桜と雪の物語

星野 ラベンダー

桜と雪の物語

 私は桜といいます。人間の名前ではありません。


バラ科モモ亜科スモモ属。英名は確か、ちぇりーぶろっさむ。

春に花を咲かせ、春が終わらぬうちに散っていく。正真正銘の、あの桜です。


 でも、それで終わりというわけではありません。花が散っても、私達が死んでしまうわけではないのですから。


 ところが人間というものは、私達から花が無くなったら、急に見向きもしなくなりますね。花が咲いている時は、あんなに私達の近くに集まってきて大騒ぎするというのに。


 まあ別にそれでも宜しいのです。花を愛でるのは、人間の特徴らしいので。

生まれつき、「でぃーえぬえー」に刻まれているらしいので。


 私にも、その刻まれている血を呼び覚まさせる時が、訪れようとしています。

今年はまだ無理でしたが。来年、やっと、私もそうなれるのです。


 私は、空を見上げました。灰色です。灰一色です。とてもどんよりとしています。

重苦しいです。


 ぴゅう、と音を立てて、風が私達の間をすり抜けていきました。

とても冷たいです。私達は体を震わせました。

蕾も無ければ葉っぱも無い、剥き出しの枝を揺らす音が、辺りに響き渡ります。


 話には聞いておりました。植物にとって、生き物にとって、この季節。「冬」は天敵なのだと。


 霜というものがおりたりして植物が傷ついてしまったり、寒さに耐えきれなくて、命を落とす生物がいたり。


 寒いというだけで、と私はびっくりしましたが、実際にこの身で体験してみてわかりました。植物にとって、生きとし生けるものにとって、この寒さはただただ辛いばかりです。苦しみしかもたらしません。


 耐えてみせます。仲間たちと一緒に。耐えて耐えて耐え抜いて、そしてこの寒さが無くなったとき。私は生まれて初めて、花を咲かせます。

綺麗な花を咲かせて、この寒さに疲れ、それでも耐えた生き物たちを、慰めてみせます。


 私がそう決意したときです。私の体の一部分が、急に冷えました。

周りが寒く、体はすっかり冷え切っているのですが、もっと限定的に、枝の一部分が、何か冷たいものに触れたのです。


 何事かとみると、そこには真っ白いものがおりました。

今まで見たこともない、真っ白いものでした。

綿毛だろうかと思いましたが、もっと丸くて、もっと小さいです。


 じっと見ていると。急に、その白いものが喋りました。


「こんにちは」


 驚きました。まさか喋れるなんて、思ってもみませんでした。

私が返事をしようとしたときです。


「ごめんなさい、もっと話したいですけど、時間が無いのです。でも大丈夫、またすぐに会えますよ」


 言い終わるか終わらないか。その白いものは、跡形も無く消えてしまいました。

私がその白いものの名前を、仲間から聞きました。

雪、というのだそうです。



 雪は数日後、また私の枝に止まりました。


 雪さん、と話しかけると、雪は「この前の!」と言いました。

驚いてもいましたが、心なしか、嬉しそうでした。


 でも、お久しぶりですのお久しぶ、まで言ったところで、また雪さんは消えてしまったのです。


 雪さんとは、それから何度も会いました。

ですが、一言会話を交わすか交わさないかで、いつも消えてしまうのです。


 私は、どうしていつも消えるのですかとある日尋ねました。

雪さんは、「もっと寒くなったら、いっぱいお話しできますよ」と言いました。


今回も、「お話しできま」のところで、雪さんは消えてしまいました。


 もっと寒くなったらとは、どういうことでしょうか。



 その答えは、空の色が更に濃い灰色になり、吹く風が氷の刃のように冷たくなってきた頃に、わかりました。


 その日も、雪さんはやってきました。

それも、雪さんの仲間を沢山沢山連れて。

そして、私達に、いっぱい降りかかってきたのです。


 正直重かったです。でも、我慢できました。むしろ、あまり気になりませんでした。

なぜなら雪さんが、全然消えなかったからです。


 いつもならすぐにいなくなってしまうのに、今日は、いっぱいお話しできたのです。


 今まで話したかったことを、私は喋りました。

あれを話そうこれを聞かせてあげようと毎日思っていたので、話したいことは山のようにありましたし、また話しているうちに、次から次へと、新しい話したいことが生まれてくるのです。


