黎明へ翔ける・4

「赤井はどうして死にたいんだ! どうして、ずっと死ぬことを望んでいた?」

「ずっと?」


切断されていた手は結合を果たしたものの神経がつながっておらず、まったく動かせない。それどころがいまだに激痛が続いている。治ったのは外見だけということだろう。

赤井の刀を避けてばかりいる九条に赤井は苛立ちを隠せないようで、口調は荒く、一撃が重い。


「赤井は俺と出会ったときから死ぬことを考えていた」

「なんだ。気づいてたの」

「でもあのときの赤井はプライドがあった。決してハンターの手にはかからないというプライドが。だというのに今はどうして……」

「……別にあたしは変わっちゃいないよ」

「え?」


赤井が大きく踏み込む。額の上からまっすぐ天に刀を構える。勢いをつけた振り下ろし。叩き切るように力強く。あまりにも速い赤井の踏み込みに九条の対処は遅れを取る。とっさに左側へ回避したが、すぐに赤井は刀の軌道を変えて九条の胴を真っ二つにしようと薙ぐ。九条はまだ床に着地すらしていない。九条は赤井の腕にハイキックをして刀を逸らす。九条の着地は失敗したが、背後から転びそうになったところをバク転に切り替えて体勢を持ち直した。その際つい両手を使ってしまった。赤井に切断された左手にとんでもない激痛が走る。


「ぐあ……っ」


 左手を抱えて、苦悶の声を漏らした。その重い痛みをなんとか飲み込もうとするも、目の前の赤井に意識を切り替えることができない。


「そんなんじゃあたしに殺されるのが関の山だね。いつまで手を抜いてるんだい。そうやって手を抜いて戦われると困るんだよ」

「手なんか、抜いてない」

「抜いてるね。あんたは防御ばかりしていてあたしに攻撃をしない。まさかあたしを無傷で止められるとでも? なめられたもんだ。ほら、あたしを止めるにはどうしたらいいのかな? その頭で考えてみな」

「赤井に死んでほしくないと思うのに赤井を傷つけるようなことはできない」

「まさかあたしを説得できるとでも思ってんの? 九条は本気であたしを馬鹿にしているようだね」

「そんなことない!」


説得の余地がないことは九条にもよくわかっている。どうしたら赤井と止められるのかわからない。赤井が怪我をすることなく止める方法はないのだろうか。赤井を死への願望から解放することはできないのだろうか……。


「なら本気であたしと向き合いな! 殺意を宿して、敵意をもって! さもなくば、九条はここで死ぬよ」


また赤井から動く。九条は受動的に――。

覚悟を決めなくてはいけない。赤井の言うように九条は手を抜いている。赤井は真剣なまなざしで九条をみているといのに、九条はそうでない。どこかに都合のいい手段があるのではと、ありもしない希望にすがっている。赤井が真摯に九条と向き合っているというのに九条はそれに応えないのか。現実逃避をして目を逸らすのか。また逃げるのか。


赤井に死んでほしくないから、生きていてほしいから傷つけない? 否。赤井に死んでほしくないから、生きていてほしいと願うから、止めるのだ。どんな手段を用いても。


これはわがままとわがままのぶつかり合いだ。


先手は九条だ。赤井が動いて一撃目の構えをする前に九条は変身する。霧だ。赤井も得意としている霧への変身。九条のほうが霧への変身が早い。そのまま霧は赤井の頭上で集結し、九条が姿を現す。姿を完全に戻すのはやや遅いが、戦闘中に変身ができるというのは赤井よりも優れた潜在能力をもっていることに繋がる。


「やっぱり」


そうつぶやく赤井へ、落下の力が加わったかかと落とし。赤井はすぐにそれを回避し、そしてカウンターをする。九条はまだ体の一部分が薄れていて霧から完全に姿を取り戻していない。その状態からさらに変身をすることができない。できうる限り体を動かして避けようとしたが、肺を穿たれてしまった。肋骨の隙間をぬって肺に刀が入り込み、引き抜かれる。もちろん流血する。痛い。しかし吸血鬼にとって致命傷にはならない。

九条は痛みをすべて奥歯で噛み締めて、我慢する。勝手に涙が出てきそうなくらい痛いし、息もうまくできなくて苦しいが、それが原因で死ぬわけではないのだ。


「もうすぐで心臓を刺せたのに」


そういう赤井に、ふと九条が疑問を抱いた。果たして赤井は本当に心臓を狙っていたのかと。赤井ははじめから九条の肺を見ていた。九条と赤井が対峙するのは至近距離だ。その至近距離で視線の先を間違えたりはしない。


「……赤井、一つ聞いてもいいか」

「どうぞ」

「赤井が俺を殺そうとした本当の理由を教えてくれ」


動きが止まった。赤井は目を丸くして九条を見ている。しかしそれもすぐ終わり、目を伏せた。構えを解いて、全身から力を抜いて。数歩だけ後退する。


「まったく。あんたって子は……。重要なところで図星をさすんだから」


その口調はあまりにも優しい。九条とであったときの赤井はこのような優しい口調で話していたことを思い出した。

赤井は床に放り投げた鞘を拾う。そして鞘をもって高蔵寺のところまで行くと彼女の拘束をすべて解いた。全身に力が入らない高蔵寺は床に倒れ込んでしまう、九条が慌てて高蔵寺の上半身を抱くように支えた。


