文加のまちには
朝早くに隆広、靖広を送り出した創太の嫁は、いつもならそこで一息つくはずなのに、今日は忙しなく動き回っている。朝食の片付け、創太の仕事の支度、洗濯等々。やっていることはいつも通りだが何かが違う。しばらく様子を見続け、嫁がはたきを手に取った時、ようやく幸虎は気付いた。掃除がいつもより丁寧だ。特に玄関周りが。
いつも出しっぱなしの創太の長靴、ひっくり返った双子のスニーカー、あまり履いているところを見たことがない嫁のブーツが次々と靴箱にしまわれていく。靴箱の上に雑然と並べられていたぬいぐるみたちは整列し、土間も綺麗に掃き清められた。
極めつけは花だ。庭に桜が咲いているというのに、嫁はわざわざ黄色い花を買ってきた。それを見た創太の母親が「あら、綺麗なシンビジウムね」と言っていたから、あれはそういう名の花なのだろう。一本の茎に花がたくさんついていて見た目は豪華だが、幸虎は桜の方が好きだなと思った。
もうそんな時期か。ふと一年を振り返る。
また一年が経ったのだ。
昨年の春も嫁は、こうして隅々まで掃除していた。双子の学校の担任が家までやってきて、家での生活の様子を聞きに来るからだ。あれから盆と暮れに二度、要次が翔を連れて遊びにやってきた。この家に一家族増え騒がしくなったもの一瞬。要次たちはあっという間に帰ってしまい、それからの時もあっという間に過ぎ、そしてまた春がやってきたのだ。
家庭訪問する先生は毎年違う。昨年は創太ほどの歳の男だったが、今年はどんな人間が双子に勉強を教えているのだろう。興味を覚えた幸虎は玄関の引き戸をすり抜けると、軒下に座って来客を待った。
来客の前に双子が学校から帰ってきた。
「あれ幸虎、どうしたの。外にいるなんて珍しいじゃん」
隆広に言われ、そういえば久しぶりに外に出たことに気付く。
「お主らの担任とやらが気になってのう」
答えると靖広がにやりと笑った。
「女の先生だぜ、すっげー美人。いいだろ」
「ほう、それは尚更興味深いの」
「あ、幸虎でもそういうの気になるんだ。スーパーじじいは女には興味ないと思ってたよ」
「じじいではない、まだわらべじゃ」
「なんだ、じゃあエロガキか」
「何をぬかすか!」
つい一段と大きな声を出してしまう。二人は一瞬首をすくめ、それからけらけらと笑いながら玄関を上がっていった。
やれやれ、誰に似たのだろう。溜め息混じりに首を外に向けた。創太が幼かった頃は、あんな物言いはしなかったように思うが。いや、いたずら好きだったからやんちゃという意味では差がないか。年相応と言えなくもないが、しかしなあ……ぐるぐると考えている内に、ひとつの異物が幸虎の感覚に交ざり込んだ。
幸虎は顔を上げた。『それ』が近付いてくる。気配は人が走るよりも早い。何か乗り物に乗ってこちらへ向かってきている『それ』の方を、幸虎はじっと見つめる。
感知してから僅か数分後。家の前に一台の車が停まった。運転席から降りてきた女は、頭の左右高い位置で髪を団子のように結いあげている。肌は白く滑らかで、短く整えられた爪は綺麗に磨かれていた。
「こんにちは」
女が挨拶をした。他でもない、幸虎に。
「お主、儂が見えるのか」
「ええもちろん。『お仲間』じゃない」
「儂はお主とは違う。お主のように人間を傷つけるようなことはせぬよ」
「そうね。あなたの姿、森屋の子供にしか見えないんですもの。それじゃあ人間に何も出来ないわよね、傷つけることも、優しくすることも……」
「黙れ人斬り鬼」
女の言葉を遮って立ち上がる。前に立ち塞がって女を見据える。女は「あら」と瞬きし。
「ここ三十年くらいは斬ってないわよ」
ふふ、と笑った。
「今の私は、隆広君と靖広君の担任の先生なの。心配しなくても何もしないわ」
「
「そうね、長くこの世にいると、本当狂っちゃう」
幸虎の脇を通り抜け、人斬り鬼が引き戸の前に立つ。呼び鈴に手を伸ばしかけて一度引っ込め、彼女は肩越しに振り返った。
「あなたもそうでしょう? 座敷童子さん」
今度こそ呼び鈴が鳴り、創太の嫁が返事をして、鬼が引き戸の向こうに消える。「担任の藤原です」「どうも藤原先生、息子たちがいつもお世話になって」という決まりきった大人の会話が始まる。
――気が狂うだって? 当たり前だ!
森屋の家系に産まれた子供しか、幸虎を知覚することが出来ない。出来たとしても、大人になる前にその感覚は失われる。子供たちは幸虎のことを忘れてしまうのだ。前の日まで一緒に遊んでいだにもかかわらず、ある日突然、綺麗さっぱりと! こんなことを何百年も続けて、狂わずにいられるか!
創太にその時が訪れたのは十一歳の時。要次は十歳だった。隆広と靖広、翔は今年で十一歳になる。彼らもそろそろだろう。彼らがその時を迎えればまた、幸虎はこの家でひとりぼっちになる。次の子供が産まれるまで、たったひとりで何十年という時を過ごすことになる。それはこれまでを思えば一瞬かもしれないが、長いことに変わりはなかった。
(しかし……)
連綿と続く幸虎の時を、断ち切る訳にはいかなかった。幸虎は座敷童子なのだから。
座敷童子は繁栄の象徴だ。幸虎がこの家にい続ける限り、森屋の家が衰えることはない。創太も要次も、その子供たちも、それなりに苦労はあろうが豊かに過ごしていけるだろう。逆に言えば、幸虎がこの家から去ってしまえば彼らに災厄が降りかかる。
彼らが苦しむようなことがあってはならない。長く続いたこの家が途絶えることがあっては、絶対にならない。だから幸虎はこの家に留まり続ける。この家で、この家の人間の行く先を見守り続ける。それが幸虎の役目だから。役目を果たすことで森屋が栄え続けるのなら――。
幸虎は屋根に上った。横になり、空を見上げる。
長い時の中で文加のまちは少しずつ変わっていた。井戸がなくなりかまどがなくなり、電気や水道が引かれた。人間の服も着物から洋装に変わった。子供の遊び方も変わってきた。もしかしたら双子は、駒の回し方も知らないかもしれない。
そんな中で昔と変わらないのは、この家と空くらいか。浮かんだ雲を眺め、幸虎はそっと目を閉じた。
文加のまちには、人ならざるものが棲んでいる。
これまでも、これからも、ずっと。
文加のまちには 水城 @R_g_a_O
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