星座になろうと君は笑った。

甲池 幸

第1話 星座になろう

「一緒に星座になろうよ」


そんなメッセージが彼女から届いたのは。時計の針が十二を少し過ぎた頃だった。綺麗な満月が空の真ん中から西に少し傾き始めている。たまたま眠れずに起きていた僕は、彼女のメッセージにすぐに既読をつけた。


「学校の屋上に今すぐ集合!」


こちらの都合なんて全く無視した言葉に、相変わらずだなぁと小さく苦笑を漏らす。彼女が変わり者、と言われることが多いのはきっとこういうところなんだろう。僕は返信せずに、携帯の画面の電源を落とす。隣の部屋で寝ている両親を起こさないように、そっとベットから抜け出すと制服に身を包んだ。


着替えてしまってから、深夜の学校に潜り込む時は制服じゃなくてもいいんじゃないか、と気がついたけれどもう一度着替えるのも面倒で、そのまま家を出る。自転車にまたがって、田んぼの間を抜けると追い立てるようなカエルの声が頭に響いた。その声に蝉の声も重なる。夏特有の、少しうるさいくらいに音で溢れた感じが、僕はかなり好きだった。


人のいない交差点。一人で動く信号機は赤色の点滅に変わっている。一旦停止してから、交差点を渡り、そこで一度空を見上げた。満月が、不気味なほど大きく見える。このままみつめていたら、月に吸い込まれてしまうんじゃないかと、そんな馬鹿なことが頭をよぎった。


ブ、ブ、と急かすように携帯が音を立てる。僕は空を見上げていた視線を前に戻して橋に向かって自転車をこぎ始めた。


坂道を登り始めると、すぐに全身から汗が噴き出してくる。体を撫でる風が心地いい。いつもなら、車通りの多い橋を独り占めしているような気分に浸りながら、僕は坂道の頂点を目指した。


もうこれ以上ない、というくらい汗をかききって、ようやく橋の頂上にたどり着く。僕はペダルから足を離すと、一気に坂道を下る。びゅうびゅうと吹き去っていく風が、上がった体温を少し下げた。橋を下りきったら、もう学校は目と鼻の先だ。静まり返った少し不気味な住宅街を抜け、交差点を一つ渡ると、これまた不気味な雰囲気を醸し出す学校が見えてきた。一台も自転車が停まっていない駐輪場に愛車をとめてポケットから携帯を取り出す。


「着いたよ」


すぐに既読がついて、返信が来る。


「そのまま屋上を目指したまえ」


芝居掛かった口調がおかしくて、喉の奥で笑う。きっと送った本人も今頃笑っている。確信めいた希望のような予想を頭に浮かべながら、僕は外階段に向かった。


避難用に作られた外階段は、三階までセコムに引っかからずに行くことができる。きっと彼女も同じ道を通ったんだろう。三回のガラス張りのドアは鍵のところが割られて、開ききっていた。


これは、説教じゃ済まさそうだな。


変わり者というか、自分のしたいことに真っ直ぐな彼女を思い浮かべて苦笑を漏らす。一緒に怒られればいいか、と思いながら靴を手に持って中に入った。


誰もいない教室の床には少し埃がたまっている。夏休み中の学校に忍び込んでいるというワクワクと緊張が、僕の胸を満たしていた。興奮、という言葉が一番しっくり来るかもしれない。


彼女が入った時に警報が鳴ったのか、セコムの音は聞こえない。僕はそのことに内心安堵しながら、屋上へと急ぐ。彼女が何をしたいのかはまだわかっていなけれど、もし警備の人が駆けつけてきてしまったら大変なことになる。彼女は言い訳なんてしないだろうし、むしろ何が悪いんだ、と言うだろうから。


階段を一段飛ばして上がる。屋上の扉が見えてきて、この先に彼女が居るんだと思うと僕の胸は勝手に高鳴った。


ガチャリ、とかなり大きい音を立てながら扉が開く。


「早かったね」


「急いだからね」


「それはありがとう」


ふふっと彼女が笑う。朝顔のように儚げで、桜のように華やかなその笑顔に一瞬、見惚れる。彼女は彼女以外の人には決して真似できない、朝露が地面に落ちる時のような神聖な声で、囁く。


「一緒に星座になろうよ」


メッセージの文をなぞるように、口にした彼女はどこか悲しげに笑った。哀愁漂うその表情を見て、僕は悟った。


ああ、彼女は死のうとしているのだ。


そして、後に残された僕が嘆くことがないように、一緒に死のう、と言っているのだ。


彼女の言葉は残酷なほど優しくて、詩のように暖かな、心中のお誘いだった。僕はためらう事なく、頷く。ためらってはいけない、と本能が告げていた。


「ふふっ、もっとためらうかと思った」


「君がいない世界を生きていく自信がないだけだよ」


僕は彼女という存在に生かされている。依存しているとか、そんな言葉では到底言い表せないほど、深く彼女の存在は僕の心に根付いていた。


「優しいね」


「そんな事ないよ」


それから僕らはいろんな話をした。


好きな本の話、先生の悪口、優しさの定義、正義のあり方……。普通の高校生が当たり前にするような話から、小学生でもしないような馬鹿な話も、大人だって考えないような難しい哲学についてまでも。心地いい時間が、流れる。


どちらからともなく、口をつぐみ、空を見上げた。二台の車が到着したのが、視界の端に映った。


ああ、きっと、これで終わってしまう。


絶望のような暗い感情が、胸の中に広がる。


でも、ここから始まるのだ、とも思った。


それは戦地で芽吹いた一つの命のように、確かな暖かさを持っていた。


「そろそろ、だね」


「そう、だね」


フェンスに手をかけて、君はそれをよじ登り始める。僕も同じようにフェンスに手をかけた。君は何も言わずにフェンスの上に座る。僕はその隣に腰掛けて、何も言えずに君の合図を待った。小さな嗚咽が、耳に届いて、どうしようもなく胸が痛んだ。


「巻き込んで、ごめんね」


「僕が勝手に巻き込まれたんだから、いいよ」


座りにくい体制を維持するのは意外と、大変で。この世に縋りつけるものがこれしか無いんんだと、思い知ったら少し怖くなった。けれど、君とこのまま星になれるならそんなに幸せなことはないだろう、と思い直す。


「星座になろう、一緒に」


愛を囁くように、優しく。

笑い合うように、柔らかく。

朝顔のように、儚く。

桜のように、華やかに。


僕は、彼女に告げる。彼女はあの優しい笑顔で笑って、それからカウントダウンを始めた。


「さん、にい」


「いち」


僕が言葉を引き継いで、二人同時に手を離す。


空に登ることはなく、僕らの体は地面に向かって真っ逆さまに落ちていく。見上げた月が、太陽みたいに輝いていて。僕はその光に照らされた君をただ、愛おしいと思った。




──────目覚めた僕を待っていたのは、君のいない世界だった。

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