後編

 試験官は全部で4人いる。前方に2人、後方に2人待機している。

後方の試験官2人は俺から遠く離れた所で足音を立てずに各受験生の周囲を見回っているのが横目で確認できた。

前方の2人に関してははっきりと動向が伺える。他の試験官同様に周囲を確認しているが、俺のエリアは見ていない。

この瞬間、俺は自分の中にある何かのアクセルを踏み込んだ。

「もう、これしかない」

まず、消しゴムで何かを消すフリをして、なるべく机の左端に置く。

ここまでの工程は問題なし。

次は頭に右手をやって、頭を掻きながら考えるフリを数秒する。

そして、目線を下に向けたまま左手だけを消しゴムが置いてある方向へ伸ばす。

ここのポイントは、すぐに取らないこと。キーワードは「必要以上の探索」。

俺は自分の置いた消しゴムを左手のみで時間をかけて探すのだ。こうすることによって次のステップに入りやすくなる。

左手で消しゴムを見つけきれなかった俺の次の動作は当然、顔を向けて探す事になる。

この動きで自然と隣の答えを見ることができるのだ。

非道徳的で、おきて破りの最終手段。小学生の頃から、この禁じ手がどれだけゲスな手法であるかは習ってきたが、神に見放された俺にはどうでも良いこと。

「これしかない」俺は、左手を伸ばしたまま、両目をギリギリいっぱいに左へ向けて、首を左方向へ回転させ始める。

もちろん、4人の試験官が見てないのは最終確認済み。

「これで、もう楽になれる。俺は合格できる。俺にはバラ色の人生が待っているんだ」

ゆっくりとアクセルを踏み込みながら、首は少しづつ左方向に角度をつけていく。

 目線は消しゴムなど容易に通り過ぎ、隣に座る女子高生のマークシートに向かって突き進む。

「あと、少しだ」左方向に眼球を向けすぎて、左のこめかみに痛みを感じ始めるが、そんな事は関係ない。

もう、そこに答えがある。俺はこれで楽になる。あと、2°回旋させたら完全にマークシートが見える。

「よし、見えてきた」

両目の中にマークシートが薄っすらと映り込み、ゴールは目前と思われたその時、女子高生の突然の挙手により、首に急ブレーキが掛かった。

俺は女子高生の挙がった右手を見て1滴の汗が額から鼻先に流れ落ちた。


 すぐさま、消しゴムを取って顔を正面に戻すと、前方にいた試験官と目が合った。

俺は目線を外し、挙手している隣の女子高生の方に近づいてくる試験官を肌で感じる。

互いの距離が短くなるにつれて、背中の汗の量は増し、失っていた緊張感が再び全身に走る。これは試験開始時に味わった物とは全く別物。

試験官は1歩、2歩と歩みを進めて女子高生の横に到着し声を掛けた。

「どうしましたか」女子高生は周囲を見渡し、試験官のみに聞こえるように小さな声で問に答えた。

「すみません。部屋が暑いので、少し暖房を下げてもらえませんか」

「いいですよ」試験官は女子高生に笑顔で答え暖房調整に向かい、女子高生は問題文を読みながら両手で顔を仰いでいる。

「良かった」どうやら、作戦はバレてなかったようだ。しかし、もう同じ手は使えない。どうすればいいんだ。

完全に手立てが無くなった俺は、再び頭を抱え問題用紙の選択しに目を向ける。

すると、そこには1つの光が差し込んでいた。

1つの光とは先ほど鼻先から落ちた1粒の汗だ。汗は選択肢「4」の上に丁度落ちていたのだ。

汗で滲んでいる「4」は、どの選択肢よりも圧倒的な存在感を醸し出している。

「これは、偶然なのか? この汗はまるで回答を変える必要はない。と言っているようだ。この汗こそ俺の答案ファイナルブレーキなのか」恐らく、これが最後の自問自答になるだろう。

思い返せば、この試験はブレーキだらけだった。

まずは、ベルトコンベア式見直しチェック、頭の中に流れてくるCMの音楽、鉛筆転がし。

そして、最後のカンニング。

ここまで多くのブレーキを踏んだが、この汗こそ俺の答案ファイナルブレーキに成りうるのか。

残り時間は8分。あまり、考えている暇はない。

「こんな汗1滴を信用していいのか。これで俺の合格が決まるのか…」この受験までの長く、つらい勉強の日々を思い出した。

毎朝6時に起床して、深夜1時まで学校や、塾、自分の部屋で勉強漬け。見たいTVも一切みないで、スマホも両親に預けた。この人生の中で一番苦しい1年間だった。そして、この試験に合格すれば、今からは夢のキャンパスライフだ。

「必ず勝ち取るんだ。失敗はしない。今できる俺の最善策を導くことが大事だ。こんな汗1粒の運に任せてはいけない。自分で考えるんだ。最後の究極の一手を」

途切れていた集中力が腹の底から再び湧き上がるのを感じる。全神経を「2」と「4」に向けて俺はようやくたどり着く。自分が出すべき答えに。

「やっとわかった。俺の答案ファイナルブレーキはこれだ」

俺は、消しゴムを手にとり、マークシートに目を向ける。

8分後、終了の合図と共に俺は席を後にした。



それから半年後、俺は夢のキャンパスライフを謳歌している。

今の俺があるのは、あの極限の状態で自らの力で真の「俺の答案ファイナルブレーキ」を踏めたからだ。


 あの残り8分間の中で俺が踏んだ「俺の答案ファイナルブレーキ」とは、あの4問目を解くことにブレーキを掛けることだった。

俺の最終目的は「あの問題の答えを出す」ではなく「大学受験に合格する」ことだった。

確かに3点問題で配点の高い問題だったので、外すのは勿体なかった。

しかし、まだ他の問題もあった訳だから、悩まずに他の問題を確実に取りに行き、合格に繋げる方が重要と俺は気づいた。

3点問題にブレーキを掛けたあの時の勇気を俺は一生、忘れないだろう。


「そうだ。ちなみにあの問題の答えは…」

「伸一君、誰に話かけてるの? 早くしないと授業に遅れるよ」千夏はそう言って俺の手をとった。


初めて出会ったあの頃から、彼女の右手にはいつもドキドキさせられる。



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俺の答案ファイナルブレーキ 盛田雄介 @moritayu

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