愛について一考察
滝沢諦
第1話
山田一郎はお金を愛していた。
山田一郎は貧乏な家庭に生まれた。物心ついた時には両親は離婚しいて、3つ上の姉と年子の弟と母の四人家族で、生活保護を受けて暮らしていた。山田一郎はそれが普通の家庭なのだと思って過ごしていたが、やがて幼稚園で、小学校の入学式で、少しばかり違っていることに、おぼろげに気がつきはじめる。
きっかけになったのはファミリーコンピューターの発売だ。それでも最初のうちは、公園で寄り集まってボール遊びをするのと、ファミリーコンピューターを持っている友だちの家に集まってゲームをするのに、さしたる違いは感じてはいなかった。決定打となったのはドラゴンクエストの発売だった。ほとんどのクラスメートが、誕生日やクリスマスに、あるいは何かしらの理由でファミリーコンピューターを購入してもらい、ドラゴンクエストで遊んだ。公園でボール遊びをする人数が減り、友だちの家に行ったとしても、ドラゴンクエストは一人で遊ぶゲームだった。
山田一郎は自分の家が貧乏なのだと気がつき、貧乏とはどういうものなのかも、その時に知った。
山田一郎は新聞配達をはじめた。余っている時間は図書館で過ごした。数ヶ月後、ファミリーコンピューターとドラゴンクエストを買つもりだったアルバイト代は、郵便貯金の通帳に印刷された数字になって残った。中学校に入学してからも、その当時流行っていたバスケットシューズには興味を示さず、どこのメーカーかもわからないような安物の靴を履いていたが、それを笑う相手はいなかった。図書館にも、まだ薄暗い町の中にも、同世代の少年はいなかったからだ。山田一郎は中学校に進学してからも新聞配達に勤しみ、夕刊を配るために終業時間になると慌てて学校を後にした。空いている時間は図書館で過ごしたが、特に目的もなく読書をしていたので、成績向上に貢献することはなかった。
山田一郎は進学せずに就職した。学力的にも経済的のも、進学になんら不都合があるわけではなかったので周りからは翻意を促されてが、寮住まいのできる就職先を希望して、中学を卒業してすぐに親元を離れた。進学し、高校生になってアルバイトをするよりも、中卒で就職をする方がより多く貯金ができるのではないかと、そう考えたのだ。その考えは幼さゆえの浅はかなもんではあったが、山田一郎は早く自立したい、自立して自由に金を稼ぎたいと考えていた。
山田一郎の生活は就職をしてからもあまり変わらなかった。新聞配達と学校で勉強している時間が、そのまま仕事時間に入れ替わり、相変わらず、余っている時間は図書館で過ごした。給料としてまとまったお金が手に入るようになってからと言っても贅沢品、嗜好品に興味を持つことはなく、安物で済ませて、かわりに預金通帳の数字が少しずつ増えていき、山田一郎はそれに満足した。
山田一郎は就職して三年目になったころ転職を検討した。理由は、日商簿記二級の試験に合格したからだ。現在の職場環境や給与に、とりたてて不満があるわけでもなかったが、満足できるものでもなかった。残業や休日出勤もあまりできない職場だったのに加え、就職して3年目ともなると業務内容に慣れ始めて余裕ができ、そのぶん余暇を持て余すようになったのだ。図書館で簿記の勉強を始めたのも、たまたま気になる本がなくて、手に取ったのが簿記の教本だったというだけ理由だ。勉強したからにはせっかくだからと思って試験を受けに行って、あっさりと合格してしまった。資格があればより高給の仕事に就けるのではないかと考えたのも確かだが、あまり積極的だったわけではなく、暇つぶしと言って差し支えない程度だった。
