第二話 二人のお姫様
ブルー、アイリス、ルドの三人は、話をしながらゆっくりと村へ歩いていた。
ルドは巡礼の前日だけ養成所の寮から家に帰ることを許されており、久しぶりのローズの手料理が出来上がるまでの間、秘密基地で待っていたらしい。アイリス達が帰って来たと知れば、ローズもジニアもさぞかし驚くだろう。
「え!じゃあ明日からの巡礼に着いて来てくれる竜人って、アイリスの事なの?」
ルドが素っ頓狂な声をあげる。
「そうよ。まさかルドも一緒とはね」
ルドはちらちらとアイリスを見ながら頭を掻く。
「あのさ、アイリスは……その……強いの?」
「当たり前でしょ?私はあのアルストロメリア第一警備部隊、ケツァールの隊員でもあるんだから」
「つい最近なったばっかだけどな」
ブルーがすかさず口を挟む。アイリスはじろりとブルーを睨みながらも、剣を天高く突き上げるポーズを止めなかった。
「兄ちゃんも来てくれるの?」
ルドが不安そうに尋ねる。
「おお。まあ途中からだけど。表面上はアルストロメリアからの助っ人はアイリス一人だけだから、俺は後からこっそり合流することになってる」
「そっか」
心做しかルドは安心した様に見える。
「アイリスは、もしかして飛ぶのが苦手?」
「う…なんでわかるの?」
「さっき飛んでるとこ見たんだ。ふらふらしながら落ちて行ったから」
「いつまでたっても下手くそなんだよなぁ。乗る方も怖くてさ」
ブルーが大袈裟に震えて見せた。
「だ、大丈夫よ!そのうち上手くなるから…ねえねえそんなことよりさ、お姫様ってどんな人だろうね?」
アイリスが必死で話題を変えた。
「たしかモンスターが村を襲いに来た時、ちらっと見たよな」
「え?そうだったっけ?私、全然覚えてないな…」
「僕もあんまり覚えてない」
「ルド、養成所の生徒なのに会わないのか?」
「僕らだって王家の人にそう簡単に会える訳じゃないよ。しかも養成所で勉強してるだけで、まだ正式な兵士ではないからね」
「兵士じゃないのに何でルドがお供する事になったんだろうね」
アイリスが不思議そうに首を傾げた。
「それなんだよ…どうして僕なんだろう」
「ってか巡礼自体、いつ魔人が襲ってくるかわからない時に行くのもおかしいだろ。カランコエの王様はどうなってんだよ」
ブルーが小石を蹴飛ばしながら悪態をつく。
「みんなそう言ってる。シオン様はお姉さんの事で色々あったから、王様も王妃様もシオン様が邪魔になったって…」
「たしか姉ちゃんが亡くなった原因なんだっけか」
ルドが頷く。
「お姉さんのアザレア様が亡くなったのは、海で溺れそうになったシオン様を助けたからと言われているね」
「……それでどうしてシオン様が邪魔になるの?」
アイリスはどこか悲しそうだ。
「アザレア様は優秀な人だったんだろう?可愛がってた方が死んだんだ。しかも優秀じゃない方のせいで」
「そんな言い方ってないわ」
アイリスは口を尖らせてブルーを睨む。
「そりゃ俺だっておかしいとは思うよ。でも、世の中には色んな親がいるのさ」
子供が邪魔になる親なんているのだろうか。アイリスは納得のいかない顔で俯きながら、とぼとぼと歩いた。
◆
「ただいま、母さん」
扉を開けて入って来たルドに気付くと、ローズは洗い物をしていた手を止め、エプロンで手を拭きながら出迎えた。
「おかえり、ルド。遅かったじゃない。もう用意できてるわよ…………あら……」
ルドの後ろから入ってきたブルー達を見て、ローズは立ち止まる。五年の月日を経て成長した二人の姿に、ローズは一瞬目をぱちぱちとさせていたが、みるみるうちにその表情は明るくなっていった。
「……あ、アイリス…ブルー……!」
「お母さん!!」
アイリスは居ても立っても居られず、ローズに飛びついた。
「アイリス…!良かった…良かったわ…元気でいてくれて…」
ローズの目から大粒の涙がぽろぽろと溢れた。懐かしい母親の匂いと温もりに、アイリスも顔をくしゃくしゃにして涙を流した。
「お母さん…お母さん…」
本当の母親でない事はわかっている。それでもアイリスはお母さん、と呼び続けた。ローズに頭を撫でられるたび、嬉しい筈なのに涙が止まらなくなった。
ローズはアイリスの顔をじっと見つめた。
