第2話

 その日の夜。

 夢を見た。

 どこだろう。

 どこか広い場所を歩いている。

 空には大きくて蒼い月がかかり、歩くあたしを照らし出している。

 しばらくすると、月明かりをバックに黒いシルエットが浮かび上がった。

 誰かこっちに歩いてくる。

 誰だろう。

 ゆったりとした服を着ているようだ。

 まるで平安時代の服装みたい。

 近づいてみると、それともちょっと違う感じ。

 不思議なデザイン。

「……………」

 髪が蒼い。

 月の光に照らされて、つややかな蒼さが幻想的だった。

 肩のところで真っ直ぐ切りそろえられた蒼い髪が揺れている。

 ひどく美しい人だ。

 歳のころはあたしと同じくらい。

 誰だろう。

 見たことない。

 それはそうだ。

 だって、どう見てもこれは人間じゃない。

 髪だけでなく、目も蒼い。

 外人さんみたいな蒼とも違う。

 まるで宇宙の蒼をそのまま瞳に閉じ込めてしまったかのような不思議な色合い。

「……………」

 その人が手を伸ばしてきた。

「愛する人よ」

 口を開いた。

 ちゃんとした日本語を喋っている。

「貴女を迎えにきた」

「え………」

 あたしは驚いた。

 まさか───まさか、この人は。

「ツキコ……さあ、私とともに………」

 その人はあたしの手を取ろうと───

「!!」

 瞬間、あたしは目覚めた。

 寝汗をかいている。

 身体が震えている。

 あれは何?

 夢?

 現実?

 あの人はいったい誰?

 母の名前であたしを呼んだ。

 ふわっ───

「!!」

 窓に目をやった。

 窓が開いてカーテンがはためいている。

 おかしい。

 窓はキチンと閉めていたはず。

 あたしはベッドから降りて窓に近づいた。

 二階の窓から夜空を見上げる。

 月が輝いている。

 明日は満月。

 あたしの誕生日。

 ふと眼下に視線を移した。

「……………」

 誰かの視線を感じたような気がした。

 けれど、通りには誰もいない。

 街灯が仄かにあたりを照らしているだけ。

 あたしはため息をつくと、窓を閉めた。


 明くる日、あたしたちは駅前の繁華街にいた。

 人々がひっきりなしに通り過ぎるそこは、あたしにはちょっと苦手な場所だった。

 月の見えるあの丘。

 あたしはあそこが好き。

 あまり誰も来ない。

 眼下にこの街を見下ろすことができる静かな場所。

 車や電車が行き来するのを見渡せる。

 案外歩いている人間たちも見えたりする。

「あ…」

 男の人がドスンと私にぶつかった。

 けど、その人は私を一瞥しただけで何も言わずに通り過ぎようとした。

「ちょっとあんた」

 すると、あたしの横を歩いていた和樹くんが、相手の人を呼びとめる。

 でも、その人はちょっとだけ振り返ると、やっぱり何も言わずに歩いていこうとした。

「ちょっ……」

「いいの、和樹くん」

 あたしは、まだ呼びとめようとした彼をとめた。

「大丈夫、あたしは大丈夫だから」

「遊樹さん……」

 あたしは彼の手を取り、さっさと歩き出した。

 彼の手。

 とっても温かい手。

 あたしは今日はやたらと彼の手をこうやって握っている気がする。

 不思議よね。

 昨日初めて知り合ったばかりだっていうのに。

 けど、こうやって彼の手の温もりを感じていたいという気持ちと同時に、あたしは彼が事故に遭わないようにと願いをこめていた。

 あたしが彼を守ってあげる。

 さっき彼があたしを守ろうとしたように。

 そのとき。

「あ……」

 ふと目に入ったもの。

「どうしたの?」

 突然立ち止まったあたしを気遣うように和樹くんが聞く。

「う…ううん?」

 あたしは何でもないような顔をして再び歩き出した。

 だんだん近づいてくる。

 あたしたちの前方に、昨夜の夢の人が立っていた。

 周りの雑踏の中、まるでそこだけが異次元空間のように見える。

 夢で見たような服装ではなく、ごく普通の格好をしていたけれど。

 でも、髪も目もやっぱり蒼かった。

 通りの人たちも、チラチラとその人のことを見つつ、通り過ぎていく。

 ということは、現実にそこにいるのだ。

 あの夢の人物が。

 いったい誰なの?