山田一郎が退職したのは二十歳になる少し前だった。中卒での就職活動が難しいのはわかっていたので、それほど期待もせずに面接を受けた会社で即決で採用されてしまった。労働条件も給与面でも待遇が良かったので、断る理由がなかった。個人事業主時代が長かったワンマン社長の経営する会社で、株式会社になってまだ三年目。経理と総務とお茶汲みOLを合わせたような業務をしている社長夫人の下で働くことになり、主な業務は経理と総務だったが、空いている時間には社内のあらゆる業務を手伝うことになった。創業期の混乱もあり、非効率的な部分や多すぎる作業に関してはマンパワーで乗り切る社風だったので、ほとんどの社員が当たり前のように残業をし、休日出勤をこなしているような会社だった。
山田一郎は余暇を持て余すことがなくなった。初めての経験である経理や総務の仕事は山田一郎に向いていたのかもしれず、仕事はすぐに覚えることができた。3ヶ月もしないうちに日々の業務を淡々とこなせるようになり、その日の業務を手早く終わらせると、いつもどこかしらの部署が人手不足の状態だったので、そちらの手伝いに入って残業をこなし、奨励はされないが黙認されていた休日出勤を積極的に行って、規定の休日を全て消化することはほぼなかった。その分給与が増え、貯金通帳の数字が目に見えて増えるようになった。
山田一郎は外食をしなかった。昼食は、夕食の余りをタッパーに詰め込んだだけの自作弁当だったし、仕事終わりに飲みい誘われることもなかった。何度誘われても断っていたので誘われなくなったのだ。話したいことがあるから飲みながらというような、世間一般ではよくあるようなことも、仕事の話は業務時間内でしてほしいといって断ってしまう。それが社長であっても、先輩でも後輩でも誰が相手もでも同じだったので、嫌われたり煙たがられたりもしたが、クビにはならなかった。他に経理作業ができる人間がいなかったからだ。経理・総務部門でもう一人、バックアップとしてアルバイトを雇おうとはしていたのだが、社長夫人との折り合いがつかなかったり、そもそも入ってきた人間が無能であったり、独特の和気藹々とした社風に馴染めなかったりで、すぐにやめてしまう場合が多かった。人付き合いも社風も、山田一郎はそれほど気にする質ではなかったので、山田一郎だけが例外的に長期間、経理と総務の仕事を続けることができた。
山田一郎は貯めていた金で投資を始めた。転職をして三年ほどが立ち、仕事にも慣れ始め、経理という仕事柄お金について今までより考えるきっかけが多かったのも理由の一つだったが、より本質的には、再び余暇をもてあますようになってきていたのだ。経理も総務も、作業内容を一通り覚えることができたし、込み入ったことは基本的には上司たる社長夫人が担当していたということもあった。それに加えて、この頃になると会社も業績を順調に伸ばし始めていて、それに伴って規模も拡大をし始めていた。社員やアルバイトの数も急激に増え、社長としても株式会社としての体裁を整える必要性に迫られてきた。残業時間や休日出勤に関しての法定義務の遵守や社内規則が整備され、福利厚生も重要視され始めた。元々が、雑多な業務をマンパワーで押さえ込むような仕事の仕方をしていた創業メンバーたちは会社の変化に対応しきれずに苦労し、悲鳴をあげていた。山田一郎もスタッフが増えた分、経理処理も総務の案件も比例してに増えたわけだが、仕事の中身が変わったわけでもないので、ただ黙々と、一日デスクに向かっていた。残業や休日出勤ができなくなる分、他部署の手伝いをすることも少なくなった。その余った時間を持て余したのを、図書館に通って投資の勉強に当てて、二年かけてようやく利益が出るようになった。本格的に投資家になるチャンスもなかったわけではなかったが、山田一郎にとっては投資も、あくまでも余暇の暇つぶしだった。もともとどのくらいお金を貯めようというような目標があるわけでもなく、貯まったお金を使う予定がありわけでもない。ファミリーコンピューターとドラゴンクエストが買えるだけのお金を貯めた時点で、あとはおまけだと言っても過言ではなかったのだ。預金残高の数字が増やしていくのは、観葉植物に水をあげて少しずつ育てていくのに似ていると、山田一郎はそんなふうに思っていた。
