食事

時雨薫

食事

 針生は美しく食事する。呼吸する会食恐怖症製造機だ。お洒落なお店へ一緒に食べに行きたい相手ではない。むしろ、控えめな咀嚼音に耳を澄ませていたい、フォークを使う手元を眺めていたい、そう思わせる人。観賞用とする限りではその人といるときの緊張感、胃の痛みも、心地よい刺激の一つだ。

 針生は食事を哲学する人だ。魯山人のような美学ではなく、もっと包括的なこと。調理学や栄養学を援用しもするが、それに縛られない。だから、科学的であろうとするものではない。呪術の実践とでもいおうか。身体的な思考なのだ。針生は自身にいくつもの禁忌を課していた。例えば、ナマモノを食べない。

「物質の化学的変化は身体の内外で等しく行われるべきだ。何故というに、食事は内界と外界との連絡、身体を世界と中和させ、留めておくための行為だから。どちらか一方が優位になるようなことは避けなきゃいけない」

 針生の哲学は禁欲的だ。語らない領域もある。針生その人の言葉を借りれば、「語りえないことに自覚的」針生は他者の食事について規範的にならない。他者は自分ではないから。

「レタスとあなたとを、私は区別できない。私があなたの空腹感も満腹感も感じられないという点で、あなたはレタスと同じだから。世界は3つの元素で構成されてる。食材と、食材以外と、私。もっとも私を食材に分類できないわけではないけど」

 そういうわけだから、私は針生のホームパーティーに招待されて、身体の危険を感じないわけではない。食人する針生は想像に難くないし、その妄想はあまりに美しいので質が悪い。しかしむごい殺し方はしないだろうと思って、私は針生の部屋へ向かう。食材にストレスを与えるようなヘマはするまい。それに針生は誠実で嘘をつかない。パーティーというからにはパーティーであるに違いないのだ。インターフォンから針生の声。

「あがって。13階」

 エレベーターが程なく来る。ベルの音で私はホールの静けさに気づく。


 ガラス張りの壁の前に佇む人。

「齋藤さん。絵描き」

 針生が簡潔に紹介する。肉の匂いが食欲を誘う。私は芯が柔らかくなってしまって立っていられなくなり、ソファに躰を深く沈める。

「少し待っていてね」

 針生は島型キッチンの向こうで調理する。

「斎藤さんはね、夜を描くんだ」

 針生が目配せする先に絵が掛かっている。一面黒い画面。建物の輪郭がぼんやりと見える。

「今日はね、初体験をしに来てくれた」

 それを聞いて斎藤さんが顔を赤らめる。私は針生をまじまじと見る。

「初めて肉を食べるんです。菜食主義の家庭で育ったので」

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食事 時雨薫 @akaiyume2

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