第2話
キイィ、と金属同士が擦れる時特有の嫌な音が響き、軋むような声を上げながら列車はゆっくりと減速し始める。間も無くして止まるだろう列車の中で、シノアは信じられないとばかりの顔をして、隣にいる銀髪の男の顔を見つめていた。とはいえその表情は、少し眉根を寄せて目を細めている、その程度の些細な変化しか無い。
シノアは元々そういう人物だ。感情が表に出にくい、分かりにくい、故に無愛想だと見られがち。けれどそれは本当は、的確とは言い難い。なぜなら、よく見ていればすぐに分かる話だが、彼の表情はよく変わるのだ。内面の変化に伴い、ころころと。ただその変化が人より乏しいだけ。無愛想は、本人ですら肯定するだろうが。
「……それはどういう、」
見ているだけではユーグから補足を貰えなかったシノアが問い掛けを口にしようとした時、一際大きく列車が軋んだ音を出す。同時に列車が進んでいたのと同じ方向にぐうっと力がかかり、思わず倒れそうになったシノアに寄り掛かられる形でユーグが呻いた。
やがて列車が完全に止まり慣性の力が無くなるまでシノアは体勢を戻す事ができず、その間シノアに寄り掛かられていたユーグは、シノアと逆側の座席の上に手をついて体重を支えている事になった。自身だけでなく隣の男の分まで支えるぐらいなら、いっそ倒れた方が楽だっただろう。
「……お前なぁ」
「悪い。……いや、でもお前さっきまで」
傾いていた姿勢を元に戻してから、呆れたと言わんばかりの溜め息と共に責めるような口調で吐き出したユーグ。それに短く謝罪の言葉を紡いでから、先程まで肩に寄り掛かるようにして眠っていたのは誰だと反論を繰り出そうとしたシノアの切っ先を制すように、肩を落として乾いた笑みを浮かべた。
「自分よりデカい男に寄り掛かられるのは訳が違うだろ」
二人を並べると実際、シノアの方が背が高い。だがそれは数センチ程度の差でしかなく、つまりユーグの弁は言い訳に他ならない。それに言及されるより先に立ち上がり、座席の上に備え付けられた網棚に放り投げられていた鞄を手に取って、列車が止まった際に開けられたドアの方へ歩き出す。
途中でくるりと身を反転させ、未だに物言いたげな顔をして席から動かないシノアを見遣る。その視線に急かされるようにして立ち上がったシノアは、ユーグに倣うように網棚の上から自分の鞄を取り、ついでにフードを被り直して、発車時刻を迎えた列車がドアを閉めないうちに外に足を踏み出した。
**
列車に乗るために必要なのは運賃ぐらいだ。ただしそれは国内から国内への移動の時の話であり、国外へ出る際には出国証明書と呼ばれる物を受けとる必要があるし、別の国に入る際にはそれを掲示しなければならない。出国証明書を貰うためにはパスポートと呼ばれる、その人物の名前や性別、出身、その他にも様々な情報の記載された証を見せなければならない事が多い。列車で各地を回る人間は、往々にしてパスポートを持ち合わせている。
それさえ済ませれば大抵の国には入る事ができる、自分の足で歩いて移動する必要の無い列車での旅はかなり人気があった。ただし席に座って寝てしまった者の財布を盗む輩も居るし、レールに魔物が侵入したりというトラブルがあれば止まってしまう。賊に襲われる可能性のある馬車旅などに比べれば楽なものの、それでも全く危険や面倒事が無い訳では無いのだ。
閑話休題。
「……!」
少しだけやる事があるから先に行っていてくれと、入国に必要な手続きを済ませたユーグはシノアを先に駅から出させた。少しだけなら待っていると主張したシノアはしかし、いいからという一点張りのユーグに結局押し切られてしまった。
渋々駅から外へ、踏み出して目の前に広がる景色を視界に納めたシノアは僅かに眉を上げ、目を見開いて息を呑んだ。
夕暮れを過ぎて夜になりつつある、西側だけに残った橙色と、ささやかな星の光が見えつつある深い藍色の空。薄暗い中を街灯や家の窓から漏れる灯りが仄かに照らしている。駅から伸びる道は広く、レンガ敷きの道の両側には行儀よく建物が並んでいる。道の向こうにある、遠目にも一際大きいとわかる建物が王宮だろう。日が暮れたせいか人通りは少しまばらなものの、整った王都の景観は絵画のようだった。
「景色はお気に召したか?」
いつの間にか隣に居たユーグが腰を屈めて顔を覗き込みながらからかうような声音で問うのに、シノアは小さく顎を引いて首肯した。
元々あまり外の世界の知識を与えられずに育てられてきたシノアは、あからさまに治安の悪そうな場所で無ければ大体どこの国に訪れても同じような反応をする。表情が薄いだけで、様々な旅人の間で有名な景色の良い場所へ連れて行けばもう少しわかりやすく感動を顔に出す。
「あらぁ、旅の方? 珍しいわねぇ、最近めっきり来なくなったと思っていたのにねぇ」
駅の出入り口で立ち止まっている二人を目敏く見付けたらしい女性が、些か大きすぎる声で感嘆を述べた。簡素な衣服に身を包んだ、シノア達の母親と同じぐらいの年齢だろうか、そのぐらいに見える小太りの女性。声音と同様に快活そうな笑みを浮かべて大股に歩み寄って来る。
「旅の方でしょう、いらっしゃい王都テュオンに。今晩の宿は決まってるのかしら、紹介しましょうか?」
世話焼きな人物なのだろう。矢継ぎ早にそう言うや否や、今度はシノアの姿をよくよく見て「あら、まぁまぁ!」と驚愕を滲ませた声で手を叩いた。
「エルフのお方かしらかね、綺麗な金色の髪だこと! 年齢はおいくつなのかしら、旅の方は私もよく見ましたけどね、エルフのお方はそれほど見なかったのよ、やっぱり森や川とか自然の多い所の方がいいのでしょうね?」
畳み掛けるような語り口にシノアはまともな反応を返せず戸惑うばかりになっていた。あの、だの、その、だの、それ以上の意味を持たない言葉を吐いても女性は気にも留めない。
「けれどもこの街も花や木は植えられているし空気もおいしいでしょう、お肉の方がよく食べられているけれど、お魚も頼めば快く出してくれるお料理屋さんばかりだし──」
「ちょっと、すみません、そっちは人見知りなもので」
よく回る口で思うままをぺらぺらと話す女性の話に割って入る事で助け船を出したユーグは、自身を見た女性がまた口を開くよりも先に言葉を継ぐ。
「お気遣いありがとうございます。是非宿を紹介していただけますか」
ユーグが愛想良く浮かべた笑みを見下ろしていたシノアは、何とも言えない微妙な顔をしていた。
「……詐欺師みたいだな」
「うるさい」
(仮題)世界旅記 アイセア @seami
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