ホワイトアノマリー
出雲 蓬
アンドロイドは人間擬きを求めた
白とは何か。
色である、それに違いはない。全ての可視光が乱反射されたときに人間が知覚する『無彩色』であり膨張色。無色の意味にも含まれる、色と言う存在の中でも異彩を放つ存在だ。無色なのに異彩とは可笑しな話だが。しかし白とは矛盾を孕みながらも、その要素の矛盾の一切を無視した美しさと清純さを現すことが出来る。果たしてそんな色を見て魅了されないことがあろうか?いいや、魅了されるはずだ。少なくとも俺は白に魅入られた。そんな人間だ。
白、甘美な響きだ。俺はそのただ一つにだけ陶酔している。この生涯はそれだけに捧げるものだと思っていた。こういう言い回しをする意味は正直に言えば無い。脳内でただ反芻するように空回る独り言ならぬ独り思考。まあつまりはただの思考なのだが。その思考の世界もまた白い。
暖かくて冷たいそんな思考に耽溺していると、意識の底に沈んでいた俺が純白の腕に引き上げられ覚醒に誘われる。一瞬白んだ視界がやがて元に戻る。俺の部屋だ。白のみで統一された家具や壁、床、天井、全てが同一色の部屋に、朱い朱い夕陽が射しこんでいた。赤も好きだ、朱も好きだ、紅も好きだ。白に映えるから。差し色としてこの上ない適性があると思っているから。夕陽が射しできた影が明瞭な輪郭を作り出している。黒が好きだ。白を浮かび上がらせてくれるから。
体を起こす。鉛の塊の様な気怠さに顔を僅かに歪めながら、体を寝かせていたソファーから立ち上がり背筋を伸ばした。パキンと骨の音が一つ。常人が見ればがらんどうのようだと形容されるかもしれない部屋は僅かな音でもよく響く。若干煩わしい音だと考えやがてその思考は消えた。曖昧模糊な意識をどうにか切り替えようとした背伸びが、意図せずして自身の気分を害した事ことにやや不満を覚えたが、それをいつまでも携えたくはない。目を瞑り、開く。素敵な世界が見えた。
意識は晴れたとは言え、その
身じろぎ、微かに聞こえるか細い声、中から伸びてきた腕はいっそ常人には恐怖すら覚える白さだ。俺にとっては陶酔と崇拝の象徴でしかないが。
起きろ、と声をかける。その声に反応して、タオルケットはもぞもぞと蠢き、やがて仄かな紅みが愛らしい白い顔がひょっこりと現れた。
「…………おはよぉ」
間の抜けた幼い声がふやふやとした調子でそう言った。俺は顔を洗ってくるよう伝えると、目をこすりながらおぼつかない足取りで壁伝いに洗面所へと消えていった。
自身の時とは違う足音のリズムと共に視界からフェードアウトしていったのを見届けた俺は、配給の栄養食と浄化済みの飲料水を壁に埋め込まれている保存庫から取り出すとテーブルに並べ、そしてソファーに腰かけた。見栄えも何もなく味も質素なその光景はどうもやはり不満がないわけではないが、かといってこれを拒否した時に残るものは霞や埃と言ったものしかない。そんなもので腹が膨れるなら苦労はないが、残念ながら今の時代に至るまで人類含めたエネルギーを必要とする大多数の存在はそのような粗雑な物を食すようには適応していない。皮肉を込めて言うのならば、今この状態の食卓が限りなくその粗雑な状態に近いか。なんせ栄養素は必要分きっかりに調整され、色も味も嗜好的な部分は一切が簡素になっている。こんなものを果たして人類が築いた美食の形と言えるだろうか?寧ろ形容するなら成れの果てだ。行きつく先には簡略化と効率化なのだろう、人と言うものは。そうして発展していったのだから結論としては至極当然であるのだが、しかしそれがこんなにも人を無視した現実になるのもまた世界からの皮肉なのであろう。でなければこんな世界で人間がそれでも生き永らえているはずがない。
「でたぁよ」
水にふやけた紙の様な少女の声が聞こえた。視線をそちらに移せば白い髪、白い肌、白い睫毛、それら白から覗く赤銅色から
「いただきまぁす」
いただきます。同時にそう言った俺たちは、味気無くパサついた栄養食であるバーを無言で口に入れていった。
