エピローグ


 ロワールハイネス号は四日後にアスラトルへと帰港した。その接岸を待っていたかのように、海軍省から、アドビス・グラヴェールがシャインを呼んでいると連絡が来た。

 手紙には帰港後すぐ執務室を訪れるようにとあったが、シャインは体調不良と報告書がまだできていないことを理由に翌日出向くことを手紙にしたため、アドビスの使いの者へ言付けた。


 

 翌日、シャインは一人、アスラトルの海軍本部を訪れた。

 参謀司令官室に入ると、アドビスは待ちかねたように席を立ち、シスリアル号の消息をシャインに尋ねた。

 シャインの顔色はその日着ている白の礼装と同じくらい色を失い青ざめている。

 シャインは気が乗らない様子で口を開いた。


「オルド・スターマインとの接触は失敗しました。何者かがかの船を襲撃し、沈めていたからです」


 報告してからシャインはアドビスの顔色を窺った。その険しい顔に浮かぶ表情から、彼が何を思っているのかを読み取ろうとしたが、アドビスは猛禽のように鋭い水色の瞳を細めただけで淡々と答えた。


「シスリアル号は?」


「俺が駆けつけたときにはもうすでに船体の大半が沈んでいました。事実、かの船は発見一時間後に沈没しました」


「お前が確認を?」


「はい。沈没を確認してその海域を立ち去りました」

「……そうか。なら、もういい。報告書を提出して下がれ」


「……」


 シャインは無言で報告書をアドビスに手渡した。だがその前を下がらず前髪に手をやりため息をついた。


「何が気に入らない?」


 シャインの態度に引っかかるものを感じたのか、報告書を受け取ったアドビスがこちらを睨みつける。シャインは口を開いた。


「シスリアル号が沈んだのは――いや、あの船を『襲わせた』のは、あなたの命令だったのではないのですか?」


 アドビスは無言でシャインを見下ろしている。

 沈黙を肯定と受け取り、シャインは確信を込めて言葉を続けた。


「オルド・スターマインはあなたの命を受けて諜報活動をしていた男だった。ただし、彼はエルシーアの間者のふりをした、間者だった。それを知ったあなたは彼の暗殺を命じ、その成否を確認させるため、俺にかの船の消息を探る任務を命じたのです」


 アドビスの顔に、珍しく笑みのようなものが浮かんだ。


「私が、か?」

「そうとしか考えられませんから」


 シャインはそっけなく答えた。

 グラヴェールの名を恐れたアビゲイルの顔が脳裏に浮かんだ。

 アドビスは唇を引きつらせるように歪めると、感情のこもらない声で呟いた。


「お前如きに何がわかる。これが、私の仕事だ」

「……」


 アドビスはシャインに背を向け、部屋の奥にある執務席へと歩いていった。

 報告書を机上に投げやり、腕を組んで再びシャインの方へ振り向いた。


「時にシャイン。あのはどうした。もちろん、船にいるのだろうな?」


 シャインは表情一つ変えずつぶやいた。


「あの娘とは?」

「私が知らぬとでも? オルドの船に一緒にいた彼奴の娘だ。ロワールハイネス号が救助したはずだ」


 シャインは唇に笑みを浮かべた。エルシーア海軍内で多くの将官に恐れられているアドビスを前にして、笑っていられる人間はどれほどいるだろう。

 勿論時と場合にもよるが、シャインは母親譲りの青緑の瞳を細めながら、静かに礼装の内ポケットに手を入れた。


「それは何かの間違いです。報告書にも書きましたが、シスリアル号に生存者はいませんでした。これを閣下がご覧になれば、その報告が間違いであったことを思い出されるでしょう」


