十代の答え合わせ

時雨薫

十代の答え合わせ

 カレンとは昔から反りが合わなかった。小学校にいる時分、用水路に落ちた子猫を助けようとしたことがある。降りられても登れそうにないない高さだったから、私はカレンに後で引っ張り上げてくれるよう頼んで降りた。私が子猫を抱えて呼んでもカレンは手を差し伸べなかった。私は仕方なく両側が低くなるところまで用水路を濡れて歩いた。カレンは友達が来て一緒に帰ってしまったのだと後で知った。そのとき私は入学以来初めての風邪を引いて寝込んでいるところだった。呆れる他なかった。

 中学の頃、カレンは私の目の前で自分の手首にカッターナイフを押し当てた。その光景はもちろん私を動揺させた。彼女は翌日何食わぬ顔で学校へ来た。私には理解できない事情があるのかもしれなかったが、それでも自ずと怒らないわけにはいかなかった。私はカレンを問い詰めた。なぜ自傷に及んだのか。なぜ私の前だったのか。私が受けた衝撃の大きさを考えれば、私にはそれを尋ねる権利があるはずだった。カレンは答えた。

「昨日の私のことを、今日の私が知るはずない」

 同じ高校へ進んだ。カレンの奇行はいよいよ激しくなった。髪色が頻繁に変わった。ピアスが増えていった。無断欠席をした。カレンは結局卒業しなかった。私は禁欲的に努力して有名な国立大に受かった。それ以降カレンとの交流は無かった。

 就活はまるでうまくいかなかった。隠してきた能力の不足が明らかになるような気がした。意気消沈する私を見かねて母が小遣いをくれた。いくらか生産的なことに使おうと思って美容室へ行くことにした。カレンがいた。美容師だった。容姿はまた変わっていて、私の知るどのカレンとも一致しなかったけれど、ともかく、わかった。私は名乗った。カレンは私のことを覚えていた。意外だった。カレンに刃物を握らせることは恐ろしかった。眼のように割れた傷口を思い出した。軽快なハサミの音を聞きながら、私は十代の答え合わせをしようという気になっていた。

「カレンはさ、自分の中に他の自分がいるように感じたこと、ある?」

 カレンのカメレオン的な生態と異常な記憶の欠落を説明できる、唯一の仮説だった。

「無いよ」

 カレンはあっさりと答えた。本当だと信じるに足るほどの自然な言い方だった。再会を一方的に喜んでおきながら雑誌を眺めるのは気まずい気がしたから、私は仮説の背景を説明しはじめた。カレンが私にとって大きな謎だったということ、多重人格だとすればピースが上手く組み合わさること。

「それって自分がたくさんいるってことでしょう。生きづらそう」

「うん。一貫した自分を持てないということはつらいだろうね」

「そうじゃない」

 地雷を踏み抜いてしまったかもしれない。私はぞっとした。

「みんなどうして一貫性に執着するんだろうね。それこそ必要ないものじゃない。一つの私を一貫させるのだって容易でないのに、それぞれ独立して一貫したものを複数抱え込むだなんて、気がしれない」

「カレンは一貫した私を捨ててしまったの?」

「それも違う。捨てたんじゃなくて、持たなかっただけ。持つ必要がわからなかった」

 笑ってしまう。そのお陰で私はどれほど振り回されたことか。それに私だって望んで一貫性を手に入れたわけじゃない。ただいつの間にかそうなってしまったのだ。カレンが無秩序で自由な子供の魂を持ち続けていることは、一つの才能なのだ。そしてカレン自身はそのことに全く無自覚だ。

「己というのは、意識されてしまった瞬きや、呼吸みたいなもの」

 髪の仕上がりは悪くなかった。

「カットの間、同じ気分を保っておくことが楽じゃないんだよね」

 その通りだろう。よく均整がとれている。カレンはきっと無心で切ったのだ。美容師の個性が少しも見出されない。分散と集中、カレンの存在の仕方はこの2つの他に無い。頭が物理的に軽くなった。気分も軽くなった。もう同じ美容室に来ようとは思わなかった。私との会話の間に浮かび上がったカレンは、ほどけて、また彼女の意識の海に沈んでいくだろうから。私は旧友との再会を、しなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

十代の答え合わせ 時雨薫 @akaiyume2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る