目を上に向け悟られないように少女の食事している姿を見る。俺が見つけ引き取った少女、名はイヴ。人間に極限まで近づかせた『アンドロイド』であり、欠陥品として廃棄されるはずだった俗に言うエラーアイテム。世は彼女を存在するべきではないというだろう。満たすべき水準に届かず、日常の生活の中では寧ろ負債となる彼女をわざわざ高額で引き取る奇特な人間はまずいない。効率化を最大まで高めたこの社会では。
だが俺は違う。彼女にアンドロイドとしての仕事は初めから望んでいない。期待をしないというより、それを目的に彼女を迎え入れたわけではない。かといって複雑な理由もない。
――――――単純に『白くて白く白い』から。
白に魅入られた俺には、彼女はあまりにも完成されていた。
現存するアンドロイドは体を人工的に生成されてできている。その構成物が無機物ではなく、人間の細胞をベースにしている。人間の母体より卵子を摘出し、コアとなる半自己増殖可能なナノマシンと疑似受精をさせ体外受精の形にすることによって、出生と同時にAIとしての人格を形成、ナノマシンの働きによる急激な成長によって設定された年齢の外見と精神性を形成し、人間の生活をサポートする様に造られていく。それがこのアンドロイド達。人間の生活から社会運営に至るまでが完全管理されている世界において、ある意味人間を管理する実行者的役割でもある。が、人体を基礎としている以上限りなく低いとはいえエラー――――人でいうならば先天性疾患――――と言うものは起こりうるものである。全てをナノマシンによってゼロから生成できればそういった事も無いのだろうが、現行の化学力では生成元となる人の素材、つまりは卵子がなければ増殖機能の情報はあれど増殖させる元手が無い状態となる。3Dプリンターと製造データがあっても、それを形作るための材料がなければ作成不可なのと同じだ。そして彼女はその中でも本来持っているべき機能を有さない
そして彼女は人としての側面・要素を強く現してしまったが故に、人間でいう先天性色素欠乏症と言う疾患を持って生まれた。人体に存在するメラニン色素が限りなく、または全くなくなるその疾患は、特性上『白』が強く現れる。彼女――――イヴもまた、それによって表皮や体毛が白、またはそれに類似した色――――厳密には白金色に、皮膚や眼球も白色化によって体内を流れる血液が透けるため仄かに赤みがさしている。
ならば俺がイヴに見惚れないはずがない。自分でも驚くほど即断で彼女を買い取り、こうして今共同で生活をしている。その欠陥上人間の管理どころか生活補助も限定的なものであるため、実質養子縁組の類となっている。無論望むところではあるが。
それにしてもイヴは俺の理想を具現化したような存在だ。その髪は触れれば一切の解れ絡みも無い、清純さを体現している様にしか思えない。シルクの様な触り心地は麻薬以上の快感と中毒性がある。人形のように無機質な肌が、俺の中にあるイヴに対する愛玩的感情を増幅させる。庇護欲と言われる感情なのだろうか、俺には判断できないことだが。俺は食めと言われれば迷いなく、際限なくイヴの毛髪を咀嚼し嚥下も可能だと思っている。既に一度行ったが、彼女の美しく神聖な毛髪を俺が無為に消費するのは冒涜なのではないかと思い至り今は行っていない。だが、定期的にブラッシングを行ったりする間に髪に触れ、心地を感じ、匂いを嗅ぎ、出来心で抜けた髪を集めるのは確信的に麻薬を上回る快を長時間与えてくれる。その抜けた髪を集め丁寧に紡ぎ繋ぎ、マフラーやピアスの飾り等に加工しているのもまた至福のひと時である。彼女は感情の起伏が乏しい故、そういった行為に対しても嫌悪や畏怖の目を向けてくる事は無い。だからこそ、俺は彼女を欲した。肯定も否定も無い、受容の関係を築いてくれるそんな存在が欲しかった。この白への飽くなき依存と妄執も、彼女は受容をしてくれる。管理されつくした人類の自死へと緩やかに転げ落ちる世界で、ただ一人俺は管理の眼を抜け、掻い潜り、白の世界に耽溺するだけのでく人形に成り果てる。そこに誰かが介在する余地はない。イヴですら。
この理想は俺だけのものであり、それに溺れるのも俺だけ。イヴの事は愛している。例え齢十四歳の少女の姿であろうとも、俺がそれからは歳の離れた二十代の人間であろうとも、彼女を愛している。
誰からも必要とされず、誰からも求められず、ただ零に戻るだけだった彼女を、ただ一人俺だけがその真価と共に愛する。