 けれど、あたしは怖くて立ち止まれない。

 あなたは誰───?

 そして、あたしと和樹くんはその人の横を通り過ぎた。

「……………」

 通り過ぎても、視線を感じる。

 まるであたしの背中に目がついてるように、なぜかハッキリとその人の姿が見える。

 あたしのことを振り返ってじっと見つめている。

 怖い───怖い───

 どうしてこんなに怖いのだろう。


「ねえ、何か心配事でもあるんじゃない?」

「え?」

 ジュースを飲む手をとめてあたしは顔を上げた。

 心配そうな表情の和樹くんがあたしを見つめている。

 喫茶店の店内はとても人が多く、雑然としていて、話す言葉も小さいと聞き取りにくい。

 けれど、和樹くんはシッカリとした張りのある声で、聞いていてとても気持ちがいい。

「なんだかずっと考え込んでるようだよ」

「……………」

 思わずストローを弄ぶ。

 どうしようか。

 あの人のことを話そうか。

 でも、頭がおかしいって思われちゃうかも。

「うん……なんでもない」

 やっぱり話せない。

 なんでろう。

 昨日はあんなにいろいろ話せたのに。

 あの人のことが話せない。

 何だか、話したら怖いことが起きそうで。

 それからあたしたちは夕闇が迫ってきた街を帰り始めた。

 あたしの家に帰るには、あの丘の近くを通る。

 そして、またあたしたちはその丘で並んで座り、街を見下ろしていた。

「いいね。こんな感じで毎日ここでデートしよっか…ね、遊樹さん」

「美夜って呼んで」

「え…?」

 あたしの言葉に驚いてる和樹くん。

「あのね……あたし………あ……」

 あたしは突然抱きしめられていた。

 ふわっと、ふわあっという感じで、和樹くんの腕があたしの身体を包み込む。

「ごめん……しばらくこのままでいていい?」

「…………」

 あたしは小さく頷いた。

 だいぶ陽が落ちてきた。

 あたしは抱かれつつ、空を見上げた。

 月が見えている。

 儚い色で天空にかかっている。


 『月の下で───

  優しく抱いた───』


 あのフレーズが思い浮かぶ。

 お母さん。

 お母さんもお父さんにこうやって月の下で抱かれたの?

 こんなに幸せを感じていたの?

 幸せだけど、震えるほどの不安も感じている───

 お母さんもそうだった?

