#02 : お支払いは暴力で
20XX年、日本では現金の代わりに暴力が支払われるようになった。
要因は二つある。
一つは、異常気象によってハイパーインフレが起こり、日本円の価値が大きく下がったこと。
もう一つは、森林不足で紙の価格が高騰し、紙幣を刷るコストが紙幣そのものの価値を上回ってしまったことである。
政府はこれを機にキャッシュレス化を推し進めようとしたものの、各民間企業が独自に打ち出した電子マネーは種類が多すぎて使い分けが面倒であり、しかもセキュリティの不備で利用者の金銭が盗まれる被害も多発していた。
日常的な決済が滞るようになり、国民は大きな不満を持った。限界まで苛立ちを募らせた人々は、もはや必然的に、新たな決済手法として「暴力」にたどり着いた。
「お会計4点で、87万9千円になります」
都内のコンビニエンスストア『ヘブンイレブン』で、店員が商品額を告げた。客が購入したのは、おにぎり3つとエナジードリンク1本である。
ハイパーインフレによって食料品の価格は高騰していたが、今日はおにぎりが値引きセールの対象だったので、ありがたいことに100万円を超えない価格で済んでいる。
「あ、すみません。ちょっと足りないみたいで……。残りの分、カード使えますか?」
若い男性客は50万円札を一枚、10万円札を三枚差し出したものの、どうにもそれ以上の持ち合わせがないらしい。
どちらの紙幣も、インフレが進むごとに政府が打ち出していった高額紙幣のうちの一つである。なお、肖像画の候補が足りなくなったので、50万円札には人差し指を突き立てるアメリカ大統領の姿が印刷されている。
「お客様、申し訳ありません。カードは対応しておりません」
「あ、すみません。それなら暴力って大丈夫ですか?」
「はい、対応しております。では残り7万9千円分は暴力でよろしいですか?」
「ええ、お願いします」
「承知しました。表へ出てください」
そう言って店員と客は店の外に出た。
両者が向かい合って構えると、客が先陣を切って、殴り合いが始まった。
しばらく殴り合って、店員が地面に膝をついた。
「お支払いありがとうございます。お客さん、強いですね……」
「自分、鍛えてるんで」
両者が納得すれば支払いは済んだことになる。暴力はシンプルだ。
「少々受け取りすぎました。お返し5千円になります」
店員の右ストレートが客の顔面に入った。
店員からのお釣りを受け取った客は、鼻血を垂らしながら「レシートは結構です」と言って、商品を片手に去っていった。
このようなやり取りが日本各地で行われるようになった。
「暴力」による決済は分かりやすく便利であったため、子供から大人まで、誰もが利用できたのだ。
そして次第に、暴力は決済以外のやり取りにおいても利用されるようになった。
「さて、どちらにしようかしら……」
空調の効いたオフィスで、一人のビジネスパーソンが頭を悩ませていた。
ここは、とあるメーカー企業の商品企画部である。部長である彼女は、今まさに部下に提出してもらった新製品のコンセプトのうち、特に優秀な2つから1つを採用しようと決めかねていた。
「こういうときは、両者の意見を聞くべきね」
部長は案を出した二人の部下を呼び出した。そして二人に、各々のアイデアの魅力について説明してもらった。彼らはプレゼンを終えると、互いに批判し合った。
「なあ吉田、君の案はコストが大きいし、メリットが全然具体的じゃない。もう少し現実を見たらどうだい?」
「黙れ太田、殺すぞ」
「ちょっとちょっと、ケンカしないの」
ライバル同士である吉田と太田の対立は激しかった。
ほとんど人格批判のような言い争いになってしまったため、部長は平和裏にことを済ませようと、彼らの間に入って仲裁した。
「二人とも、罵り合いなんて駄目よ。暴力で穏便に解決しましょう」
「部長がそう言うなら……」
「分かりました。すぐに済ませます」
太田は背広を脱ぎ、シャツの袖をまくった。吉田は眼鏡をはずして構えた。
社会人は時間に厳しいので無駄なやり取りはしない。二人とも、一撃一撃に全力を込めて拳を交わした。
何度かの応酬の中で、吉田の肘が太田のあごを打った。これが決め手となり太田は床に倒れた。
「どうやら吉田君の勝ちのようね」
部長が吉田の勝ちを確信したとき、太田がむくりと立ち上がって、ポケットに忍ばせていたカッターナイフで吉田の腹をめった刺しにした。
吉田は両手で腹を抑えながら倒れた。カーペットが赤く染まっていく。
「危なかった……。負けるところだった」
「あらごめんなさい、太田君。てっきり終わってしまったかと……」
「大丈夫です。もう済みましたから」
新しい製品は太田の案が採用されることになった。従来であれば、結論を出すまでに多くの人と時間を使って、無駄な会議を開いていたかもしれない。
しかし、暴力で決めて済ます時代は違う。そのような会議によって無駄なコストが発生することもなければ、物騒な言い争いにつながる可能性もないのだ。
