(仮題)世界旅記

アイセア

第1話

 黒い煙をもくもくと吐き出し、それはまるで酷く低い所に黒雲を作り出しているかのような様相で、鉄の塊が地上を突き進んでいた。がたんがたんと殆ど一定のペースで揺れるのは、鉄の塊が辿るレールの、製作上仕方なくできてしまった継ぎ目のせいだ。敷かれたレールの上を疾走する鉄の塊には、幾つもの車輪が、まるで芋虫の足の如くに付けられていた。それらはひっきりなしに回り、鉄の塊と共にひたすらレールに沿って進む。

 石炭を利用した蒸気機関によってか、或いは魔力を通す事で同様の仕事をする万能石、アタライトによってか。つまる所それらにより動力を得てレールの上を走る鉄の塊は、大陸横断列車。地上の様々な所へ張り巡らせたレールの上を、昼夜と問わず走行しては人々や荷物を運ぶ列車だった。


 その中、がたんがたんと揺れる車内。各車両の左右に三枚ずつ付けられたドア。二人掛けの席が向かい合わせになるようにして四組、三枚のドア同士の中間に配置されていて、後は複数人が掛けられる長椅子。中央を空けるように作られたそれが、この列車の基本的なレイアウトだ。

 夕陽の、橙色の光が窓から斜めに射し込んでいる。長椅子に腰掛けた二人の乗客の影が長く伸びている。寄り添うようにして座る二人のうち片方は黒色に白い糸で刺繍を施されたローブのフードを深く被っており詳しくは窺えないが、どうにもそれは両方とも男性らしかった。ローブを纏っていない方の男は美しい銀色の髪をしており、緩くうねる柔らかそうな髪を少し伸ばして一つに纏めている。眠っているらしく、閉じた瞳の色は窺えない。


「次は王都テュオン、王都テュオンに止まります──お降りの方は、お忘れ物が無きよう十分お気をつけて──」


 制服を着た車掌が、そろそろ次の駅に着くという旨を報せながら歩いていく。ブーツの底が床を叩く度に、こつこつと小気味良い音が鳴った。車掌は長椅子に腰掛けた二人組をちらと一瞥したもののそれだけで、ローブを纏った男と銀髪の男とが起きているのかいないのか、次に止まる駅で降りるのか否かという確認はせずに通り過ぎて行った。

 こつこつと、そうして足音は遠ざかっていく。次の車両にも同様の旨を伝えるためだろう。時間帯のせいか、単純に現在向かっている駅の方に行く人が少ないのか、とにかくその車掌が去った後のその車両には、ローブと銀髪の二人組の他に人影は無い。

 車掌の足音が充分に遠ざかった頃、ローブを纏った男が小さく身動ぎをした。おもむろに手を伸ばしてフードを取ると、上等な金糸のように滑らかな髪が夕陽に照らされた。その髪の隙間から出ているのは先の尖った耳だ、人間と同じ位置にあり、器官としての役割も同じ、けれどそれは紛れもなく男が人間ではないという証だった。


「……おい。そろそろ着くぞ、いい加減起きろ、ユーグ」


 金髪の男は、自身に半ば寄り掛かるようにして眠っている銀髪に声をかけた。ついでに肩を揺すれば、寝惚けたような唸り声の後に、ゆっくりと目が開く。未だ眠気から覚め切らない瞳はぼんやりと何度か瞬きをして、それからようやくしっかりと開いた。傾いていた姿勢を正す、先程まで閉じていた瞳は、透明度の高い翠玉を押し込んだように鮮やかな緑色だ。


「おはようシノア。もうそんなに、……時間、経ったのか」


 ふわ、と欠伸を言葉の中に挟んで、ユーグと呼ばれた男は問うた。眠たげな雰囲気は抜けきらず、そのままもう一つ欠伸でもしそうな様子。


「一時間程度だ」

「へぇ。随分と寝てたって事だ……」


 対する金髪、シノアと呼ばれた男の方は、フードを被って目元まで隠していたものの、眠ってはいなかったのだろう。はっきりとした口調で端的に告げた。声音は冷めていると表してもいい程に抑揚を欠いていたが、それが彼の常なのだ。

 血の透けたような赤色の瞳が、車内を一度見回した。がらりとした車内は、二人がこの車両に乗った一時間と少し前には、座席がおおよそ埋まり切りそうになっていたのだ。


「……なんというか、客が減ったな」


 次に着くのが王都だから、もっと旅行者でもいるものだろうと考えていたシノアはそう呟いた。座ってから程無くしてユーグが寝てしまい、以降ずっとフードを被っていたシノアは、各駅で乗客の出入りする音を聞いてこそいたが、車内を見たのは久し振りだった。

 変化に乏しいものの確かに意外そうに変化した表情を覗き込んだユーグは、再び背凭れに背を預けながら口の端を歪めた。緩くうねる銀髪と鮮やかに澄んだ緑の目、穏やかそうな印象を抱かせる外見に比べて、浮かべた笑みはどこか嘲笑に似ていた。


「あぁ、王都なんだからもっと降りる人がいると思ったか? 実はな、あの国は──」

「繰り返しとなりますが、次は王都テュオンに止まります──お降りの方はお忘れ物の無きようお気をつけて──」


 一つ指を立て、くるりと宙に円を描く。背凭れに背をつけたままのユーグが噂話をする時のように声音を落とした、そのタイミングで先の車掌が通った。何両か繋がれた車両の端まで行って、帰って来たのだろう。車掌は先程まで寝ていた筈の二人がすっかり起きている事に気付いたらしく、僅かに眉を上げた。

 車掌に聞かれる事を避けたがったのか、それとも話をするにあたり車掌の声が邪魔だったのか。とにかくユーグは吐き出しかけていた言葉を途中で切った。決まり文句を口にしながら通り過ぎていく車掌に向けてひらりと手を振る、愛想の良い笑みと共に。

 そういう振る舞いをしていれば、ユーグはただの人当たりの良い旅人にしか見えない。どこに行くにも適当にやり過ごせるし、どこに行っても適当な人間関係が築ける、処世術の一環だとは本人の談だ。実際の所は、人が良くとっつきやすい、という印象の対岸に居るような男なのだけれど。


「……でな。あの国は、そう、最近までは平穏な国だったらしいんだが、最近起きた事件のせいで、旅客はめっきり訪れなくなったらしい。俺達みたいな物好きを除いてな」


 現に、そうしてわざと結論を後回しにするような口振りで語る時の、奥底に鈍い光を湛えたような、意地の悪い笑みの方が余程お似合いなのだ。お世辞にも性格が良いなどとは言えない。

 勿体振る口調に、シノアは自身より低い位置にある緑色の双眸を見下ろし、無言で以て結論を急かす。その視線の中には、少なくとも自分は物好きでは無いという類の抗議の意もあった。それには気付いているだろうに、ユーグはそれを意図的に無視して、一つ息を吸った。

 一番美味しい所を口にするように、勿体振って、けれど結論は流暢に。



「──あの国は、旅人が消えるんだよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る