 それは、雪さんも同じようでした。


 時間はいくらあっても足りませんでした。私達は夜通し、眠ることもせずに、ずっとお喋りをし続けました。


「どうして、他の雪さんは、黙っているのですか?」


 私は聞きました。沢山の雪がいるというのに、周囲は波打ったように静かです。

私と雪さんの声しかしません。

他の雪も、雪さんと同じように喋れるなら、ここはもっと賑やかになっているはずです。


「喋らないのです。喋っていても無駄だと、そう思っているのです」

「どうしてですか?」

「私達は、すぐに消えてしまいます。またすぐにお空に戻って、再び降ってきますが、それでもまたすぐに消えてしまいます。喋っても無駄だとそう思っているのです」


 雪さんは私の枝の、初めて会ったときと同じ場所にいます。

いつも必ず、この場所に雪さんは下りてきます。


「私からもいいですか? どうして他の桜は、あなたのようにお話をしないのですか?」


 私は言って良いものなのか悩みました。適当な嘘を繕おうと、どういう嘘がいいか考えを巡らせ始めたところで、それは駄目だと思い直しました。

 雪さんに、嘘は吐きたくありませんでした。軽はずみに嘘を吐くのだと思わて、嫌われてしまうのが嫌でした。どうしようもなく。


「皆、喋りたくないのです。雪とは。皆、冬が嫌いなのです。冬を恐れているのです。だから、雪とも喋りたがらないのです」


 私は、雪さんの反応を待ちました。

雪さんは、「あなたは、嫌いですか?」と、尋ねてきました。


「はい。嫌いでした。苦手でした。でも、雪さんがいるのなら、好きとはいかなくとも、普通、にはなりそうです」


 雪さんは、良かった、と呟きました。嬉しそうでした。微笑んでいるのかもしれない、と感じました。



 冷え込みがますます厳しくなっていきました。


仲間たちも、他の生き物たちも、人間達も辛そうでした。

私も、寒いのは嫌です。

けれど、それを耐えるのは、実に容易かったです。


 寒ければ寒いほど、雪さんと長く会えていられるのです。ずっとずっと、お喋りが出来るのです。


 雪さんは、大変物知りでした。

動けない運命にある私では到底知る事の出来ない様々な事を、教えてくれました。

今まで降ってきた場所の事。山、海、町、村。そこで出会った、多くのもの。


 対して私は、あまり博識とは言えませんでした。

春、夏、秋。そのとき、この場所で見聞きしたことくらいしか、知ってるものがありませんでした。


 けれど雪さんは、私のどんなお話も、興味深げに聞いてくれます。


 私は、幸せでした。


 どんなに寒くても、さすがに溶けてしまう時もあります。

けれど、またすぐに、雪さんは私のもとにやってきます。

そうして、溶けるまで、私の傍にいます。


 寒いはずなのに、私の心は、始終温もりに包まれていました。



「冬というものは、必要だと思うのです」


 その日も、私と雪さんはお喋りをしていました。

いつもみたいに他愛もない話に花を咲かせて、それがふっと、突然やんだ風のように止まったとき、雪さんは突然、そんなことを言いました。


 静かに降り積もっていくような言葉でした。

私は黙ることで、話の続きを促しました。


「春が誕生し、夏に活動し、秋に実る。生き物たちは、ずっと動きっぱなしです。ですから、冬くらいは、休まないといけないのです。もし冬も過ごしやすい季節だったら、生き物たちは疲れが溜まって、次々と倒れてしまうかもしれないですから」


