1-4-4
濛々と渦巻く土煙に紛れて、苦し気な呻き声が聞える。
その中で蠢く二つの影――片割れの奏汰が身を震わせた。
「いったい何が、起きたんだ?」
彼の言葉に応える者は居ない。
奏汰のもとに届くのは、空を薙ぐ空しい音と喘ぐような男の呼吸。
彼の求めに答える者は居なかった。
ただ、その瞬間までは。
煙が超常の力で渦を巻き、壁を形成する。その中から薄っすらと見え始めた人影に奏汰が身を竦めた。
影は愉快気に言葉を躍らせて、笑う。
「無事で何よりだよ勇者君。どうだい、身体に痛むところはあるだろうか?」
声の主が姿を現す。彼女はイザベル・ルクス・ヴァーナルグ。
その姿が、常の優美さからかけ離れたものとなっても、彼女の声は変わらず優雅に響いた。
身を挺して奏汰を庇ったのだろう。露わとなった白い素肌に無事な箇所などなく、抉られた傷はぼこぼこと、元の形に戻ろうとしている。
奏汰は頬を染めながら動いた。彼の上着が何も纏っていないイザベルの肩へと移る。
「……着てください。僕は、大丈夫ですから…………」
「ありがとう、礼を言うよ。なにせ魔術を行使しながらでは、両手も満足に使えないんだ」
私にも魔術の才はないからね、と彼女は頬を緩ませた。
そんなことは分かっているとばかりに、奏汰が目を逸らす。
イザベルの額には玉の汗が浮かんでいた。
魔術を用いるのに多大な集中がいるのだ。彼女の両手は仄かに発光しながら震えている。
奏汰は自分達を覆い隠す土煙を見て、膝をついた。
「……やっぱり来るべきじゃなかったんだ…………力になれるって、思ってたのに――」
彼の眉間に深い皺が刻まれる。
奏汰は悔やんでいた。鬱々とした雰囲気を辺りに漏らしながら。
このまま放っておけば、そう時も経たぬ内に自らの身体を傷つけてしまうだろう。
土煙の向こうを一身に見つめていたイザベルが、肩を揺らす。
「勇者よ、立ち上がろうとはしないのかい?」
「ッ!? 出来るわけがないじゃないですか!」
奏汰は双眸を歪ませて、自らを見ようともしない背中へ向けて、叫んだ。
「無尽蔵の魔力があったってどうしようもない! 俺には闘う方法がないんだッ邪魔にしかならないのなら、いっそ、このまま――」
「私は最初にこう言ったはずだが?」
己の言葉を遮った声に、それが纏った情動に、奏汰は言葉を失う。
イザベルの頬は釣り上がり、歪な弧が描かれていた。
艶然とした彼女の声は粘着性を帯びていて、聞く者の意識を絡めとり、放そうとしない。
「――彼の手を取りさえすれば自ずと道は拓ける、とね」
いつの間にか、彼女達の周りからは音が遠のいていた。
まだそれに気が付いていない奏汰が、瞠目する。
「イザベル、さん……あなたは俺に――俺達に何をさせたいんだ…………」
くはっ、と彼女の唇から愉悦が零れ出す。
奏汰の問いに我慢の限界が来たのだろう。イザベルは肩を抱いて笑い出した。
不自然な土煙に綻びが生じる。
「何を……何を、か。簡単なことさ、私は見たいんだよ。作品が完成する――」
「完成…………」
奏汰の呟きを受けて彼女は、身体を解き放ち、両手を掲げた。まるで歌いあげるかのように。
「そうっ! 完成するその瞬間を、この目に焼きつけたいんだッ!」
二人を取り巻く世界に、音が戻ってくる。
「この――汚い羽虫ど――!」
「そこには勇者、君も含まれている。私は
「俺に出来ることが、あるとでも……無駄に魔力があるだけの、この俺に? そんなもの――」
「あるとも。だから君はここまで来れた」
間髪なく断言されて奏汰が瞠目した。彼の視線が向かう先、イザベルの背中の更に向こうで、ポプリが闘っている。
決して切り結ぶことのない、三振りの剣。
一目でポプリの劣勢が見て取れた。
奏汰の瞳が揺れる。ポプリが間一髪で敵の攻撃を避けた。
同じものを見つめていたイザベルが、息を吐く。
「ポプリは復讐譚だ。目的に執心し、そのために生き方を歪めた。しかしそろそろ手詰まりだろうね……」
「あいつは強いです。限界が来ているとは思えません」
「いいかい、勇者? ポプリはその強さを求めるのに、己の中にのみ目を向けた。彼がもう一段階上の高みを目指すためには、余力が足りていない」
意地を張るような奏汰をイザベルが諭す。こればかりは仕方がない、と諦めているかのように。
しかし、言葉の内容とは裏腹に、彼女の瞳はどこか期待するような光を帯びていた。
行く末を見守っていた奏汰が息を呑む。ポプリの動きが止まったのだ。
結末を迎えるには決定的すぎる瞬間に、奏汰立ち上がりかける。
その時、彼の目前で魔力が渦を巻いた。
それにいち早く気が付くイザベル。彼女の頬に赤みが差す。この瞬間を待ち望んでいたとばかりに。
可視化するほど濃密な魔力が空間に虚を形作った。
「これは…………」
ふと、漏れ出た言葉をどちらのものなのだろう。二人はどちらも同じ表情をしている。
しかし、内在する感情はかけ離れていた。片方は驚愕、もう片方は純然たる疑問。
得てしてそれは現れた。剣身どころか、柄頭に至るまで漆黒で形作られた魔剣。
それを見ていたイザベルが身を掻き、抱く。彼女は爆発的に膨れ上がる情念を抑えきれないでいた。
「半身とも呼べる魔剣を託すなんて、そんな…………君はいったい、彼に何を――」
思わず出てしまった声をイザベルは咳払いで取り繕う。彼女は奏汰が見ていないのを良いことに、再び自らの役柄に袖を通した。
魔剣と奏汰との間に、痛いほどの静寂が流れる。
呆然としていた奏汰が立ち上がった。
その目には、固い決意の念が見て取れる。
「これを俺に……使えっていうのかよ。お前は――」
奏汰の手が漆黒へとのびた。
陽炎を纏うように、周囲の空間を歪めていた魔剣が、震える。
奏汰の手が魔剣の柄に触れようとしたまさにその時、ポプリの声が彼の許へ届いた。
「――想像しろ! その魔剣は願いを具現化する! 銘はローランッ間違い続けた、男の剣だッ!!」
「願い…………俺が求めるのは、最強の力――」
奏汰の右腕が虚空から魔剣を引き抜く。
それを見ていたイザベルは、時は満ちたとばかりに言葉を紡ぎあげた。
「さぁ謳うんだ
魔剣が奏汰の願いで生まれ変わる。莫大な量の魔力を対価にして。
彼が上段に振り上げたモノは、最早、剣の姿形を保っていなかった。
自らの存在を示すように、己はここに居るぞと叫ぶように、魔力の奔流が天を目指す。
勇者の独唱。その始まりの呼吸が、騒然となる戦場を駆け抜けた。
「――
奏汰の叫びを元に、破壊の極光が空間を塗り潰す。
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