この暴力というソリューションは、日本の優れた文化として瞬く間に世界に広まった。
日本政府はお馴染みのクールジャパンのフレーズとともに、暴力の魅力を世界にアピールした。海外では、「ハラキリ」「カミカゼ」のように、流血を伴う日本流の潔いカルチャーとして受け入れられた。
イギリスのオックスフォード英語辞典には、「sushi(寿司)」や「karoshi(過労死)」と同様、「boryoku(暴力)」も見事登録される運びとなった。
暴力はあらゆる決済に使われ、あらゆるものを決裁する。ドルや円のように、為替の違いを気にする必要もなければ、貧富の差もなく、言語の差もなく、誰でも自由に利用できる。
そして、速やかに問題を解決する。
とあるサッカーの国際大会で、審判が反則行為をした選手にイエローカードを突き出した。
選手は抗議のための暴力として、審判に強烈な頭突きを食らわせた。しかし審判は、この行いをさらなる不正行為と判断して、レッドカードを取り出した。
選手は、正当な主張のための暴力を不正扱いされたことに腹を立てた。しかしその程度で取り乱したりはしなかった。選手は冷静に、さらなる抗議の意を示すため、ポケットから取り出した拳銃で審判の頭を撃ち抜いた。
おかげで選手はフィールドに残ることができた。選手を応援するファンたちは歓声に沸いた。審判は動かなくなったので、警備員によって外へ運ばれた。
このような暴力によるスマートな問題解決は、今や世界中で当たり前の光景になった。
街角で、オフィスで、学校で、住宅地で、家庭で……今日もどこかで暴力が利用されている。口汚い言い争いや、何も進展しない議論とは無縁の時代が訪れたのだ。
暴力は、これまで利害対立を解決するために使われていた金銭的・時間的コストを、極限まで圧縮することに成功した。そのおかげで、人々はかつてないほどの豊かさを享受することができるようになった。
暴力が悪しきものとされていた時代とは、もはや比較にならないほど、世界は裕福になった。
「……以上の項目については、引き続き輸出を制限することになった」
「いや待ってほしい。これ以上制裁を続けるなら、我々も新しい流通ルートを開拓せざるを得なくなります。その時困るのはあなた方ではないでしょうか?」
いま密室で会話をしている二人の男は、どちらも一国のトップの座に就く人物である。
一人はとある合衆国の大統領。そしてもう一人は、とある人民共和国の委員長だ。
長らく対立の続く両国の長が相まみえるとあって、部屋の外では多くの記者たちが待ち構えている。議論の種であった経済制裁について、両者がどのような合意に至るのか、注目の的になっていた。
しばらくすると部屋の扉が開き、大統領と委員長が歩いて出てきた。
二人は記者団の前に来ると、互いに殴り合いはじめた。
「煩わしい議論は無しだ! やはり暴力で決着をつけよう、大統領!」
「いいだろう委員長! このテロ支援国家め!」
二人は暴力で合意に至ることに決めたのだ。記者団は大いに盛り上がって写真や映像を撮った。罵倒を交えて闘う二人の姿が、世界中に報道される。そのニュースを見たすべての人々が、この勝負の結果の証人となるのだ。
「なんだと資本主義の豚が!」
「言ってくれるな! 核ミサイル以外まともに作れない国のくせに!」
熾烈な応酬の行く末は、大統領の勝利に終わった。
年齢的に厳しいと思われていた大統領だったが、彼の大柄な体格と、相手の運動不足によって、辛くも勝利を収めた。
大統領の勝利によって、引き続き合衆国から人民共和国への経済制裁は継続されることになった。
ボロボロになった委員長は、SPたちに介助されながら、「納得いかない」とつぶやいて、国へ帰った。
それから数週間後、核ミサイルの雨が合衆国の首都を襲った。
多弾頭ミサイルによって、首都の各地で大きな爆発が起こった。多くの人々が崩落した建物の下敷きになったり、火災に巻き込まれたりした。
「一体何が起きているんだ?」
大統領が焦る中、委員長から一報が届いた。
『先日の対談の際に頂いた暴力ですが、少々もらい過ぎてしまったようです。これは、私からのささやかなお返しです』
これを見た大統領は、委員長の礼儀正しさにひどく感銘を受けた。
「大統領、向こうの国からのお返しですが、これでは釣り合いが取れていない状態になりませんか?」
側近からの問いかけに、大統領は深くうなずいてこう答えた。
「確かにその通りだ。これでは、今度は我々が負債を抱えてしまう。もらい過ぎた分は、きちんと返さなければいけない。ミサイルの手配を頼む」
両者が納得さえすれば支払いは終わる。暴力はシンプルだ。
終らないで幼年期(短編集) 一ノ瀬メロウ @melomelo_melonpan
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