進みそうで進まないやつ(小話)

@unyuru

第1話 原稿用紙

真っ白な原稿用紙に向かう。


ふと思い立ち、珈琲を入れる為に湯を沸かす。

キッチンに深く香ばしい香りが広がる。

これでよしと書斎に戻り、真っ白な原稿用紙に向かう。


しかし、と頭をよぎる。

珈琲の香りが脳を刺激して良いお茶請けがあったのだということを思い出させたのだ。


確か、とリビングへ行き、目当てのものを見つける。

しめしめ、と一人満足気に書斎に戻り、珈琲を一口。


旨い。


何故なら、淹れ方にこだわっている。


旨い珈琲を淹れる喫茶店に何度も足を運び、マスターの淹れ方を自分なりに盗んだ。ネットで調べたし、本も読んだりした。

だから旨い。やはり本物は違う。とはいえ、コンビニの珈琲もうまくないことはない。少なくとも、あんな珈琲、などと馬鹿にしようとは思わない。本物志向の猛者には安い舌だと笑われるかもしれない。いや、私もさすがに缶コーヒーは珈琲と認めないが。


珈琲を嚥下しつつ、梅田に行った時にふらっと立ち寄った百貨店の地下で見つけた甘菓子を頬張る。


うまい。


甘菓子に含まれる糖が口の中で速やかに解けて、ギュルギュルと体中を巡り脳にエネルギーとして集まるのを感じる。これはうまい菓子だ。



真っ白な原稿用紙に向かう。


そう、まるで今から原稿用紙に向き合い、頭をすこぶる回転させ続けなければならない私にうってつけの菓子ではないか。


だが、しかし。


甘い未練を断ち切るように珈琲をもう一口。


口の中に深い苦みが広がり、甘々としていた口の中が一掃される。珈琲の香りが鼻孔を通り抜け、自分がとても仕事ができる人間のような気になってくる。

仕事が捗りそうな予兆に心も自然と軽くなる。


あぁ、しかし美味い。


この甘菓子は珈琲との相性も抜群ではないか。

こうなると、この甘菓子の隣に並んでいた方も気になってくる。

あの時の私の気分でこちらを買ったが、あちらはどんな味がしたのだろうか。


否、否、否。


確かに気にはなるが、これではまるで台無しだ。

大切な女性の前で別の女性に思いを馳せるも同然だろう。


今はこの甘菓子だ。そして珈琲だ。これがあれば、おそらく私は何でもできる。

それこそ、仕事だってできる部類の人間になれるだろう。なんという安い万能感。しかし事実だ。



真っ白な原稿用紙に向かう。


さて。予想以上に美味い菓子に、予想通り美味い珈琲。


気付けば、どちらも後ひと口。


仕事の手慰みにと用意したはずだが、美味いのだから仕方がない。

私は最後の甘菓子を口に放り込み、十分に味わったあと珈琲を飲み干す。


うん。満足だ。

さぁ、そろそろ。



真っ白な原稿用紙に向かう。


もう一杯、新しい珈琲を淹れ直してから取り掛かろう。

大丈夫。私は仕事ができる人間だ。


そういえば、夕食に使う肉の仕込みがそろそろ終わる頃だったかな。

思いながら、私は空になった珈琲カップを片手にキッチンに向かうのだった。

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