草食系人狼、愛を知る
黒川晶
第1話
とある日、招待状が届いた。
“長内和樹(おさないかずき)様
〇月〇日 〇年度 満月集会を行います。出欠は〇日までにお願いします。開催地は例年通りマウンテンホテル
ウルフィ社日本支部部長 千谷 栄太”
毎年行われるこの集会。懇親会みたいなものだが、めんどくさいので出た事がない。 ちなみに満月集会とはいっても満月だから何かあるわけでもない。なんとなくの様式美だ。
その夜、畑から帰ってきた両親(人狼)に招待状を見せると母ちゃんが、
「あんたももう18なんだからわが家代表で出ておいて」
「えー!? 絶対出なくちゃなんねえのかよ……」
「いやなら父ちゃんと母ちゃんが出るから代わりにあんたが畑やりな」
大学での連日徹夜な種育成が終わって昨日帰ってきたばっかだぞ俺。
「ダメだ俺の畑をこのひよっこに任せられるか。和樹、家長命令だ。出ろ」
親父が首元に巻いたタオルを取りながら命令してきた。親父、大地を試すのはほどほどにしてくれ。
それにしても集会なんて、親戚の集まりよりめんどくさい。会場は車で400㎞だし。
我が家は人狼一家だ。
とははいえあまり大きくないニホンオオカミに近く、見られてもきゅんきゅん鳴いてれば犬のフリでごまかしがきく。かわいい鳴き声を特訓した成果だ。でも断固としてオオカミイヌではない。オオカミだ。
この大地では人狼はけっこういる。内地は暑くて、その上走る場所が減ってしまったからだ。それに耐えられなくて、移り住んできた連中が多い。
マウンテンホテル
ロビーもホテルの中庭も人でにぎわっている。この老若男女が人狼とは。ただの結婚式会場にしか見えない。
パンフレットを見ると参加者は100人くらいとある。
ちなみにこのホテルのオーナーも人狼なので、シーズンオフの今、狼の集会にはもってこいの場所。
「和樹じゃないか。めずらしいな、参加するなんて」
ひょろりと背の高い男が声をかけてきた。高校時代仲がよかった
「家長命令だし。……お前痩せたなあ」
もともとひょろっとした体だが、なんだかひょろ具合が更に加速した気がする。慧は苦笑いした。
「まーなー。皇都きついよ。ヒートアイランド世界だよ。どこ行ったって暑くてバテるから、全然オオカミ散歩できないし。下手すれば夜でも肉球ヤケドするしさ」
「うわそりゃキツイなー」
慧は曽祖父がハイイロオオカミ系人狼、北欧よりの人狼との混血人狼である。
人狼は世界的に北国出身が多くて基本暑さに弱い。
ずっと人間でいれば別に暑さ感覚は普通だが、狼になれば息を吐くように熱中症だ。だからって人間になりっぱなしでもストレスが溜まる。
そんなわけでストレス解消の為にこの集会はできたのだ。
「主催者のウルフィグループってどんなん? 慧って幹部になったんだろ?」
「しいて言えば人狼総合互助会だな。結構デカいんだぜ。製薬をはじめ様々な事業で世界を牛耳れる」
「えっ、すげっ! そんなすげートコの一員だったのかようちら!?」
「……筈だったけど、やっぱほら人狼だからコソコソやらなきゃいけなくてさ、事業も大っぴらに出来ないんだよな。あと少子化の波で、会員数激減中だそうだ。それでネット通販と集会以外おおっぴらはできなくなった」
「そうか……」
どこも世知辛いものだ。
ものめずらしく周囲を見ていると何か視線を感じた。
こっちを見ている人間がいる。
俺は「なんだあの面妖な生き物」と思った。(ここにいる全員そうだが)
牛乳いれすぎた紅茶みたいな色をした髪が、そうめんみたいに腰まで垂れ下がってて、目はなんていうんだ、TVの通販で「健康が」連呼されてるサプリ粒みたいに黄色くキラキラしてる。サプリ粒3個分はありそうだ。栄養じゃなくて大きさが。
人狼じゃなくて人形がそこにいた。親戚のおばちゃんが玄関に飾っているミセスロイドだっけ?とかいうフリフリした西洋人形が。
あ、もしかして慧を見てるのか。俺が見ていることに気づいた人形は、つかつかと歩み寄り、俺にぺこりとお辞儀した。