「大きくなったわね、アイリス。すっかり美人さんになって!」
アイリスは照れくさそうに笑った。
「ブルー、こっちいらっしゃい」
少し離れたところにいたブルーを、ローズが手招きする。
「あんたは随分大きくなったわね!」
ローズはブルーを見上げながら、腕を優しく叩いた。
「お母さん、ちょっと太った?」
「あら、失礼ね!そういうところ変わってないわ…まったく…」
「あのね、お母さん。私達お母さんに話したい事がたくさんあるの!」
「ええ、私もたくさん話を聞きたいわ。もうじきジニアも帰ってくるから、まずはごはんにしましょう!……あらやだ、あんた達の分も急いで作らなきゃ!」
「私も手伝う!」
「ええ。お願いね、アイリス」
二人は台所へ楽しそうに歩いていった。
「あんた達!食材がたりないから、村に買いに行ってちょうだい!」
「げっ…ルド、頼んだ」
家から出ようとするブルーの背中に向かってローズが「あんたもよブルー!行かないならあんたの分はなし!」と言ってきたので、ブルーは仕方なくルドと買い出しに行く事にした。
◆
その晩夜遅くまで、五人は久しぶりの家族団欒の時を過ごした。
ブルーとアイリスのアルストロメリアでの生活の事、ルドの養成所での話、最近の村の事や魔人の事。話は尽きなかった。
ローズ達は、ルドだけでなくアイリスやブルーも巡礼に同行する事になった事を知り、とても驚いていた。
「本当に大丈夫なのかしら」
ローズは食後のワインを口にしながら、心配そうに呟いた。
「大丈夫だって。俺もいるんだし」
ブルーがデザートのフルーツタルトを頬張りながら言った。
「私もたくさん修行したから、弱いモンスターなんかには負けないわ!」
アイリスが口の周りにタルトの欠片を付けながらガッツポーズしてみせた。
「ルドも、養成所じゃ一番強いんだろ?」
「そんな事ないよ」
ルドは苦笑いしながらフォークでタルトを切り分けていた。
「せっかく帰ってきたのに、明日また行ってしまうなんてね…」
悲しげなローズに、ジニアは優しく肩を叩いた。
「大丈夫さ、すぐ帰ってくる。それに三人ともこの歳で立派な仕事を任されたんだ。応援しようじゃないか」
「そうね……」
それでもローズはまだ心配そうだ。
「大丈夫よ、お母さん!ブルーもルドもいてくれるから、私とても心強いの。私達でお姫様をしっかり守って、無事に帰ってくるわ!」
アイリスの屈託のない笑顔に、ローズはようやく安堵の表情を浮かべるのだった。
「さあ、明日からは長丁場になる。お前達、もう休みなさい」
ジオンに促され、アイリス達は懐かしの子供部屋がある二階へと向かった。
◆
三人は子供部屋でもしばらく話し込んでいたが、程なくしてそれぞれがベッドで静かに寝息をたて始めた。
どれくらい経っただろうか。ふとブルーは目を覚まし、部屋を見回した。
隣のベッドではルドが静かに眠っていたが、アイリスのベッドはもぬけの殻だった。
ブルーは眼鏡をかけるとルドを起こさぬよう、物音を立てずにそろそろと部屋を出た。
一階にはローズとジニアがすやすやと寝ているだけで、やはりアイリスの姿はなかった。今度は二人を起こさぬよう、ブルーは静かに家を出た。
森へ行く道の途中に、アイリスの姿を見つけて駆け寄る。
「アイリス、どうしたんだ」
「あらブルー。きてくれたのね。…あのね、前に教えてくれたでしょ。私を見つけた時の事」
「ああ、言ったかな」
「言ったよ。ちょっと思い出してさ。その場所に行ってみたいなと思って」
「そうか。なら俺も行こう。夜は危ない」
二人は並んで森を歩いた。夜の森は暗く歩き辛いが、小さい頃から森で遊んでいたブルーには、何処をどう歩けば安全かつ湖まで近い道なのかがわかっていたので、あっという間に湖まで辿り着いた。
「綺麗だね」
月の明かりに照らされて、水面がゆらゆらと煌めいている。草陰から虫の声だけが辺りに響いていた。
「たしか、こっちの方だ」
湖からほんの少し離れた木々の中まで来る。
「ここだったと思う」
「ありがとう、ブルー」
アイリスがいつもより何処と無く元気がない。ブルーは黙って彼女のそばにいた。
「お母さん…私の本当のお母さんは、ここまで私を連れて逃げて来たんだよね」
「そうらしいね」
