マルチロール
四方山 英果
第1話
この部屋に閉じ込められて何日経っただろう。
あの日、研究室に入ると先生はおらず、見知らぬ人たちが一斉にこちらを見た。
なんだかわからないうちに拘束されて、少し殴られもして、たぶん気を失った。
気がついたらこの部屋にいて、知らない人たちに何度か話を聞かれたけれど、言葉が通じない。
その後はずっと放っておかれている。
ここは四方を土壁に囲まれていて、とにかくほこりっぽい。
ガラス窓なんてものはなくて、目の高さより少し上に、鉄格子がはまった隙間があって、そこから小鳥が出たり入ったりする。
ちょっと背伸びして見てみたら、鉄格子の外は石畳の地面だった。
反対側の鉄の扉から、たまに食事が差し込まれる他は気晴らしになるものがなくて、なんとなく鉄格子の外を見上げてしまう。
また小鳥でもこないかなあと、鉄格子に顔を近づけていたら、足音が近づいてきて目の前で立ち止まった。
「少しさがれ。」
女の人の声だ。少しかすれた低い声。若々しさと、厳しさが入り交じった重奏のような響き。
こんなときだけど、少し緊張してしまう。あまり女の人とは話したことがないのだ。
「こちらの壁を崩すから、少しさがってくれ。奥の壁の方へ。」
ちょっとぼんやりとしてしまったけれど、もう一度言われてから壁ぎわまであとずさった。
いくつかの足音が聞こえたあと、小さく連続した爆発音がして、鉄格子ごと土壁が倒れ込んできた。
もうもうと立ちこめる土煙の向こうに、陽光を背にした人物の姿が浮かび上がる。
「助けに来たぞ。さあ、ここから出よう。」
そう言って、手をさしのべてきたのは若い女性だった。
何というか、こんなにむさ苦しいところには似つかわしくないと感じるような、細身の女性だ。
サバイバルゲームでもするような服装をしているが、いかにも武闘派といった雰囲気はない。
戸惑いながらも彼女の手を取ると、力強く掴まれて一気に地上に引き上げられた。
「立てるか?すぐにでも移動しなければいけないんだ。」
「はい、何とか……」
答えながら彼女のほうを見ると、ほかにも二人の人物がいた。二十代前後の青年と、幼い少年。
青年の方は銃で武装していて、路地の方をじっと見据えている。
少年は大荷物を抱えているが、荷物持ちの役割だとしても幼すぎる。どう見ても十歳未満だ。
「ええと、あなたがたが僕を助けてくれる……?」
「そうだ。今日にも敵が通訳を確保する。そうなると君は拷問を受けることになる。情報を持っていようと、いまいとね。」
彼女に言われて、僕は三人の姿を順番に見回した。あっけにとられている様子の僕を見て、何かを察したように彼女が言葉を続ける。
「人員不足でね。最適な編成というわけにはいかなかったんだ。見た目よりは頼りになるから信じてほしい。いずれにしても、他に選択肢はないんだ。」
それを聞いて僕は息をのんだが、そのあと、彼女を見返してしっかりとうなずいた。
そうだ。助かりたいなら、選択肢はない。拘束されてから今日まで生きていたのだって、運がよかっただけだろうし。
「よし。少し離れたところにある崖まで移動して、迎えのヘリに乗り込むことになる。子供が先導するから、遅れずついてこい。」
僕が彼女に向かってうなずくと、少年がにっこり笑って軽く手招きをした後、くるりと向きを変えて走り出した。
あわてて僕が後を追い、女性と青年が続いた。
ゆっくりした速度で走りながら、建物の間をしばらく行くと、脇道の方が騒がしくなった。
何を言っているのか意味はわからないけれど、複数の男の声と靴音が入り乱れて近づいてくる。
思わず立ち止まってしまうと、すぐさま、前にいた少年がきびすを返して走り寄ってきて、僕の横をすり抜けて最後尾にいた青年の近くまで行った。
立ち止まることもなく、持っていた荷物を青年の足下に放り投げると、そのまま向きを変えて、また僕の前まで来た。
「な、なんです?」
思わず敬語になって少年を見ると、後ろから小突かれた。
「止まるな。行くぞ。」
彼女の方を振り向くと、その向こうの青年の様子が目に入った。さっき少年がほうった荷物から、いろいろな武器を取り出している。
「えっと、彼は何を?」
「追っ手を食い止める。君はさっさと走れ。」
「えっ、彼を置いていくってこと?」
「そうだ。私が何をしに来たと思っているんだ。君が助からなければ意味がないんだ。早く行け!」
