帝は、すべての妻に惜しみない愛を注いでくださるの。帝は神様ですもの。神様の愛を、独り占めしてはいけないわ。」

「神様の・・・妻?」

 詮子は、目からうろこが落ちる思いだった。そんなこと、考えたこともなかった!!

 興奮に顔を赤らめる詮子を見て、超子が追い打ちをかける一言を放った。

「実はね、私、もうすぐ、帝の元に入内することになったの!」

 うそ! うそ! うそ! ほんと?!

「超子お姉さまが、入内?」

「そうよ! 私、帝のきさきになるの!」

 喜びを隠しきれないといった様子のお姉さま。

「入内して、もし、私が帝の皇子様みこさまを産んで、その皇子様がもしも、もしも帝位におきになることがあったら・・・」

 お姉さまの熱が私にも伝わってくる。私も、興奮で顔がホテホテしてきた。

「お姉さまは、帝の母上になるのね?」

「そう。私は、国母こくもと呼ばれるようになるわ。」

「お姉さまが、国母!」

 お姉さまはその響きに酔うように笑って、でも言葉では自制してみせた。

「まだ気が早いわ。まだ入内もしていないし、皇子様もお生み申し上げていないのだから」

 つられて私も、秘密を話すような小声になってしまった。

「そうね。喜ぶには、まだ早かったわ。」

 見つめ合って、クスッと笑い合う。

「でも、お姉さま、入内じゅだい、おめでとうございます!」

 やっと、詮子せんしの顔に心からの笑顔が戻った。その顔を確認して、超子ちょうしは静かに決意を語った。

「入内するからには、きっときっと帝のご寵愛ちょうあいたまわって、皇子様みこさまを産んでみせるわ!」

 前を見据えて、穏やかだけれど力強く決意を述べるお姉さまの横顔は、とってもカッコ良くて美しかった。

 私は心からの祝辞を述べた。

「ええ。お姉さま!! お姉さまなら、きっときっとお出来できになるわ。」

「ありがとう、詮子。」

 にっこりと笑い、そして、詮子に釘を刺した。

「お母様に、あとできちんと謝っておきなさいよ。」

「・・・はい」

「それから、これ。道隆みちたかお兄さまにいただいた大切なおうぎなんでしょう? 粗末そまつに扱うものではありませんよ」

 差し出された扇を、ばつの悪い思いで受け取り、言った。

「ごめんなさい。・・・ありがとう。」



 超子ちょうしが自室に戻った後、詮子せんしは扇を見つめながら、考えた。

お姉さまは、入内じゅだいをこの上ない幸せだと言う。そうなのかな? そう言われると、そんな気もする。一族の存続と子孫の繁栄。その大切さは何となく理解できる。でも、だからと言って、浮気者のお父さまを、やっぱり許す気持ちにはなれないな。

 数日に一度、短い時間顔を合わすだけの父に、詮子は今一つ親近感を持てないでいた。そんな詮子にとって、今日の話はあまりにも衝撃的しょうげきてきすぎた。

このとき芽生えた父への嫌悪感けんおかん生涯しょうがい消えることなく、詮子を苦しめ続けることとなるのだけれど、それはまた、追々おいおい


 ともかく、数日後、超子ちょうし入内じゅだい準備のために、父・兼家かねいえの実家である東三条邸ひがしさんじょうていに移住した。

当時の貴族は、かよこんが普通であり、男性は自分の実家に住み続けて、夜だけ女性の家に通った。男女の間に生まれた子どもは、女性(母方)の実家で育てる。超子ちょうし詮子せんしも、母・時姫ときひめの実家で生まれ育ち、生活していたのだが、入内を控え、「実家」を東三条邸とするために、超子は兼家邸に移らされたのだ。

 それからの数ヶ月、兼家の東三条邸では、超子の入内準備に家中が沸き返っていた。慌ただしさと華やかさと喜びの中で、瞬く間に日数が過ぎていった。

 一方、時姫は、娘の入内を喜びながらも、その準備にたずさわれないでいることをどこかさびしく感じていた。感受性かんじゅせいの強い詮子は、母をそんな気持ちにさせる父のことをにくらしく思うのだった。