「それで……ここで死んじゃったんだよね…」
アイリスはしゃがんで辺りの木をぼんやりと眺めだした。
「この辺りに卵があった」
ブルーが指差す。何もない地面。アイリスは何も言わずその場所を見つめた。
ブルーはそっとそばを離れた。
母はどんな気持ちだったのだろう。体は傷付いていたのかな。痛かっただろうか。一度も顔を見ることができなかった。色々な事を考えながら、アイリスは膝を抱えたままそこから動けずにいた。
しばらくして、ブルーが戻ってきた。手には小さな花の束を持っている。そしてそっと地面に置いた。
「この辺あんまり花が咲いてないんだ」
ブルーの言葉を聞きながら、アイリスは頬を流れる涙を拭った。
「ブルー」
「ん?」
「ありがと」
「おう」
二人はブルーの摘んできた花を見つめながら、しばらく黙ったまま並んで座った。
明日からの慌ただしさを予感させる、それはまるで嵐の前の静けさの様に、静かな夜の時間が流れていった。
◆
朝早くからアイリス達は旅の支度を整えていた。ブルーは持ってきた銃の整備、アイリスは父の形見である剣を念入りに研いた後、ローズが用意してくれた日持ちのする大量の菓子類を、ぎゅうぎゅうと鞄に詰め込んでいる。
ルドは槍の他に弓矢も準備していた。
「おまえ、矢も使えるのか」
ブルーが尋ねる。
「槍ほど上手くは扱えないけどね。養成所の教えで、必ず対空中モンスター用にも武器を習わされるんだ。兄ちゃんのそれはなに?」
「これは銃っていうんだよ。大昔の武器…の偽物みたいなもんだな。こいつも遠距離用の武器だ」
「へえ」
「ブルー!ルド!そろそろ行くよ!」
アイリスがパンパンに詰まった鞄を背負いながら声をあげた。
「その荷物、なに?」
「お菓子よ」
「そんなもんいらねー」
「なに言ってるの!疲れをとるには薬よりお菓子がいちばんなのよ」
「それはアイリスだけだろ」
言い争う二人を後目に、ルドはテントや地図、旅に必要な道具の最終チェックを済ませると、早々に家を出ようとした。
「あ、ルド!」
アイリスがいきなりルドの腕を掴む。
「どうしたの」
「これ!返すの忘れてたよ」
アイリスは首にかけ、服の中にしまい込んでいた首飾りを引っ張り出した。ルドが5年前の国王生誕祭の出店で買い、アイリスに渡した首飾り、輝く月の石だった。
「はい。ちゃんと帰ってきたからね。返すよ」
「ずっと持ってたの?」
「うん!またルドに会ってこれを返すって、約束したからね」
「そっか………いいよ。アイリスが持ってて」
「え?いいの?」
アイリスはきょとんとした顔でルドを見た。
「うん。今度はまた違う約束にしよう。それを絶対に壊さず、これからも大事にすること。アイリスが無茶したり危ない目に合わないように、お守りとして大切に持ってて。たしかそれ自体にも身を守る効果があった筈だし…アイリスによく似合ってるしね」
「わーい!ありがとう、ルド!」
アイリスががっしりとルドの手を握った。
「うっし、じゃあ行くか」
ブルーが自分の荷物を持ち、家を出ようとした。
「待ちなさいな」
ローズの声に三人が振り向く。
「あんた達、気をつけて行くのよ。シオン様をちゃんとお守りしてね」
「はい!お母さん!」
アイリスが元気良く返事をする。
「じゃあ行ってくるよ」
「行ってきます」
ブルーとルドが家を出て行く。
アイリスもそれに続こうとして、立ち止まる。
「アイリス?」
アイリスはくるりと振り向くと、勢いよくローズに抱きついた。
ローズが優しく肩を叩く。
「大丈夫?」
「うん…お母さん、私、これからもお母さんの子でいていい?」
「アイリス…」
「私は人間じゃないから…本当の娘じゃないけど…」
「アイリス。あなたが何者であっても、これからもずっと私の子である事に変わりはないわ。だからいつでも帰ってらっしゃい」
「…うん。行ってくる!」
アイリスは目に浮かべた涙を拭い、にこりと微笑むと、走って家を出た。
「どうか…無事に帰ってきて。私の可愛い子供達…」
ローズは家の外で、三人の姿が遠く見えなくなるまで、ずっと見守っていた。
◆
カランコエ城に着くと、アイリスとルドは城門から中に入るための手続きをしなければいけなかった。
