エピローグ

エピローグ

「それでは私は帰ります」


ぎゅうぎゅう詰めになった車からまっさきにロランスが解放された。


「九条悠の討伐は果たせませんでしたが、上に報告することができました。それに……私は今回の件で少し自分について考えてみようと思います」


スカートのすそをつまんで膝を折る。ロランスは車を降りたその足でホテルへと戻り、そのまま空港へ向かうそうだ。

ハンターとしてまだまだ未熟であると痛感したロランスは最後にロルフを睨む。彼女は吸血鬼専門のハンターだが、二度にわたり人狼を圧倒することができなかった自分の力不足を悔いていた。


「次に会った時にはロルフ・クラウゼを殺します」

「ぽんこつハンターに俺が殺されるわけがない。次は俺がお前を食う」

「ぽんこつ……っ!? こほん。余裕を見せられるのも今だけです」


傷を負っているせいか、ロランスの足取りは確かではない。背を向けて去る彼女に高蔵寺が「大丈夫かしら」と心配した声を洩らした。


「彼女を気遣う必要はないだろう。ここで気遣えば、彼女のプライドを傷つける。さあ、高蔵寺たちを家まで送ろう」

「早く、そうしてくれ。キツイ」


ロルフの言う通り、車内はそもそも定員四人だ。運転席にダン、助手席に高蔵寺。後部座席には九条と図体の大きいロルフ、そして成人男性ぶんの大きさがある狼二頭だ。ついさきほどまでロランスが入っていたのだから、後部座席は息が詰まるほど狭いものだった。今現在でも狭いのだが。


「しばらくはみんなで療養ね。全快するまでうちに泊まる?」

「……そうする」

「うん。さんせい」

「ダン、あなたもどうかしら」

「ありがたい話だが、遠慮させてもらう。俺が干渉する必要はないだろう」


そう言ってからダンはバックミラーから九条の様子を見る。彼はずっと喋らず、ただ静かに車窓から流れる風景を眺めていた。


ダンが洋館に到着した時、すでに赤井は息絶えていて、九条がちょうど最後の一滴を飲み干したところだった。九条はロルフが合流してからもしばらく赤井から離れなかった。赤井が交差したままの指を、手で包み込んで、すがるような姿勢で彼女を離さなかった。ロルフが「火葬しよう」と提案するまで、ずっと。


九条にとって、赤井はただの友達だったのだろうか。ただの仲間だったのだろうか。

きっと、そうではないのだ。そういったありたいていの枠はない。赤井によって吸血鬼の九条は生まれた。命を助け合った。口で語る以上の深い信頼と絆が確実にあった。それは友達でも仲間でも家族でも同士でも、ましてや恋人などではない。すべてが終わってから気付くのだ。彼女にとって彼は、彼にとって彼女は、まるで自分自身だったのだと。


九条は自分の一部を失った。それは奇しくも己の手で。

しかし彼の心を支配するのは虚しい喪失感だけではない。

それ以上の――否、それ以上に――。


「着いたぞ」


真っ先にロルフと狼が車から這い出た。一人と二頭が同時に車外で背筋を伸ばす。


「ありがとう、ダン。助かったわ」

「いいや。それより……」


ダンの視線はゆっくりと九条へ向く。九条はたった今車から出たところだ。


「九条にとって、今回の件はダメージの残ることだろう。よく見てやれ」

「ええ。そうするわ」


高蔵寺はもう一度礼を言って、車のドアを閉める。ダンは車を発進させて行ってしまった。

残された高蔵寺は九条に寄っていく。よく見えなかった九条の表情を正面から見る。高蔵寺は豆鉄砲をくらったように「あら」と小さく声を出した。


九条は心身ともに沈んでいるのだと思っていた。赤井は九条にとってどれだけかけがえのない存在だったのか、憶測はできている。だから、赤井の望み通りの言霊を発してしまったことに対して改めて謝り、九条を支えようと思っていたのに。

彼の表情は暗くなく、むしろすこしばかりの晴れやかさが見える。


「大丈夫……?」


恐る恐る聞いてみる。もしかして九条は無理をしているのではないのかと心配した。


「赤井は、最後にずっと俺に『ありがとう』と言っていた」


めずらしく、九条の口角が上がっているように見える。


「俺にはまだ分からない。死ぬことが救いになるなんて。……――でも、あのとき、赤井は幸せそうに見えた」


ゆっくりと九条の中で赤井の死が昇華されていく。


「もしかしたら生きていることだけじゃなく、死ぬことだって救済になることもあるかもしれないって……、赤井の最期を見届けたら考えるようになった」


赤井は九条の手で救われた。九条は赤井が救われたのだと、幸せだったことを嬉しく思う。それだけで満たされている。だから、強がってなど――。


「でも……。それでも、あなたは泣きそうに見えるわ。たくさんのものが心の中にあるでしょう。どうか、誤魔化さないで。私はあなたの支えになりたい」


高蔵寺は九条の手を強く握った。その暖かな手が、堰を切らせる。押しとどめていた感情がどっとあふれる。

ぼろぼろと出る涙を止める術などない。止める必要はない。じりじりと目尻が痛み、歯を食いしばる。大粒の涙が頬を濡らして、赤井がいなくなってしまった現実を受け止める。

高蔵寺は九条を包み込むように抱きしめた。何事も言わず、ただ無言で、九条を優しく、優しく抱きしめるのだ。その上からさらに、見守っていたロルフが二人まるごと抱きしめる。


赤井は満足していただろう。そんな赤井を見送り、九条も考えを改めて満足した。彼女を救済することができたのだろうと。ただ、それでも。赤井を助けることができていたのだとしても、彼女のいなくなった世界に対する喪失感というのは九条が得たことのない空虚だ。


赤井きよがいてこそ、九条悠が存在する。自分自身であり、吸血鬼としての九条を構成する赤井はもう、この世のどこにもいないのだ。


悲しい、寂しい、苦しい。でも、赤井は笑顔だった。それでいいじゃないか。それだけが、たよりだ。それだけをたよりに、吸血鬼は赤井のいない世界を生きるのだ。

ただ、今だけは。今だけは空虚を吐露していたい。

己を焼くような涙をたくさん流して。


――それはまだ夜間の静けさを引きずる朝ぼらけのことだった。

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Vampire Fool 永倉 @Kagamikyo193

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