山田一郎はその後輩に仕事を教えるのに苦痛は感じなかった。それも会社から与えられた業務の一環だからだ。もともと別の部署にいた彼女は、頑張り屋だがおっちょこちょいで、本質的には頭が悪かった。元いた部署でも何かしらの業績を残していたわけではない。とにかく頑張り屋で、情熱家だったので、社長のお気入りだった。正社員になる前提で経理部門に回されてきて、つまりは山田一郎の部下となったわけだが、繰り返し繰り返し業務を教えても、彼女は繰り返し間違えた。仕事が覚えられなかった。会社的には、経験を積んだ山田一郎を別の部署に移動さて、その後釜として彼女を育てる予定だったようだが、彼女は一向に仕事を覚えず、独り立ちできる見込みは薄かった。
山田一郎は人に教えるのが苦手だった。厳密には、人と関わるのが苦手なのだと言えるのかもしれない。ずっと一人で勉強をしていたので、他人にどのように伝えれば理解してもえるのかがわからないのだ。とはいえ、彼女に仕事を覚えさせるのも会社から与えられた業務であるには違いがないので、今までと同じように努力をした。事実や手順を伝えるだけでは覚えられない彼女に、仕事を覚えてもらうための工夫を毎日考えた。相談があると言われれば聞いてやり、悩みがあると言われればどんな長話でも聞いてやった。あくまでも業務時間内のことではあったが。
山田一郎は遅い昼食をとりながら、午後からの仕事をどのように進めるか思案していた。少し目を離した隙に、彼女が帳簿への入力を盛大に間違えてしまい、その手直しに手間取っていたからだ。誰もいない食堂で一人弁当を食べながら、あれこれとプランを組み立ていると、外食に出ていたはずの彼女が、たくさん席が空いているのにも関わらず、山田一郎の横に座る。仕事のミスへの代償だとでも言うかのように、コンビニで買ってきた少し値段の高いプリンを、山田一郎の前に置く。山田一郎はため息が出るのを隠そうとはしない。山田一郎が甘い物好きなのは社内では誰もが知っていることだった。黙々と手作り弁当を食べる山田一郎の横で、彼女自身はブラックの缶コーヒーのプルタブを開けて、一口すするってから遠慮がちに話しはじめる。少し目元が赤いのは、ミスを反省して先ほどまで泣いていたのだろう。繰り返し見てきた光景だったし、山田一郎を元々そんなことを気にしたりはしない。
「山田さんって、お金持ちなんですよね?」
「いくら持ってたら金持ちかは知らんけど、株とかはやってるし、利益は出してるよ」
「すごいですね」
「仕事しないで済むほど儲かってるわけやないから、すごいかはわからんわ」
「でも、すごいです。お仕事でもみんなに褒められてるし」
「本当に褒められるほど仕事ができるんなら、もっと高給取りになってるよ」
「転職しないんですか?」
「今の仕事は楽だからね」
「たのしいですか?」
「たのしんではいないよ、楽はしてるけど。金儲けは、なんであれ好きなんだ」
「お金儲けが、好きなんですか?」
「金が好きなんだ」
「どうしてですか?」
「さぁ? 子供のころからずっと貧乏で、ずっと、バイトしては貯金してばっかしだったからかなぁ。あんま考えたこともないな」
「そうなんですね」
「気がついたら貯金していた。理由なんて別に、後付けで良いんとちがうか?」
「、、、そうですよね、理由なんかは後からでも良いんですよね!」
「ん、まあ、自分の場合は、そんな感じやけど、、、」
「わたしも、なぜ好きになっちゃたか理由がわからなくてずっと悩んでいたんです。でも、好きになるのに、理由なんてなくても良いんですよねっ!」
山田一郎は食べようとしていたプリンをテーブルに落としてしまった。
愛について一考察 滝沢諦 @nekolife44
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