後編
寝てた。
それはもう、健やかに。
(お師匠様が言うには、「成長期だから」らしいけど、成長期ってそういうもの? いつの間にか寝てしまうのはどうしてなんだろう。少し怖い)
起きたら、王城で使用を許可されている自室のベッドの上だった。
天蓋から吊るされたカーテンは閉ざされておらず、視線を向ければガラスのはまった窓の向こうは、夜空。
エリスの記憶は、祭りに湧く城下に出てみんなで出店をのぞいて、串焼き肉や糖蜜がけの焼き菓子を買い求めて食べ歩いていたあたりでぷつりと途絶えている。
(最近は、回数が少なくなってきていると思う。意識消失の時間も短くなってきて、数時間以内には目覚めている。……以前は)
そこまで考えて、ぞくりと悪寒が走り、自分の両腕を両手で抱きしめる。
以前は、一度眠ると数日間目覚めないこともあった。海辺の離宮から、王城まで戻るまでの道中など、まったく記憶にない。正確には、その少し前から。
気がついたら、戴冠式間際の王城まで運ばれていた。アリエスや故国の一行が一緒だったのは心強かったが、いつの間にかジークハルトとディアナ姫が婚約していたのは内心動揺した。
「血と鋼」の魔導士によって、戦争の間非情な獣戦士となっていたジークハルトは、これまでの妃候補には疎まれ、心無い態度を取られてきたと聞いていた。
それが、ここにきてディアナ姫という理解者を得て、結婚に前向きになったというのは、祝うべきことだと頭では理解している。
しかし、それにしては二人の間の空気がどうにもよそよそしい。
もちろん王族同士の結婚とあらば、一般人のエリスには計り知れない事情もあってのこととは思うが、傍から見て「友人」以上のものを、一切感じない。
(それだけなら……、それほどの問題ではないとしても。ジークハルトが、ディアナ様よりわたしに打ち解けて見えるのは、良くないような……)
王城内でも、部屋が近い。
もっとも、エリスの現在の立場は、ディアナ姫付き侍女という扱いになっている。
姫君、ゆくゆくは王妃となる身となれば、その侍女も貴族の令嬢が中心。しかも随行員が限られていたことから、この王城についてからディアナがエリスを筆頭侍女に任命し、自室の隣の部屋に待機を命じる意味でとどめ置いているのであった。その結果、ジークハルトの私室とも部屋が近い、というだけの話。
ディアナとエリスの関係は極めて良好。ジークハルトがエリスを何かと気にかけても、ディアナは嫉妬する素振りもない。
ただし、緊張感はそれなりにある。
「お二人には、このままつつがなく結婚まで邁進して頂いて、その後もめくるめく幸せな生活を送って頂きたいのだけど……」
思わず声に出してしまってから、毛布で口元をおさえる。いずれにせよ、自分が口出しすることではない。立場をわきまえねば。
ひとまず、今が何時くらいでどういう状況なのか確認しよう、そう思ってベッドから下りてそばにあったブーツを履き込んだとき。
コンコン、と控えめなノックの音がした。
(お師匠様?)
しぜんにそう考えて「起きてます」と返事をすると、ドアの外から涼しげな声が響いた。
「俺だ。エリス、起きているなら、少し出てこれるか?」
* * *
城下が見下ろせる、広いバルコニーを擁した部屋にて。
祭りの余韻さめやらぬまま、王とその側近による小宴が繰り広げられていた。
彫刻の施された手すりにもたれかかり、グラスを傾けていたアリエスとエンデが「来たか」「お目覚めですか」と笑顔で声をかけてくる。
とにかくおいでとジークハルトに連れられてきたエリスも、顔をほころばせた。
「今日は、帰り道で眠くなってしまったみたいだけど。本当はもっと楽しみたかっただろ」
「わざわざお声がけ頂きまして、ありがとうございます。陛下、もう軽々しく歩き回れる身分じゃないんですから、そういうのはひとに任せてくれていいのに」
「陛下、ではなく。名前で大丈夫だ。あのへんの不敬を全然気にしない奴らも、いまは無礼講で俺に対して好き放題言っている」
ジークハルトが居並ぶ面々を示すと、各々グラスを掲げたり、手を振ったり、気さくな挨拶を返してきた。その中には、ファリスもディアナもいる。
(ディアナ様、いた。良かった)
エリスが微笑みかけると、テーブルについていたディアナは、「ここに来たら」と隣の椅子を示してくれた。歩み寄ると、腰掛けたままであったが、手ずから椅子をひき「遠慮しないで」と朗らかに言う。
「ありがとうございます、恐れ多いです」
「良くってよ。あなたとは友人のつもりなの。国にいたときは、アリエスの独占欲がすごくて声もかけられなかったけど」
(独占欲だなんて、姫様も大げさなことを。お師匠様のあれはそういうのでは)
角が立たないように、エリスはやんわりと断りを入れる。
「忙しかったのは確かですね。修行がみっしり。その割にはほとんど魔法が使えないままで、魔導士としてはろくに貢献できず、申し訳ないんですが」
「そんなことないわ。あなたは立派に勤めを果たしている」