最後には怒鳴られて肩を強く押された。
よろけながら少年の方を見ると、にっこり笑って手招きしている。
振り返って青年の方を見てから、僕は少年を追うように走り出した。
青年は一度もこちらを見ることなく、後方の路地に向かって銃を構えた。
走り出してすぐ、後方で乾いた破裂音が続いた。
断続的に聞こえる破裂音と爆発音からだんだんと遠ざかって、路地を進んでいく。
今度は速い速度で走っているので息が切れてしまった。
足がもつれて転びそうになると、すかさず女性が僕の脇に腕を回して抱えてくれた。
彼女に寄りかかるようにしてなんとか走り続けていると、突然、先行している少年が立ち止まった。曲がり角で、うかがうように向こうをのぞいている。
数秒たって、少年がポケットに手を突っ込むのと同時に彼女が言った。
「子供が走り出したら、こちらは反対側に走る。もうすぐ、合流ポイントだ。振り向くなよ。」
それがどういう意味なのか、理解するのに少し時間がかかった。
抗議をしようとした瞬間に、腕を掴まれて引っ張られた。そのまま引きずられるようにして走り出す。少年の姿がちらりと視界に入ったときに、何かボールのようなものを投げているのが見えた。
走り出してすぐに背後で爆発音がして、衝撃に押されて転びそうになった。彼女がおかまいなしに僕の体を引っ張り上げながら走り続ける。
あの子はどうなっただろうと思ったけれど、確認することはできなかった。
全力で走り続けて少しすると、建物が途切れて高台のようなところに出た。
ほとんど崖のようになっていて、目の下に木々がまばらな林が広がっている。
「着いたぞ。ここにヘリが来る。着地する時間も場所もないから、君をつり上げることになる。できるだけ崖のほうに寄ってくれ。」
「わ、わかった。」
「ここを離れるので君は一人になるが、落ち着いて待っているんだぞ。」
「えっ、どうして?一緒に行かないのですか?」
「別の追っ手が来ているらしいから、この場所に近づけさせないようにするんだ。たいした装備がないから、おとりになるくらいしかできないが。」
おとりになる?
出会って数時間もたっていないけれど、たまに厳しくされたりもしたけれど、全力で僕を守ってくれた。
あの青年も、少年も、僕のためにどうなってしまったんだろう。この上、彼女まで……
「だめですよ。一緒に行きましょう。」
僕は彼女の手を両手で包むようににぎった。ヘリの音が近づいてくる。
「そういう悠長なことは言っていられないんだ。それに君は思い違いをしている。三体分の操作が忙しくて説明が遅れてしまったが……」
「それはロボットだ!」
「それはロボットだ!」
目の前の彼女が声を上げるのと同時に、背後から割れ鐘のような大声が響いた。
彼女の手をにぎったまま、顔だけ振り向くと、いかにも武闘派といった風体の大柄な男性が、ヘリから身を乗り出してこちらを見ている。
男性がかぶっているヘルメットのようなものを脱ぐと、ヘリの騒音が倍増した。
「三体とも私が操作するセミオートマチック・ロボットだ!人間じゃない。」
「三体とも私が操作するセミオートマチック・ロボットだ!人間じゃない。」
ヘリの男性がどなるのと同時に、すぐそばの彼女から同じ言葉が発せられる。
若々しい女性の声と、重く響く男性の声と、ヘリの羽根が空気を切り裂く音に囲まれて、僕は頭が真っ白になった。
**
私は、一号機の手を握っている要救助者の手をほどいて、ヘリの方へ押しやるように操作をした。
彼はよろけて、力なく尻餅をついてしまった。
自由になった一号機の移動先を指定して、それが移動を始めると、座りこんだままの彼に呼びかける。
「さあ、君はこちらへ……」
最後まで言わないうちに、彼はゆっくりと立ち上がり、あろうことか一号機の向かった方へ走り出した。
「待て!そっちじゃない、こっちだ!」
後ろ姿に向かって怒鳴ったが、何やらよくわからないことを叫びながら、彼は行ってしまった。
移動している一号機のマイクをとおして、彼のわめく声がかすかに聞こえてくる。
思わぬできごとに呆然としていると、パイロットから声をかけられた。
「時間切れだ。離脱するぞ。」
私の返事を待つこともなく、ヘリは岸壁を離れた。
マルチロール 四方山 英果 @yomoyama2019
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