「……!」


 アドビスが目を一瞬大きく見開いたのをシャインは見逃さなかった。

 シャインはアドビスにオルドの死体から抜き取った包みをみせた。それは防水のために茶色の油紙に包まれている。


「事切れていたオルド・スターマインより取り返しました。エルシーアの機密書類です。こちらはあなたにお返しいたします」


 シャインはアドビスに近づき、大きな掌へ包みを手渡した。

 アドビスが急ぎ中身を開いて検分する。シャインはその様子を黙って見ていた。

 やがてアドビスが小さく頷き、安堵するかのように息を吐いた。


「確かに。王宮より紛失していた重要書類に相違ない。オルドの娘は確かに私の勘違いだった」

「では、俺はこれで失礼します」


 シャインは一礼して踵を返すとアドビスの執務室を退出した。

 それを呼び止めるアドビスの声はなかった。

 部屋の扉を閉めると、同時に額にじっとりと冷たい汗が浮かんできた。



 ◇



 海軍省のエントランスホールまで歩くと、そこで航海服姿のジャーヴィスがシャインを待っていた。


「終わったよ」


 シャインはジャーヴィスに近づくと、一言だけ短く囁いた。

 ジャーヴィスの鋭い青い瞳が頷く。


「こちらも無事に終わりました。アビゲイルはアムダリア方面の旅馬車でアスラトルを発ちました」

「そうか。よかった」


 顔を見合わせ、シャインとジャーヴィスは無言で再び頷きあった。

 そして海軍省の門をくぐりぬけて石畳の街道に出たところで、ジャーヴィスが口を開いた。


「アビゲイルから艦長にお詫びと礼を言っておいて欲しいと頼まれました」


 シャインは黙ったまま目を伏せた。


「俺は――あの人のやったことに異を唱えるつもりはない。アビゲイルが父親をあんな形で失うことになったのは気の毒だと思うが、これもオルド・スターマインがエルシーアを裏切った報いだ」


 ジャーヴィスはうなずいた。


「私も同感です。尤も、あまりよい気分ではありませんが、アビゲイルもアムダリア国の親類の下へ行きましたし、多分大丈夫でしょう」


 シャインはようやく唇に笑みを浮かべた。


「そうだね」


 シャインとジャーヴィスはロワールハイネス号が停泊してる突堤へと歩いていたが、分かれ道でジャーヴィスがシャインの袖を引っ張った。


「丁度昼時ですね。ほっとしたらお腹が空いてきませんか? 海軍省通りに紅茶専門店ができまして、マリエステル艦長いわく、とても美味しいラゼリア(ケーキの一種)が食べられるそうです」


 ふふんと意味ありげにシャインは笑った。


「君のことだ。もう二人で行ってその味は保証済みなんだろうね。俺は構わないよ」


 幾分顔を上気させてジャーヴィスが頭に手をやる。


「そ、そういうわけではありませんが――」

「君はマリエステル艦長のことになったら嘘がつけないよね、ジャーヴィス副長。すぐ顔に出る」


 くすくす笑いながらシャインが歩き出す。


「なっ――!」

「ほら、そうやってすぐムキになる。あ、ごめん。悪気はないんだ。本当にすまない」


 シャインの顔はまだ笑みが残っている。


「艦長。失礼ながら、私のことをそんな風に思われていたのですね」

「いや、だから、悪気はなかったって言ってるじゃ――痛っ…」


 脇腹を押さえて顔を引きつらせるシャイン。


「笑いすぎて傷があるのを忘れてた」

「いい気味です。人を馬鹿にした罰ですよ」

「馬鹿になんかしてないよ。なんでも君は完璧にこなすから、弱みを握る事ができてうれしいなって思っただけだよ」


 ジャーヴィスの頬がぴくりと引きつった。


「ほお。弱みですか、私の?」

「えっ、いや、その――」


 シャインが歩調を速める。まるでジャーヴィスの追及から逃れるように。


「艦長、ちょっと待って下さい!」


 ジャーヴィスが背後から叫ぶ。

 それをシャインは苦々しく思いながら足を速める。

 シャインは白の礼装姿だ。これだけでも街中では目立つというのに、そんな大声で叫ばなくてもいいじゃないか。


「グラヴェール艦長! 待って下さい!」


 待てと言われたら、待ってたまるか。

 シャインは天邪鬼である。

 ますます歩調を速めてジャーヴィスを引き離しにかかる。

 けれどジャーヴィスは走って来てシャインの腕をつかまえた。

 そして腕を引っ張って自分の方に向かせると大真面目な顔で叫んだ。


「あなたって人は、本当にいつも一人で先に行かないで下さい! ちなみにそっちじゃありませんよ、店は!」



(終わり)

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【人物紹介&番外編】ロワールハイネス号の船鐘 天柳李海 @shipswheel

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