ルドは兵士長であるフローディア直筆の書状を兵士に見せ、自分が姫の正式なお供である事をすぐに証明できた。アイリスもまた、アルストロメリア国王、ナスタの書状を兵士に見せる…が、竜人からの助っ人がまさかのまだ幼い少女である事に、兵士は驚きを隠せない様子だった。書状とアイリスとを交互に見ながらしつこく確認をしてくるので、アイリスは不機嫌そうに何度も間違いのない事を説明しなくてはいけなかった。
ようやく城内へ入る事を許可された時には、アイリスは早くもくたくたに疲れていた。
「もう…失礼しちゃう…」
「仕方ないよ。どう見てもアイリスは普通の女の子だもん」
「あら、この筋肉が目に入らないのかしら」
アイリスが作った小さな力こぶに、ルドは苦笑いした。
王の間に通された二人は、何処と無くそわそわしながら王と姫の登場を待った。
程なくして、カランコエ国王、大臣、そしてシオン姫が王の間にやって来た。
アイリスは一番後ろから俯きながら歩くシオンに釘付けになる。
肩よりも少し伸びた濃い青髪が、歩く度にさらさらと波打つ。王の間の巨大な窓から差し込む朝の光が、その細い髪の一本一本を氷の様に透き通らせていた。
白を基調としたローブの上には、髪の色によく似た紺色のマントを羽織っている。手には大きな魔導書と、細く長いロッドが持たれていた。
「ね、ね、ルド。お姫様とっても可愛い!」
「う…うん…」
王を前に緊張で身体が強ばったルドには、アイリスが耳元で何と囁いてきたのか、あまりよく分からなかった。
大臣のタリスは来て早々、訝しげにアイリスを見た。
「…これはこれは、まさかそなたがアルストロメリアの竜人…なのかね?」
「はい!アイリスといいます!アルストロメリア第一警備部隊、ケツァールの兵士です!よろしくお願いします!」
アイリスがここ一番の大きな声で、威勢よく答える。
「…ほ、ほほ…まあ元気があってよろしい…………アイリスか…どこかで聞いた様な…?」
大臣は汗を拭きながらちらちらと国王を見ている。国王は黙ったまま、アイリスとルドをじっと見つめていた。
「コホン…で、そなたが養成所の者だな」
「あ…はい…ルドと申します」
「うむ。そう緊張せずともよい。そなたは非常に優秀な生徒だと聞いておる。歳はいくつじゃ」
「15です」
「ほう、では姫様と同じ歳だ。これなら姫様も話しやすいでしょう」
シオンはやや困り顔のまま、ルドを見た。ルドと目が合うと、遠慮がちに頭を下げる。ルドも慌てて頭を下げた。
「どうですかな、王様。まあ…竜人の子の方はさておき…こっちの少年は姫様の護衛として充分やってもらえそうではありませんか。流石、フローディア兵士長が探してきただけの事はありますなぁ」
王は依然として黙ったままだ。大臣はそんな王の様子に、さらに汗をかき始めた。
「………コホン………ではそろそろ巡礼の方に…」
「ルドといったな」
大臣の声を遮るように王の声が響いた。
「…はい」
「兵になるために学ぶ貴重な時間を、我が娘シオンの護衛に使わせてもらうことになって……本当に申し訳ない」
王は深々と頭を下げる。
「えっ……あ…いえ…とても光栄です…」
「聞くところによると、そなたは養成所で一番の槍の名手とのこと。その力、存分に振ってほしい。危険のない旅と言えど、慎重にな。これも勉強のひとつだと思って、どうかシオンに力を貸してやってくれ」
「はい…!」
「…そして、アイリス」
「は、はい!?」
アイリスの声が裏返る。
「そなた…以前タンジー村にいた子だな」
アイリスは微かに震える。自分がドラゴンになり、村を破壊しかけた事を、王はしっかりと覚えていた。
「な、なんと…あのホワイトドラゴンか…!」
タリス大臣が目を見開いてアイリスを見た。
「あ、あの……私、その事をみんなに謝りたくて…」
「謝る必要はない。そなたは母親を守るために戦ったのじゃ。そなたがいなければこの国はどうなっていたことか」
「王様…」
アイリスは必死に涙を堪えた。
「寧ろ、そなたを追い出す形になってしまった我々の方が謝るべきだ。本当にすまなかった」
深く頭を下げる王の姿に、タリス大臣は信じられないといった顔をしている。そして慌ててほんの少しだけ自分も頭を下げた。
