【ハロウィンSS】

前編

 仮装をするんだよ、と言われた。


「仮装なんて、考えたこともなかったんですが」


 これまでの人生で、とエリスが付け足して言うと、エンデがくすりと品よく笑った。


「これまでの人生って。記憶上は一年と少しだよね? それなら、知らないこともたくさんあるよね」


 その背後で、アリエスが視線を流してきて、声を出さずに唇だけで何か言っていた。二百年、と言ったように見えたが、見間違えかもしれない。それはたぶん、アリエスの実年齢の話だ。


(なんで今その主張を? もしかして「二百年生きていても、俺だって仮装なんかしたことがない」という意味ですか!?)


「わかりました……! 参加します。ぜひみんなで楽しみましょう……!!」


 俄然やる気を燃やしてみせたエリスに、エンデは面白そうに目を細めて唇に笑みをのせて頷いた。その横でファリスが楽しげに言った。


「嬉しいな。そう言ってもらえると、企画する側としてもやる気が出ます」


 微笑みながら「ね、陛下」とジークハルトに声をかける。

 胸の前で腕を組み、難しい顔をしていたジークハルトはそこでぼそぼそと答えた。


「そうだな……。エリスに似合う仮装ってなんだ。やっぱり、妖精……?」


 ぼんやりしているように見えたが、すでに深い思索にふけっていたらしい。


「それ自分が見たいだけですよね。どうせスケスケ素材で七色の羽でもつけた衣装とか妄想してるでしょ? これだから思春期こじらせた若様は」


 ふう、と肩をそびやかせて言ったエンデ。ジークハルトに反論する隙も与えずに「いやだいやだ」と眉間を指でおさえて気難しい顔をしながらしっかり追い打ちもしておく。


「陛下。そういう、趣味にはしるのはやめておきましょうね?」

「お前ら、何を言ってるんだ……!?」


 流れるようにファリスも釘を差し、ジークハルトはあ然としたように言った。


「陛下、婚約者もいる身でそれはどうか」


 辛辣な調子でアリエスも意見を表明する。

 いじられっぱなしのジークハルトは、きっぱりと言い切った。


「内心は自由だろ! 俺のことは放っておいてもらおうか!」


 すかさずエンデとファリスに「認めた」「認めましたね」と言われてがくりと肩を落とす。

 なお、苦り切った顔をしたアリエスが、だいぶ前からエリスの背後にまわりこみ、両耳を両手でふさいでいたので、幸いなことに本人には内容は大まかにすら伝わっていなかった。

 したがって、


(今日もみんな仲良いなぁ。平和だなぁ)


 と、喧々囂々の一同をほほえましく見ているだけだった。

 背後のアリエスの忌々し気な溜息も届かない。しかし、気配だけは察した。

 ぐるりと首をひねって見上げ、にこにこと微笑む。


「お師匠様は、どんな仮装がいいでしょうね。その人間離れした顔がどんな仮装も無効化しちゃいそうだから……」


 アリエスが、エリスの耳にあてていた手をはなすと、エリスは身体ごと振り返って、向き合う。

 背の高い師匠の顔を見上げて、目を輝かせながら言った。


「その顔、どうにかしましょう。仮装の邪魔です」


 長い日々を生きてきて、老若男女にほめそやされ垂涎の的にされ国をも傾けると言われた美貌。

 アリエス自身は、他の人間からの賞賛などなんの意味もなく、ただ目の前の、ずっと恋心を抱き続けてきた相手に認められて初めて価値がある、と考えていた程度の容貌であるが。

 いま、さらりと「邪魔」と言われた気がした。

 

「どうにか?」

 

 確認のために聞き返すと、エリスは力強く頷く。


「ええ。その首の上にその顔があるだけでどんな仮装も『大魔導士アリエス』になってしまうと思うんです。せっかく仮装するならどうにかした方がいいです。顔を」


 勘違いではない。完全に、余計なもの扱いをされている。

 頭痛を覚えて額を掌で覆ったアリエスの耳に、くっくっく、と神経を逆なでするような笑い声が届いた。


「……楽しそうだが。俺はいま八つ当たりだけで山を削ったり海を割ったりできそうな気分だ。お前の片目もついでに潰すぞ」


 言われたエンデは、ふふ、と笑いをもらしながら愉快そうに片目を閉じる。


「だめです。美人を両目で見られる感覚を思い出したら、もうあの頃には戻れない。二度と失いたくないです。『光』を」


 開いた両目でまっすぐに見つめられ、アリエスは嫌そうに顔をそむけた。


「べつに俺はそんな奇祭に付き合うつもりもない。部屋で寝ている。絶対に誘うなよ」


 言い捨てて、その場を去ろうとしたアリエスの袖をエリスが掴み、エンデが正面に立って行く手をふさいだ。


「そんなこと言っていいと思ってんの? エリスが泣くよ?」


 ささやかな脅し文句だったが、使命感に満ちたエリスが呼応するように頷いた。


「一緒に楽しみましょうよ、お師匠様」

「……お前は」


 苦い声で恨み言を吐き出して、アリエスは目を閉じた。


彼女エリスはわかっていない)


 アリエスが、彼女と同じ姿かたちを持つ相手のことを他の誰よりも長い時間思い続けてきたこと。

 その声でお願いをされると、どうしても無下に出来ず、たいていのことは受け入れてしまうこと。

 わかっていないなりに、アリエスが観念した気配を感じ取ったエリスはふわりと微笑む。


「お師匠様、せっかく国元から百年ぶりくらいに休暇を頂いて、せっかく異国に滞在しているわけですから。珍しい遊びはもれなく体験していきましょうよ。お祭りは参加してこそですよ」