食事が終わる。とは言ってもそう時間のかかるものでもない内容、包装を廃棄物入れに、飲料水の容器をリサイクルボックスに乱雑に入れ、キッチンで簡単に手を洗い居間に戻ると、先程まで羽織りごみ捨てをする際脱いでいた俺の上着をイヴが着てソファーに静かに座っていた。俺の上着は黒い、理由は白に映えるから。明らかなオーバーサイズの上着を着ているイヴは最高のコントラストを体現しており、思わず奇声を上げそうになった。何とか抑えようとした結果、ヒュッと喉が鳴り息が小さく出るに留めたのは我ながら好判断だと思う。
「んー……」
――――あの瞳を真正面から見たら、あの瞳に真正面から見られたら、俺はどうなるのだろうか。
そんな恐ろしくも甘美な響きに脳が痙攣する。思考が停止し『それ』をしたいと、あの瞳に呑まれたいと、そう思ってしまった。だが
しかし何度見てもイヴの美しさや愛らしさは完成されている。無論それはナノマシン内にある人体形成データと人間の卵子の情報との融合によって美しくなるように調整とデザインをされているが故ではあるのだが、不完全なイヴであるからこそ定型の美しさではなく、そして奇跡的な調和によってアンドロイドとしても、人間としても決して現れる事の無い美麗な容姿になったのだろう。欠陥があるだけで廃棄をしようとした世の人間にはこの美が理解できないのだろうか。まあできないところで知ったことではないのだが。
「…………なぁに?」
じっと見つめられれば気にもなるのは人間もアンドロイドも同じらしい。小首を傾げる動きで流れる髪に顔を埋めたいそんな欲求をおくびも顔に出さず、俺は何でもないと答えた。
イヴの隣に座る。軋み沈んだ拍子にイヴの頭が俺の腕に凭れる。そこが気に入ったのか、イヴは特に身じろぎもせず大人しくしている。髪の美しさに再度見惚れ、つい手を伸ばし優しく梳きながら頭を撫でる。
「くすぐったぁい」
猫撫で声でそういいながら嬉し気に頭を摺り寄せてくる。髪越しに触れる肌がキメ細やかでシルクの様な手触りなので、意味も無く撫で続けた。
やはりイヴを招き入れて正解だった。俺の生活と世界は白と僅かな差し色以外無機質だったのに、彩度は変わらずとも鮮やかな景色になった。
イヴを、白を、俺は延々と愛でる。人相手では決して感じることのできない充足感、アンドロイド特有の雰囲気である簡素さ、そして低年齢故の面倒臭い事柄とは無縁の日常。
素敵だ。白に囲まれ、最上級とも言える白の存在がただ一人俺のものとして目で慈しむことが出来る。
この閉塞的な世界で、俺は人の理から逸脱している現状を再確認し、思わず笑みをこぼした。
――――あの人は愛を
あの人が私に向ける感情は、私に対しての愛じゃない。『私』を構成している情報に、アイコンに愛を向けている。決して『私』を見てくれない。『イヴ』を『白の最上級の要素を持った存在』としか見ていない。あの人の視線はパーツに行きこそすれ、私の全てを見てくれたことは一度も無い。
私は幼く感情表現が乏しい、アンドロイドらしいアンドロイドだとあの人は思っているのだろう。違う、違う違う、そうではない。出力装置が破損しているのだ、欠陥品だから。本来なら最新型として生まれるはずだった私、感情表現がより人に近しくなった私、しかしいくら感情が豊かであろうと、いくら人に近しくなろうと、私はあの人にそれを伝達する手段がない。
だがそれは同時に僥倖でもあった。その感情を伝えられないのは悲痛の極みだ。しかし、もし私のこの感情を吐露したとして、果たしてあの人は変わらず私を見てくれるのだろうか。歪んでこそいても、私を傍に置いてくれるのだろうか。
答えはノーだ。きっとあの人はそれがわかった瞬間私を捨てるだろう。
あの人が欲しいのは究極的に受容態勢を取る愛玩存在、ドールの様に一方的に愛を注げる存在なのだ。
エゴイズムの塊だ。あの人は人間の括りでは異端なのだ。人の輪に入ることはできないのだ。だから私を選んだ。この完全管理の社会の隅で人との関わりを最小限にしながらも、まるで人のように振る舞うために。
――――『不気味の谷現象』と言うものがある。
