天井
俺は北関東に属する群馬県のI市に住んでいる。夏の天気予報などでは、気温の高かった場所という所で、目にする機会が多い場所だ。
昨年なくなった祖母から、昔に聞いたことがある。
祖母の従姉妹が盲腸で亡くなった。
それは、俺の生まれるずっと昔の話だった。その当時、学校の先生と医者は神様のように敬われていたそうだ。関東といっても、この辺りはだいぶ田舎だ。テレビも何もない時代だ。田舎になればなるほど、その傾向は強いのかも知れない。
まだ幼かった祖母は、医師の手術衣が真っ赤に染まっていたのを鮮明に覚えていたそうだ。町医者だったのだろう、医師の背後に見えた手術室は血の海だったそうだ。
「そうですか、ありがとうございました」
従姉妹の両親は、そう言って深々と医師に頭を下げたと言っていた。
人が死んだ。盲腸で。今の日本では、およそ考えられない出来事。明らかに医療ミスだったのだろう、恐らく、その場にいた誰もがそう思った。だけど、誰も医師に文句を言う人はいなかったらしい。頭を下げ、遺体を引き取り、葬儀を行ったそうだ。
「昔は、手術で人が死ぬのはざらだったんだよ」
祖母はいった。医療従事者ではない祖母がそう言うのだ。そういう時代だったのだろう。
俺には同居人がいる。
同居人は看護師をしているが、幽霊を見た、という話を聞いたことがない。だが、俺が怪談話が好きなのを知っているため、夜勤の時などは、先輩の看護師などから体験談などを聞いてきてくれる。
当の本人は怪談話が大の苦手で、テレビの心霊特集などを見ようものなら、一人でトイレへ行けなくなるほどの怖がりだ。俺からしてみれば、心霊番組よりも、夜の病院の方が遙かに怖い場所だと思うが、慣れているせいか、夜の病院は一人で見回りをしても、怖くないらしい。
そんな同居人が、夜勤の時に先輩から聞いた話を紹介しようと思う。
その人の事を、Oさんと呼ぶことにする。
これは、今から三〇年以上も前の話、Oさんが新人時代の話だ。
I市にはいくつか総合病院があるが、この病院は市内で一番の設備が整った病院だった。
その病院に勤めていたOさんは、新人の看護師として働いていた。
外科に勤務していたOさんは、患者さんからあるクレームを受けて困っていた。その内容は、『この部屋から出してくれ』、という物だったそうだ。
その部屋は個室だったそうだ。
術後の経過を見る部屋で、そこで数日過ごし経過が良好なら、一般病棟へ移される仕組みだったそうだ。
「また?」
先輩看護師に相談すると、決まって嫌な顔をされる。市内で一番大きいこの病院は、いつも満床だったからだ。
「どうせ、80X号室でしょう?」
先輩は笑いながら言った。
「はい」
Oさんも別段驚きはしなかった。この病棟に配属になってから、そのような話は幾度となく聞いていたからだ。
結論から言って、空いてる部屋はないので移動は出来ない。そして、その部屋にはそれほど長く居ないので、あれこれ対応しているうちに、その患者は大部屋へ移っていくのが常だった。
「患者さん、譫(せん)妄(もう)しているのね」
「譫妄ですか?」
「術後の麻酔の影響よ。気にしてたら仕事にならないわよ」
先輩はそういう。Oさんもその話で自分を納得させようとしたが、一つだけ気になることがあった。
どの患者さんも『天井が怖い』と言っているのだ。
天井が怖い?
Oさんは不思議に思っていた。患者さんが見つめる天井を見ても、もちろん、白い天井があるだけで何も見えないのだ。照明が落ちてくる気配もない。
気になりながらも、毎日入れ替わりで患者が入ってくる。
Oさんは業務に忙殺され、その話を忘れようとしていた。
少しばかり時が立った頃、重症患者が運ばれてきた。無事に手術を終えたが、容態は芳しくなかった。
早朝。ナースコールが鳴らされた。80X号室からだった。
嫌な予感がした。
Oさんは先輩看護師と一緒に80X号室へ走った。
患者さんは苦しがっていた。
カッと目を見開いている。
顔色は青白く、意識レベルも低いようだ。
「すぐに先生を!」
Oさんは走った。医師を呼んで病室へ戻る。
医師はすぐに患者診察に取りかかる。
Oさんは医師と先輩の指示の元、様々な計器や医薬品を準備した。
その時、患者さんが言った。
「天井――! 天井――!」
小さく掠れた声。しかし、切羽詰まった声。
医師、先輩、そしてOさんは天井を見たそうだ。
あっ――――――!
天井に『人』が張り付いていた。
苦悶の表情を浮かべたその『人』は、両手を広げ、こちら側を見下ろすように天井に張り付いていたのだ。
「うわぁぁぁぁ!」
医師が叫んだ。
先輩も悲鳴を上げた。
Oさんは、怖くて悲鳴も上げられなかった。
「それで?」
俺は同居人に聞いた。
「それだけ、すぐに消えたって言ってた。あの部屋には、本当に出たんだって。昔、もの凄く下手な医者がいたみたいで、手術をする度に人が死んだみたい」
「マジで?」
「マジマジ。今はもういないんだけどね」
「今はどうなの?」
二〇年ほど前、その病院は老朽化の為取り壊され、今は老健になっている。老健の後ろに新しい病院が建っており、同居人とその先輩も新しい病院で働いている。
「それがあってからか分からないけど、年に一度くらい、神主さんに来て貰ってお祓いしてもらったみたいだよ」
「へぇ~……。老健になってからは?」
「最近は、そういう話は聞かない」
「場所、というか、その部屋に付いていたのかな?」
「あの天井を見て、死んでいった人が沢山いたのかもね」
「ふ~ん……」
ゾッとした話だ。
人の生き死にが日常で起こる場所には、やはりそういう物があるのだろう。
これは、同居人の先輩、Oさんに聞いた話。
天生の怪談噺 天生 諷 @amou_fuu
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