「…遠路遥々、誠にご苦労であったな。竜人族には我々人間は非常に助けられている。今回の貴殿らの計らいにも、心から感謝しよう。まだシオンよりも歳は下の様だが、竜人の能力の高さは存じておる。どうか、そなたのその立派な剣で、今度は娘を守ってやってほしい」
「はい!もちろんです!」
「シオン、おまえからも挨拶を」
「…はい、お父様」
シオンは厳かにアイリス達の前に歩を進める。そして二人に深々と頭を下げると、ほんの少しだけ微笑んだ。
「はじめまして。この度は私の巡礼にお付き合いいただき、誠にありがとうございます。魔法使いとしてまだまだ修行中の身でありますが、しばらくの間、どうぞよろしくお願いします」
アイリスは満面の笑みを浮かべた。それは可憐な容姿から想像通りの美しい声が発せられたからだった。
「よろしく!シオン!」
「…アイリス、敬語」
ルドに肘でつつかれ、「あ、ごめんなさい…よろしくお願いします!お姫様!」と言い直し、アイリスは手を差し出した。シオンはやや戸惑いながらも、おずおずとその手を握る。アイリスは瞳を輝かせて、両手でシオンの手をぎゅっと握った。
「私が必ず貴女を守ります!」
「あ…はい…ありがとう…ございます…」
アイリスの迫力に押され気味のシオンは、何度も瞬きしながらアイリスの燃えるような紅い瞳を見た。
ふと、シオンは5年前に城の窓から見た、レッドドラゴンの背に乗った少女を思い出す。竜の国へ行く事を余儀なくされたあの幼い少女は、屈託のない笑顔で今自分の目の前に立っている。不思議な感覚だった。この少女は自分を追い出した国の姫のために、これから働こうとしているのだ。恐縮すると共に、この短時間で不思議と少女に惹き込まれていく自分がいる事にも、驚きを隠せずにいた。
「三人共、気を付けて行くのだぞ」
王の一言に三人は頷く。
「さあさあ、それでは出発じゃな!」
タリス大臣が場を仕切る様に手を叩く。
「まずそなたらが向かうのは、風見の丘じゃ。そこにあるシーファの遺跡がここから最も近い巡礼場所に当たる。姫様、どうかご無事で」
心做しか急かす様な態度のタリス大臣に促され、三人は王の間を後にした。
アイリスが最後に振り向くと、そこにはどことなく心配そうに三人を見送る王の姿があった。その表情は、今朝自分達を見送ってくれたローズや、アルストロメリアで見送られたソレルにも似ていた。
王はシオン姫を愛している。たった数分彼を見ただけでアイリスにはそれがわかった。子を愛さない親など、きっといないのだ。アイリスは笑顔のままルドとシオンの後に続いた。
城から出てきた三人を待っていたのは、兵士長のフローディアと、元兵士長のガマ、そしてシオンの最も信頼している相手である、執事のスターチスだった。
「爺や!」
シオンはスターチスに駆け寄ると、その腕を強く握った。
「来てくれたのね。身体はもう大丈夫なの?」
「ええ、ええ。この通りですじゃ。もうすぐ城の業務にも戻れます」
「よかった…」
シオンは心底ほっとした表情を浮かべた。
かなりの年齢であるスターチスはここ数年よく体調を崩していた。今回も数日前から体調不良で療養中だった為、会えるのは巡礼の後で随分先になると思っていた分、シオンの喜びはひとしおだった。
「フローディア兵士長、ガマ様も…お見送り感謝いたします」
「頭をお上げ下さい、姫様。我々がお供できず、本当に申し訳ございません」
フローディアはシオンから視線をずらし、アイリスとルドを見た。
「そなたら…姫を、頼んだぞ」
「はい!」
アイリスは威勢よく返事をし、ルドは真剣な表情で深く頷いた。
「姫様、これを」
ガマは小さな皮の袋をシオンに手渡した。
「ガマ様、これは?」
「中をご覧下さい」
シオンが袋の中を見る。そこには、色とりどりの薬草や種が入っていた。
「それだけあれば、おそらくほとんどの病に対応できるでしょう」
「こんなに…でもこれは貴重な物だわ。とても高価な物ばかりよ…」
「お気になさらず。城の兵達が皆で集めた物です。どうか使ってやってください。ま、使う機会がないのが一番いいのですがな」
ガマは苦笑した。
「姫様、これは私からです」
フローディアは懐から金色の指輪を取り出した。
「たった一度だけですが強力な魔法を弾き返すことの出来る指輪です」
