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 濛々と渦巻く土煙に紛れて、苦し気な呻き声が聞える。

 その中で蠢く二つの影――片割れの奏汰が身を震わせた。


「いったい何が、起きたんだ?」


 彼の言葉に応える者は居ない。

 奏汰のもとに届くのは、空を薙ぐ空しい音と喘ぐような男の呼吸。

 彼の求めに答える者は居なかった。

 ただ、その瞬間までは。

 煙が超常の力で渦を巻き、壁を形成する。その中から薄っすらと見え始めた人影に奏汰が身を竦めた。

 影は愉快気に言葉を躍らせて、笑う。


「無事で何よりだよ勇者君。どうだい、身体に痛むところはあるだろうか?」


 声の主が姿を現す。彼女はイザベル・ルクス・ヴァーナルグ。

 その姿が、常の優美さからかけ離れたものとなっても、彼女の声は変わらず優雅に響いた。

 身を挺して奏汰を庇ったのだろう。露わとなった白い素肌に無事な箇所などなく、抉られた傷はぼこぼこと、元の形に戻ろうとしている。

 奏汰は頬を染めながら動いた。彼の上着が何も纏っていないイザベルの肩へと移る。


「……着てください。僕は、大丈夫ですから…………」

「ありがとう、礼を言うよ。なにせ魔術を行使しながらでは、両手も満足に使えないんだ」


 私にも魔術の才はないからね、と彼女は頬を緩ませた。

 そんなことは分かっているとばかりに、奏汰が目を逸らす。

 イザベルの額には玉の汗が浮かんでいた。

 魔術を用いるのに多大な集中がいるのだ。彼女の両手は仄かに発光しながら震えている。

 奏汰は自分達を覆い隠す土煙を見て、膝をついた。


「……やっぱり来るべきじゃなかったんだ…………力になれるって、思ってたのに――」


 彼の眉間に深い皺が刻まれる。

 奏汰は悔やんでいた。鬱々とした雰囲気を辺りに漏らしながら。

 このまま放っておけば、そう時も経たぬ内に自らの身体を傷つけてしまうだろう。

 土煙の向こうを一身に見つめていたイザベルが、肩を揺らす。

 

「勇者よ、立ち上がろうとはしないのかい?」

「ッ!? 出来るわけがないじゃないですか!」


 奏汰は双眸を歪ませて、自らを見ようともしない背中へ向けて、叫んだ。


「無尽蔵の魔力があったってどうしようもない! 俺には闘う方法がないんだッ邪魔にしかならないのなら、いっそ、このまま――」

「私は最初にこう言ったはずだが?」


 己の言葉を遮った声に、それが纏った情動に、奏汰は言葉を失う。

 イザベルの頬は釣り上がり、歪な弧が描かれていた。

 艶然とした彼女の声は粘着性を帯びていて、聞く者の意識を絡めとり、放そうとしない。


「――彼の手を取りさえすれば自ずと道は拓ける、とね」


 いつの間にか、彼女達の周りからは音が遠のいていた。

 まだそれに気が付いていない奏汰が、瞠目する。


「イザベル、さん……あなたは俺に――俺達に何をさせたいんだ…………」


 くはっ、と彼女の唇から愉悦が零れ出す。

 奏汰の問いに我慢の限界が来たのだろう。イザベルは肩を抱いて笑い出した。

 不自然な土煙に綻びが生じる。


「何を……何を、か。簡単なことさ、私は見たいんだよ。作品が完成する――」

「完成…………」


 奏汰の呟きを受けて彼女は、身体を解き放ち、両手を掲げた。まるで歌いあげるかのように。


「そうっ! 完成するその瞬間を、この目に焼きつけたいんだッ!」


 二人を取り巻く世界に、音が戻ってくる。


「この――汚い羽虫ど――!」

「そこには勇者、君も含まれている。私は楽曲さくひんに名を付けてきた、その意味がわかっているだろう?」

「俺に出来ることが、あるとでも……無駄に魔力があるだけの、この俺に? そんなもの――」

「あるとも。だから君はここまで来れた」


 間髪なく断言されて奏汰が瞠目した。彼の視線が向かう先、イザベルの背中の更に向こうで、ポプリが闘っている。

 決して切り結ぶことのない、三振りの剣。

 一目でポプリの劣勢が見て取れた。

 奏汰の瞳が揺れる。ポプリが間一髪で敵の攻撃を避けた。

 同じものを見つめていたイザベルが、息を吐く。


「ポプリは復讐譚だ。目的に執心し、そのために生き方を歪めた。しかしそろそろ手詰まりだろうね……」

「あいつは強いです。限界が来ているとは思えません」

「いいかい、勇者? ポプリはその強さを求めるのに、己の中にのみ目を向けた。彼がもう一段階上の高みを目指すためには、余力が足りていない」


 意地を張るような奏汰をイザベルが諭す。こればかりは仕方がない、と諦めているかのように。

 しかし、言葉の内容とは裏腹に、彼女の瞳はどこか期待するような光を帯びていた。

 行く末を見守っていた奏汰が息を呑む。ポプリの動きが止まったのだ。

 結末を迎えるには決定的すぎる瞬間に、奏汰立ち上がりかける。

 その時、彼の目前で魔力が渦を巻いた。

 それにいち早く気が付くイザベル。彼女の頬に赤みが差す。この瞬間を待ち望んでいたとばかりに。

 可視化するほど濃密な魔力が空間に虚を形作った。


「これは…………」


 ふと、漏れ出た言葉をどちらのものなのだろう。二人はどちらも同じ表情をしている。

 しかし、内在する感情はかけ離れていた。片方は驚愕、もう片方は純然たる疑問。

 得てしてそれは現れた。剣身どころか、柄頭に至るまで漆黒で形作られた魔剣。

 それを見ていたイザベルが身を掻き、抱く。彼女は爆発的に膨れ上がる情念を抑えきれないでいた。


「半身とも呼べる魔剣を託すなんて、そんな…………君はいったい、彼に何を――」


 思わず出てしまった声をイザベルは咳払いで取り繕う。彼女は奏汰が見ていないのを良いことに、再び自らの役柄に袖を通した。

 魔剣と奏汰との間に、痛いほどの静寂が流れる。

 呆然としていた奏汰が立ち上がった。

 その目には、固い決意の念が見て取れる。


「これを俺に……使えっていうのかよ。お前は――」


 奏汰の手が漆黒へとのびた。

 陽炎を纏うように、周囲の空間を歪めていた魔剣が、震える。

 奏汰の手が魔剣の柄に触れようとしたまさにその時、ポプリの声が彼の許へ届いた。


「――想像しろ! その魔剣は願いを具現化する! 銘はローランッ間違い続けた、男の剣だッ!!」

「願い…………俺が求めるのは、最強の力――」


 奏汰の右腕が虚空から魔剣を引き抜く。

 それを見ていたイザベルは、時は満ちたとばかりに言葉を紡ぎあげた。


「さぁ謳うんだ勇者カンタータ! 剣の音色を伴奏に、身の程知らずの願いを吼えよッ!」


 魔剣が奏汰の願いで生まれ変わる。莫大な量の魔力を対価にして。

 彼が上段に振り上げたモノは、最早、剣の姿形を保っていなかった。

 自らの存在を示すように、己はここに居るぞと叫ぶように、魔力の奔流が天を目指す。

 勇者の独唱。その始まりの呼吸が、騒然となる戦場を駆け抜けた。


「――Exエクストラッカリバァァァァァァアアアアアア!!!」


 奏汰の叫びを元に、破壊の極光が空間を塗り潰す。

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