取るに足らぬ人

白川津 中々

 肥大化した自尊心は時に加虐欲求へとその性質を変貌させる。


 男は誰からも認められない人間だった。

 仁も徳もない矮小な器にそぐわぬ巨大な慢心は嫌悪するに十分であり、人はこぞって男を愚者と断じて腫れ物のように扱っていた。実の母にさえ、「あれは鬼子だ」と忌避されていたのを見れば、その凡そは察する事ができるだろう。有り体に言えば、男は最低の屑と形容するに相応しい愚物であった。


 男の慢心は歳を経る毎に虚栄を増していく。

 十になる頃には自身に絶対的な才があると信じて疑わず、特に詩文においてはまったくの天稟に恵まれ、他者と比較し如何に己が優れているかという事を口にし、また他者にそう言うように強制していたのだった。自分以外の人間が称されれば粗を探し、粗がなければ人格否定やレッテルを貼り貶めんと躍起になっていた。その無様がどれだけ滑稽であるか理解できぬのが男にとって幸いであり不幸であった。男は男の言動に一抹の疑問も持たない為に自己嫌悪に陥るような悲観を抱かなかったのだが、自我の塊である人間が共感を呼ぶ文など綴れるはずがなく、男の作品は、男の人生と同じく、誰からも愛されない不要の代物ばかりだったのだから。


 二十を超えてから。男は相変わらず不遜であった。自身こそが絶対であり、他者は全て下等であった。評価されぬ作品を書き、世に出ぬは他者が皆馬鹿者であるからと言ってはばからなかった。そんな男を見て人は影で微笑い虚仮にしながら、対面では「やぁ天才作家」と持て囃しては増長の手助けをしていたのだった。人は皆、男が落ちぶれていく様子を愉悦を持って眺めていたのだ。


 そのうちに男はいつしか作品を出さず、他者に対して毒を刺すばかりの人間となっていた。

 もしかすれば、男は自らの非才を認め筆を折ったのかもしれない。だが、仮にそうであったとしても真実が明るみとなる事はないだろう。なぜならば、男の自意識はもう、才のない己を許す事ができないのだから。



 男は今日も自己の満足の為他者を蔑する。

 皮肉な事にその姿は喜劇として十分に見応えがあり、男の書いた作品よりは愉快であった。

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取るに足らぬ人 白川津 中々 @taka1212384

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