 完全に、アリエスの休暇を充実させるための気遣いなのだと思うと、怒る気力も削がれてしまう。


(この顔を邪魔扱いってなんだ。泣くぞ俺が)


 はるか昔、魔法を学ぶ学生であった頃。

 あるいは、寄り添った長い年月の間に。

 彼女といくつかの祭りを見て歩いたこともあるのだと、懐かしく切なく思い出しながら、アリエスは浅い溜息をついた。


 * * *


「これってさ。命に別状はないんだよね」


 アリエス曰く「奇祭」の当日。

 思い思いの仮装に身を包み、飾り付けられた街路や広場の出店を目当てに、城下に総員で忍んで行き、さんざん楽しんだ帰りのこと。

 不意に、エリスが眠りに落ちた。

 受け止めたのはエンデで、そのまま誰にも渡すことなくしっかりとその胸に抱きかかえて王宮に帰還することとなった。


「無いと考えているが。『時』の魔導士は他のどの魔法大系とも違う存在だ。わからないことが多い」


 正直に答えたアリエスは、「邪魔」な顔を隠すべく覆っていた仮面をすでに外している。

 その視線は押し黙っていたファリスへと向けられ、気付いたエンデもジークハルトもその凪いだ横顔に目を向けた。

 自分が見られていることは十分意識しているであろうファリスは、落ち着き払って言った。


「大丈夫ですよ。彼女自身も希望していたでしょう、子どもを生んでみたいと。止まっているかのように緩慢だった時間は確かに流れ始めていますが、その分彼女には望んだ未来が開けている。大丈夫ですよ」


 ファリス自身は、はっきりとは言わないので、皆聞くに聞けないでいることがある。

 止まっているかのように緩慢な時間を引き継いだのは、次代の「時」の魔導士はお前なのか、と。

 言わないが、時の流れゆく先を見るような発言が時折その唇からこぼれ、推測を補強していくのだ。

 この世でただ一人の魔導士の特質が、その身に宿っているであろうことを。


「ふぅん。子どもを生む、ね。たしかに、そういう未来もあり得るんだろうね」


 仮装の名残で、耳を尖らせたままのエンデが、腕の中で眠る妖精を見下ろして囁くように言った。

 エリスは、透け感のある素材の服に、背に七色の羽はつけていたが、どちらかというと樹木の子どもや町娘をイメージした可愛らしいデザインで、露出もさほどない。

 とはいえ、普段とは少し違う雰囲気というだけでジークハルトは「存在そのものが妖精みたいなものだから……」と顔を赤らめていたし、十分な仮装にはなっていたようである。

 アリエスも物言いたげな顔をして眺めていた。

 記憶の中の何かと重ねているような寂寥がその表情をよぎって行ったが、仮面で覆い隠して出店を冷かしている間はそれなりに楽しそうにしていた。


「このまま部屋に送り届けます」


 王宮の裏口から、お忍びを告げられていた数人に迎え入れられて無事に帰りついて後、エンデがそう言った。

 勢い込んで口を開きかけたジークハルトに視線を滑らせて「あのですね」と釘を刺すように続ける。


「何もしませんから。要人警護の仕事中って自覚はあります。この後飲み明かすなら付き合いますし。すぐに向かいますから、先にどうぞ」


 だいたい、色々理由をつけてジークハルトとエリスはお互いの部屋が目と鼻の先なのだ。

 エリスを「恋人」と公言することこそないが、臣下の中にはそのように扱っている者もいる。そこには、ただのわがままに見せかけて、ジークハルトの冷静な計算が働いていることには全員気付いている。この先、正妃として戴くは、エリスの可能性もあるのだ、と。


「では、そのように」


 エリスの部屋の前で、ジークハルトは鷹揚に言ってファリスとアリエスを伴い、自室に向かった。

 その後ろ姿を見送ってから、エンデはエリスの私室に足を踏み入れ、寝台までまっすぐに進む。

 さて下ろそうか、としたときに、エリスの睫毛が微かに震え、瞼がうっすらと持ち上げられたことに気付いた。

 目を細めて、注意深くその表情を見守っていたエンデは、ひどく低い声で尋ねた。


「どっち?」

「……食えない男だ」


 答えたのは、エリスであって、エリスではない存在。


「もう会えないものだと思っていた」

「消えたわけではない……」


 そうは言うものの、その声は今にも消えてしまいそうなほどに頼りない。

 こみ上げる想いから、抱きしめる腕に力をこめないよう注意を払いつつ、エンデは囁いた。


「お菓子をいただけますか? これは今日の祭りの決まり文句で」


 ふっと、ほんの微かに空気がゆるむような、柔らかな笑いが伝わる。


「いたずらはだめだ」


 祭りのことを知っている、返答。

 声の最後の方は、もう眠りの世界に引き込まれているかのように曖昧だった。

 次の一呼吸で寝息になってしまうだろう。

 だからこの言葉が届くかどうかはわからない。構わない。

 すべてを諦めながらも言わずにはいられなくて、エンデは吐息を零した。


「あなたが好きです」


 健やかな寝息が聞こえる。

 最後の気まぐれだったのだろうか、それとも彼女はまだいるのだろうか。

 そっと寝台に少女の身体を横たえて、エンデはその顔を見下ろす。


 ――いたずらはだめだ。


 エリスの目を通して祭りを見ていたのか。或いは、エリスではない彼女の知識なのか。

 アリエスに聞けば答えはすぐ知れるだろうが、自分はこのことはアリエスには話さないだろう、とすでに決めていた。


 彼女の最後の一言は、自分だけの胸にしまいこむ、秘密なのだった。


 

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