 時折、お姉さまから母のもとに届く手紙には、入内の喜びと待ち遠しさにあふれていた。それを読んで聞かせながら、お母さまが私に言う。

「ほら、あなたのお姉さまはお幸せそうねぇ。きっと、お父様のご実家が、よくして下さっているのだわ。お父様は、九条くじょう藤原家ふじわらけ系統けいとうとはいえ、まだまだご身分は高くないのに、娘を入内じゅだいさせることができるのだから、さぞかし朝廷内ちょうていないでも期待をされた存在でいらっしゃるのね。お父様のおかげで、超子ちょうしは女性としての最高の幸せを手に入れることができるのだから、お父様に感謝しないといけないわね。ステキなお父様をもって、超子もあなたも、本当に幸せものねぇ」

 お姉さまの入内はうれしいけれど、ちょっとのけ者扱いされたみたいな気分もあって、お母さまが気の毒だった。お姉さまの結婚が、お姉さまのもとへ通ってくる男性を婿むことして迎える「通常の結婚」だったならば、結婚の準備はこの家で行われた。お母さまは、その準備の中心人物になれた。そしたらきっと、この家がいっそう華やかになって、お母さまももっと喜べたかもしれないな、と詮子は思った。帝との結婚だから、お父さまは自分の実家で取りはからいたかったのだわ。帝への入内じゅだいは、この家ではなく「東三条家ひがしさんじょうけ」から、させたかったのよね。だから、お父さまは、お姉さまを入内前にわざわざお引越しさせた。それって、誰のための結婚なの? ほんとうに、お姉さまの幸せのための結婚なの? なんだか、お父さまの出世や名誉のための結婚みたい。

そんな考えが、ぐるぐるぐるぐるアタマの中にうず巻いて、複雑ふくざつな気持ちになった。入内をこばんだかぐや姫の気持ちが、ちょっとだけわかるような気がした。


 その頃、東三条邸では幸せいっぱいの超子が父・兼家と対面していた。

 実の父娘といえども、成人した女性は、殿方とのがたに顔を見せることはない。この時も、御簾みすへだてての対面であった。

 入内じゅだい準備の進捗しんちょく状況をたずねる兼家に、超子は待ちきれないといった様子で、尋ね返した。

「ところでお父様、帝とは、どのようなお方なのですか?」

 とたんに、兼家の表情がくもった。周囲にひかえた女房にょうぼうたちは、敏感びんかんにその表情の変化を感じとったが、父と疎遠そえんに過ごしてきた超子はその雰囲気をさとることもできなかった。御簾みすに助けられた兼家は、すぐに取りつくろった声で告げた。

「もちろん、すばらしいお方ぞ。容姿ようし聡明そうめいさも、帝の御父上おちちうえであらせられる村上帝むらかみていにそれはそれはよく似ておいでだ。人柄ひとがらもすこぶるすぐれていらっしゃる。帝に入内できるなど、そなたは本当にめぐまれておる。」

「まあ! あの、村上帝に?」 

 御簾みすごしに高らかに話す父の声を聞き、超子は天にも昇る気持ちで未来の自分を夢見ていた。あの村上帝に! 見た目も美しく、聡明で賢君けんくんと臣下たちから尊敬されていらっしゃった村上帝。おきさきさまを心から愛し、お二人が寄り添うお姿は、まるで鳥の両翼のようだと言われていた村上帝。その村上帝によく似たお方に入内できるなんて!!

 昂揚こうようした超子ちょうしの様子に、ホッと小さく安堵あんどのため息をらす父・兼家。

 御簾みすへだてられた両側の、あまりの温度差に、女房たちはただただ哀れむしかなかった。

 

 数日後、超子は冷泉帝れいぜいてい入内じゅだいし、女御にょうごとなった。冷泉帝は十九歳、超子は十五歳であった。

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