ある学者が提唱した現象、美と心と創作において発生するものであり、人間の像と言うものを描いた時、作られた時、それが人に近づくにつれ人は好感的になるが、その接近の過程である一極点までの近似性に到達すると、好感とは真逆の感情――――つまりは違和感や嫌悪感、恐怖感などを感じる時が存在する。そこを過ぎたとき、つまりは『人間に近しい存在』から『人間と同じ』になれば再び好感的になる。グラフにしたとき、上昇していた線が唐突に急降下し再び上昇する様子からそう名付けられている。
今のあの人と私は存在とは真逆の状態となっている。
アンドロイドである私は、欠陥がある故に感情の出力が限りなく無くなっており、引っ込み思案で暗い人間の少女と言う人間と同様の性質を周囲から認識されている。本来ならその現象が起こりうる私が、その現象を通過することなく。
そしてあの人はその真逆、人間であるのに、感性が人間からあまりにも逸脱しているがために『人間のような何か』と認識され、『人間の皮を被った何か』になっているのだ。それがあの人が人の社会と一切馴染めない理由である。そしてロボットやアンドロイドとは違い、あの人は再び人に近づく事は無い。なぜならすでに人であるから。人が人に近づくなんて可笑しなことは起こりえない。
私はあの人を愛する。その愛が伝わったら最期と言うリスキーなこの日常を、決して悟られず、あの人に愛されるために、私が愛していることに気付かれない様に。
お互いに
――――だが、それでもなお内からふつふつと沸き立つ感情の波が、私を暗く濁った思考に迷わせてくる。
――――もっと、もっと深く、倫理を殺して、沈んでいきたいと。
――――許されざる進展、破滅のみ待つ道程、歪んだ最果て。その全てを見たいと。
イヴがうとうとと舟をこぎ始めたため寝室に寝かせた俺は、特にやる事も無く手持無沙汰になったため、政府によって管理されている中央集合情報体にアクセスが可能な携帯端末で、時事情報を掲載しているサイトを閲覧していた。とはいえ情報規制法が布かれている今、目立って自分の興味惹かれるもの、もっと言えば人間の娯楽に準じるものは限りなく少なくなっている。
あるものと言えば、政府内で決定された政策についてや事務的な意味合いの強い情報であり、時たま人間の娯楽に関する規制の緩和や強化について載っているかどうかと言う割合だ。旧時代は娯楽に溢れていたと聞くが、果たしてどれほど情報に溢れていたのだろうか、今現在の方が情報量は多いのだろうが、人間への益となる情報ならば、或いは今よりも多いのだろう。定かではないし然したる興味もないが。
水晶体を無遠慮に流れていく電子文字の濁流に、俺は一切流されることも圧倒される事も無く、ただそのままに眺めていた。
アンドロイドの次世代機の開発に遅れが出ているらしい。当然だ、中枢開発の人間が抜けたのだから。
人類保全計画の改定とアンドロイドの権利に関する法令が現在審議中とのこと。これ以上何を守るのか甚だ疑問であるが。
栄養食がバージョンアップされ、より少量でエネルギー効率やカロリー摂取量の上昇を実現できる様になったらしい。これ以上簡略化を重ねるとは愚の骨頂としか言いようがない。
相も変わらずの愚かさで街が一つできるのではないかと考えながらスクロールを続けていくと、ふと一つの記事が目に入った。
『中央アンドロイド研究管理局【通称CaRAB(Central android Research and Administration Bureau)】』が一部アンドロイド達による待遇改善及び関係性見直し要求のボイコットで業務が停止している。と言った内容だった。
CaRAB、よく聞いた名前だ。ある意味最上級に幸福と言える現状を作り出す機会が出来た場所であるそこがどうやら上手く回っていないらしい。思わず鼻で笑った。
CaRABとは簡潔に言えばアンドロイドと言う存在を人間に近しい管理体制で把握をするために創設された研究機関及び事務局だ。そこでアンドロイドの個体毎に戸籍情報や制度の申請、アンドロイドのバージョンアップの研究や次世代機の開発も手掛けている、現在の社会において中枢を担う場所。かつて俺はそこに勤務し、イヴと出会ったのもその研究施設にあるアンドロイド処分施設だった。
あの時のことは、未だ鮮烈な記憶として残っている。