 私は頷く代わりに、雪さんがいないほうの枝を揺らしました。


「確かに、そうかもしれませんね。冬に休むことによって、私達桜も花を咲かせることが出来るんですから」

「あなたも、花を咲かせるのですか?」

「はい。私は実は、まだ花をつけたことがありません。順調にいけば、この冬が終わったら、花をつけることができます。ですが正直、自信がありません」


 私は、仲間の誰にも言ったことがない心情を、雪さんに吐露しました。

同じ桜である仲間のほうが、共感してもらえるでしょうし、そうしたほうが妥当でしょう。


 しかし、私は、どうしても仲間には言いたくなかった。

他でもない、雪さんに、聞いてほしかったのです。


 私は、不安でした。 

ちゃんと、花をつけることができるのか。


 人間が花を愛でるように、季節が巡るように、風が吹くように、花を咲かすように。

生き物は、決まった行動をとっています。


でぃーえぬえーによって。


 私にも、でぃーえぬえーがあります。ですから、今まで何の疑いも持っていませんでした。

 春になって、花を咲かせるということに。


 最近、少しずつ、少しずつ、目に見えないほど僅かですが、徐々に寒さが和らいできています。

まだまだ小さくて小さくて、空耳かと思う程かすかな音ですが、春の足音が、近づいてきております。 


 それを実感する度に、じわり、じわりと、あの冬のどんよりした空のような気持ちが、広がっていくのです。


 もし、私にだけ、でぃーえぬえーが無かったらどうしよう。

花を咲かせられない桜だったら、どうしよう。


 そう考えたら、ただただ恐ろしいのです。

今にも根元から崩れていきそうな気持ちになるのです。


 もし本当に、花を咲かせられない桜だったとしたら、どうすればいいのでしょうか。

一生剥き出しの枝を晒し続けながら、生きていくしかないのでしょうか。


 春になれば、否が応でもわかることです。

だからこそ、怖い。春になるのが、怖い。

現実がもしそうだった場合が、怖い。受け入れられない。


 私は以上の事を、雪さんに言いました。

情けない事に、途中から涙混じりの震えた声になっていました。

でも、一度打ち明け出すと、止まらなかった。


 もし咲いたとして、全然、綺麗でもなんでもない花だったら、どうすればいいのか。

皆が私の花を見て、嫌な気持ちになってしまったら。

甘えて我が儘を言う子どものような戯言を、雪さんは、黙って熱心に聞き続けてくれました。


「咲いて、それであなたの花だけが美しくないなんてことは、ありません」


 雪さんが声を発したのは、やっと言いたいこと、溜まっていたこと全てを吐き出し尽くし、一息ついたときでした。


「桜には、少々の差異はあるかもしれませんが、花が咲くように刻まれている。この設計図は、正確です。あなたも同じ桜。あなただけが他の桜と違う花をつけるなんてこと、ありません。あなただけの、あなたのしか咲かせられない花を、無事につけられる。私は、そう確信してます」