「和樹さんですね! お会いしたかったです! 初めましてミラ・リュクスです!! 留学生です! 高一になります! 友達からはジェボたんって呼ばれてます!」
ミラで、ジェボで……ゾンビ倒しそう……いやあれはジョボか……ミラ・リュクスがなんでジェボになるのか不思議だが、外国の愛称の法則は色々なので、深く考えない。
「ジェボちゃん、俺は」
「ジェボちゃんじゃなくジェボたんって呼んでください!」
と念を押されてしまった。まあいいけど、痛い子かな。
「なんで俺のこと知ってるの?」
「和樹さん、以前ハイジャンの全国大会で4位でしたよね! 動画サイトで見たんです!すごいです!」
……メダル逃してんですけど。それにあの大会、結局俺は失格になったの知らないのか。ま、知らないか。入賞剥奪されたの数日後の通知であっさり、だもんな。
なんで失格になったかというと。
俺が人狼ってことで、なんとなく平等じゃないって決定だった。
オオカミの跳躍力を利用したんじゃないかとか、そんな苦情もあってとか、全部なんとなくな理由ばっか。
俺の場合、オオカミ時と人間時はまったく違うのに。ちゃんと人狼研究所の、変態のためのヴァリアントなんちゃら遺伝子がうんたらって診断書、出したのに。
なんとなくのことなかれ主義な運営に俺は何もかもくさくさして、人間社会じゃなく両親と同じく植物を相手にすることにしたのだ。
そんな苦い思い出に浸っていると――
「ぐっ」
突然体を拘束された。ジェボたんに腕ごと腹部に巻き付かれている。苦しい、死ぬる。声も出せないが、骨が代わりにミシギシと悲鳴を上げてくれた。が、無視された。
「和樹さん! 会いたかったんです!」
そんなことを言われたようだが、意識が遠ざかってしまった。
目を覚ますと、ロビーのソファに寝かされていた。しかも人形がジッと俺をのぞき込んでいる。
「ひっ」
つい悲鳴を上げたがよく見ると、生きた人間だった。ジェボたんか。動く西洋人形系の怪談を体験したのかと思った。
手には酸素缶、申し訳なさそうにしている。
「ごめんなさい……つい」
ジェボたんは半泣きになってうなだれている。その女の子らしい仕草は人形じゃなくちゃんとした人間だ(ちゃんとしてないが)。
「いいよ、俺が貧弱なだけだし」
会場はもう余興が始まっていた。
体の一部だけ変身できる器用な
聞くに耐えなくなった頃、背の高いアッシュグレー髪の一見チャラ男風、栄太がマイクをハウリングさせ、牙尾一族を追っ払った。彼らはグルル言いながら引っ込んでいった。
それから栄太は司会進行をやる気なさげに始めた。
『えー皆さん、次の余興は“人狼ゲーム”です』
えー? なんで俺らそれやるの? あれよく知らないんだけど。
「慧、お前ルール知ってるか?」
「確か、10人か20人くらいで村人になって、その中に隠れ潜んでいる人狼が誰なのか当てるってゲームだよな。人狼役は前もって誰にも知られないように割り当てておいて。村人皆で相談して誰が狼かを決めて処刑していく……だっけ」
当然野次が飛んだ。
「人狼が人狼ゲームやってどうするんだよー。何が楽しいんだー」
「そーだそーだー」
そうなのだ。俺たち人狼には人間バージョンでも鼻がいい奴がいる。嘘をつくときの匂いも分かってしまう。だから騙しあいゲームは不公平だ。
『あーじゃあ色々面倒なので人狼っぽい人を選ぶってことで。ちなみに処刑をくらっ
た者はさっさと大自然に却ってください』
そう言って栄太は外の山岳地帯に手を振りかざす。
いや人狼っぽい人ってなんだよ、皆人狼なんだけど、なに基準だよ、などの野次は無視されともかくゲームスタート。
いくつかのグループに分かれる。各グループ内の内訳は、占い師が一人、騎士が一人、狼が10人設定。村人は20人。
なんか割り当ておかしくね?としながらも、やったことがない者ばかりなので、偏見に満ちた謎のゲームが五里霧中状態で進む。
意外にもサクサク進んだ。相談時間が30分なのに、大量処刑者が出るからだ。一度の処刑人数が10人だし、あっという間に半数が村から追放。
「なんで俺が人狼なんだよ! 俺はもう6分の1だけだし牙尾の方が純血だろうが!」