当時はまだ俺は俺なりに人との接し方を、アンドロイドとの接し方を考えてはいたはずだった。どういう成り行きかはもう忘れてしまったが、最後にはアンドロイド研究及びコミュニケーション管理の支部長と処分施設管理人となっていたのを覚えている。人のことを言えた義理かはわからないが、アンドロイドと最も関わる支部の管理を任せながら処分を下し実行する役職に就かせるとは、恐らく上層部は人間ではないのだろう。
兎にも角にも、その二つの役職を実行するにあたり俺は俺自身に三つの鉄則を設けていた。
一つ、人間にもアンドロイドにも自分の無関心さを悟られてはならない。これはまだ人の社会に帰属していた俺なりの妥協だった。
二つ、俺が相反する役職に就いていることをアンドロイドに知られてはならない。それを知られれば最後、コミュニケーションをとるべき人間に対して、アンドロイド達から永続的な信頼性を確保できなくなることになる。
三つ、アンドロイドを所持しない。これは自分所有のアンドロイドが俺の業務を知りえる事での叛逆の危険性を排除し、また俺自身に常時関与してくる存在を置かないようにするため。
本来なら何かしらの知性ある存在とは関りを持たないのが信条であったが、しかしそれを行うだけの気力も意義もまた同時に存在しなかった。アンドロイドとのコミュニケーションを行う部署に就いたのも、そのコミュニケーションを通じて正常な人間関係を取り持つための学習の機会に使っていたまでだった。不本意ながらやらなければならないのなら、如何にその内容を簡略化し負担を軽減するかを考えるのが妥当だ。
俺は最低限の労力で職務を全うする。社会はそれで得た益で回る。それで完結していた。していたはずだった。
破綻したのは今から半年ほど前、まだ俺がCaRABに所属していた時。アンドロイド処分施設にて最終処分前のチェックを行っていた時だった。アンドロイドが処分決定されたとしても、即座に処分決行される事は無い。何段階かの適性検査を行い、なにかしらの技能が使用可能な場合はジャンク品として市場に出されることもある。それはひとえに高い技術を用いて作られているアンドロイドを、少々の不備で一々廃棄する不合理さを嫌う現在の効率化社会の性格だろう。俺はその日も一体、また一体と連れられてくるアンドロイドの検査を行っていた。
そしてその業務も終盤を迎えた頃、俺は視界の端に映った『白』に思わず首を捩じ切る様な勢いで振り向いた。
其処に居たのだ。精神の底に沈め決して浮き上がらせることはないと思っていた欲望の理想が。
純白の名が相応しい長い髪、簡単な接触で青々とした痣を作りそうなほど脆い質感の肌、そして俺と同じ様な虚ろで生気の無い瞳。周囲の人間が何か俺に話しかけていた気もしたが、吐いて捨てるほど存在しているたんぱく質や水その他で構成されただけの物体なぞに割く様な余裕はなかった。それよりも今しがた現れた究極にして至高、俺の原初の欲求を叩き起こした完全無欠の存在にあらゆる感覚を向け鋭敏化させることの方が重要だった。
食い入るように見つめ続け観察していたが、当然ミラーガラス越しに見るだけで落ち着くわけがない。俺は部屋を足早に出ると周りの制止を無視して白のアンドロイドが居る部屋に入った。
「…………?」
白のアンドロイドは突然部屋に入ってきた俺に顔を向け小首を傾げていた。
愛い、欲しい。それだけが思考を支配していた。
頬に手を添えようとして、俺は医療用手袋をしていたことに気が付いた。剥ぐ。素手になり改めて、世界に二つとない宝石に触れるような、薄氷を組み合わせ造られた精巧な模型に触れるような慎重さで触れた。
刹那、脱力。
今まで触れたどんな物体よりも心地の良い質感に思わず腰を抜かした。それと同時に呼吸の仕方がわからなくなった。不規則な息遣いに混乱しながらも視線を上に向けると、不安そうな面持ちで俺に近寄り顔を覗いてくる白のアンドロイド。
――――至高の存在の前で無様な姿をこれ以上晒したくない。
その一心で荒ぶる精神状態を押さえつけ、心臓付近を拳で叩き殴り不規則な心拍数を元に戻した。
落ち着いて辺りを見回せば何時の間にか同僚や部下数人が部屋に入ってきていた。異様な光景に絶句しているのか、各々が目を見開き硬直している。