「どうしてだろう。僕、どうしようもなく君が好きだ」

 彼の声がかすれて震えた。

 激情を抑えこんでいる、そんな感じ。

「あたし……あたしも………」

 彼が身体を離した。

 あたしの肩を掴んだまま、じっと目を見つめ、

「ほんとに?」

「あたしも……なんでかあなたが好き………あ…」

 唇を塞がれた。

 身体を抱きしめられた。

 痺れるくらいの震えが身体を突き抜ける。


 『優しいその目

  優しいその唇

  優しいその手』


 頭の中をぐるぐるとあの歌のフレーズが回る。

 ああ。

 あたしは知っている。

 この目を、唇を、手を───

 まるで決められた運命の恋人に出会ったかのような、そんな思いが湧き起こる。

 遠く遠く遙か遠くを、愛する人を探し求めて旅を続ける物語の主人公のように。

 遠く遠く遙か遠く、宇宙の果てまでも旅を続ける旅人のように、永遠の存在を求めて旅を続けて、そして巡り合ったかのような、そんな思いが。


『必ず迎えにくる』


 あたしは閉じていた目を開けた。

 飛びこんでくる蒼い月。

 天空にかかる月が、大きく蒼く目に映った。

 そして、その下に立つ者は───

「美夜……?」

 あたしの様子に気づいた和樹くんが、ゆっくりと振り返る。

 そこにはあの人が立っていた。

 蒼い髪、蒼い目を輝かせて、蒼い月を背にして立ち、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

「だ…れ……?」

 和樹くんは思わず立ちあがった。

 あたしも立ちあがる。


「ツキコ……迎えにきた……」


 その人が口を開けて言った。

 顔に似合って、とても透き通るような美しい声だった。

 まるで歌を歌う人のような、そんな感じの声。

 その人はほんの数メートルの場所で立ち止まった。

 どこか儚く、そして哀しい表情。

「愛する人よ。貴女を迎えにきた。さあ、行こう」

 手を伸ばす。

 あたしに向かって。

「あた…あたし……月子じゃない……」

 首を振る。

 もう間違いない。

 この人はあたしの───

「ツキコじゃない……?」

 怪訝そうな顔を見せる。

 そんな表情さえもどこか芸術品めいて、思わずうっとりするような感じ。

「そうだよ。彼女は美夜、遊樹美夜。月子さんは彼女の母親だよ」

「ミヤ……?」

 その人は傍らの和樹くんに視線を向け、それから再びあたしを見た。

「ミヤ?」

 呆然と繰り返す。

 そして、問いかけるようにあたしに、

「ツキコ……は……?」

「お母さんは死んだわ、もうずいぶん前に」

「死……?」

 果たしてこの人に「死」という概念が伝わったのだろうか。

 どう見ても人間じゃない。

 いったい誰?

 あたしのお父さんはいったい何者なの?

「なんと……なんということだ………」

 その人はその場に崩れ落ちた。

 足元の草を掴み引き千切る。

「そうだった……忘れていた……故郷に戻るべきじゃなかった………あの時、連れて帰るべきだった………ツキコ……ああ………どうして……!!」

 悲痛な叫びだった。

 あたしは胸が引き裂かれそうになった。

 涙が溢れ、どうしても止めることができなかった。


 それから、その人は月を見上げつつ本当のことをあたしたちに話してくれた。

 あたしが知りたかったことすべて。

 お母さんのこと、お父さんのこと、お父さんの故郷のこと。

 お父さんの名前は、アディエマス。

 地球から離れた場所のとある星系のMOONという惑星の住人だそうだ。

「わたしはその星の科学者なのだ。我々はこの惑星系の月に探査のための基地を建造した。純粋に地球人たちや地球の自然を調べるだけのためにね」

 彼は静かにそう言った。

 月を見上げ、目を細め話を続ける。

「本来なら、地球人と接触することは禁じられているのだが、わたしは少しばかり好奇心が強かった。よく忍んで地上に降り立っていたよ。そして、ある時彼女に出会った」

 彼はあたしに視線を向け、ふっと笑った。

 なんて優しく微笑むのだろう。

 あたしは思わず赤くなる。

「本当によく似ている……ミヤ……君はわたしとツキコの子供なんだね」

 さらに彼は続ける。

「わたしにとっては昨日のことのように思える。ツキコに出会ったのも、こんな満月の夜だった。この丘でわたしたちは出会い、そして愛し合った。そして……」

 彼が再びあたしを見つめた。

 慈愛に満ちた視線。

「君が生まれた」

「…………」

 あたしは何も言えなかった。

 お父さんが目の前にいる。

 けれども、あたしと年齢がいくらも違わない父親だなんて。

 それはしかたないこと。

 宇宙旅行をすれば、惑星上と宇宙空間では時間の流れが違ってしまう。

 それをウラシマ効果というのだそうだけど、あたしはよくわかんない。

 彼はそれを忘れていて、どうしても故郷の星に戻らなくてはならなくなった時に「必ず迎えに来るから」と言葉を残し旅立った。

「ミヤ………」

 お父さんがゆっくり近づいてくる。

 あたしの傍まで来て手を伸ばす。

「わたしとツキコの子。彼女の忘れ形見」

 お父さんはあたしの手を取った。

 ひんやりと冷たい手。

 あたしはじっと蒼い目を見つめる。

 けれど、どうしてもこの人が自分のお父さんであるということに実感が湧かない。

「もうすぐわたしたちは故郷に戻らなくてはならない」

 何でもないことのようにそう言う。

「二度と地球に来ることはないと思う。君はわたしの娘。共に故郷へ帰ろう」

「え……」

「だめだよ!」

 突然後ろから和樹くんの大きな声が。

 あたしとお父さんは彼に視線を向けた。

「君は地球人だ。ここにいるべきだ……いや、僕のためにここにいてくれ、君を失いたくない」

「和樹くん……」

「あなた……美夜のお父さん……あなたなら僕の気持ちわかってくれますよね。僕が彼女をどんなに愛してて、そして、ずっと一緒にいたいかってことが」

「…………」

 あたしはお父さんを振り返った。

 哀しそうな顔。

 なんて辛い表情。

 あたしの胸がギュッと縮まった。

「あなたにはわかるはずだ」

 和樹くんは強く言いきった。

 あたし───あたしはどうだろう。

 あたしの気持ちは───?

