2015・8・10(月)

 平和公園で行列が解散して、遅めの食事を取ってからホテルに戻ると、疲れがどっと出て、わたしたちはシャワーを浴びるのもそこそこに、眠ってしまった。いろいろなことがありすぎて、夢も見ないほど深く、それこそ泥のように、眠ってしまったのだった。

 だから、

 真夜中に目が覚めたとき、

 自分が一瞬どこにいるのかわからなかった。となりではパジャマ姿の蕾花さんが、すうすうと気持ちよさそうに、寝息を立てている。

 時計を見ると夜中の三時であった。

 今日は午前中に市内の観光をして、午後にはまた飛行機で、帰る予定であった。だからなぜそんなことをしたのか、しているのか、わたし自身、わからなかった。

 わたしは服を着替え、ホテルを出て、深夜のタクシーをひろった。行き先を告げると、初老のタクシーの運転手はびっくりした顔で振り返り、わたしの顔をまじまじと、見た。凝視した、と言ったほうが、いいかもしれない。もしかしたら幽霊に、間違えられたり、したのかもしれない。

 真っ暗な夜の街を、それでもタクシーは進んでいく。ときどき無線の音はするけれど、運転手はじっと黙ったまま、口を開こうとはしなかった。

 わたしは窓のそとに顔を向けたまま、暗く沈んだ街並みを見ていた。

 昼間も訪れた墓地に着いたときにはもうすでに、時刻は三時半をおおきく過ぎていた。空は曇っていて、星も月も見えず、わずかに雨の匂いがした。

 わたしは足元を照らしていたスマートフォンのライトを消し、真っ暗闇の中、一花の眠るお墓の前で、立ち止まった。昼間たむけた百合の花がまだ、しっとりとした夜の中で、きれいにひらいていた。

「出ておいで」

 わたしはささやいた。とてもちいさな声だったのに、辺りに響いて、自分で驚いてしまった。昨日の公園では夜も聞こえていたのに、夜が深いからだろうか、今はなぜか、蝉の声がしなかった。

「おねがい、出てきて」

 不意に、

 服のすそを引かれた。

 慌てて振り返る。

 でも、

 そこには誰も、いなかった。

 ただただ無数に、墓石が並んでいる、だけであった。

 わたしは思い切り息を吸った。

 そして、血を吐くみたいに、何度も、何度も、心の底から叫んだ。なにを叫んでいるのか、なぜ叫んでいるのか。自分にだって、わからない。わからないけれど、叫ばずには、いられないのだった。

 ……声も出なくなって、辺りを見回す。

 肩で息をしながら、嗚咽をこらえながら、わたしは真っ暗な夜を、見回した。

 やっぱり、あの子はいない。いないのだから、声をかけてはくれない。返事もしてくれない。でもいい。それでもいいと、わたしは思った。泣きながら、そう思ったのだった。

 さやさやと風が吹いて、わたしの髪をゆらした。濡れた頬を撫で、墓地の奥へと消えていった。

 それが、まるであの子からのいらえであったように、思うのだ。

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バイバイ、クドリャフカ。 月庭一花 @alice02AA

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