何故か笑みが零れた。そして俺は自分でも驚く様な楽し気な声でこう言った。
――――このアンドロイドを、彼女を、俺が引き取る。
恐らくあの時の俺は、自分の生涯の中で最も理想的な笑みを浮かべていただろう。
あの人と出会ったのは、私がアンドロイドとしての価値がないと判断され、処分するその一歩手前の時だった。自分自身でもわかっていたが、やはり私には何の価値も見出されなかったらしい。一応の工程として最後に私の運用価値を調べ処分するか否かを決定する検査があったが、まさしく体裁として行っただけだろう。ただぼんやりとそれが終わり処分するのを待つだけだったのだが、何故か部屋の外がにわかに騒がしくなっていた。何かあったのかと思い意識を扉の方に向けると、勢いよく開かれた。
入ってきたのは白衣を着た一人の男性。おそらく人間だろう、形容し難い表情で僅かに息を切らしながら私を見つめていた。何故この部屋に入ってきたのかはわからない。わからないが、この人間が私に何か用があることだけはわかった。
「…………?」
ただ茫然としたまま何も言葉を発さない人間の顔を注視する。データーベースにある人類が定義する割合の高いパーツで組み合わされている訳では無いが、しかし元が端正な顔立ちと言う判定はできる。切れ長の目に深く深く染み込んでいる隈、乱雑に伸ばされた黒髪、死体が投げ捨てられ掃き溜めの如く堆積した下水の様な瞳。シミ一つない白衣だけが不自然に浮き上がっている。それが瞬時に判別できた特徴だった。そして何故か、何故かはわからないが。この人間に、男性に、彼に、『この人』に、誕生してから一度も動く事の無かった感情が揺さぶられた。
感情出力は壊れていたが、そもそもの感情の源泉は枯れてはいなかった。私の感情は欠落なんてしていなかった!私はまだ何かを持っていた!!
表情は一切動かすことが出来なかったが、私の内にある感情はデーモンコアの様に不安定な状態からの爆発を起こしていた。
視線がこの人に固定される。私が戦闘用AIのアンドロイドだったら、戦果は著しく高いものになっていただろうというくらいにはしっかりと固定されていた。凝視。表情が動くことが無い為傍から見ればただ訝しげに見つめていると思われるのは幸いか。
そうしてしばらく経った後に、同じように白衣を着た人間が数人部屋の中に入ってきて、この人に声をかけていた。
そこでこの人は、私が理想とするべきでもある、ハッキリとした満面の笑みを浮かべてこう言った。
――――このアンドロイドを、彼女を、俺が引き取る。
その言葉は、私からすれば結婚を申し込まれることと同義にも聴こえた。
目を覚ました。
私はあの人の腕の中で寝ていた。
それは大切そうに、決して何物にも侵されない様に。そんな意思が読み取れる抱き方だった。
人肌は心地よく、僅かに香る彼の香り。思わず深呼吸をする。ばれないように、こっそりと、ひっそりと。不十分な成長による僅かに膨らみのある胸を大きく上下させた。あわよくばその感触で起きるかとも思ったが、残念ながらその瞳が開かれる事は無かった。
ずるい。
私はこんなにも感情の狭間で苦しんでいるのに、あなたは心行くまでその愛と理想を甘受できる。
ずるい。
私もあなたみたいにあなたを愛したい。あなたに理想を押し付けたい。
ずるい。
例えこの
鈍痛が俺を起こした。それはあまりにも俺の気分を害すものだった。
朧気な意識はゆったりと覚醒していき、黒の眠りから白の眼覚めへと変わっていく。
目が開く。俺の部屋だった。そして俺のベッドの上だった。
どうやら俺も眠っていたらしい。だが違和感がある。寝起きとはいえ元研究者、鈍いなら鈍いなりに状況把握をするべく体を動かした、動かしたはずだった。
結果として俺の前に現れたのは、拘束されているという事実だけだった。
何故か。思い当たる節が見つからない。強いて言えば研究機関の人間が二進も三進も行かなくなり苦渋の決断で俺に助力を強いに来たか。しかしそれにしてもわざわざ俺のベッドに四肢をくくる理由はない。寝込みを拘束して連行すればいいだけの話。だから余計に不可解極まりない。
そう考えこんでいるとふと、イヴのことが頭によぎった。
――――ッイヴ!!