 あたしはできたら親子三人で静かに暮らしたいと思った。

 ずっとずっと小さい頃からそう思ってきた。

 お父さんがわかって、それは本当に嬉しい。

 これからずっと一緒に生きていけたらとても嬉しい。

 けど───


『待っていたわ、貴方……』


 え───?

「美夜?」

 和樹くんが驚いた表情であたしを見つめている。

 けど、一番驚いているのはあたし。

 だって、だって、あたしの口から───


『愛する貴方をずっと待っていた』


 あたしは自分の意思からではない言葉を喋っていた。

 それは紛れもなく母の言葉。

「ツキコ……」

 お父さんの顔に光が差した。


『愛する貴方、私も連れていって……貴方とともに貴方の故郷へ……』


 あたしは手を伸ばした──あたしじゃなく、あたしの中の母が手を伸ばしたのだ。

 お父さんは伸ばされたあたしの手を取り、ぎゅっと身体を抱きしめてきた。

 ああ。

 どうして?

 どうして母があたしを?

「美夜…美夜……」

 和樹くんがあたしを呼ぶ。

 けれど、あたしは言葉を発することができない。

 ただ、ただ、母の言葉を喋るだけの器と成り果ててしまっていた。


『待っていた……清い身体のまま、貴方だけをずっと待っていた……』


「ああ……すまなかった、本当にすまなかった、ツキコ……貴女を置いていくべきじゃなかったのに……わたしを、愚かなわたしを許してくれ……」

 お父さんの目から涙が溢れ、あたしの顔を濡らす。

 あたしは自由にならない身体で、自由にならない口で、必死になって自分自身の声を出そうとした。

 けれど。


『連れていって……私を連れていって……』


 母はそう言うだけで、お父さんにしがみついた。

「わかった……貴女をつれていく。一緒にいこう……ツキコ……」

「美夜!!」

 和樹くんが慌ててあたしたちに近寄ろうとした。

 すると、あたしたちの身体がゆっくりゆっくりとその場から持ちあがった。

 月に照らされた空間を漂って、あたしたちはどんどん夜空へと上がっていく。

 まるで月へ向かうかぐや姫のようだとあたしは思った。

 だんだんと地上が遠のいていく。

 和樹くんの姿が小さくなっていき───

「みやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 ただ、彼の悲痛な声だけが、月夜の丘を響いていくだけだった。

 次の瞬間、あたしは気を失ってしまった。



 けれど。

 あたしはふっと目覚めた。

「…………ここ……?」

「目が覚めた?」

 あたしはあの丘で目覚めた。

 月の光が見える。

 その光をバックに優しくあたしの顔を覗きこむ和樹くんが。

 あたしは彼の膝枕でその場に横たわっていたのだ。

「あたし……?」

 はっと気づき、身を起こす。

「お父さんは?」

「帰ったよ、自分の故郷に……」

「で……でも、あたし……お母さんが……身体が……え……帰った?」

 和樹くんが、悲しそうな顔で頷いた。

「いったん、お父さんは君を月へ連れていったんだ」

 ぽつぽつと話してくれる。

 彼の話はこうだった。

 父はあたしを───母を月へ連れて行った。

 母は、父の故郷があの空に輝く月だと思っていたのだそうだ。

「霊魂というものはどこの世界でも同じだ」

 父はそう言ったという。

「あまりにも現世に未練を残してしまうと、生きている人間を支配し、己の願いだけを最優先しようとしてしまう。ツキコは、わたしが自分を見捨ててしまったと思い、絶望に心が壊れてしまったのだと思う」

 気を失ったあたしの身体を抱え、そう父は和樹くんに言ったという。

「彼女は、死の間際でわたしの故郷に行きたいと願い、そして、それが呪縛となって地上に残ってしまったのだろう。そして、娘であるミヤに同化してしまった」

 そうか。

 だから、あたしに近づくものがあんな目に?