 雪さんは続けます。相変わらず静かな声で。でも、芯の感じる声で。


「それに。何より。あなたにどんな花が咲いても。咲かなくても。私があなたを美しいと感じ、綺麗と思う事に、変わりはありません」


 誰が、この言葉を、世辞だと思えるでしょうか。口説だと思えるでしょうか。

疑うことの余地すら消え失せる、真っ直ぐ極まりない言葉。

 私は、ただ馬鹿みたいに、ありがとうと繰り返すばかりでした。


 雪さんに話して良かった。雪さんと出会えて、良かった。

私の中を渦巻くのは、ただそればかりでした。


「雪さん。あなたに、私の咲かせた桜の花を、是非見せたいです」

「はい。楽しみにしていますよ」


 雪さんの返事は、少々の間がありました。





「桜さん。もしかしたら私とは、もう会えないかもしれません」


 雪さんがそう言ってきたとき、私の枝には、多くの蕾がついていました。


 鋭利な刃物のようだった風が、随分と丸くなり。

灰色ではなく、青色の空が天を覆うことが多くなり。

周りに満ちる空気が、陽の明かりが、包み込むような柔らかさになり。


 もはや冬の名残は、消滅寸前でした。


 同時に雪さんとも、中々会えなくなっていました。

会えたとしても、その時間は、以前よりも格段に短くなっておりました。


 代わりに、雨が降り注ぐようになっていました。

私の枝に雨が降っても、雪さんのようにとどまってはくれません。

話しかける間も無く、消えてしまいます。どこへともなく。


「そうですね。でも、また冬になったら、お目にかかれますよね」


 暖かくなっていく。

ずっと寒いままで良いのに。

どうして、季節は巡るように、決まってるんだろうか。

同じで良いのに、ずっと冬のままで良いのに。


 でも、いけません。

そんな我が儘を言ったら、嫌われてしまいます。粘着質は嫌われるというのです。

 私は、全然、なんてことないような口ぶりで、平然を繕いました。

継ぎ接ぎだらけでぼろぼろな虚勢だったでしょうが。


「いいえ。会えないのです。もう、絶対に」

「冗談を言っているのですか。だったらやめてください。そんなわけないじゃないですか。冬までの辛抱じゃないですか」


 私の作り物の虚勢は、いとも簡単に壊されました。

私は、雪さんが何を言っているのか、何を言いたいのか、全くわかりませんでした。


「次の冬。再びここへ戻ってこられる確率は、大変低いのです」


 何を言いたいのか。私は、理解したくなかったのです。


「春。夏。秋。長い季節の間、私達は移動してしまうのです。それはそれはもう、長い距離を。どこに降り積もり、誰と出会うかは、全て神様次第なのです。一期一会なのです」


 私は思い出しました。

雪さんが今まで聞かせてくれた話を。どこに降り、誰と出会ったか。その場所がどうだったか、どんな生き物と出会ったか。

沢山、沢山。聞かせてくれたことを。


「あなたのもとに降ってきて、本当に良かった」


雪さんは言います。他の雪がほとんどいなくなった枝の上で。

初めて会ったときと、同じ光景でした。


「実は、春のこと、嫌いだったんです。皆が皆、冬を怖がる。嫌う。私達のことも含めて。代わりに、私達がいなくなった後に訪れる春のことは、大歓迎する。皆に歓迎され、愛される春のことが、とてもとても、どうしようもなく、羨ましかった。妬ましかった。今まで言わなくて、本当にごめんなさい」


 私はもっと早くに冬が嫌いと言ったのに。意外とずるいところもあったのですね。


「でも、あなたと出会えたことで、変わった。見たこともない春のことを、大好きだと思えるようになったのです。あなたの花を咲かすことが出来るのは、春しかないのですから」


 すうっと、眩しい何かが差し込んでくる。

太陽だ。太陽の光だ。

私にかかっている。雪さんに、かかっている。


「けれど、それ以上に大好きなのは、あなたなのです」


 やめてほしい。この光は、あなたにとって、熱すぎます。

これ以上、かけないでください。


「あなたの咲かせた花を、この目で見たかった」


枝を揺らしても、どんなに動こうとしても。

陽光は、私の隙間から、容赦なく、あなたに向かって注がれる。


「桜さん。私は、あなたと出会えて良かったです」


 どうして、そういうことを言うのでしょうか。

問い詰めたかった。聞きたかった。

ですが、そんな時間は、ありません。


 私もです。


あなたに届いたかのか。それとも、届かなったのか。

わからなかったです。


 確かめる術は、ありません。

私は、誰もいなくなった枝を、ずっと見つめ続けていました。



 仲間たちは、長い冬だったと言っていました。

でも私には、とてもとても、短い冬に感じられました。


 その夜、雨が降りました。

雪かと間違うくらい、冷たい水でした。

私は、流せない涙を、流し続けていました。




 私の周りに、人間が集まっています。


私を見上げるその目の一つ一つは、どれもきらきらと輝いています。

その瞳に、映り込む花弁が見えます。

いまいちこれが、本当に自分が咲かせたのだと、実感することが出来ません。


「なんと綺麗な桜だろうか」

「あの厳しい冬を、乗り越えただけある」

「本当に、素晴らしい桜ねえ」


 私のでぃーえぬえーは、間違ってはいませんでした。

無事に花をつけることが出来ました。その花で、人間達を喜ばせることが出来ました。


あなたの言ったとおりでした。


 私は、辺りを見回しました。

沢山の人間がいます。その中に、あなたの姿はありません。


 そうでしょう。あなたはここにはいません。

もっと上にいるのです。


 柔らかな青色。柔らかそうな雲。そのどこかに、あなたはいるのでしょう。

見えているでしょうか。わかるでしょうか。

上空からなら、下から探すよりも、わかりやすいかもしれませんね。


 あなたのおかげで。私は、こんな花を咲かせています。

私のDNA。間違いなく、あなたのことが刻み込まれました。

あの日、あなたが空から落ちてきた日から。ずっと。これからも。 

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