そうだ。イヴ、俺のイヴ。至高の彼女がもし奴らの手にかかったとすれば、用途もないままに処分、良くて俺の脅迫材料にしかならない。待遇の良さは見込めない以上、イヴの安否は文字通り俺の生死に関わる。
――――イヴ!何処だイヴ!
「うるさい、しずかにして」
名を呼び叫んだ俺に対し、扉を開けて出てきたイヴは普段の無感情さとは違う、冷たさのある声で応えた。
――――イヴ、これはどういうことだ?
「しばった」
――――何故だ?
「わからない?」
――――理由がない。
「じゃあわからないままでいぃ」
にべも無く跳ね除けられた俺の言葉を意にも介さず、イヴはベッド脇に何かを抱えて置いてあった椅子に座った。
――――何をしている?
「わたしはあなたをあいしてる」
――――……は?
「でもあなたはわたしのこういをぜったいにうけとりはしない。だからこれからあなたをようきゅうする」
――――何を言っているんだ、イヴ……?
「これからあかくなっちゃうけど、あなたはあかもすきだからだいじょうぶね」
――――待て、イヴ。そのナイフを何に使う気だ。
「いたかったらいたいっていってね、わたしはそのほうがうれしい」
そう言うとイヴは、鋼色に輝くナイフを右手に俺の片腕を左手で抑えた。腕が鬱血するほどの力に僅かに顔を歪めたその瞬間、サシュッと聞き慣れた様で懐かしい音が鳴った。それはまるでナイフで人間の肌を裂いた様な――――――――。
――――カッ……ギアァァァァァアアアアア!!
「うん、すてき」
イヴはナイフを俺の腕に刺し込んだかと思うと、狩猟した獣の皮を剥ぎ取る様に俺の腕の皮膚を綺麗に切り取っていた。
激痛。明滅する視界と焼かれるような痛み。空気に触れた筋肉が痙攣を起こし痛みと共に伸縮する。それによって更に痛みが増す。痛い、痛い。
――――なん…………で……。
「わたしきがついたの。あなたはわたしのなかにある『しろ』をあいしている。わたしをみてくれていない。さびしかった。でもかんがえかたをぎゃくてんさせればよかったんだって」
――――逆……転?
「あなたにわたしをあいしてほしい、あなたに『イヴ』をあいしてほしい。でもあなたはわたしをあいしてくれない。」
――――……。
「だからおもったの。あなたがわたしのもつがいねんをあいするなら、わたしはあなたのぱーつをあいせばいいって。だからいまからあなたのぱーつのいちぶをはぎとって、わたしのいちぶにするの。すてきでしょう?」
絶句した。
イヴがその様な事を言った事にも、今から行われる事にも。激痛が未だ残っているはずなのに、その瞬間俺は思考停止をしていた。
「うでのかわとれた、いまからわたしにつけるね」
そう言い、イヴが今度は自分の腕の皮を淡々と剥ぎだした。俺とイヴの血液で辺りの白に赤が染みていく。イヴの崇高にして至高の肌に、俺の皮膚が移植されていく。
「だいじょうぶ、わたしはけっかんあるあんどろいどだけど、じせだいきになるよていだったから。ひふいしょくとかのきょぜつはんのうとかはでない。せつだんめんはじこしゅうふくきのうのあるなのましんでくっつく」
何事も無いように話すイヴ。痛みで声が出せない俺。
凄惨な光景が広がるまま、イヴは更に俺から『俺』を剥ぎ取っていった。
右腕を肩から斬り落とされ、イヴに右肩に移植された。
左目を抉られ、イヴの左目に移植された。
腹を切開され、内臓の一部を摘出しイヴの内臓と取り換えていた。
消えていく、俺が消えていく。だが不思議と恐ろしくはなかった。初めこそ動揺と痛みで錯乱しかけたが、よくよく考えればイヴという個体を通して俺の最も尊ぶ『白』と同一になれるのだ。それを喜ばずして何を喜ぶか。途中イヴが失血死を嫌ったか止血剤の投与によって俺は辛うじて生き永らえていたが最早虫の息。しかし、この現状には満足が行く。不本意で物足りない結果となったが、理想と同一になれたのは僥倖だろう。
一つ誤算があったとすれば、イヴが俺に対して恋慕の情を抱いていたこと。それが若干の嫌悪感を残していた。しかし『白』と同居するための存在だ。多少は我慢をしよう。
――――。
――――――――。