「ゲームだって言ってんだろ、マジ怒んなよ」
「そうよ怒らないで
「ちょ、後退じゃない! おでこが広いだけだから!」
「落ち着けよ牙尾。おでこだけ変身しておけば男の抱える恐怖から一つ解放されるんだからいいじゃないか」
「そこだけ離れ小島の色違いになるんだよ!」
「すでにやってみたのね」
「あ、慧、お前もずいぶん狼っぽいよなあ!服ビリビリ破って変身するの似合うアメリカン☆だし!」
「うち北欧だよ!」
「あービリビリやりそー。ハリウッド人狼ー。上半身だけ大きく変身してさー」
「はい慧、決まりー」
「俺ちゃんと服たたんでるから!」
不毛な罵倒も飛び交い、懇親どころか亀裂が走りかける集会。何考えてんだ運営。
「さあ狼さんたちはこの広大な大雪山を思いっきり駆けてくるがいいですよ! そして社会のストレスを発散してきて下さい!」
そう言われると皆うずうずしてしまう。恋人や連れが残っているけど、外をどこまでも思い切り駆けたい衝動は抑えられず、処刑者は一人残らず出て行った。
処刑せず野に放つ。ストーリー的には恐ろしい展開だ。が、現実は人狼界にも草食系の波が押し寄せている。
「アオ――――ン(気持ちいいー)」
「ウオ―――――――ン(生きてるー)」
「グオグオー―――(課長死ねー)」
あちらこちらから聞こえる雄叫び。あ、いいな、俺も早く外出て、走り回って叫びたい。
が。俺は残った。誰も選んでくれない。辺りを見回せば、残っているのは女の子ばかり。
そんなに人狼ぽくないのか俺……。
「さて諸君。ここからが真の人狼ゲームの幕開けだ――――この中に、人狼ではない者がいる」
!? まじで? ざわっと周囲がどよめく。「えーなにそれえ!?」「こわーい!」と女の子たちは怯えているけど、君達の方が怖い存在だからね。
「それ匂いで分からないもんか?」
俺が壇上の栄太に問うと、チャラ栄太は首を振る。
「お前分かるか? 俺は分からん」
あ、そうだな。フレグランスな匂いのする子ばっかだ。みんな無意識に匂いで選別してはいたんだな。しかし俺らそろいもそろって鼻が退化してんなあ。香料混じると分からなくなるなんて、死んだじいちゃん世代泣くな……ん?
「え、じゃなんで俺まで残ってんだよ!?何もつけてないぞ!?」
「知るか。とにかく本部からの通達だ。"異形”が日本に侵入した事が確認されている。それと通販サイトWOOPがクラッキングされてIDが抜かれた。日本会員に成りすまして参加している奴がこの中にいる」
ダメセキュリティ。『影で世界を牛耳る組織』の道のりは遠い。
いやーうそー私ちがうわよー私じゃないもん。
そんな声の中。戸口から10匹の狼が入り、俺たちを取り囲んだ。戦闘能力が高い連中ばかりだ。慧もいる。
「成りすましに告ぐ。残念だったな、お前は"騎士”たちに囲まれた。名乗り出て日本支部に潜り込んだ目的を言え。処刑までしなくとも減刑の嘆願くらい聞くぞ」
栄太の口ぶりからはさっきまでのやる気が消え、群れのリーダー特有の冷酷さが現れていた。すでに‟騎士”は決められていたのか。
「……おい、慧、お前いつの間に騎士だったの? 俺全然知らんかった」
「ぐるるぐるる」
知れたら人狼ゲームじゃないだろ、と慧。まあそうだな。
つまりこれは人狼の村に異形が一匹紛れ込んでいて、村人全員であぶり出すという、逆転人狼ゲームだった。一体誰が……あ。
俺が残った理由。匂いだ。人狼なら人狼って分かる匂いが俺には今ない?
……別の匂いをマーキングされてる……? つまり、さっきぐりぐりと、擦りつけられたアレは、つまり、つまり……
「じぇぼたん……君……」
「……動画で、偶然大会を見て、高々と飛ぶ姿が、忘れられなかったんです。綺麗に飛ぶんだなあって……会いたくて、会いたくて……。ばれちゃいましたね……」
「俺に会いに……それだけ?」
泣きそうな顔でこくりとうなずくじぇぼたん。
「兄たちに止められたけど……血を守る為に結婚させられそうになって、せめてその前にと思って……」
―――バカ、行くな! うちらの国も大概だが、あの国はHENTAI皇国なんだぞ!
―――行ったらダメだ! お前みたいなロリロリは餌食だからな! え!?べべべ別に変なサイトなんか見てないぞ! 外国文化の論文の為に資料を―――
「来るのは怖かったけど、でも、結婚させられる前に、どうしても、会いたかった……」
いつの間にかぐるりと"騎士”たちが、俺たちを囲んでいる。慧が俺に、彼女から離れろと、裾をくわえてひっぱる。
檀上から栄太が冷ややかに言う。
「お前が人狼ではない者か。―――捉えろ」
「待てよ! まだ何もしてないだろ! この子は俺に会いにきただけで」
「引っ込んでろ和樹! 可愛い娘に追いかけられてうらやま…外見に騙されるな!そいつの先祖はとんだ魔物でその残忍さに伝説を残すような生き物だぞ!」
「それまんま俺ら全員だろうが!」
「そういやそうだな!いや俺らより怖くてみんなびびってたらしいんだぞ! いいか、そいつを庇うならお前も一緒に"処刑対象”になるが、いいのか!?」
よくない。人狼の治癒力はものすごいのだ。寿命と、とある方法以外は、何をしても死ぬことはない。"処刑”とは"人間なら3回死ぬレベルの拷問”の事だ。
なぜそんなことをするかというと、俺たちは仲間意識が強い。勝手に入り込む異物には、人間の感性では理解できないくらいの廃絶感がある。拷問によってテリトリーに近寄らせないよう体に叩きこむのだ。
「和樹さん……いいんです。会えてうれしかった」
じぇぼたんが涙を浮かべて笑った。……俺は人一倍小柄で、コンプレックスだらけだった。身軽さを生かしてハイジャンだけに人生かけたようなものだ。
だけどあれが限界だった。そのうえ、オオカミの特性生かしたズルじゃないのか、と結果を剥奪された。
俺はハイジャンを捨てた。何しに、何にもならないことに血反吐吐いてやってたんだかバカらしかった。
だけど、この子はそれを見てくれていて、こんな、海越えてまで来てくれた。
せめて。
「俺が"処刑”を半分引き受ける」
「!?和樹さん! そんなの望んでません!」
「おー和樹、かっこつけてんじゃねーぞ。そんな程度じゃ躾けにならねーだろ。あと見せつけやがって腹立つから二人とも処刑!いけ野郎ども!」
野郎じゃないシャーリーさんがまず襲い掛かってきた。待ちきれなかったみたいだな。とっさにじぇぼたんの手を引き、「俺の首に捕まって」と言うと彼女は泣きそうな顔でうなずく。
その顔を確認し、オオカミに身を変えた。
慧が「やめとけバカ」とグルグル言ってるがバカでいい。
WOOFから買った『これで変身時も大丈夫!』が売りの服がちぎれることなく体からハラハラと落ちる。
「! 和樹を逃がすな!そいつのすばしっこさはぴか一だぞ!」
栄太の呼び声で騎士たちは包囲を強化する。騎士に選ばれるだけあってでかい連中ばかりだ。慧なんて俺の倍以上あるし。
なのでもちろん正面きって対峙するつもりはない。
慧たちの上を飛び越えるが、じぇぼたんを背負っているのでちょっときつい。けど人狼は普通の狼より筋力も増えるから、なんとか!
着地するとじぇぼたんが耳元で声を上げた。
「助走なしですごいです和樹さん!……でも」
じぇぼたんの声が震えてる。彼女の見てる『騎士』たちの様子。唸り、目の色が完全に金になった。『人』の部分が落ちた証拠。
狼の『狩り』が始まった。
一斉に全員が飛びかかってくる。一匹の獲物を集団で追いつめる、獣の証を身に感じた。それを受けて湧いてきたのはビビりじゃない、来れるもんなら来てみなのオラオラ気分。俺も人の部分より獣の本能が勝っていく。
三方から飛びかかろうとする連中をかわし、壁を駆け上がって上窓からそのまま外に出た。樹木の幹にいったん着地、そのまま駆け下りる。
デカブツにこんなマネできないだろやーいやーい!
うわーこの体で走るの気持ちいいなやっぱ!
「和樹さんっ、本当にすごい、何だかすごくて気持ちいいですっ」
だろ?と気分が高まった。
人間の世界で認められなくとも、この子が気持ちいいならそれでいいか。
と、体が軽くなった。じぇぼたんの腕が離れてる。慌てて立ち止まると、地面に落ちたじぇぼたんが叫んだ。
「和樹さん、私を置いていってください! 私は大丈夫で……」
巨体の狼が彼女に飛びかかった。またもやシャーリーさんだ。俺もシャーリーさんに飛びかかった。が、シャーリーさんに噛みついてる間に、じぇぼたんは慧にのどぶえを噛まれていた。
やめろ、と止めに入ろうとするより先に、じぇぼたんの体は軽々と振り回され、彼女は崖の向こうに投げ飛ばされた―――
「ウオ――――!(てめえ慧このやろデカいからっていい気になってんじゃねえぞウドの大木野郎!)」
「グオ――――!(それ言うなっていったのによくも言ったな!)」
俺たちはぶつかりあった。当然慧の方に力の軍配はあるので、奴の大きな体に巻き付くみたいにして、後ろからガブリ。だが慧も上体をひねって俺をガブリとやるので、とぐろを巻く状態。
そのままぐるぐると、徐々に移動してることに気づかず、二人で崖から落ちた。
あれ。なんだあれ。
崖の下にあったのは。
ほら穴? 牙? これは、口?
たしか、さっきじぇぼたんが落ちたあたりだここ……
「ぐおおおおおおおおおお」
狼とちょっと違う唸りが穴の奥から。それはこう言っている。
『うまそ――――――!』
そして俺と慧は穴の中へ落ちていった。
この口でかくね……?
※※※
「あ、やっと目がさめたかよ」
……栄太と慧。どうやらホテルの医務室だ。
集会も終わったので、掃除をしている音が廊下から聞こえる。狼の匂いを消す強力滅菌消臭剤の匂いがここまで。ちなみに本部開発の特殊銀成分配合だ。
「……俺、食われたっぽい?」
「うん、食われた。ミラ・リュクスに。で、彼女の腹を破って出てきたの、覚えてないか?」
ああ、そういやそうだった……。彼女、慧は吐き出して俺ばっか食った。食われてるそばで再生しながらも、脳が胃酸に完全消滅される前になんとか出てきたんだった……。
それにしてもデカかったな彼女。狼の皮を被った恐竜か?
「彼女、なにもの?」
「ケダモノ。混血の混血だから、なにものって定まってなくて、人狼互助会は人狼と認めるべきかどうか迷ってたらしいが、今回のことで折れたよ」
「さすがにあの子もなかなか再生しなくて、お前もまあ一旦食われたし、これを"処刑執行完了”と見なすよ」
「? けっこうあっさりだな」
「だってあそこまでされたらさあ。あの子を排除できないだろ」
「なんでだ?」
俺の疑問いっぱいの顔に、栄太も慧も顔を見合わせた。
「え? 知らないのか? 相手を喰うのは一番熱烈なプロポーズだぞ。俺たちの行き過ぎた愛情表現だし」
「しかも全喰いは情熱的だ」
……知らねえよ……こええよ……。
「ミラ・リュクスはルール違反をしたが、その目的と意図はよーく分かったからな。勝手に爆発してもげまくってろ」
「彼女はどうしてる?」
※※
「あの、和樹さん、あの……」
まだ横たわってるじぇぼたんが泣きそうな目で言葉を詰まらせている。どうすりゃいいんだろうか。
とりあえず傍らに座ると、彼女が緊張しているのが分かった。異人てもっと気が強いもんだと思ってた。ま、押せ押せではあったか。
「ごめんなさい……興奮すると自分が止められなくて……」
「それは分かってるよ、俺たち皆そうだし暴走はよくあることだから。気にしないでいいから」
「……あの、それで、その……お、お返事……うぅ……」
まだ何も答えていないのに泣いてしまった。返事……本当にプロポーズだったのか……。
本当、どうすりゃいいんだ。だってこれはどう見ても俺を過大評価しすぎだろうし、でっかい憧れなだけじゃないのか? 幻滅される気がする。どう言えば女の子って傷つかないのか、何が傷つけてしまうのか、まったく不慣れなので何を言えばいいのか。
「えっと、あのさ、君のご家族、これ許してないんじゃないのか?」
「……そ、それは……」
「それに気持ちは嬉しいけど、先走らないで色々落ち着いて考えて……」
「好きだから走ってきたんですっ!」
「……あ、うん、だから……」
「好きで好きで!どうしようもならないんです!私だって、私だって、ただの気の迷いって思っ、思ってた! でも、一緒に走って、それで、ずっと、一緒に……って思って……っ」
熱烈に慣れてないから、いまこの瞬間に、現実感がない……
「……またっ、一つに、なりたい……! 和樹さん……!」
現実感が割れて砕けた。
確かに俺たち、一つになったなあ……。
もう何をどうすればいいのかいよいよ分からない。
この自分の汗が、何の汗なのか、さっぱり理解できない。恐怖からくる汗、じゃないのかもしれないから困った。
「許そう」
え?