ディアナの視線が、ゆっくりとエリスの顔の表面をなぞって、遠くへと向けられる。
一緒にその行方を追って、エリスはそのまま夜空を見上げた。
(勤め……。わたしは……、「戦争の脅威となる騎士団長を暗殺する」ためにこの国へ。だけど、危険な二つ名を持つ騎士団長というのは、何人もの噂が絡まりあったものだった。本物の騎士団長ロアルドさんの他に、炎の魔剣士ファリスさん、隻眼のエンデさん、そして狂戦士となった王子ジークハルト……。今は、ファリスさんとジークハルトは剣を置いている。エンデさんは、職を辞した騎士団長の代わりに)
わたしの記憶は、どうしてこう穴だらけなんだろう。
眉根を寄せて思い出そうとするが、いくつかが欠け落ちている。知らない間に、時間が流れ、いろんなことが変わっていた。
「平和の架け橋となったのは、姫様です。ジークハルト陛下との婚約が成ったことで、二国間での戦争も避けられたのでしょう」
周囲の男性陣が何かの話題で弾けるような笑い声を立てている中、エリスは声を潜めてディアナに伝えた。
ディアナは、テーブルの下で手を伸ばしてきて、エリスの手を軽く握る。
「そのわたくしの生命を救ったのは、あなたなの。あなたは今、強い魔法を受けた影響で、記憶が少し曖昧になっている。だけどその分、わたくしが覚えているわ。あなたから受けた恩を返すためなら、わたくしは何だってするつもりよ」
ほのかなぬくもりを残して、手はすぐに離れていった。
エリスはディアナに視線を向ける。ディアナは扇を開いて口元を隠しながら視線を流してきた。きゅっと拳を握りしめて、エリスは口を開いた。
「では、わたしの欠けた記憶について、教えてください。今でなくても、構いません。お師匠様も他の方も、何かはぐらかしている気配があって。姫はわたしに真実を教えてくださいますか?」
「教えないのは、優しさなのかも。好奇心は猫をも殺すのよ」
「少しずつでも、お願いします。記憶喪失の影響を受けて、わたしはおそらく見た目よりも精神年齢というものが低い自覚があります。お師匠様は『赤ん坊と変わらない』なんて言いますし、エンデさんも『話した感じ、十歳くらいだと思う』と。それでも、逃げたり、守られてばかりというわけにはいかないんです」
目が合うと、ディアナは扇をぱちんと畳んで、にこーっと目を細めた。
「わたくしの体感的にも、そうね。あなた、十二、三歳といったところかしら。恋には少し早い」
「赤ん坊でないのであれば、良かったです。恋はまだ……」
(どこでも寝てしまう「お子様」の身で、恋愛だなんだと言っている場合では)
とはいえ、外見はほぼ大人なのだ。公の場で求められるのも、大人としての立ち居振る舞い。早く中身も相応にならねば。
思いを新たに、顔を向けたところで、ディアナにいたずらっぽく微笑まれる。
「そうなのよ。だから紳士協定が生きているの。あなたが思った以上に幼いから、あそこの男たちは色々と我慢しているわけ。わたくしからの進言とすれば、そうね。そんなに急いで大人にならなくて良いから、今しばらくそのままのあなたでいたら? 大人になってしまったら、もう子どもには戻れないのよ」
「そうは言っても、子どものままではいたくありません」
「わかったわ。では、あなたが、わたくしの目から見て、じゅうぶんに大人になったと思ったら。そのときは、わたくしが知る限りの、あなたの物語を教えてあげる。欠けた記憶。あなたというひとが、いったいどんな存在で、どう生きようとしていたか……」
偽りのない、真心のこもった声。
「ありがとうございます」
感極まって、エリスは頭を下げた。
その耳元に唇を寄せ、ディアナは素早く耳打ちをした。
「そしてそのときこそ、あなたをわたくしの恋敵と認めてあげる。なにせあなた――わたくしの慕う方に『子どもを生みたい』と言ったんですもの」
「……!? いつ、どの口がそんな!?」
「その口よ」
焦って顔を上げたエリスの口に、ディアナはテーブルの上からつまみ上げた柑橘類の砂糖漬けをぐいっとねじこんで、素早く椅子から立ち上がった。
甘酸っぱい味と、突然の出来事に、エリスは涙目になりかけながらディアナの背に視線を向ける。
ディアナは颯爽と歩き出していた。
その向こうで。
ドーン、と華々しい音が空気を震わせて鳴り響く。
夜空に、色とりどりの、鮮やかな大輪の花。
「エリス、いらっしゃい」
「花火、始まったぞ。エリス、おいで」
「こっちのほうがいいかな、角度的に」
「早くしないと、終わっちゃうよー!」
ディアナ、ジークハルト、アリエス、エンデが、手すりのそばから振り返って口々にエリスに呼びかけてくる。
エリスは、口の中の砂糖漬けを飲み込んで、椅子から立ち上がった。
続けて、いくつもの花火が夜空を駆け上がり、大きく花開いた。
半熟魔法使いの受難 有沢真尋 @mahiroA
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