いくらかの時間が経ったか。意識が絶え絶えとなっていた俺の耳にイヴの楽しげな声が聞こえてきた。
「できた、みてみて」
はしゃいでいるような素振りで俺の上にのしかかるイヴ。様々なものを剥がれ伽藍堂のような体の俺とは対照的に、イヴの体は俺のパーツで継ぎ接ぎ状になっていた。それに言い知れぬ喜びがあったのもまた事実だ。
――――…………そう……か。
「きぶんがよくていいことをおもいだした。ねぇ、あなたがわたしになまえをくれたひのこと、おぼえてる?」
――――……あぁ、覚えている。
「なんでイヴってつけたのか、おしえてくれたね」
そう、俺はなぜイヴと名付けたのかを教えていた。
『イヴ』と言う名、旧時代のとある宗教にて最初の女性として生まれている。俺の理想を初めて満たしてくれた彼女に相応しい名だと思った。そして俺の全てを包み込んでくれる母のような存在も同時にイヴに求めた。俺と二人、不完全さという果実をその身に宿しながら。
故に『イヴ』。俺の理想の形。マリアでもよかったのかもしれないが、やはりイヴが俺には丁度良かった。
「あなたによってわたしのそんざいりゆうをつくってもらった。うれしかった。だからすきになった」
――――……俺は…………お前を、
「うつろなことばはききたくない、それは『しろ』にであってわたしじゃない」
首を振り俺の言葉を遮るイヴ。のしかかられていることにより血によって赤みを帯びた彼女の髪が俺を包み込んでいる。心地よいその状況に耽溺する。
「もうそろそろおしまい、たのしかった」
――――イヴ、どうかその俺のパーツを持って白の世界を俺に見せてくれ。それだけが俺の最後の望みだ。
そう、それだけでいい。結末は俺の死によって終わるが、しかしまだイヴに俺は生きている。ならばもう思い残す事は無い。このまま安らかに、一足先に白の天上へと行くだけ――――。
「だめよ」
――――……え?
「あなたはどこへもいけない。これからあなたにおとずれるのは『くろ』のせかい」
――――なに……を。
「さようなら、いとしいあなた。あなたではない『あなた』をこれからわたしはあいすから」
イヴはそう言うと、俺の首に両の手を添え、力の限り締め上げる。
呼吸が出来ない、『黒』の世界とはなんだ? 俺は――――。
「ばいばい」
視界が暗転していく。
視界が暗くなっていく。
視界が『黒』に染まっていく!!
――――イッ…………ヴ!たす……け……っ!
「だいじょうぶ、『あなた』はわたしのなかでいきていく。しんぱいしないで」
ギリギリと首が締まる。逃れられない死の暗闇が迫ってくる。嫌だ、死にたくない。黒だけの世界は嫌だ。白が欲しい。白が無ければ黒は駄目だ。白が!白を!
白
黒
赤
「馴染んできた」
私は右手を握ったり開いたりしながら、眼球を左右に動かした。動作に異常はない。
私にとって嬉しい誤算は、言語機能が回復したこと。どこかで肉体の移植をすると稀にその移植元の人物の記憶などが受け継がれるとは聞いたことがあったが、まさか人間らしくないままに消えたあの人が私に人間らしさを与えてくれるとは。
「……素敵、やっぱりあなたと私はどこまでも通じ合える。私が愛したあなた」
あの人が私にしたように、私はあの人を移植した場所を撫で、頬ずりをする。興奮は未だ覚めない。あの人が息絶えるその刹那、あの人は初めて私に縋り私を求めた。暗く暗転する世界から逃れたい一心で、私に手を伸ばした。他の誰でもなく、私を。
「……行きましょう」
私は立ち上がる。あの人の亡骸は私が咀嚼し全て飲み込んだ。余すことなく。それが私なりの最後の恩返し。
そしてこれからは自由の身。この身朽ち果てるまで、私はあの人と世界を見る。あの人が与えてくれた世界を、もっと見る。
「きっと素敵なものが待っているわ、楽しみね」
そう私は語り掛ける。返事はなかった。十分。
未だ知らぬ世界に、私はあの人と共に溶けて消えるように歩き出した。
この救い難い閉塞的な世界へと。
ホワイトアノマリー 出雲 蓬 @yomogi1061
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます