1-4-5
破壊の残滓が辺りに降り注ぐ。
その中でオレは、瓦礫に囲まれた聖剣を見ていた。
カナタがどのような物を願ったのか、オレには分からない。
しかし、彼が放った一振りで天井は崩れ、満天の星空が顔を覗かせている。
そこからある程度は、察することが出来た。
「ガッ――ハ、グハッゲッホ、えお……」
どこかからキースの苦しそうな声が聞える。オレは声には出さずに安堵した。
死んでもらっては困る。今は、まだ……。
仕手から離れた聖剣へ向けて、オレは一歩踏み出した。
周囲を掻きまわす風の唸り声、それを押し退けるように甲高い音が響き渡る。
オレを拒んでいるのだろう。だからといって、お前はそれをどうすることも出来ない。
「【業を背負いし、この身は咎人】」
あの日の誓いを口ずさみ、奥底に眠る魔力を呼び起こす。
軽くなった腰の剣帯を一瞥する。
ローランはカナタの手に渡った。
力が無くなることを恐れて肌身離さず携行していたが、どうやらそれに意味はなかったようだ。
「【学ばず、認めず、刻み建てるは原罪】」
穢れなき剣を手に取る。すぐさま黒が腕を伝い、青金の装飾を侵し始めた。
「や、めろ――」
砂埃の中から届いた声。見れば、そう離れていない場所にキースは横たわっていた。
半身が消し飛び、絶えず命を溢し続ける、その息も絶え絶えといった様を見て、心が躍った。
ああ、なんてお似合いの末路だろう、と。
「それは、お前の様な……下賤の者が触れてい…………いものでは――ゆるされない」
はっ! 笑わせるな。赦されない? ――どの口が言っているんだ。
明度の増した世界を一歩、また一歩と進む。
彼の表情は歪んでいた。何が彼をそこまで駆り立てるのか、分からない。分かりたくもない。
キースの瞳はオレ――ではなく、オレが持つ
つい先程まで神聖を纏っていた黒塗りの剣。
それを穴が開くのではないかと思えるほど強い感情をのせて、睨んでいた。
もはや問答は必要ないだろう…………。
オレはキースの左胸にそれを突き立てる。
「【我、強欲の名においてこれを鋳造す……罪人キース・エバンジェリスト・ライン――】」
右腕を這いまわる魔力が、聖剣の輪郭を噛み砕き、熔かし、貪る。
あつい……。
露わになった肌は冷気で引き裂かれそうだというのに、流れ込んでくる感情が、記憶が、思想が、オレの内側を焼焦がしていく。
「【……自らの非を認められぬ弱さ】」
男は涙していた。努力を否定される悲しさを、それを認めぬ世界の残酷さを、嘆き、涙していた。
いつしかその涙は枯れ果て、彼の中には乾ききった感情のみが残る。
「【己が欲望を正義と騙り、驕り高ぶる振る舞い……】」
記憶の中で、女が涙を流していた。あの時は見えなかった彼女の瞳が
その瞳で燃える炎は、理不尽な世界を呪うものか……それとも――
背後に隠した我が子を、命に代えても助けるという決意の表れか。
今のオレには分からない。
「【汝がこれまでに犯した罪過、その命をもって償え】」
男がわらう。神に選ばれた己の幸福を隠すことなく、声に乗せて。
自らが下してきた敵を、縋り寄ってきた肢体を、怒りに歪んだ顔を、キースは並べて嗤っていた。
彼が他に何を成してきたかなど、オレには関係ない。
しかし、この男は死んで然るべきだと理解、出来た。
「【権能発動――贖罪ト成ス剣…………】」
キースの全てを呑み込んだ黒が、凝縮し、剣の輪郭を形どっていく。
先程の熱が嘘だったかのように、心は凪ぎ、身体が痛みを訴えていた。
黒の魔力が染みこみ、灰の地金がその表情を露わにする。
今ここに、新たな魔剣が誕生した。
あの日から七年。いつ何時も願って止まなかった魔剣、その一振り――
「全てを否定する宣教師の魔剣、キース……それがお前の
そう言い終わるのが先か、世界はその角度を急激に傾けた。
極度の魔力枯渇状態。
鈍い痛みすら遠のく世界で、はっきりと聞こえた。オレを拒絶する男の声が。
知れずと頬が釣り上がる。
それでいい――
「――それが、お前達への復讐だ……オレの糧となれ、キース」
地面が垂直となった視界で、眼前の魔剣、その華美な装飾が震える。
地面に虚が開いた。キースの意思など関係ないとばかりに、黒い魔力が魔剣に纏わりつき、彼を引き摺りこむ。
原罪の墓地にまた一つ、新たな墓標が打ち建てられた。
薄れゆく意識の中で、オレはその情景を想起する。
残り、あとさんにん…………。
☆★☆★☆
くぐもった音が聞こえる。
意図してそれを聞こうとしても、水底のようなここでは鮮明に聴きとることが出来ない。
ここは…………?
何処だろうと、更に深く、意識は記憶の中へと潜り込んだ。
思い出したのは一振りの魔剣。華美な装飾を残した、灰色の儀仗剣。
あぁ、そうだ。そうだった。オレはまた一つ復讐を成し遂げることが出来たのだ。
男の自由を奪い、カナタの力を借りて、そして……その後――
浮かび上がる意識の中で、感覚が目を覚ます。
ふんわりとした肌触り、瞼に差し込む熱、それ程強くはない花の、香り。
「――ッ」
身体を動かそうとしたら、激痛が高らかに歌いながら四肢を駆けずり回った。
声は出ないどころか、指一本、満足に動かせそうにない。
その時、力の入らないオレの右手を温もりが包み込む。
痛みに怯えつつオレは瞼を震わせ、隙間から滑り込んできた陽光に、思わず眉を顰めた。
「ようやくお目覚めかな? 私の――ポプリ」
「――ぃ……ぁ……え、ラ?」
やっとの思いで声を絞り出すと、握られる力が強くなった。
交互にやり取りされる体温に、心の中で何かが弾ける。
身体が痛む? そんなものいつものことじゃないか――
「おやおや……私の副官は大層な寝坊助さんらしいね。困るな、これでは私の机には書類が溜まるいっぽ――ぉうぇ?」
右腕を手繰り寄せ、落ちてきた温度を抱きしめる。
あまり力が要らなかったからか、想像していたよりも痛みは少なかった。
「――良かった……イザベラ、キミを助けることも出来ていた」
「ちょっ、やめ――やめるんだポプリッ。ここは聴衆が多い、いくら私が指揮官でもキミを庇いきることは出来ないぞッ!?」
「すまなかったと、思っている。キミを助けるために、向かったというのに、オレは、怒りにの、ま……れ――て?」
彼女の言葉が耳に滑り込み、意味を成す。噛み締めるように白銀を梳いていたオレは、手を止めた。
聴衆…………?
「おや、やめてしまうので? 別に俺達は気にしませんよ? なぁメロディ?」
まるでこちらを茶化すような、花の香りが鼻をつく。
「むぅ……しぇふばっかり……ずるいっめーも、めーもなでれッ!」
「――ぐっ!?」「っきゃ――」
突如圧し掛かってきた重りに悶える。はっと息をのむ音を耳元で聞いた。
これは……どうやって誤魔化せばいいのだろうか――
ようやく輪郭を取り戻し始めた世界で、オレは見てしまった。
イザベラの真っ赤な耳と、ふくれっ面のメロディ、にやけるスイート、一人黙するマーチ。
部隊の主だった人物が、この病室に集まっていたのだ。
「お前達……」
「いや、みなまで言うな――」
オレの言葉を制したスイートが、分かっているとばかりに祝詞を紡ぐ。
「――お前の気持ちなんて、とうの昔に、な。しかしその道は茨の道だぞ? 特にそこの少年が立ちはだかるやもしれん……そこんところ、どうなんだカナタ?」
「うげっ!?」
ここで俺に振るのか、と隣のベッドから奇声が上がった。
「ば、馬鹿言うんじゃねーよ! 最初っからイ――シェフなんか興味ね――」」
そちらへ目線をやって、思わず目を細める。窓辺から差し込む日差しで瞳が焼けてしまいそうだった。
常日頃であれば、聞き流していた。しかし、なぜか、気に障る。
「なんか、だと?」
「――え?」「お?」
イザベラの肩に手をやり、目線でカナタに問う。
彼はわたわたと両手を動かし、見るからに戸惑っていた。
病室で、一本の糸が張りつめる。
「いや、ちょ……は? なんっ、え、えぇ……」
今度は声にして、もう一度問う。このままでは腹の虫が収まらない。
「それは、どういうい――ッ!!」
突如生まれた痛みで、言葉は最後まで言えなかった。黙り込んでいたマーチが片目を開ける。
わざとらしい咳払いが二つ。
見れば、シェフが言葉を探しているように黙していた。頬を扇ぎながら。
先程までの緊張感は、既にどこかへといってしまっている。
「さてカンタータ。ここに配属されて、間もなく一月が経とうとしている。そろそろ慣れただろうか?」
イザベラが声を発した時、彼女は指揮者の仮面を完璧に被っていた。
紡ぎだされる台詞に、自然と周囲の耳目が集まる。
「……突然、なんですか?」
何かを抱き寄せる仕草をしたカナタへ、シェフは続ける。
「や、なに。ここは少しばかり特殊な集まりでね。女ばかりだというのもあるが、指揮官とその副官は身一つで戦場を渡り、歩く軍紀や色狂いと個性派ぞろいだ」
彼女の視線が室内を巡る。台詞に含まれた名詞が誰を指したものか、そんなことは明白だった。
「…………」
カナタが考え込むようにして黙り込む。彼の視線はシェフに注がれ、彼女に続きを促していた。
「馴染めないというのなら、引き留めはしない。キミの意思を尊重しよう」
そこまで聴いて、カナタは大きく息を吐いた。
病室に居る誰もが、彼の言葉に注目している。その中には勿論、オレも含まれていた。
静まり返った空間で、やけに大きく響く呼吸。
「分かり切ってること聞かないでください。意味なら既に、貰いました」
その言葉を待っていた、とシェフが大仰な動作で歓びを表す。
彼女の声は弾んでいた。言祝ぐように、歌いあげるかのように、盛大に。
「なら改めて――ようこそ
俄かに騒がしくなる室内で、オレは目にする。
いつの間にかカナタが握っていた、彫金が彩る黒の魔剣を。
Lord~紅の足跡~ 蜂木とけん @hatch_observed
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