じぇぼたんのベッドの下から人が二人出てきた。じぇぼたんと同じ牛乳紅茶色の髪した、でかい異人だ。
「私は兄のカレル。こっちは弟のエミール。先ほどの腹を裂く戦い、見せてもらった。君は合格だ」
プロポーズと戦いは大きく違うと思うんだが……。そしてずっと盗み聞きですかい。
あれよあれよという間に俺の両親も来た。麦わら帽子に首にタオル巻いたかっぺまるだしの父ちゃんと母ちゃんは、洗練されたオーダーメイドスーツの異人二人と両家の挨拶をにこやかに交わしてる。
「今年もなんとか未来の少子化を免れそうだな」
栄太がふーっと息をはいた。
あれ。俺の意見は?
そんなわけで婚約者ができた。
なんで強く反対しなかったんだろうと考えてみる。据え膳食わぬは男のなんとかだから……いや食われたのは俺だった。
可愛いから……いやなんか違う。可愛いのに限ってわがまま面倒という、偏見と言われようが敬遠したい気分は今もある。
やっぱあれかな。食われるほどの激情を体現したというか、なぜか食われてすげー気持ちいい気がしたのは認める。これぞ一つになったというか……
「あ、それこそSとMの最高峰。根幹だよ。あーゆーのも相手と一つになるのが目的だからな。めったにできねーぞ、だいたい死ぬから」
大学で精神医学専攻の友人がけろっと言った。
「じゃ腹を突き破った快感はS?」
「一体何したんだお前。双方がSになりMになる、これが究極の愛だよ愛」
「………愛かあ?」
「愛なんて世界中で定義が違うんだよ。ごちゃごちゃ考えんな。ていうかお前が愛を語る相手って、植物くらいしかねーだろあはは」
「和樹さーん!」
じぇぼたんの声。ここ大学の食堂です。嬉しそうな顔で駆け寄ってくる彼女を見て俺が思ったこと。
あ、かわいい。
「そうだよな、ごちゃごちゃ考えても仕方ないよな」
「なになになんだよ?なにその子!?」
「和樹さん!サイバー犯罪の刑期(執行猶予)をやっと終えました!」
「そっかよかったな。もうあんなことするんじゃないぞ」
「はいっ」
「犯罪者の外国人!?やめろ和樹!どうかしてるぞ!お前にはかわいい甜菜たちの育成が待ってるだろ!目をさませ!」
友人の声はもう耳に入らなかった。
というわけでじぇぼたんがうちに引っ越して来た。
ちなみにうちはど田舎なだけに、金持ちでなくとも家がでかい。ので、じぇぼたん一人くらい増えてもまったく問題ない。
今彼女は、故郷の味だという料理を楽しそうに作っているのだ。けなげだな。
出来た料理はフレンチフライに野菜やチキンが混じってる。ソースが独特でけっこううまい。
「和樹さん、今度、ちゃんちゃん焼きというのを一緒に食べてみたいです! もっと料理覚えますね!」
あーなんかかわいいなあとしみじみ感じる。
「こっちこそ幻滅されないように頑張るよ」
と返したらすごい嬉しそうに笑った。その口元にソースがついているのでぬぐってやると、なんだか顔を赤らめているので、こっちも意識してきた。
頬にかけた指でそのまま撫でると、彼女が瞼を閉じたので、唇を近づけ―――
がぶ。
俺は頭から食われた。
草食系人狼、愛を知る 黒川晶 @rinriririn5
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