「これは!フローディア様、貴女のお母様の形見だわ!だめ…いただけないわ」
フローディアがふわりと笑顔を浮かべ、シオンの指に指輪をはめた。ルドは兵士長の見たことも無いその表情に、一瞬惚けた様に見とれてしまった。
「姫様が無事にここへ帰ってきたら、私にお返し下さい。約束ですよ。必ず無事に帰ってきてくださいね」
「ありがとう…必ず帰ってきます」
アイリスがルドの腕をつつく。
「ルドと同じことしてる」
「……うん」
程なくして、シオンはフローディア達に別れを済ませ、いよいよ三人はカランコエ王国を後にするのだった。
◇
一羽の小鳥がフローディアとガマ、スターチスの頭上に飛来する。真っ白な体に所々ミモザ色の模様が入っている。羽をぱたぱたと羽ばたかせ、小鳥はゆっくりと側の木に降り立った。
「これはこれは、マートル殿。遅かったではありませぬか」
ガマは小鳥を見上げてそう声をかけた。その様子を見てフローディアも訝しげに小鳥を見上げた。
「ガマ様、まさかこの者が…?」
「さよう。マートル殿、どうか姫を頼みましたぞ。さ、城の者に見つからぬよう、早く三人を追いかけてくだされ」
マートルと呼ばれたその鳥は、勢いよく飛び上がると、三人の頭上を何度か旋回し、そしてそのまま飛び去っていった。
「本当に大丈夫なのですか?あの者で」
「おや、フローディア兵士長ともあろう方が見た目で判断されているのですかな?」
「スターチス…そんなつもりは…」
「心配ない。彼はきっちりと仕事をこなしてくれる事で有名な用心棒だ。あの姿であれば隠密にシオン様を護衛できる。それに、何かあればすぐに我々に教えてくれる事にもなっておる。値は張るが、彼らの仕事は確かだ。信用するに値する」
「ええ…しかし…正直申しますと、私は獣人というものの存在をあまりよく思っておりません」
「フローディア様…」
スターチスは何かを思い出す様にフローディアを見た。
「我が母上は…」
「フローディア。間違いを犯すものは人間にもいる。獣人が皆その様な輩ばかりではない。 」
ガマは静かに諭した。
「……はい」
三人はしばらく、マートルの飛び去っていった空を眺めていた。
◆
「うわー!ひっろーい!!」
カランコエ王国の外には、広大な緑の大地とどこまでも続く澄んだ空が三人を待っていた。空を飛んだ事があるアイリスも、地上からの外の世界は自分がちっぽけに感じる程に圧倒されてしまった。
遮るものが何も無い大地に、心地よい風が吹き抜けていく。
「村や王国の外に出るのは初めてだ」
ルドも気持ち良さそうに背伸びをした。シオンは緊張した面持ちで辺りをきょろきょろと見渡している。
「シオン…じゃなかった。姫様!ここから風見の丘まではどう行けばいいの?」
「あ、はい!あの…まずは城を背に北へ向かいます。そうですね…三時間ほど歩けば、風見の丘に着くと思います」
「さ、さ、さんじかん?」
アイリスが目を剥く。
「途中で休憩しながら行きましょう」
「うん…そうしよ…」
すっかり意気消沈しているアイリスに、シオンがおずおずと近付く。
「あの…もしよろしければ、疲れにくくなる魔法がありますので、唱えましょうか…?」
「えっ、いいの?」
「だめだよアイリス。そんなことで姫様に魔力を消耗させちゃ」
「わ、わかってるもん。ありがとうございます、姫様!自分の力でがんばりますので!」
「そうですか…あの、お二人は…ご兄妹でいらっしゃるのですよね」
「うん!あ、はい!そうです」
「とても仲が良いのですね。羨ましいです」
アイリスとルドはシオンの姉が亡くなっている事を知っているため、なんともいえない気持ちになった。シオンもそんな二人の様子にはっとして笑顔を取り繕ろう。
「二人兄妹なのですか?」
「いえ、上にもう一人。兄がいます」
「あ、ブルーの事ちょっと忘れかけてた。たしか城の裏側の…森の入口?にいるんだっけ」
「え、いらしてるのですか?」
アイリスとルドはシオンに事情を説明しながら、待ち合わせ場所までやって来た。
「そうだったんですね…すいません、私のためにみなさんにご迷惑かけて…」
「いいのいいの!仲間はたくさんいた方がいいんだから」
「たしかこの辺だよね」