 なら、もしかしたらあたしの意識がないところで母が彼らを───

「それは違う」

 和樹くんが強く否定した。

「僕もそのことが気になったのだが、彼は否定してたよ」

「でも……」

「強い呪縛であるがために、君に関係してくる人間はその呪縛に影響を受けてしまうそうだ。恐らく、僕もそのうちにそういう影響を受けていったんじゃないかと思う」

「呪縛の影響……?」

 わけがわかんない。

 あたしにはちっとも。

「人間には、元々何と言うか負の部分っていうものがあって、だからこそ、ちょっとしたことで落ちこんだりしてしまうんだけど、それらを増幅させてしまうもの、それが呪縛による影響力なんだそうだよ」

 彼が言うには──というか、父が言うには。

 冷たいものがそこにある。

 その冷たいものに近づくと、その周囲は冷気が満ちていて、近づくものはすべてその冷気にやられ冷たく凍ってしまう。それが影響力。

 その冷たいものが、呪縛だったとする。

 その呪縛は、あたし、つまり母を守り、いつの日か迎えに来る父のために母の純潔を守らなくてはならなかった。

 だから、近づく者たちは敵と見なし、強い拒絶のオーラを発生させる。

 そのために、その強いオーラに当てられた人間はついふらふらと───

「そんなことが……」

 あたしは驚いた。

 そんなことで人は簡単に死んでしまうものなのか。

「でも…」

 それにしても、じゃあ母の魂はどうしてしまったの?

 もうあたしの中にはいないの?

「彼女が強く願っていたのは、愛する人の故郷に一緒に愛する人と行くこと───だから、彼は連れていったんだよ、月に」

 あたしの疑問にそう答えてくれた和樹くん。

「彼女の魂は救われた。月に行ったとたん、浄化されたそうだ」

「お母さん……」

 それじゃあ、もうお母さんは苦しまなくていいの───?

「美夜」

 和樹くんがあたしに微笑む。

「彼が言っていたよ」

「え?」

 特上の笑顔で、

「幸せになりなさい、ツキコの分も───って」

「…………」

「確かに、人間は弱い。死んだ人の意識に支配されてしまうことだってあるからね、今回のように。けれど、やはり地上は生きてる人間の世界だ。どんなに愚かだろうが、どんなに弱かろうが、人間ってしたたかだよ。底力あるよ。僕は、きっと、あのまま君の中にツキコさんがいて何かの影響力を発していたとしても、きっと、絶対、死ななかったと思う。僕の君に対する愛は、それくらい強いって自信はある」

「和樹くん……」

 あたしは、その言葉が信じられる気がした。

 あの、ぶつかってきた人に向かっていこうとした和樹くん。

 しかとされていたあたしにためらいなくぶつかってきてくれた和樹くん。

 彼ならきっと、どんなことが起きようが、力強く生きていく───そんな気がした。

 そして、あたしは、そんな彼を好きになって、本当によかったと思う。

 本当にそう思う。

「あ……」

 和樹くんがあたしを抱きしめた。

 優しく、優しく、まるで子供の頃の母のように。

「僕らは、彼らの分も幸せになろうね」

「うん」

 あたしたちはしっかりと抱き合った。

 顔を上げる。

 彼の背中越しに、天空にかかる月が見える。

「…………」

 あたしは、その月から何かが飛んでいくのが見えたような気がした。



 人は、一瞬で運命の人を見極める瞬間が、必ず訪れるはずだ。

 あたしはそう信じる。

 絶対そうだと思う。

 母も、父とのことは運命なんだと感じていたのだろう。

 たとえそれが、哀しい運命だろうが、それでもきっと母は幸せだったに違いない。

 私はそう思いたい。

 そうじゃなきゃ、あたしが生まれてきた意味がない。

 あたしは、母のあの顔を忘れない。

 あたしに向けた、あの笑顔を。

 そして、歌ってくれたあの歌を。


 『月の光に

  貴方が映る


  優しいその目

  優しいその唇

  優しいその手』


 あたしたちは何時までも月の下、抱き合っていた。

 運命を抱きしめていた。

 そんなあたしたちを月はいつまでも照らし出していた。



 ツキコ───


 貴方の声が聞こえる

 月の向こうから

 聞こえる

 低く囁く声が


 ツキコ───


 耳元に

 愛撫を注ぎ

 囁き続ける

 愛しい貴方


 ツキコ───


 私と貴方

 月と闇と覚めぬ夢の中

 交わりつつ

 永久に

 ああ

 愛して

 愛しているから


 アディエマス───



    我が友、遊樹美夜さん(音羽 雪さん)に捧げる

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Voice Of Moon 谷兼天慈 @nonavias

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