「高蔵寺には悪いことをしたね」


ついさきほどまで高蔵寺を拘束していた椅子に赤井が座る。


「赤井……?」


九条は不審げに彼女を見上げる。高蔵寺もゆっくりと九条と同じように見上げた。


「あたしが九条を殺そうとした本当の理由。……あたしは今でもハンターの手にかかるつもりはないよ。残念だけどあたしは吸血鬼だ。吸血鬼のプライドを捨ててハンターに命を差し出すほど落ちぶれちゃいない」

「俺を殺すのは、てっきり半吸血鬼のロランスに殺してもらう条件だと思っていた」

「違うよ九条。あたしを殺してほしいのは九条だよ」


刀の刃を見つめていた赤井は、ゆっくりとそれを納刀する。刀は右側に置いて指を膝の上で交差させた。


「俺……だって?」

「そうさ。九条悠は、吸血鬼になってからできたあたしの最初で最後の友達だ。あたしが信頼している唯一の友達」


いますぐにでも消え入りそうなかすかな微笑。

赤井からすっかり闘志は消え失せ、子供に語り掛ける母親のように暖かい。

彼女のその温和な表情が、九条の心を駆り立てる。

心臓がうるさく九条を急かす。


「ま、待って……」

「あたしを助けて、九条」


九条は赤井が吸血鬼を嫌悪していることを知っている。それは赤井が人間から吸血鬼へと変貌した経緯が最悪なものだったからに他ならない。絶望の底にいる赤井を誰も救い出すことはできない。

赤井は自身が吸血鬼であること自体を醜悪に思っているのだ。その身は一体誰のせいで吸血鬼へとなってしまったのか。あの男と同じ吸血鬼。あの男の血が今もなお全身を巡っていると考えるだけでぞっとする。


そもそも吸血鬼とは人間の生き血なくしては生きることができない。とくに、赤井は一度の吸血に必要な血液量が成人男性まるごと一人分だ。赤井が食事をするには人一人の犠牲がかならず付きまとっている。自分の両親を殺した方法と同じく、血を吸い取る行為は、常に絶望と酷い喪失感に襲われるのだ。それは吸血鬼として致命的な欠点であった。吸血行為が赤井を酷く辛く苦しく襲う。まるで呪いのように。


吸血鬼である以上、どうしても吸血行為を切り離すことはできない。だからこそ、赤井は死を望んでいる。百年以上も続く苦しみから解放されるために。


そして、厚かましくも願うのだ。もし自分を見届けるのなら九条がいい、と。


「なにか、あるだろ。赤井が生きていられる……方法が」

「あたしを助けたいと思うのならあたしを殺して」

「いやだ……。俺は赤井を殺したくない。赤井を助けたい。どこかに解決する手段があるはず」

「九条」


九条は動揺した。頭が痛い。平衡感覚を失ってしまうくらい酷いものだ。

こんな結末があってたまるか、と九条は思考を巡らす。どうにか赤井を助ける方法はないかと考える。


「あたしを助けたいと思うなら、あたしを殺して。死ぬことが救いになることだってあるんだよ」

「できない……」

「助けて。あたしを救って、九条。お願いだよ」


九条が彼女を生かしたいと願うのはエゴだ。

赤井をすべての苦しみから助けるには、彼女の願いを叶えるしかない。

今にも泣きそうな赤井の表情を見て。九条は胸を打たれる。必死に涙をこらえているのだろう。


「あなたの赤井を助けたいという思いやりが本物なら、救ってあげましょう」


高蔵寺は自分の力で体を起こして、九条の隣に座ると彼の背中を優しく推した。

九条は赤井を殺すのではない。救うのだ。吸血鬼となってしまった彼女への救いはただひとつ。彼女の苦しみを永遠に浄化する手段は、たったひとつしかない。

胸の上を飾っているリボンを解き、赤井は自らの首筋を見せる。立ち上がり、ゆったりとした足取りで九条は赤井が座る椅子に近づいた。


「なに泣いてるんだい。まったく。二年もたてば吸血鬼らしくなると思っていたけど、あんたの心は人間のままだ。……まったく、誰に似たんだか」


九条の眼鏡を外し、彼の目から落ちる涙を拭いてやる。


「さようなら、赤井」

「うん。さようなら。ありがとう……。九条は強くなったね」


九条の牙が赤井の肌を、ついに――。


忘れないよう、しっかりと九条は赤井の血を飲み干す。一滴残らず、赤井の血を体内に流し込む。赤井はただひたすら、その命が消える瞬間まで九条に「ありがとう」と繰り返した。


美しく、同時に儚く、静かに灯を消した。



   ◇◇◇◇◇◇




――吸血鬼の吸血行為というのは、基本的に快楽が伴うものだ。それが純血の吸血鬼であればあるほど色濃く出る。が、後天的な吸血鬼は少し違う。快楽よりも、彼ら彼女らが吸血鬼へと変貌したその瞬間の感情が被害者に伝染し、加害者に永遠に残る。

赤井きよが吸血された瞬間の感情は負のものばかりだった。絶望、恐怖、喪失感。それらが入り混じって、加害者の吸血鬼の内に蘇り、被害者に伝染する。

九条に吸血された赤井に伝染したのは、心が満たされた充足感であった。そして後から訪れる安らかな感情。


安心する。九条悠は自分のように苦しみを抱えることはないのだと、心から。


どうか九条の未来が幸福になるよう願って。

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