三人がきょろきょろと辺りを見渡す。誰もいない静まりかえったその場所に、風が通り過ぎた。森がざわざわと音をたてる。
「ん?」
「どうしたのアイリス」
「なんか聞こえない?」
三人は森の中に耳を済ませた。
「…………けて」
「…………くれ……うわ……」
「あれ、この声…ブルーだ」
「…………………………ぅうわあああああああ!!!」
徐々に大きくなる声と共に遠くからブルーが猛スピードで走ってくる。三人は何事かとその様子を見ていたが、事の重大さに気付いたルドが大声を上げた。
「ブラックワスプだ!逃げろ!」
ブラックワスプとは、その名の通り全身が真っ黒の蜂型モンスターだ。小さなネズミ程の大きさで、集団で行動する。既存する昆虫の蜂と同じく巣を作る。その中に貯められた蜜には不思議な力があり、一説によると魔力が大きく回復する貴重なアイテムとされている。しかしその蜜を採ろうと考える者はほとんどいない。なぜなら彼らは非常に危険なモンスターで、その攻撃的な性格と、刺されるとその針の毒で死に至る可能性がある事から別名死の蜂とも呼ばれている。
必死に走るブルーの後ろから大量のブラックワスプが追いかけて来ている。アイリスはぎゃあと叫び、シオンは声にならない声をあげた。
三人は無我夢中で走ってくるブルーとブラックワスプの大群から逃げた。
「おおい!!!助けてくれよおおおおお!」
ブルーの悲痛な叫びが聞こえてくる。
「助けろって言われても!」
アイリスが走りながら振り向くが、もうすぐそこまで、ブルーもブラックワスプも迫ってきている。
「ど、どうしようルド!」
「とにかく走るんだ!」
ルドはブラックワスプが自分達の巣からそこまで遠ざかる事はないと知っていた。このまま走ればいつか巣に戻っていくだろう。本来なら彼らが入って来れない様な密閉された場所へ隠れたいところだが、周りは広大な草原が広がるだけの吹きっさらし。今は走って逃げ切るしか方法はないのだ。
シオンの様子を確認する。なんとか着いて来ているが、酷く辛そうだ。このままでは逃げ切る前に体力が限界まできてしまうだろう。
「アイリス!」
「え?」
「姫様を連れて逃げるんだ!」
「逃げるってどこへ?」
ルドは額に汗を浮かべながら空を指差した。
「姫様一人くらいなら大丈夫だろ?できるだけ高く飛ぶんだ」
「……や、やってみる!」
アイリスは走りながら瞼を閉じた。神経を集中させる。身体が眩い光に包まれていく。
「……っ、アイリスさん?」
シオンが声をかけるやいなや、アイリスの身体はみるみるうちに巨大なホワイトドラゴンへと変わっていった。太陽の光を浴びきらきらと煌めく体毛が、シオンのすぐそばで風に吹かれている。
初めて変身の瞬間を見たシオンは驚きのあまり立ち止まりそうになる。
「姫様!止まらないで!」
ルドの声に我に返る。ブラックワスプがすぐ側まで近付いているのが、羽音でわかった。息が苦しい。もう足が思うように動かない。
「あっ」
小石か何かにつまづいたらしい。シオンの視界が急に地面にぐっと近付いてきた。倒れる。そう感じた瞬間、身体がふわりと浮き上がる。地面にぶつかりそうになっていた視界が一変して今度は地上がどんどん離れていく。ドラゴンになったアイリスがシオンの身体を優しく抱きかかえて浮上していたのだ。
何がどうなっているのかわからずに、シオンは自分のロッドと魔導書を落とさぬ様握り締める事しかできなかった。
地上から空へと飛んでいくアイリスとシオンを見届け、ルドはとにかく走り続けた。狙い通りブラックワスプ達はアイリス達は気にも留めずにルドとブルーを追いかけて来る。
ふと、視界の隅に何かが通り過ぎた気がして辺りをきょろきょろと見渡す。
鳥だ。
逃げるルドとブルーの前方に白い鳥が飛んでいく。鳥はまるで二人を先導するかの様に、速過ぎず遅過ぎずの速度で飛んでいた。ルドは直感的にその鳥に付いて走った。べつに何か理由があった訳では無い。ただ、もう身体が限界なのと頭が働かなかったせいもあるのかもしれない。目の前のその鳥に一縷の望みをかけてルドは走った。
目の前に雑木林が見えてきた。広々とした大地の真ん中に突如現れたその中へ、ルドとブルーは藁をも掴む思いで飛び込んだ。
ブラックワスプ達はまだしつこく付いて来ている。白い鳥は木々の間を器用にすり抜けていく。ルド達は身体中に葉っぱや枝をくっつけながら息も絶え絶えに走り抜けた。
「小屋だ!兄ちゃん!」
いつの間にか姿の見えなくなった鳥と入れ替えに、古ぼけた小屋が見えてきた。二人は最後の力を振り絞って小屋に転がり込む。慌ててルドが小屋の戸を閉めると、ブラックワスプ達が戸や壁にばたばたとぶつかる音が聞こえてきた。
二人は息を整えながら小屋の奥まで後ずさる。
ブラックワスプ達はしばらく小屋にぶつかっていたが、程なくして大きな羽音と共にその場から去っていった。
「た、助かったな…」
ブルーがずれた眼鏡を直しながら床に倒れ込む。
「助かったなじゃないよ!兄ちゃん何やったの?」
「これ」
ブルーの手には小さな小瓶が握られていた。中には半透明に輝く黄金の液体がとろりと揺れている。
「まさか…」
「そう。蜜だよ。魔力回復にいいんだ」
「…そう言われてるのは知ってるけど、本当に採りにいく奴なんていないよ」
「だってさ、姫さん魔法使いなんだろ?魔力回復する手段があった方がいいじゃないか」
「魔力回復アイテムなら他にもあるよ。マジカルキャロットとかスタードリンクとか…」
「あんなんダメダメ。気休め程度にしかならない。やっぱこいつじゃなきゃ。いつもはもっと上手く採れるんだけどな…」
「いつもやってるの!?」
二人が転がり込んだ小屋は、今は使われていない木こりの休憩所の様だった。古ぼけた斧や埃まみれの作業台がそのまま残されている。
「おおーい」
外からアイリスの声がして、二人は小屋の戸を開けた。
「よかった!無事だったのね」
そこには既に人間の姿に戻ったアイリスとシオンが心配そうに立っていた。
「なんだってあんな奴らに追いかけられてたわけ?」
「これだよ」
ブルーはまた得意げに小瓶に入った蜜を見せる。
「これは…先程のブラックワスプの蜜ですね。魔力回復アイテムとして有名な…」
「そう!はい、姫さんに」
「え?私に?」
「危険が少ない旅っつっても、何があるかわからないからさ。いざとなったらあんたの魔法に頼らなきゃいけないかもしれないし。持っててよ」
「あ、はい…ありがとうございます!えっと、…」
「俺はブルー。よろしく」
「シオンです。よろしくお願いします」
「へえ〜…本当に美人だなぁ…」
「兄ちゃん、そんな口の利き方失礼だよ」
「え?だめ?だって仲間みたいなもんだろ。これからしばらく一緒に旅するんだし…堅苦しいよ、敬語じゃ」
「仲間…」
「え?じゃあ私も!私も!」
「アイリス!」
「いえ、いいんです!ルドさん。その…普通にお話してくださった方が私も嬉しいです」
シオンは照れた様に控えめに微笑んだ。
「だってさ。ルドも普通に喋ったら?」
「そ、それは…」
「にしても…同じお姫様でもこうも違うもんかね?」
ブルーがアイリスとシオンを交互に見た。
「ブルー…何が言いたいわけ?」
「アイリスももうちょっとこう…おしとやかにならないとな」
「なーによそれ」
「あの…お姫様って…アイリスさんもお姫様なのですか?」
「アイリスでいいよ。まあ…一応本来ならアルストロメリア王国の元王の娘だから姫になるんだけど…ちょっと色々あってさ、今は正式にはお姫様じゃないの」
「そうなんだ」
ルドも少し驚いている。
「さてと、これで全員揃ったわけだし、最初の遺跡まで行くぞ!」
ブルーが威勢よく声を上げる。
「あのさ…ここ…どこなんだろ?」
ルドが辺りを見渡す。
「おまえ、知っててここに走って来たんじゃないの?」
「違うよ。なんか…鳥がいて、着いてきただけさ」
「とり〜?」
「多分ここはカランコエ王国の西にある雑木林だと思います。少し目的地の風見の丘からは離れてしまいましたけど…」
「だれかさんのおかげでね…」
アイリスがじろりとブルーを睨む。
「少し休んだら行くか。で、どれくらいかかるの?その風見の丘ってところまで」
「そうですね…四時間くらいでしょうか…」
「よじかん!?」
ブルーの声が風にのって空高く舞い上がった。
竜の王女 猫たろう @mamiyasan
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